詩篇119:105
”ロスを埋めるもの”
10月メッセージ
万博ロス
関西では大阪万博が、好評のうちに終わります。知り合いの86才の牧師先生は9回通って、
なお通い足らない、とおっしゃっていました。日頃から好奇心の強い方だと思っていましたが、これほどとは思いませんでした。大阪に居ながらにして世界の国々を、それも現代の最先端の状況を知る事ができる、またとないチャンスだと言う事ですね。
万博の後の大屋根リングの一部を記念に残すとか、思い出作りも考えられている様です。
しかし、万博が終わると、何だか気が抜けたみたいでしょんぼり、と言う方がいてもおかしくありませんね。万博・ロス現象です。
同様に関西では、少し前に和歌山の観光名物パンダが一頭もいなくなり中国に帰った例があります。お別れには涙を流す人もたくさんいました。居なくなった場所に記念の看板が立ち、わざわざ関東から偲ぶためにやってくる人もいて、その人気ぶりが、そして不在の穴の大きさに驚きました。パンダ・ロスですね。
ロスつまり喪失感です。愛の対象を失った悲しみですね。推しが引退した、亡くなった、何かの理由で裏切られた感じがする、・・。愛情が深ければ深いほど、信頼が強ければ強いほど、喪失した時の、ロス感は深く、大きく、傷は中々癒されないものでしょう。
喪失感
中には、人生の時間の大部分や、一生喪失感に支配され、前向きに生きられない、恨み、つらみを恋々と呟く人にもお会いしました。どうすればいいのでしょうか?
そんな過去にいつまで囚われているんだ、早く忘れて前向きに生きよ、とかまた別のものを探せばいいじゃないか、世の中他にもいい事、いい人いっぱいいるよ、と言ってもロス感の深い人には通用しません。結局この人は分かってくれない人だと、去って行きます。
寄り添う事だと思います。ロスを、喪失感をこころに抱えている人と共に歩む事だと思います。
寄り添うイエス様
イエス様が十字架に死に、葬られ、三日後に復活された。弟子たちは世直しのメシヤだと期待していた恩師が、惨めに死に、がっかり。喪失感に打ちのめされて都落ちしていた2人の弟子たちに、すっと寄り添う人が現れ、何を悲しそうに話しているのか?と尋ねた。あなたは最近都エルサレムで起こったイエス処刑事件を知らないのですか!と当事者を前に興奮して話す。やがて日も傾き、その人は先に進もうとしたたため、2人の弟子たちは彼を引き留め、宿を取り夕食のテーブルについた。その食前のお祈りを聴いて、見て、この人はイエスだと気づいたとき、その人は消えたと福音書は記す。そして、あの方が話された時お互いの心が燃えたではないか、と告白。ロス感で心が冷え冷えとしていたにに、イエス様は復活して、確かに喪失感に打ちのめされた二人に寄り添ってくださっていた事に気づいたのです。そして2人は、喪失の地、失敗の地、敗北の地、エルサレムに取って返し、やがてそこに聖霊が下り、世界初のキリスト教会が誕生。今や全世界に、そしてあなたの側に寄り添われる方として今日も側におられるのです。
「彼らは互いに言った、”道々お話になった時、また聖書を説き明かしてくださったとき、お互いの心が内に燃えたではないか。」
ルカによる福音書 24:32