防災数学:事例紹介
教科書の “向こう側” で数式たちは防災している!
更新日時:2026年6月6日
教科書の “向こう側” で数式たちは防災している!
更新日時:2026年6月6日
◉ 患者さんの負担を軽くするペースト状人工骨の数式:バイオマテリアル分野 × 数学
◉ 燃えひろがる数式:火災・燃焼科学分野 × 数学
◉ マイクロマシン・センサの安全性・高機能性を担保する数式:機械工学分野 × 数学
◉ 数式で蚊を絶滅させる!?環境にやさしい次世代の害虫駆除デザイン:数理生物学・生態学
◉ 感染症の流行過程を記述する数式::数理生物学
🦴 スキマができずボロボロに壊れない「ペースト状人工骨」をデザインする数学
数学が医療の現場,整形外科の治療で用いられようとしている「ペースト状人工骨」の開発に陰ながら,しかし強力に貢献していると聞いたら驚くでしょう.超高齢化社会に突入しつつある日本.骨がもろくなってしまい骨折しやすくなってしまう「骨粗しょう症」,この病気の増加は高齢化社会を表していると言えます.もろくなってしまった骨折や骨が欠けてしまったときの現在の治療の標準的な術式としては,自分の健康な骨を採取して移植する方法がとられています.しかし,骨の量が限られていること,再骨折のリスク,という患者さんの負担として重い治療法であることも事実です.患者さんの体への負担を減らすため,バイオマテリアル(生体材料)の世界では,注射器で骨の足りない部分にペースト(歯磨き粉のようなもの)を注入し体の中でそのまま固める「注入型のペースト状人工骨」の開発と実用化が進んでいます. ペースト人工骨の開発においては生体適合性,抗菌性などなど,実用化に向けた満たさなければいけない性質をいかに材料に持たせるかという研究が行われている現状です.ここでは,「固まる途中でひび割れができたり,中がボロボロに壊れてしまわない」という重要な性質にのみ着目しています.この性質を満たしていないとせっかく注入しても無意味になってしまいます.
明治大学理工学部応用化学科の相澤守先生(防災数学センターのメンバー!)のグループは「IP6」と呼ばれる材料をペーストに混ぜることで,固まった後の人工骨が隙間ができずボロボロに壊れなくなるという不思議な現象を発見しました.実用上,IP6を用いると良いということがわかりますが科学の問題として「なぜ,この材料を入れると崩れなくなるのだろう?」という問題を考えたとき,数学とのコラボがはじまりました.数学の強みは「なぜ?」という問題に数式の普遍性が論理を保証することができるところです.実際の体の中や実験室で,ドロドロのペーストが固まっていくミクロな様子を顕微鏡でずっと追いかけるのは実はとても困難なこともあり数学とのコラボは新しいアプローチなのです.
我々は「材料の実験」を「数式を組み立てるためのヒント(部品)」として活用し,集めたヒントをもとに,パソコンの中に「ペースト人工骨の動きをシミュレーションする数式」を作りました.使われたのは「状態の変化」を表すときに使われる有名な方程式(アレン・カーン型方程式)を応用したものです.これにより,実験では観察するのが難しかった「ペーストが固まる動き」をコンピュータ上で見事に可視化することに成功! どうしてIP6を材料にしっかりと含めると,隙間ができずボロボロに壊れないのか,という謎のメカニズムを世界で初めて論理的に解き明かしました.一見,医療や化学とは無縁に思える「数学」ですが,このように現象の裏にある仕組みを解き明かし,より安全で確実な医療技術(=体の中の防災・安全)を支えるための強力な武器になっているのです.
より詳しく知りたくなったら,
Y. Ichida, R. Yamada, S. Kato, Y. Kamaya, M. Kosuge, M. Aizawa, T.O. Sakamoto, S. Yazaki, A simple mathematical model for evaluation of non-fragmentation property of injectable calcium-phosphate cement, Sci Rep 15 (2025), 21571.
[ Jounal ] (Doi: 10.1038/s41598-025-06039-0)[ Source code へのアクセスはこちら ]
歯磨き粉のようなペースト状人工骨
固まる数式のシミュレーション(黄色は固まったところ,黒色は隙間やボロボロのところ)
高校数学とのつながり
我々の構築した数式のパーツの一部は高校でも習う3次関数!教科書の向こう側にはこんな世界が待っています!
TBA
🦟 薬を使わずに「蚊」を退治する,誰も解けなかったゼロの壁に挑む数学
身近にいる「蚊」.蚊に刺された経験があるかもしれません.しかし,蚊は身近にいるもののデング熱やマラリアなどの恐ろしい病気を運ぶ存在でもあり,時には人類にとって大きな脅威となる存在でもあります.従来,化学殺虫剤(毒薬)で駆除するのが一般的ですが,環境汚染の問題もある中,世界的に近年注目されているのが,「不妊虫放飼技術(SIT)」というクリーンな方法です.これは,遺伝子技術などで子孫を残せなくした「不妊のオス(無害な蚊)」を人工的に育てて自然界に大量に放ち,野生の蚊と交尾させることで,次の世代の蚊を自然に減らしていく作戦です.しかし,ここで大きな問題が生まれます.「いったい,どのくらい,何匹の不妊の蚊を放てば,野生の蚊を全滅させられるのだろう?」 放出する蚊が少なすぎれば効果がなく,多すぎればコストがかかりすぎてしまいます.
この最適な数をシミュレーションするために,先行研究では野生の蚊の数と,人工的に放つ蚊の数の変化を表す「微分方程式(数式)」が作られました.しかし,この数式には数学的にとてつもなく厄介な特徴がありました.それは,蚊が出会って結婚(交尾)する確率が,全体の蚊の比率(野生の数 $\div$ 全体の数)で決まるという点です.もし作戦が成功して,野生の蚊も人工の蚊も「限りなくゼロ(絶滅)」に近づいたとき,数式の分母がゼロに近づいてしまい,計算が破綻してしまい,シミュレーションや数学解析が困難になってしまいます.この技術的な問題は「どんな状況なら100%確実に全滅するのか?」という未解決問題につながっており,数式により完璧に証明できた人は未だ誰もいませんでした.
そこで私たちは,「ブローアップ(特異点膨らまし)」や「中心多様体理論」という高度な現代数学のテクニックを組み合わせたことで,計算が破綻する「ゼロ」のポイントを数学的にいわば「拡大虫眼鏡」でのぞき込むようにして,その近くで数式がどう動くかを完全に解き明かしました.数学解析の結果,蚊の「自然死亡率」と,私たちが「人工の蚊を放つスピード」の2つのバランスによって,未来がどうなるかを世界で初めて完全に分類・証明することに成功しました(下図参照)。
赤色の未来【作戦大成功!】: 人工の蚊を充分にたくさん放つと,野生の蚊が最初どんなにたくさんいても,時間が経てば確実に全滅(ゼロに収束)することが証明されました.
紺色,灰色の未来【要注意エリア】: 蚊の生き残る力が強い(死亡率が低い)とき,人工の蚊を中途半端な数しか放たないと,最初の蚊の数によって「全滅するか」「生き残ってしまうか」の運命が分かれる(双安定性)ことが分かりました.最初の蚊の数が小さい時には絶滅させることができる
オレンジ色・緑色の未来【作戦失敗…】: 放つ量が少なすぎると,野生の蚊は絶滅せず,一定の数でずっと生き残り続けてしまいます.
「100%全滅する条件」が数式としてガッチリ証明されたことで,実際の生態系で害虫駆除の計画を立てる際,「これだけの量を放てば絶対に大丈夫」という確実な安心・安全のボーダーラインを政策として提案できるようになります.もちろん先行研究で提案された数理モデルをベースにした解析結果であるので,数理モデルの妥当性については検討しないといけないのかもしれません.数学は,教科書の中の計算だけでなく,「地球の環境を守り、人々の命を救うための強力な武器(作戦立案ツール)」とも言えます!
より詳しく知りたくなったら,
Y. Ichida, Y. Nakata, Global dynamics of a simple model for wild and sterile mosquitoes, Math. Biosci. Eng., 21 (2024), issue 9, pp.7016--7039.
[ Jounal ] (Doi: 10.3934/mbe.2024308)
高校数学とのつながり
この現象の解析の難点は数学IIIで習う 0/0 不定形の極限に関連しています.数学IIIでは0/0となるところを変形するなどの工夫していましたが今回の論文での登場人物である微分方程式に対して,我々は,この考え方をパワーアップさせた「特異点膨らまし」という手法を用いています.
教科書のページをめくったとき「この計算,将来何に使うんだろう?」と疑問に思うこともあるかもしれません.でも,みなさんが今がんばって解いている極限や微分の地道な計算は,害虫駆除だけではなく,地球上のあらゆる問題に対処する上での大切な土台(基礎体力)になっています.教科書の向こう側には,世界を救う数学の広い世界が待っています!
TBA