作曲・ASMR(Music_ASMR)

クラシック・吹奏楽で音楽は愛好していましたが、音を作る側に憧れることはあっても、それだけでは今のように音声作品を残していくという域までには、なかなかこれなかった気がします。

何気なく、音で日記をつけるようにMDレコーダーに生活音を記録して遊ぶ。今考えると、それが音風景の収集活動になり、そして作曲・ASMR活動にもつながっていったんだと思います。

作曲:寒い夜の自我像

歌モノの作曲リクエストをいただいて、何か発想の根源になるものを探していたところ、中原中也のこの詩を見つけた。

詩人宣言ともいえるような内容の詩にパワーをもらって、一気に書き上げた曲でした。

「いつか作曲をしたい」という夢は、ケージ作曲の「4分33秒」を知ってから、「音楽」の感じ方を変えてくれたように思う。

「音楽」として感じようとするところに「音楽」は存在する。

既存のポピュラー・ミュージック、シリアス・ミュージックはもちろん、日常(非日常)の音の風景や、ノイズだって「音楽」になりうる。

もしかしたら、誰かにとっては楽譜そのものに「音楽」を感じるかもしれないし、絵画や詩、その他あらゆるものが「音楽」となりうる可能性を秘めている。

2010年代半ばから徐々に「ASMR(Autonomous Sensory Meridian Response) 」という「人が聴覚や視覚への刺激によって感じる、心地良い、頭がゾワゾワするといった反応・感覚 (を引き起こす作品群)」が注目されるようになってくる。

自分の経験に照らし合わせると、シリアス・ミュージックの系譜にある現代音楽の一部で感じてきた感覚に近い。

そして、当時、自分でレコーダーやSANYOのバイノーラルマイクなどで収録していた日常音とも近い気もした。

その時から「音楽」も「ASMR」も「(聴覚に対して主に訴えかける)芸術」という意味では近いものとして考えています。

ASMR:シャンプーとドライヤー

マッサージ師の練習用の肩まであるマネキンに、シリコン製の耳の模型、その他、いろいろ細工をして、ダミーヘッドを自作。

そこにペアで購入した水に強いコンデンサーマイクCOUNTRYMAN B3を仕込む。

そして早速、お風呂場で録音したもの。

自分のASMR作品の中では、わりと珍しくASMRらしい作品。

ASMR×MUSICの試み

元より、ASMRと音楽は近しい存在だととらえていますが、お互いが寄り添う形をどのように表現できるのか、模索を続けています。

ASMR×MUSIC「京都駅」では、比較的わかりやすく、立体音響で収録した電車や駅ホームの音に、イメージを付加する楽音を添えたものです。