“熊牧場”

2025年11月26日

                           

◇熊騒動

最近熊が街中にまで進出、庭の柿の実を食べる、家やコンビニに押し入り食べ物を物色し、荒らしまわる。さらには人に危害を加え、死者13名、負傷者196名と続出。そこで役所の要請で、猟友会のハンターに出動を依頼し、駆除していただく。それだけでは足らない程、熊は出没、役所の方々が訓練を受け、ガバメント・ハンターとなって熊退治、さらにエスカレートし、警察・自衛隊のスナイパ―出動となった。まさに内乱状態を呈しています。野外で仕事ができない、生徒さんは通学が不安、高齢者は家におれば安心かと思いきや、家の周りを熊がうろつくでは、おちおち眠る事も出来ない。ちょっとした物音にギクリとして、ノイローゼ状態。秋のかき入れ時の観光地も、熊出現の対策にクマよけ鈴や笛を観光客にぶら下げてもらう、のでは致し方ない。

   中国が日本の総理の発言に反発して、日本への観光やビジネスでの渡航者や、留学生に日本渡航への自粛を要請。その理由が日本では今、治安に問題があり、中国人が特に狙われていると言う。とんでもない言いがかりですが、熊による治安不安だと言われれば、笑うわけにはいかない。


◇熊森協会

   ソムリエの子どもが小学生の頃、担任のN先生がユニークな方でいい教育をしていただきました。その先生が、定年を待たずに退職し、「日本熊森協会」と言うのを設立し、運動を展開、県知事まで動かし、その働きは大きくなりました。先生のおっしゃるには、熊が安心して暮らせる森林を維持してこそ、人間も安心して暮らせるようになる。だから時々里に現れる熊を危険視して退治するのではなく、彼らが里に出没しなくても生活できるように森林管理をしてその生息環境を守るべきだと言うものであったと思います。あれから数十年たち、先生もご存命かどうか、分からない時が経過しましたが、ふとこの運動を思い出しました。もし現在も「熊森協会」が活動しているなら、どの様に今の世間の反応を思っているのだろうかと。


◇生物生態学

生物生態学というのがあります。生物の世界は大きな有機的なシステムになっている。そして全ての生物は、棲み分けをしながら共生関係にある。そこである種の生物が、バランスを欠く程増え続けるようになると、それを調整してバランスを回復する、ホメオスターシス(恒常性維持機能)が働く。具体的にはポピュレーション機能です。個体数調整機能のことです。増えすぎた生物種を疫病、飢饉によって減少させて、バランスが取れるようにする、と言う。さて今回の熊騒動ですが、どうなのでしょうか。森林学者によると、森の木の実が豊作の時は、メス熊は多くの子を産む。ところが豊作の翌年は凶作になる。すると増えた熊は餌となる木の実が不足して、里に下りて餌を捜す。そこで起こったのが現在の熊騒動だとのこと。

しかし、元はと言えば人間が戦後の経済復興のため、建築材として役立つ木を植林したが、その後安価な海外の木材を輸入するようになったため、山林の管理を怠ったったため、この様な不具合を招いたと言う。つまり本来多様な木々が育っていた自然林では、豊作の木もあれば、不作の木もある。ちょうどバランスが取れて熊の食材には困らないはず、しかし人間が自分の都合で単一植生にしてしまったため、起こっている人災だとさえ、学者は説く。

とすると、この根本の山林経営策を見直すところにこそ、今回の熊騒動の源があり、それは人間の責任だと言う事で、わが身に責任は帰ってきました。熊に責任はない。


◇自然との共生はどこに?

では、被害は甘受すべきか?そうもいかないから、緊急銃猟とか難しい言葉で、要

するに熊退治をやって何百頭もの熊が殺されている。特に東北地方初め関東以北の方々には、不安危険で生活さえもが脅かされているから、やむを得ないとは思う。しかし今のところ安全地帯に住む、ソムリエのような人間は、少しは余裕があるから、何とかならないかとつい思ってしまいます。つまり、熊にも命があり、彼らも生きるに必死である。それが人間だけの都合を考えて駆除すると言うのは、余りに身勝手ではないか。

日頃、自然との共生だとか、仏教徒は山川草木悉皆仏性とかお題目を唱えて、日本人は自然に生きる。自然を支配するキリスト教文明は自然を破壊し、環境破壊をもたらした。これからは日本の自然との共生思想が世界を救う、などと大口たたいていたのに、今回は宗旨替えして、熊退治に血道をあげる。日本の自然との共生思想も、たかが知れていますね。キリスト教では「神は人を連れて行ってエデンの園に置き、これを耕させ、これを守らせられた。」創世記2:15と記されています。つまり、人間の自然における立場は、単なる自然との共生だけではなく、これを良く管理する様にスチュワードッシップ(管理者責任)が与えられているのです。人間の自然における役割は、エデンの園の管理人、ガーデナー、庭師です。ガーデナーがいなければ園は荒れ放題です。しかしよく管理された園は、和風庭園の美、イングリッシュガーデン、フレンチガーデン、中華庭園。ソムリエは全て拝見し、それぞれの文化の違った味わいに感銘を受けました。同様に、熊も人間も共生できる環境作りの熊守りが必要です。里に出没すると困るので鉄砲撃って殺すでは、余りに身勝手ではないか。日頃言って来たこととやってることは違うではないか、と思う。


◇熊牧場のアイデア

そこで、安全地帯に住む人間の愚案をお聞きください。とりあえず熊牧場をつくる。そこに里に出て来た熊を殺害せず、麻酔銃で眠らせ捕獲し、熊牧場に飼育する。そして森林管理が熊の生育に適するようになるまで、あるいは地方の動物園や、世界で日本の熊を求める動物園に飼育を依頼するとか、次の策を考える。と言うのはいかがでしょうか。仏教でも殺生は罪でしょうが。熊退治する方々、死体を処理する方々も決して目覚めがいいとは思えません。彼らに責任を負わせてTVニュース鑑賞もないものです。ソムリエはこの方面には無知、無策で笑われるのを覚悟で提案します。

  拠点ごとに熊牧場を至急造成することを願うものです。

 「おおかみは子羊と共にやどり、牝牛と熊は食い物を共にし、乳飲み子は毒蛇のほらに戯れ、乳離れの子はまむしの穴に手を入れる。」イザヤ書11:6~9