古代ギリシア年表 (BC1750-1300)
古代ギリシア年表 (BC1750-1300)
BC1750年、Ogygus時代の大洪水[Paus.10.6.1, JeromeChro.1757]
** Ogygus時代の大洪水から初代Athens王Cecropsの即位(BC1561)まで、190年であった。[Euseb.Chron.181, JeromeChro.1757]
BC1750年、Ogygus率いるEctenesは、Thebesの北側に定住した。[Paus.9.5.1, Paus.9.19.6, Paus.9.33.5]
** BoeotiansはEctenesの名前で呼ばれた。[Suda.epsilon.647] Ectenesの王は、Ogygusであった。[Paus.9.5.1]
** Boeotiaは、Ogygiaと呼ばれた。[Strabo.9.2.18]
** Ogygusは、Atheniansの最初の王であり、OgygusはAtheniansの先祖であった。[Euseb.Chron.181]
BC1750年、Ogygusの子Eleusisは、Eleusisを創建した。[Paus.1.38.7, JeromeChro.1777]
** Ogygusが創建した。[Euseb.Chro.177]
BC1750年、Inachusの子Aezeius(or Aegialeus)は、Aegialus(後のSicyon)を創建した。[Paus.7.1.1, StephByz.A40.13]
BC1750年、Inachusの子Phoroneusは、Phoroneus (後のArgos)を創建した。[Paus.2.15.5]
BC1750年、Inachusの娘Myceneの夫は、Mycenaeを創建した。[Paus.2.16.3-4, StephByz.M460.9から推定]
** Mycenaeの名前は、Inachusの娘Myceneに因む。SicyonとArgosを結ぶ交通の要衝に位置し、ほぼ同時に創建されたと思われる。
BC1725年、Phoroneusの子Carは、ArgosからMegaraへ移住した。[Paus.1.39.5]
** Carの墓は、MegaraからCorinthへ向かう街道沿いにあった。[Paus.1.44.6]
BC1700年、Phoroneusの子Europsの子Hermionは、Argosの南東の海岸にHermioneを創建した。[Paus.2.34.4]
BC1690年、Lycorusの子Hyamusの娘Celaenoの子Delphusは、Lycoreiaから移住して、Delphiを創建した。[Paus.10.6.3]
BC1690年、AegialeiaのTelchinの子Cresは、ArgosのApisとの戦いに敗れてCreteへ移住した。[Paus.8.53.5, Cleme.Str.1.21, Orosius.1.7]
** Cresが最初にCreteを統治した。[JeromeChro.1962]
BC1690年、Phoroneusの子ApisはSicyonを併合し、Peloponnesusは、Apisに因んでApiaと呼ばれるようになった。[Apo.2.1.1, Paus.2.5.7]
** PeloponnesusがApiaと呼ばれたのは『梨の里』であったからだ。[Athen.14.650c]
** PausaniasはApisをTelchisの息子だと記している。Sicyon王の誤った系譜(Euseb.Chron.173)を参考にしていたと思われる。[Paus.2.5.6]
** Peloponnesus, 21,549.6 km2。The Great Chersonesus (Crimea) 27,000 km²。[Strabo.7.4.5]
BC1665年、Apis、ThelxionとTelchisに謀殺される。[Paus.10.6.3]
** Apisは、Sicyonを25年間支配した。[Euseb.Chron.173]
BC1645年、Niobeの子Argusの子Tirynsは、Tirynsを創建した。[Paus.2.25.8]
BC1645年、Niobeの子Argusの子Epidaurusは、Epidaurusを創建した。[Paus.2.26.2]
BC1635年、Lycaonの子Oenotrusは、ArgosからItaly半島西南部に移住して、Pandosiaを創建した。[Antiq.1.11.3, Strabo.6.1.5]
** Pausaniasは、他国への移住者は、Oenotrusが最初だと記している。[Paus.8.3.5]
BC1635年、Lycaonの子Peucetiusは、ArgosからItaly半島東南部に移住した。[Antiq.1.11.3]
** Italy半島東南部は、Peucetiusに因んでPeucetiaと呼ばれた。[Plin.3.16.1]
BC1610年、Niobeの子Argusの子Peirasは、the temple of Hera in Argos創建した。[Euseb.Pra.3.8]
** Peirasは彼の娘Callithyiaを最初の巫女にした。[Euseb.Pra.3.8]
** Niobeの子Argusは、Tirynsの梨の樹でHera神像を作った。[Cleme.Exho.4, Euseb.Pra.3.8]
** Pirantosの子Callithiasが最初の神職になった。[JeromeChro.1637] Peirasの娘Callithyiaの間違いと思われる。
BC1580年、密儀祭司Trochilus、Triopasの子Agenorと争って、ArgosからEleusisに亡命した。[Paus.1.14.2]
** TrochilusはCallithyiaの息子であった。[SchoAratus.Pheno.161]
BC1580年、Argusの子Phorbasの子Triopasは、Rhodesへ植民団を派遣した。[Diod.4.58.7]
BC1580年、Boeotiaに悪疫発生した。[Paus.9.5.1]
BC1580年、BoeotiaのEctenesは、Attica、Thessaly、Egyptへと移住した。[Paus.9.5.1, Paus.9.33.5, Suda.epsilon.647, Strabo.9.2.18]
** Ectenesの一部はBoeotiaに残留した。後にCadmusと戦って敗れている。[Nonnus.5.35]
BC1580年、Cecropsの父は、EgyptのNile Deltaへ移住してSaisを創建した。[Diod.1.28.4, Tzetzes.5.650]
** Cecropsは、SaisからAthensへ来た。[Tzetzes.5.650] OgygusはAtheniansの先祖であった。[Euseb.Chron.181]
BC1562年、Cecropsの娘Herseは、EgyptからAthensへの途中で、PhoeniciaのTyreに嫁いだ。[Apo.3.14.3とMarceReg.30から推定]
BC1562年、Cecropsは、EgyptからAtticaの東海岸のMirinousに上陸した。[Paus.1.31.5]
** Cecropsは、Egyptianであった。[FGrH.Nr328.F93, JeromeChro.1550, Suda.ka.1272, Suda.pi.2506]
BC1562年、Colaenusは、MirinousからMessenia湾入り口西側に移住して、Colonidesを創建した。[Paus.1.31.5, Paus.4.34.8]
BC1561年、Cecropsは、Athens北東のAthmoneisのPorphyrionの次の王Actaeusの娘Agraulusと結婚した。[Apo.3.14.2, Paus.1.5.3]
BC1561年、CecropsはCecropia(現在のAthens)を創建した。[Apo.3.14.2, Euseb.181, Paus.1.2.6, Paus.1.5.3, Paus.1.14.7, Pliny.7.194]
** Cecropsの添え名「Diphyes」は、2つの言語を使用する人。[FGrH.328.F93, JeromeChro.1550]
** a body compounded of man and serpent[Apo.3.14.1, Diod.1.28.7]
BC1560年、Triopasの子Iasusは、彼の娘Ioを連れてEgyptへ移住した。[Paus.2.16.1]
** Ioは、the temple of Hera in Argosの巫女であった。[Apo.2.1.3, Palaepha.42]
** Ioは、Egyptでは、Isisと呼ばれた。[Suda.iota.636]
BC1560年、ArgosのCyrnusは、Rhodes対岸のCherronesusにCyrnusを創建した。[Diod.5.60.4]
BC1560年、Triopasの子Xanthusは、ArgosからLyciaに植民後、無人のLesbosに植民した。[Diod.5.81.2]
BC1560年、Triopasの子Pelasgusの娘Larisaは、ArgosからThessalyへ移住した。[Antiq.1.17]
BC1560年、Triopasの子Agenorの子Pelasgusは、ArcadiaのLycaeus山(現在のMt. Lykaion、標高1,421m)の麓に移住した。[Paus.8.1.6]
BC1535年、Telegonusの子EpaphusはSaisからNileDeltaの南に移住して、Memphisを創建した。[Apo.2.1.4, Cleme.Str.1.21, Herod.2.153]
BC1535年、Cranausは、EgyptからAtticaに移住した。[Diod.1.29.1から推定]
** Athensの住人がPelasgiansであり、Cranaansと呼ばれていたことから、Cranausは、Ioの息子と推定される。[Herod.8.44]
** Cranausは、先祖Ogygusが昔住んでいたBoeotiaのTriton川のほとりに居住したと思われる。[Strabo.9.2.18]
** Cecropsが(Cranausに命じて)Triton川のほとりにAthensとEleusisを創建した。[Strabo.9.2.18]
** Homer(Il.4.8)は、Athenaの添え名にAlalcomenaeを使用しており、当時からその村がTriton川のほとりにあったと思われる。
** Atthisの息子Erichthoniusは、Egyptから来航しているので、AtthisもEgyptへ戻っていたと思われる。
BC1530年、Cecropsの子Erysichthonは、Delosへ木像を送った。[Euseb.Pra.3.8]
BC1530年、Xanthusの娘Lyciaの子Patarusは、LyciaのXanthus河口近くにPataraを創建した。[FGrH.Nr1.F256, Strabo.14.3.6]
BC1530年、ThessalyのDeucalionは、王になった。Athens王Cecrops治世中であった。[Parian.Marble.2]
BC1530年、Cranausの娘Atthisが誕生した。[Apo.3.14.5]
** Cranausの娘Atthis(別名Athena[Apo.3.14.6, Tzetzes.1.170])は、Triton川の近くで育った。[Herod.4.180, Paus.1.14.6, Paus.9.33.7]
** Cranausの娘Atthisに因んでAtticaと呼ばれるようになった。[JeromeChro.1506, Just.2.6, Strabo.9.1.18]
BC1525年、Cecropsの子Erysichthonは、Temple of Apollo at Delosを建立した。[JeromeChro.1511]
BC1525年、Pelasgusの子Lycaonは、Mount Lycaeusの近くにLycosuraを創建した。[Paus.8.2.1]
BC1515年、Cecropsの子Erysichthonは、Delosからの航海中に死に、Prasiaeに埋葬された。[Paus.1.2.6, Paus.1.31.2]
BC1515年、Deucalionの子Hellenは、Enipeus川の対岸にHellasを創建した。[Strabo.9.5.6]
BC1511年、Deucalion時代の洪水
** 大地震が発生して、ThessalyのPeneius川が河口近くで堰き止められて、大洪水が発生した。[Apo.3.14.5, Euseb.183]
** Hellasが被災して、HellenはMelitaeaへ再移住した。[Strabo.9.5.6]
BC1511年、Cranausは、彼の娘Atthisと夫をEgyptへ追放した。[Cranausの死後、Cranausの子Rharusではなく、Cranausの娘の息子がAthens王を継承していることから推定]
** Atthisの夫は、Cecropsの孫、恐らく、Erysichthonの息子だと思われる。
BC1511年、Cecropsが死に、CranausがAthens王に即位した。[Paus.1.2.6]
BC1510年、Atthisの子Erichthoniusが誕生した。[Apo.3.14.6]
BC1510年、Pelasgusの子Lycaonは、the Lycaean gamesを開催した。[Paus.8.2.1]
BC1503年、Deucalionの子Amphictyonは、Cranausの娘と結婚した。[Paus.1.2.6, Euseb.Chron.183]
BC1502年、Cranausは、Amphictyonに追放され、Lamptrae(AthensとSunium岬の間)で死んだ。[Apo.3.14.6, Euseb.183, aus.1.31.3]
BC1500年、Rhodosの母Haliaの父(Telchines)は、CreteからRhodesへ入植した。[Diod.5.55.4]
BC1495年、HellenとOthreisの息子Meliteusは、Melitaeaを創建した。[Antoninus.13, FGrH.Nr4.F125]
** DeucalionやHellenの時代は、町をPyrrhaと呼んでいたが、Meliteusの時代にMelitaeaと呼ぶようになったと思われる。[Strabo.9.5.6]
BC1492年、大干ばつがGreeceを襲った。[Diod.1.29.1]
BC1492年、Cranausの娘Atthisの子Erichthoniusは、EgyptからAthensに渡来した。
** Erichthoniusは、Amphictyonを追放してAthens王に即位した。[Diod.1.29.1, Paus.1.2.6]
** Erichthoniusは、Eleusisに住むCranausの子Rharusの子Celeusの従兄弟であった。[Newton.Chro.143]
** Rharusは、Erichthoniusと共にEgyptから渡来した。
BC1492年、Eleusisの近くのRharium平原に初めて大麦(barley)の種が蒔かれた。[Diod.1.29.2, Paus.1.38.6]
** Egyptから種を持ち込み、種をまいたのは、Rharusであったと推定される。
BC1480年、Pelasgiansは、ThessalyのScotussaからDodonaに神託所を移した。[Strabo.7.7.10-12, Strabo.9.5.23]
** Haemonの子Thessalusは、Dodonaに神殿を建立した。[Hyginus.225]
** the sanctuary (of Dodona) also was from the beginning Pelasgian [Strabo.9.2.4]
** Dodonaの神域そのものがPelasgiansの創建と思われる。
BC1470年、Hellenの子Xuthusは、Thessalyから追い出されてAthensへ移住した。[Paus.7.1.2]
** Xuthusは、第4代Athens王Erichthoniusの娘Creusaと結婚した。[Paus.7.1.2]
BC1465年、Xuthusは、Attica北東部にTetrapolis(Oenoê, Marathon, Probalinthus, Tricorynthus)を創建した。[Strabo.8.7.1]
BC1460年、Hellenの子Dorusは、MelitaeaからThessaly北部のPeneius川流域へ移住した。[Herod.1.56]
BC1456年、Erysichthonは、CreteのPrasusからRhodesへ移住した。[FGrH.Nr4.F122, Strabo.10.3.19から推定]
BC1456年、Erysichthonは、TelchinesのHaliaの娘Rhodosと結婚し、7人の息子たちが誕生した。[Diod.5.55.4, Diod.5.56.5]
BC1450年、Lycaonの子Heraeeusは、ArcadiaのAlpheius 川の右岸にHeraeaを創建した。[Paus.8.26.1]
BC1442年、Hellenの子Xuthusは、AtticaからAegialus(後のAchaia)へ移住した。[Paus.7.1.2]
** 義父王Erechtheus死去し、Atticaで養いきれない人々を率いて新天地を求めた移住と思われる。[Paus.7.1.2]
** AeolisのPeloponnesus進出は、Hellenの子Xuthusが最初であった。
BC1440年、Xuthusの子Ionは、Aegialiansの王Selinusの娘Heliceと結婚し、Selinusの跡を継ぎ、Heliceを創建した。[Paus.7.1.3-4]
BC1438年、CreteのIda山で山火事が発生して、偶然に鉄が発見された。[Cleme.Str.1.21]
** Telchinesがはじめて鉄と銅を加工した。[Strabo.14.2.7]
** CyprusのAmathusは、銅を産出した。[Ovid.10.520]
** CreteのBerecynthusにあるApteraのIdaean Dactylsが最初に鉄の活用手段を発明した。[Diod.5.64.5]
** CreteのIdaean Dactylsが最初の鍛鉄法を発明した。[Pliny.7.197]
** Idaean Dactylsが最初の鉄の製造者であった。[FGrH.Nr333.F47]
** Idaean Dactylsと呼ばれる者はCreteで鉄の製錬と焼き戻しを教えていた。[Hesiod.Fr. ID.4]
** Celmis (and Damnameneus) of the Idaean Dactylsが、AthensのPandionの治世に、CreteのIdaで鉄を発見した。[Parian.Marble.11]
** 最初のIdaean DactylsであるCelmisとDamnameneusはCyprusで鉄を発見した。[Hesiod.ID.F2]
** Kelmis and Damnaneus, Idaean Dactyls, first discovered iron in Cyprus. [Hesiodの断片 Cleme.Str.1.16, Euseb.Pra.10.6が引用]
** Damnameneus、Scelmisは、Telchinesであった。[Nonnus.14.36]
** the Corybantes, the Cabeiri, the Idaean Dactyli, and the Telchines as identical with the Curetesは、同じ氏族であった。[Strabo.10.3.7]
BC1435年、Xuthusの子Achaeusは、AegialusやAthensから味方を得てAegialusからThessalyのMelitaeaへ帰還した。[Paus.7.1.3]
BC1435年、Hellenの子Aeolusの子Mimasは、Melitaeaから北西に移住してArneを創建した。[Paus.7.1.3から推定、Achaeusに追放されて]
** Mimasの兄弟Athamas, SisyphusもMelitaeaからArneへ移住したと思われる。
BC1435年、Teucrusは、CreteのApteraを出航し、TroasのHamaxitus付近に上陸した。[Strabo.13.1.48]
** 少し前のIdaean Dactylsの鉄の発見が関連し、CadmusがSamothraceに立ち寄るより前と思われる。
** Ida山の名前は、TeucriansがCreteにある山と同じ名前を付けた。[Strabo.13.1.48]
** Dardanusの町の名前は、それより前には、Teucrusであった。[StephByz.D218.1]
BC1433年、Teucrusに同行したIdaean Dactylsは、Ida山周辺に有望な鉱脈を見つけ、鉄の加工を始めた。[Strabo.10.3.22]
BC1432年、Aeolusは、Mimasの子HippotesとMelanippeの息子として、ThessalyのArneで誕生した。[Diod.4.67.3, Home.Od.10.2]
BC1431年、Idaean Dactylsは、Cabeiriと共にLemnos島、Imbros島、Samothraceへ渡った。[Strabo.10.3.22]
BC1430年、Agenorは、EgyptのThebesからPhoeniciaのSidonへ移住した。[Diod.1.23.4, Pliny.5.76]
BC1430年、DanausはEgyptのChemmisから出航して、RhodesのLindusに上陸した。[Apo.2.1.4, Diod.5.58.1]
BC1430年、DanausはRhodesのLindusで娘3人を亡くして、Athena神殿を建立した。[Diod.5.58.1]
BC1430年、Danausは、ArgosとLacedaemonの境であるThyreaのPyramia近くに上陸した。[Plut.Pyrrhus.32]
** Danausの最終上陸地点は、Lernaの近くのApobathmiであった。[Paus.2.38.4]
** Cadmus[Dictys.5.17, Diod.3.67.1, Herod.5.58, Hyginus.277]とDanaus[Dictys.5.17, FGrH.Nr1.F20]がPhoenician alphabetを伝えた。
** Egyptiansがalphabetを発明し、PhoeniciansがGreeksに伝えた。[Tacit.Ann.11.14]
** Cadmusと共に移住してきたPhoeniciansが持ち込み、彼らの言語がGreekになったときに、the Greek alphabetとなった。[Herod.5.58]
BC1430年、Danausは、Sthenelas(Stheneleus, Sthenelus)の子GelanorからArgosの支配権を奪取した。[Paus.2.16.1, Plut.Pyrrhus.32]
** Gelanorは、同族が住んでいたSicyonに亡命した。[Paus.2.6.5から推定]
** DanausとGelanorの間に戦いがあった。[Jerome.1475] GelanorがDanausに譲った。[Apo.2.1.4]
** Gelanorは内乱で町を追われ、Danausは町を攻撃して勝利した。[Plut.Pyrr.32]
** DanausはGelanorに王権を要求して、そして奪った。[Paus.2.19.3, Paus.2.16.1]
BC1430年、Danausの兄弟Aegyptusは、Peloponnesus半島北西部Aroe(後のPatrae)に定住した。AroeにAegyptusの墓があった。[Paus.7.21.13]
BC1430年、Danausの弟と思われるOrusは、Oraea(後のTroezen)を創建した。[Paus.2.30.5]
BC1430年、Danausの叔父Lelexは、後にLacedaemonとなる地に入植した。[Apo.3.10.3, Paus.1.39.6, Paus.1.44.3]
BC1430年、Lelexは、彼の息子MylesにLacedaemonを託して、Megaraへ移住した。[Apo.3.10.3, Paus.1.39.6, Paus.1.44.3]
BC1430年、Lelexの娘Therapneの夫は、Lacedaemon近くにTherapneを創建した。[Paus.3.19.9, Strabo.7.7.2]
BC1430年、Dardanusは、ArcadiaのMethydriumからSamothraceへ移住した。[Antiq.1.61.3, Paus.8.36.1]
BC1430年、Cydon、Gortys、Archediusは、TegeaからCreteへ移住して、Cydonia、Gortyna、Catreusを創建した。[Diod.5.80.1, Paus.8.53.4]
BC1430年、Lycaonの子Parrhasiusの子Parusは、ArcadiaのParrhasiaからParos島へ移住した。[StephByz.P507.5, Dic:Parrhasius]
BC1430年、CelmisとDamnameneusは、Cyprusで鉄を発見した。[Hesiod.ID.F2]
BC1429年、Idaean Dactylsと共にSamothraceへ渡ったCabeiriのひとりCybeleは、Dardanusの兄弟Iasionと結婚した。[Diod.5.49.2]
BC1426年、Agenorの子Cadmusは、移民団を率いてSidonを出航した。[Diod.4.2.1, Isocrates.Helen.68, Ovid.Meta.3.120, Pliny.5.76]
** Cadmus, who was a citizen of Egyptian Thebes. [Diod.1.23.4]
BC1426年、Cadmusは、RhodesのIalysusに上陸した。[Diod.5.58.2]
** 島の北東のIalysusは、BC1390年の大津波後、Cercaphusの子Ialysusが創建したので、正確には「後にIalysusとなる土地」。
BC1425年、Achaeusの子Archanderは、Hypseusの娘Cyreneと結婚した。[Diod.4.81.2, Hyginus.161, Nonnus.13.286]
BC1425年、Rhodosの息子たち(Heliadae)は、TelchinesをRhodesから追放した。[Diod.5.56.1, Nonnus.14.36]
BC1425年、TelchinesのLycusは、RhodesからLyciaのXanthus川近くに移住して、Apollo Lyciusの神殿を奉納した。[Diod.5.56.1]
BC1425年、Cadmusの移民団の中にいたPhoenixの娘Astypalaeaは、ApteraのIdaean Heraclesと結婚した。[Paus.7.4.1から推定]
BC1425年、Cadmusの移民団の中にいたPhoenixの娘Europaは、Cydoniaの創建者Tegeatesの子Cydonと結婚した。[推定]
BC1425年、Cadmusは、Calliste島(後のThera島)に立ち寄り、Poecilesの子Membliarusが率いる一部の人々が島に定住した。[Herod.4.147]
BC1425年、Cadmusは、Samothraceに立ち寄り、秘儀に入会して、Harmoniaと結婚した。[Diod.5.48.5]
BC1425年、Aegyptusの子Lynceusは、Danausの長女Hypermnestra結婚した。[Apo.2.2.1, Pindaros.622]
** Hypermnestraは、ArgosのHera神殿のPriestessであった。[Newton.Chro.139]
BC1425年、Agenorの子CilixはIda山近くのCiliciaへ移住して、Thebeを創建した。[Apo.3.1.1]
** Cilixの娘Thebeは、Ida山のCorybasに嫁いだことから、Cilixが町に娘の名前を付けたと思われる。[Diod.5.49.3]
BC1424年、Aristaeusは、Achaeusの子ArchanderとHypseusの娘Cyreneとの間に、ThessalyのMelitaeaで誕生した。[Diod.4.81.2]
BC1423年、Abasは、LynceusとHypermnestraとの間に、Argosで誕生した。[Apo.2.2.1, Paus.2.16.2]
BC1422年、Cadmusは、Chalcidice半島北方のPangaeus山付近で金鉱を発見した。[Cleme.Str.1.16, Euseb.Pra.10.6, Strabo.14.5.28, Plin.7.197]
BC1422年、Cadmusの母Telephassaは、Thraciaで死んだ。[Apo.3.4.1]
BC1420年、----- 1回目のAegean Seaの大津波 ------
BC1420年、Rhodesに大津波が襲来した。[Diod.5.56.2]
BC1420年、SamothraceのDardanusの妻Chryse、息子Idaeus、弟Iasusは津波で死んだ。[推定]
BC1420年、Dardanusは、SamothraceからのTroadへ移住した。[Apo.3.12.1, Diod.5.49.2, Hesiod.CW.F102]
BC1420年、Cadmusと共にThraciaの海岸部に定住した人々が津波で被災した。[推定]
BC1420年、Danausが死んで、彼の娘婿LynceusがArgosの支配権を継承した。[Paus.2.16.1, Cleme.Str.1.21]
BC1420年、Cadmusは、ThraciaからBoeotia に移住して、Cadmeia(後のThebes)を創建した。[Herod.1.56, Strabo.8.7.1]
** Cadmusの移民団の中に、Cadmusに次ぐ実力を持つSparti(or Spartos)と呼ばれる者たちがいた。[Apo.3.4.2, Paus.9.5.3]
** Spartiは、会戦前に戦列を跪かせ、敵と十分な間合いとなったときに、雄たけびを上げて立ち上がり、敵を驚かせて委縮させる戦法を編み出した指導者のことであった。[Photios.186.37]
** CadmusとDanausがPhoenician alphabetをGreeceに伝えた。[Dictys.5.17, Euseb.Pra.1.6]
** Cadmusの移民団の中には、Arabiansも含まれていて、Euboeaに定住した。[Strabo.10.1.8]
BC1420年、Boeotiaに住んでいたHyantesは、Cadmusに敗れて、西へ追いやられた。[Paus.9.5.1, Paus.10.35.5]
** Hyantesは、Onchestusを中心に住んでいた。[Apollo.3.1240]
** Hyantesの一部は、Aetoliaへ移住した。[Strabo.10.3.4]
** 後に、AetolusがElisから移住したときに、Curetesの地(Pleuronの古名[Strabo.10.2.5])にいたのは、名前を変えたHyantesと思われる。
** Hyantesは、barbariansであった。[Strabo.9.2.3]
** BC1126年にBoeotiansとOrchomeniansによって追われたThraciansは隣接地のHyampolisに住むHyantesと思われる。[Strabo.9.2.3-4]
BC1420年、Cadmusとの戦いに敗れたAoniansは、Glissasに住むことを許された。[Nonnus.5.35, Paus.9.5.1]
BC1420年、Cadmusと共にPhoeniciaから来たGephyraeansは、Tanagra周辺に定住した。[Herod.5.57, Strabo.9.2.10]
** Gephyraeansを率いたのは、Cephisusと思われる。[Plut.QuestGr.40] Tanagraは、Gephyraと呼ばれていた。[FGrH.Nr1.F118]
BC1420年、Dorusの子Tectamusは移民団を率いて、DryopisからCreteへ移住した。[Diod.4.60.2, 5.80.2]
BC1420年、Achaeusは、ThessalyのMelitaeaからPeloponnesusへ移住した。[Paus.7.1.6, Strabo.8.7.1]
** Achaeusの移住先は、Thessalyへ行く前の居住地であるAegialusと思われる
** Pausaniasは、Achaeusの子でArchanderとArchitelesの2人が、PhthiotisからArgosに移住したと記している。[Paus.7.1.6]
** Straboは、Achaeusが「過失殺人の罪を犯して」Lacedaemonへ亡命したと記している。[Strabo.8.7.1]
**[推定] Achaeusと息子たちは、Aegialusへ戻り、ArchanderとArchitelesは、Danausの娘たちを娶った。
** Sicyonとの戦いでArgosに加勢し、Archanderは、Argosに住んで、Abasの後見をした。
** この時点で、AegialusからArgosの範囲の住人をAchaeansと呼んでいた。その後Lacedaemonの子Lelexの子Polycaonに嫁いだMesseneと共にArgosから多くのAchaeansがMesseniaのAndaniaに移住した。ArgolisからMesseniaの一部まで範囲の住人がAchaeansと呼ばれた。
BC1420年、Tereusは、ThraciaからPhocisのDaulis付近へ移住した。[Strabo.7.7.1]
** TereusはThraciansで、弟Dryasがいた。[Hyginus.45]
** Cadmus時代、Strymon川流域のEdoniの王は、Dryasの子Lycurgusであった。[Apo.3.5.1-4]
** TereusはCadmusの大移動と共に南下してきたEdoniであったと思われる。
BC1420年、Hellenの子Dorus、Ossa山とOlympus山の近くからOeta山とParnassus山の間のPindusに移住した。[Herod.1.56]
** Dorusは、ThessalyのDorisに住んでいた。[Strabo.9.5.17]
** Pindusの住人は、Macedniと呼ばれていた。[Herod.1.56, StephByz.D251.6]
** DorusはParnassus山周辺のDoriansを集めて、Pindusを創建した。[Ps-Scym.587, Strabo.8.7.1]
BC1420年、Ida山のHeraclesは、津波で被災した人々を率いてEleiaへ移住した。[Paus.5.7.9から推定]
** Idaean Heraclesが住むApteraの隣にCydoniaを創建したCydonから聞いて移住先を決めたと思われる。
BC1419年、Ida山のHeraclesは、兄弟5人で、Olympiaで競技会を初めて開催した。[Paus.5.7.9]
** Idaean Heracles(Acmon)は、BC1445生まれと推定され、最年長であったことから、この頃の出来事と思われる。
** 兄弟で徒競走をして、勝者にオリーブの冠を与えた。[Paus.5.7.7]
** Olympia祭競技会と名付け、5年目ごとに開催した。[Paus.5.7.9]
BC1418年、Polydorusは、CadmusとHarmoniaの息子として誕生した。[Apo.3.4.2]
BC1416年、Creteの5人のCuretesは、Rhodes対岸のCherronesusにいたCariansを追い出して、5つの町を創建した。[Diod.5.60.1]
** Olympiaで競技会を初めて開催したIdaean Heraclesを含む兄弟5人と推定される。[Paus.5.7.9]
BC1415年、Eumolpusは、Atticaに侵入した。[Strabo.7.7.1]
** Ionと戦ったEumolpusは、Thracianであった。[Strabo.8.7.1] 他の史料は言及なし。[Aelian, Apo, Athen, Hyginus, Paus, Thucy.2.15]
** Eumolpusは、つぎの理由で、ArgosからThessalyに移住したPelasgusの娘Larissaの後裔と思われる。
** Eumolpusの子Immaradusが、AthensのErechtheusと戦ったとき、DodonaからScirusが応援に駆け付けた。[Paus.1.36.4]
** 当時、Dodonaには、Thessalyに移住したPelasgusの娘Larissaの後裔が住んでいた。[Hyginus.225, Strabo.7.7.10]
** また、Eleusisには、Argosから移住した密儀祭司Trochilusの後裔が住んでいた。[Paus.1.14.2]
** Trochilusは、BC1580頃、Larissaの父Pelasgusの兄弟Agenorとの争いで、ArgosからEleusisに亡命した。[Paus.1.14.2]
** Eumolpusの侵入は、BC1415年ではなく、BC1390年にThessalyを追われたときとも考えられるが次の理由により否定される。
** XuthusのIon(45)がかなりの高齢(70)になる。
** 第5代Pandion(55)ではなく、第6代Erechtheus(40)の治世となり、Ionがpolemarchosになる必要がなくなる。
BC1415年、Atheniansは一時、Gephyraeansが住んでいたBoeotiaのTanagraまで避難した。[Suda.delta.1395]
** この時の避難がErechtheusとPraxitheaとの結婚を可能にした。[Apo.3.15.1, Tzetzes.1.170]
BC1415年、Xuthusの子Ionは、Atheniansの推挙を受けてpolemarchosとなり、Eumolpusと戦って休戦した。[Herod.8.44, Paus.2.14.2, FGrH.333.176]
** 戦いの後、EumolpusがEleusisに定住しているので、Eumolpusが優勢でIonが休戦に持ち込んだと思われる。[Paus.2.14.2]
** Atheniansを救ったIonを讃えて、Boedromiaという祭りがAthensで催されるようになった。[FGrH.Nr333.F176, Suda.beta.357]
** Ionの母は、第4代Athens王Erechtheusの娘Creusaであり、当時のAthens王PandionはIonの叔父であった。[Paus.7.1.2]
** Eumolpusの侵入時、IonはPotamiに住んでおらず、AchaiaのHeliceから駆け付けたと思われる。[Paus.7.1.3-4]
BC1415年、Celeusの弟Dysaulesは、EleusisからPhliusの近くのCeleaeに移住した。[Paus.2.14.4]
BC1415年、Celeusの子Triptolemusの子Croconは、Eleusiniansとして初めて、Athensとの境のRheiti川の東側に居住した。[Paus. 1.38.2]
BC1415年、Rhodosの子Triopasは、他の兄弟の助けを借りて、兄弟のTenagesを殺害してCariaへ逃亡した。[Diod.5.57.2]
** Erysichthonの子TriopasはRhodes対岸のCnidus半島にTriopium(or Triopion)を創建した。[Diod.5.61.1, StephByz.T636.1]
BC1415年、Rhodosの子Macarは、Lesbosへ逃亡した。[Diod.5.57.2]
BC1415年、Rhodosの子Candalusは、Cos島へ逃亡した。[Diod.5.57.2]
BC1415年、Rhodosの子Auges(Actis, Actics, Atlas)は、RhodesからEgyptへ移住しHeliopolisを創建した。[Diod.5.57.2]
BC1415年、Aeolusの子Athamasは、Pagasetic Gulf西岸にHalusを創建した。[Strabo.9.5.8]
BC1415年、Danausの娘Polydoreは、Peneius川近くに住むIphthimeの息子と結婚した。[FGrH.Nr333.F8から推定]
** Polydoreの結婚を可能にしたのは、彼女の姉妹ScaeaとAutomateと、Achaeusの息子たちとの結婚であったと思われる。[Paus.7.1.6]
** Iphthimeには3人の息子たち、Pherespondos、Lycos、Pronomosがいた。[Nonnus.14.105]
BC1415年、Dorusの子Deucalionは、PindusからLocrisのOpus近くに移住した。[Strabo.9.4.2]
** Ozolian Locrisは、Euboeaの対岸のLocrisから入植した。[Ps-Scym.475]
** Ozolian Locrisへの最初の入植者は、Deucalionの子Orestheusと思われる。[Athen.35b, Paus.10.38.1]
BC1413年、Deucalionの娘Protogeniaは、LocrisからThessalyのArneに住むHippotesの子Aeolusに嫁いだ。[Apo.1.7.2, Paus.5.8.2]
BC1412年、第6代Athens王Erechtheusは、Praxitheaと結婚した。[Apo.3.15.1, Tzetzes.1.170]
** Praxitheaの母Diogeniaの父Cephisusは、Cadmusと共にTanagra周辺に渡来したPhoeniciansの首領と思われる。
** Praxitheaと共に移住したPhoeniciansがPhoenician lettersをAthensにもたらした。
BC1410年、Deucalionの子Orestheusは、Epicnemidian LocrisからOzolian Locrisへ移住した。[Athen.35b, Paus.10.38.1, Ps-Scym.475]
BC1410年、Astynousの子Sandocusは、PhoeniciaのTyreからCiliciaに移住して、Celenderisを創建した。[Apo.3.14.3, MarceReg.30]
** Astynousは、Cecropsの娘Herseの子Cephalusの子Tithonusの子Phaethonの息子であった。[Apo.3.14.3]
** Sandocusと共に移住先を探していたPygmalionは、Cyprusの北東部にCarpasiaを創建した。[StephByz.K361.13]
BC1410年、Deucalionの子Amphictyonは、Thermopylae付近にAntheia(or Anthela)を創建した。[Herod.7.200]
BC1410年、Danausの娘Anaxiteaの子Olenusは、AchaiaにOlenusを創建した。[FGrH.Nr334.F41]
BC1410年、Ialysusの娘Symeの子Chthoniusは、Triopasと共に無人のMetapontis島(後のSyme)に入植した。[Diod.5.53.1, StephByz.S591.17]
BC1408年、Lynceusが死に、彼の息子AbasがArgosの支配権を継承した。[Apo.2.2.1, Paus.2.16.2]
BC1408年、Danausによって追放されたGelanorの息子LamedonがSicyonからArgosに攻め込んで占拠した。[Paus.2.6.5推定]
BC1408年、Abasは、Phocisへ移住してAbaeを創建した。[Paus.10.35.1]
** Danausと共に渡来したOrusがTroezen、LelexがLacedaemonやMegaraにいたのに、何故、AbasがPhocisへ移住したのかは不明。
BC1408年、Aegyptusの子AntimachusとDanausの娘Mideaとの息子Amphianaxは、Ptolis(後のMantineia)へ移住した。[Strabo.8.3.2, Paus.8.12.7から推定]
** AmphianaxもAbasと同様に、Gelanorの子Lamedonによって、追放されたと思われる。
BC1408年、Achaeusの子Archanderは、Danausの娘Scaeaと結婚した。[Paus.7.1.6]
BC1408年、Achaeusの子Architelesは、Danausの娘Automateと結婚した。[Paus.7.1.6]
BC1407年、Achaeusの息子たちArchanderとArchitelesは、Lamedonと戦った。[Paus.2.6.5]
** Pausaniasは、ArchanderとSicyonのCoronusの子Lamedonとが戦ったと記しているが、時代が異なる。[Paus.2.6.5]
** このLamedonは、Danausによって、Argosを追われたGelanorの息子と思われる。
BC1407年、SicyonのOrthopolisは娘をDeucalionの子Marathoniusに嫁がせて、Sicyonを譲ることで和睦した。[Euseb.Chron.175から推定]
** LocrisのDeucalionも同族としてAchaeusの息子たちに加勢したと思われる。
** この時から、Sicyonの王家は、Inachusの後裔からThessalyのDeucalionの後裔へ移った。
BC1407年、Aeolusの子Sisyphusは、ThessalyのArneからSicyonの近くに移住して、Ephyra(後のCorinth)を創建した。[Apo.1.9.3]
** Sisyphusも同族としてAchaeusの息子たちに加勢したものと思われる
** この後、SicyonやCorinthなど、Argolis各地にThessalyの住民が移住してきて、Achaeansの呼び名が定着したものと思われる。
BC1407年、AbasはAbaeからArgosへ帰還し、義理の叔父ArchanderがAbasを後見した。[Paus.2.6.5から推定]
BC1407年、Aristaeusは、Cadmusの娘Autonoeと結婚した。[Apo.3.4.2, Diod.4.81.3, Paus.10.17.4]
BC1406年、AristaeusとAutonoeの間に、Actaeon誕生した。[Diod.4.81.3]
** Diodorusは、このAristaeusをCyreneの息子としているが、別人または、創作と思われる。
** AristaeusがCyreneの息子とすれば、Aristaeusは、父Archanderと一緒にEgyptへ行けなくなる。
BC1405年、LacedaemonのLelexの子Polycaonは、MesseniaにAndaniaを創建した。[Paus.4.1.2]
** Andaniaの創建には、Polycaonの妻Messeneの出身地Argosから大勢のAchaeansが参加した。[推定]
** Polycaonの後裔が絶えたとき、Thessalyから継承者を迎えている。[Paus.4.2.2]
** Andaniaの住民は、Achaeusの息子たちと共にThessalyからArgos周辺に移住したAchaeansと思われる。
** Lacedaemonの分家ではあったが、Polycaonの妻Messeneに因んで、地方はLacedaemonではなく、Messeneと呼ばれた。[Paus.4.1.2]
BC1405年、Danausの娘Amymoneの子Naupliusは、Tiryns近くにNaupliaを創建した。[Paus.4.35.2, Paus.2.38.2]
BC1405年、Callistoの子Arcasは、ArcadiaにTrapezusを創建した。[Hyginus.176, 275]
BC1402年、Achaeusの子Archanderは、EgyptのNileDeltaへ移住して、Archandropolisを創建した。[Herod.2.98, Paus.7.1.6]
** Archanderには、Thessalyで結婚したCyreneや息子Aristaeusも同行した。[Diod.4.81.1, 4.82.4]
BC1402年、Celeusの子Triptolemusは、ArcadiaのArcasに栽培穀物の種子を与えた。[Paus. 8.4.1]
BC1402年、Callistoの子Arcas、Triptolemusの子Croconの娘Meganiraと結婚した。[Apo.3.9.1]
** Meganiraの祖父Triptolemusが、Arcadiaを訪問したことが縁と思われる。
BC1401年、Abasは、ArcadiaのPtolis(later Mantineia)のMantineusの娘Aglaiaと結婚した。[Apo.2.2.1]
BC1400年、Triptolemusは、AchaiaのEumelusを訪問し、穀物栽培や町作りを教授した。[Paus.7.18.2]
** Triptolemusは、Ioの子Cranausの子Rharusの子Celeusの息子。
** Eumelusは、Ioの子Epaphusの娘Libyaの子Belusの子Aegyptusの息子。
BC1400年、Eumelusは、AchaiaにAroe(後のPatrae)を創建した。[Paus.7.18.2]
** Eumelusは、Aroeに墓があるDanausの兄弟Aegyptusの息子と思われる
BC1400年、EumelusとTriptolemusは、Aroe近くに、共同でAntheiaを創建した。[Paus.7.18.3]
BC1400年、ProetusとAcrisiusは、AbasとAglaiaとの間の双子の息子として、Argosで誕生した。[Pindaros.418]
BC1400年、Agenorの子Cilixの子Thasusは、Ida山近くのThebeからThasus島に入植した。[Herod.2.44から推定]
BC1392年、Amphictyonの子Itonusは、LocrisからThessalyのPagasetic Gulf西岸に移住してItonusを創建した。[Paus.9.1.1]
** Hellenの子Aeolusの子Athamas。Hellenの子Dorusの子Deucalionの子Amphictyonの子Itonus
** つまり、Itonusは、Halusを創建した彼の祖父の従兄弟Athamasを頼って、Halusの近くに移住したと思われる。
BC1391年、Cadmusの娘Autonoeの子Actaeonは、飼い犬に噛まれて死んだ。[Apo.3.4.4, Diod.4.81.3, Paus.10.30.5]
** Actaeonは、Cithaeron山で狩りをしていて死んだ。[Apo.3.4.4, Tzetzes.6.560]
** Agaveの子Pentheusと同じくlionに襲われたと思われる。
** EuropeのlionはAchelousとNestus両川の間に生息していた。[Herod.7.126, Pliny.8.45]
** Europeのlionは、AfricaやSyriaのlionより強い。[Arist.HA.8.28.5, Pliny.8.45]
BC1391年、Cadmusの娘Autonoeは、息子Actaeonの死を悲しみ、Megaraへ移住した。[Paus.1.44.5]
BC1390年、----- 2回目のAegean Seaの大津波 ------
BC1390年、Pelasgiansは、ThessalyからDeucalionの息子たちに追われて各地へ移住した。[Antiq.1.17.3, Antiq.1.28.3, Diod.5.61.1, FGrH.4.4]
BC1390年、Thessalyを追われたPelasgiansの大部分は、Dodona周辺に逃げ込んだ。[Antiq.1.18.2]
BC1390年、Pelasgiansの一部は、Italy半島のPadus川河口の南にSpina(現在のComacchio)を創建した。[Antiq.1.18.3, Just.20.1]
BC1390年、EgyptのCanopusも津波で被災し、Macerisの子Sardusは、Sardinia島への移民団を率いた。[Paus.10.17.2]
BC1390年、PelasgianのDiusは、ThessalyからItonusの妻Melanippeと共にItaly半島南部のMetapontiumに移住した。[Strabo.6.1.15]
BC1390年、Aeolusの子Athamasは、Pagasetic Gulf西岸のHalusを津波で失い、Boeotiaへ移住した。[Apo.1.9.3, Paus.9.34.7, Strabo.9.5.8]
** Athamasは、Mt. Ptous近くのAcraephniumとCopais湖の間にあるthe Athamantian Plainに住んでいた。[Paus.9.24.1]
** Athamasは、Acraephnium(or Acraephium)を創建し、Athamasの子Ptousは、近くの山に名を残した。[StephByz.A63.10]
BC1390年、Copais湖付近に住んでいたEncheleansは、Illyriaへ移住した。[FGrH.Nr4.F50]
** Encheleansの移住の原因は、Athamasの入植と思われる。
** Encheleansの居住地はRizous川の近くであった。[PsScylax.25]
BC1390年、Cadmusは、IllyriaのEncheleansから要請を受けて移住した。[Apo.3.5.4, Apollo.4.507, Paus.9.5.3, Strabo.7.7.8]
** Cadmus 終焉の地は、IllyriaのButoe(or Buthoe, now Budva)であった。[FGrH.Nr790.F32]
** Cadmusの娘AgaveがEchionとの間に産んだ娘Epirusも同行した。[Parthe.32]
BC1390年、Cadmusの子Polydorusは、Thebes王に即位した。[Apo.3.5.5]
BC1390年、Hyrieusの息子たち、NycteusとLycusは、Phlegyasを殺害して、EuboeaからHyriaへ逃亡した。[Apo.3.5.5]
** Euboeaは、Aulis近くのHyriaの古名と思われる。HyriaはCithaeron山麓のHysiaeと思われる。[Strabo.9.2.12]
** つまり、NycteusとLycusは、Aulis近くのHyriaから、Cithaeron山麓に移住して、Hysiaeを創建した。[FGrH.Nr333.F5]
BC1390年、PolydoreとIphthimeの息子との間の息子Dryopsは、Peneius川近くからSpercheius川近くに移住した。[FGrH.Nr333.F8]
** Iphthimeには3人の息子たち、Pherespondos、Lycos、Pronomosがいた。[Nonnus.14.105]
** Aristotleは、DryopiansがSpercheius川近くからDryopia へ出て来たと述べている。[Strabo.8.6.13]
** Danausの娘Polydoreの子Dryopsは、Dryopiansの始祖と思われる。
BC1390年、Aeolusの3人の息子たち、Macareus、PerieresとAethliusは、ThessalyのArneからPeloponnesusへ移住した。[Diod.5.81.2-4]
** AeolisはLocrisから西へ居住地域を広げ、さらに、海峡を越えてPeloponnesusへ渡った。
** Aetoliaには、Cadmusに追われたHyantesの一部が既に居住していたため、海峡を渡ったと思われる。[Strabo.10.3.4]
BC1390年、Aeolusの子Macareusは、Olenusの娘と結婚した。[Diod.5.81.4から推定]
BC1390年、Aeolusの子Perieresは、Olenusの娘と結婚した。[Perieresの子PisusとPharaeのPharisの娘Telegoneの結婚から推定]
** PerieresはOlenusの婿となり、彼の息子PisusはOlenusで生まれた。その後、PisusはOlenusから移住してPisaを創建したと思われる。
BC1390年、Aeolusの子Aethlius、ThessalyのArneからEleiaに移住して、Elisを創建した。[Paus.5.1.3]
** Elisを流れるPeneius川の名前は、Aethliusと共に移住した人々が名付けたと思われる。[Strabo. 8.3.2]
BC1390年、EgyptのArchandropolisも津波に襲われて、Archanderの息子と推定されるBelusはGreeceへ航海した。[推定]
BC1390年、Sisyphusの子Aeetesは、Ephyraea(後のCorinth)をBunusに預け新天地を求めてColchisに移住した。[Paus.2.3.10]
** Bunusは、Corinthにthe temple of Heraを創建した。[Paus.2.4.7]
** したがって、Bunusの母Alcidameaは、ArgosのHera神殿の巫女であったと思われる。
** (理由) Sisyphusの家系はThessalyのDeucalionの後裔で、Hera信仰に縁が薄いと思われるため。
** SicyonとArgosの戦いの後、Gelanorの子Lamedonの娘と思われるAlcidameaは、Sisyphusの子Almusに嫁がされたと思われる
BC1390年、Sandocusの子Cinyrasは、CiliciaのCelenderisからCyprusの南西海岸に移住して、Palaepaphosを創建した。[Apo.3.14.3]
BC1390年、Lelexの娘Therapneの子Teleboasは、Acarnania西部へ移住した。[Paus.3.19.9]
** Aristotleによれば、Acarnania西部には、LelegesとTeleboansが住んでいた。[Strabo.7.7.2]
BC1390年、Aristaeusは、Ceos島へ移住した。[Apollo.2.528, Diod.4.82.1]
** 移住参加者には、Lycaonの後裔のParrhasians(Arcadia創建時からの主要な部族)がいた。[Apollo.2.528]
BC1389年、Janus率いるPelasgiansは、ThessalyのPerrhaebiaからReateの東のVelia(Cutilia)に移住した。[Antiq.1.20.2, Plut.Mor.269a]
BC1389年、Aeolusの子Macareusは、IoniansやPelasgiansを含む移民団を率いて、Pelasgia(Lesbos)へ移住した。[Diod.5.81.2 - 4]
BC1389年、夏、Greece全体に疫病が発生した。[Diod.4.82.2]
BC1389年、Autonoeは、Megaraで死んだ。[Paus.1.44.5]
BC1389年、Cercaphusの3人の息子たち、Lindus、Ialysus、Cameirusは、Rhodesに3つの町を創建した。[Diod.5.57.8, Strabo.14.2.8]
BC1388年、Aeolusの娘Melanippeは、MetapontiumでBoeotusを出産した。[Paus.9.1.1, 7.4, Diod.4.67.4, Diod.19.53]
BC1388年、Triopasは、Thessalyの先住民と争い、CariaのCherronesusへ移住してTriopiumを創建した。[Diod.5.61.2, StephByz.T636.1]
BC1387年、Deucalionの娘Thyiaは、LocrisからThessalyのArneに住むHippotesの子Aeolusへ嫁いだ。[Apo.1.7.3, Hesiod.CW.F3]
BC1387年、Abasは、Argosで死んだ。[Euseb.157から推定]
** Abasは、23年間統治した。[Euseb.157]
BC1387年、Abasの子Proetusは、Acrisiusを追放し、17年間Argosを支配した。[Euseb.157]
BC1387年、Abasの子Acrisiusは、ArgosからEgyptのChemmisへ亡命した。[推定]
** Acrisiusは、亡命中に結婚して、娘Danaeが生まれた。Danaeは、ChemmisでPerseusを産んだ。
** Acrisiusは父Abasの後見人であったArchanderのもとへ亡命したと推定される。
BC1385年、Peneiusの娘Triccaの夫は、ThessalyにTriccaを創建した。[Steph.T635.1から推定]
BC1385年、Cauconは、EleusisからMesseniaのAndaniaを訪問し、Messeneに大女神の密儀を伝えた。[Paus.4.26.8]
** Cauconは、Messeneの姉Celaenoの孫であった。
BC1385年、Sancusは、Testrunaに移住した。[Antiq.1.16.1, Antiq.2.49.2]
BC1384年、Aethliusは、Olympiaで競技会を開催した。[Euseb.Chron.191]
BC1381年、Acrisiusは、Aganippeと結婚した。[Hyginus.63]
BC1380年、Athamasの子Schoeneusは、Thebesの北東約9kmの所にSchoenusを創建した。[Apo.1.9.2, Paus.8.35.10, Strabo.9.2.22]
BC1380年、Aeolusの子Andreusは、ArneからBoeotiaへ移住してOrchomenusを創建した。[Paus.9.34.7]
** Aeolusの子Athamasは、Aeolusの子AndreusにOrchomenus付近の土地を割譲した。[Paus.9.34.7]
** << Pausanias説は、逆と思われる >>
** BC1390年、津波で土地を失ったAthamasが、当時移住先として適地であったBoeotiaに定住した。
** 同族のAndreusがAthamasを頼ってArneから移住した。その後、Orchomenusが発展したので、逆の説話が流布されたと思われる。
** Andreusは、Hellenの子Aeolusの子Mimasの子Hippotesの子Aeolusの息子。
** Athamasは、Hellenの子Aeolusの息子。つまり、Athamasは、Andreusの曾祖父Mimasの兄弟。
BC1380年、Danaeは、Acrisiusの娘として誕生した。[Herod.6.54, Hyginus.63]
BC1380年、Danausの娘Phylodameiaの子Pharesは、AchaiaのPeirus川中流域にPharaeを創建した。[Paus.7.22.5]
BC1380年、Belusの子Phineusは、黒海南西岸の地に移住して、Salmydessusを創建した。[Apo.1.9.21, Apo.2.1.4, Herod.7.61]
BC1377年、Cadmusの子Polydorusは、Chthoniusの子Nycteusの娘Nycteisと結婚した。[Apo.3.5.5]
BC1375年、Labdacusは、PolydorusとNycteisとの間の息子として誕生した。[Apo.3.5.5]
BC1375年、Proetusは、Sicyonにa temple of Heraを創建した。[Paus.2.12.2]
BC1375年、Aloeusの子Epopeusは、ThessalyのArneに住んでいた母方の祖父Aeolusの養子になった。[Paus.2.6.1推定]
BC1375年、Thasusの子Galepsusは、Thasus島から対岸の本土に移住して、Galepsusを創建した。[FGrH.Nr1.F152, StephByz.G197.11]
BC1372年、Aristaeusは、Ceos島からEgyptへ帰り、移民団を率いてSardiniaへ移住した。[Diod.4.82.4, Paus.10.17.3]
BC1372年、Messapusは、BoeotiaのHyriaからItaly半島東南部に移住した。[Pliny.3.99, Strabo.9.2.13, StephByz.M447.12]
** Messapusの名前からMessapiaと呼ばれた。[Pliny.3.99]
** MessapiaのHyria と、BoeotiaのHyria近くのMessapius山の名から、MessapusはHyriaのHyrieusの息子と推定される。[Paus.9.22.5]
** 移住の時期はBoeotiaをはじめGreece全土が不幸に襲われ、AristaeusがSardinia島へ移住した頃と思われる。[Diod.4.82.2, Paus.10.17.3]
BC1372年、AthamasとThemistoとの間の息子Leuconは、病死した。[Paus.9.34.7]
BC1371年、Thersanderの子Coronusは、Athamasの養子となり、BoeotiaのCopais Lakeの南西にCoroneiaを創建した。[Paus.9.34.8]
BC1371年、Thersanderの子Haliartusは、Athamasの養子となり、CoroneiaからThebes寄りの地にHaliartusを創建した。[Paus.9.34.8]
** Athamasは、Thersanderの父Sisyphusの兄弟であった。
BC1371年、Cadmusに追われてOnchestus付近にいたHyantesは、PhocisのHyampolisへ移住した。[Apollo.3.1240, Paus.9.5.1, Paus.10.35.5]
BC1371年、MorgetesとSiceliは、Oenotriansに追われてItaly半島西南部からSicily島へ移住した。[Strabo.6.1.6]
** ThessalyのPelasgiansやMessapusの移住によって、住人の移動が生じたものと思われる
BC1370年、Acrisiusは、Proetusを追放し、31年間Argosを支配した。[Euseb.Chron.157]
** Acrisiusは、妻Aganippeと娘DanaeをEgyptに残して、Argosへ帰還したと思われる
BC1370年、Proetusは、ArcadiaのPtolisのAmphianaxのもとへ亡命した。[Apo.2.2.1]
** Amphianaxの父Antimachusの父Aegyptusは、Proetusの父Abasの父Lynceusの父であった。
** つまり、Proetusは、父Abasの従兄弟Amphianaxを頼って亡命した。
BC1370年、Proetusは、Amphianaxの娘Stheneboeaと結婚した。[Apo.2.2.1]
** Homerは、Proetusの妻をAnteiaにしている。[Home.Il.6.144]
** Homerは、CorinthのSisyphusの子Thersanderの子Proetusと混同している。[FGrH.Nr333.F170]
** Amphianaxの2人の娘たち、StheneboeaとAnteiaは、Abasの息子、Thersanderの息子、いずれも同名のProetusと結婚している。
BC1370年、Aeolusの娘Melanippeの子Boeotusは、ItalyからThessalyのArneへ帰還して、祖父Aeolusの跡を継いだ。[Diod.4.67.6]
BC1370年、Aloeusの子Epopeusは、ThessalyのArneからSicyonへ帰還した。[Paus.2.6.1]
BC1370年、Polydorus死去。Polydorusの子Labdacusが年少のため、Nycteusが後見人になった。[Paus.2.6.2, Paus.9.5.4]
** Labdacusは、当時5歳と推定される。
** Polydorusは、Cadmusの娘Agaveの子Pentheusに殺された。[Nonnus.5.190]
** Pentheusは、Semeleの子Dionysusに殺された。[Tzetzes.6.580] 恐らく、Labdacusの後見人Nycteusも関与していたと思われる。
BC1370年、Macareusの長男は、LesbosからChios島へ入植した。[Diod.5.81.8]
** Chios島には、CariansやLelegesが住んでいた。
** Macareusの長男は、Agenorの子Phoenixの娘Astypalaeaの子Ancaeusの娘Parthenopeと結婚し、息子Chiosが生まれた。[Paus.7.4.1, Strabo.14.1.3]
BC1370年、Macareusの子Cydrolausは、LesbosからSamosへ移住した。[Diod.5.81.8]
BC1370年、Aethusaの子Eleutherは、HyriaからCithaeron山を南に越えて移住して、Eleutheraeを創建した。[StephByz.E265.10]
BC1368年、ProetusはArcadiaから帰還して、Tirynsを占拠した。[Apo.2.2.1]
BC1368年、Proetusは、Argosの東でAcrisiusと戦い、戦死者を出すが勝敗は付かなかった。[Paus.2.25.7]
BC1368年、Proetusは、Acrisiusと和解して、Tiryns、Heraeum、Mideia、およびArgolisの沿海地方を領することになった。[Paus.2.16.2]
** Proetusは、Tirynsに住んでいた。[Paus.2.16.2]
BC1365年、Sisyphusの子Almusは、Orchomenus王Andreusの子Eteoclesから土地を割譲されてAlmonesを創建した。[Paus.9.34.10]
** EteoclesはHellenの子Aeolusの子Mimasの子Hippotesの子Aeolusの子Andreusの息子。
** Almusは、Hellenの子Aeolusの子Sisyphusの息子。
** Almusは、Eteoclesの曾祖父Hippotesの従兄弟であった。
BC1365年、Melanippeの子Aeolusは、Sicily島の北東に浮かぶLipara島へ移住して、Liparusの娘Cyaneと結婚した。[Diod.5.7.5-6]
BC1365年、AmphionとZethusは、Hyrieus(or Chthonius)の子Nycteusの娘Antiopeの息子として誕生した。[Apo.3.5.5, Home.Od.11.260]
** Lycusの後見期間と、結婚の年から逆算して推定した。
BC1365年、NycteusがEpopeusとの戦いで負傷して死んだ。[Paus.2.6.2]
BC1365年、Nycteusの弟LycusがLabdacusの後見役を継承した。[Paus.9.5.5]
BC1365年、Macareusの子Cydrolausは、LesbosからSamos島へ移住した。[Diod.5.81.7-8]
BC1365年、Lapithsの始祖、Aeolusの子Lapithusは、ArneからPeneius川北側の後のPharcadon付近に移住した。[Diod.4.69.2]
BC1365年、Boreasの息子たち、ZetesとCalaisは、Peuce島(Hyperboreansの地)へ移住した。[Hesiod.CW.F40]
BC1365年、LesbosのMacareusは、息子をChiosに移住させた。[Diod.5.81.7]
BC1365年、Teleboansは、Acarnania西部のLeucas半島に入植した。[Strabo.7.7.2]
BC1365年、Hippotesの子Aeolusの子Deion(or Deion or Deioneus)は、Arneから、Phocisへ移住した。[Apo.1.9.4]
BC1362年、Danaeは、Metanastesの子Pilumnusと結婚した。[Comments of Viues on August.City.18.13]
** Danaeの夫がArchanderの子Metanastesの息子と思われる。
** PerseusはEgyptのChemmisで生まれた。Danaeの夫は、Chemmisの人であったと思われる。[Diod.4.9.1, Diod.1.24.8, Herod.2.91]
** Metanastesの母Scaeaは、父DanausがEgyptから移住する前に、Chemmisで幼少期を過ごした。[Herod.2.91]
** Perseusの妻Andromedaは、Ethiopiaで生まれた。[Apo.2.4.3, Plin.6.182]
** Ethiopiaの創建者は、Egyptからの移民で、Archanderの子Belusと思われる。[Apo.2.1.4, Herod.7.61, Strabo.1.3.21]
BC1362年、Andreusの子Eteoclesの時代に、Orchomenusに複数の隕石が落下した。[Paus.9.38.1]
BC1360年、Arcasの子Elatusは、Cyprusの南西部のPalaepaphosに住むCinyrasとMetharmeの間の娘Laogoreと結婚した。[Apo.3.9.1]
BC1360年、Sisyphusの子Aloeusの子Aloeusは、SicyonからAnthedonへ移住した。[Paus.9.22.6]
** AnthedonからThebesへ半分くらいのSchoinosは、Athamasの子Schoenusが創建した町。Schoenusは、Aloeusの父の従兄弟であった。
** Aloeusの父の兄弟であるSisyphusの子AeetesはColchisへ移住した。Anthedonは、Colchisへ向けての航海に適した位置にあった。
BC1360年、Almusの子Phlegyasは、Phlegyasを創建した。彼は、Phlegyansと呼ばれる戦士をその町に集めた。[Paus.9.36.2]
** Phlegyasは、near the Cephisian lakeに住んでいた。[Hymns.3.277]
** PhlegyesはThebesの近くに住んでいた。[FGrH.Nr333.F41]
BC1360年、Perseusは、DanaeとPilumnusの息子として、EgyptのChemmisで生まれた。[Diod.4.9.1, Diod.1.24.8, Herod.2.91]
BC1360年、Europaの子Minosの子Asteriosは、Colchisへ移住した。[Nonnus.13.222]
BC1360年、Phrixusの子Presbonは、兄弟Melasと共にColchisから祖父Athamasが住むBoeotiaへ移住した。[Paus.9.34.8]
** Athamasはまだ存命していた。
** Presbonは、Athamasが養子であるHaliartusとCoronusに与えた土地以外のAthamasの領地を相続することになった。[Paus.9.34.8]
** Presbon帰還後もColchisとの交流はあったと思われる。
** Colchisへの航海の港は、Sisyphusの子Aloeusの子Aloeusが移住したAnthedonと思われる。[Paus.9.22.6から推定]
** PresbonとMelasの移住には、AsteriosのColchis移住が関係するかもしれない。[Nonnus.13.222]
BC1357年、Acrisiusは、LacedaemonのEurydiceと結婚した。[Apo.3.10.3, Paus.3.13.8]
BC1357年、Labdacusは成人して、Lycusの後見は解除された。[Paus.9.5.5]
BC1356年、AmphissaのPhytiusの子Oineusは、LesbosのMacarの娘Amphissaを妻に迎えた。[Paus.10.38.4から推定]
** Amphissaの名前は、Aeolusの子Macarの娘Amphissaに因む。[Paus.10.38.4]
BC1355年、Danaeは、息子Daunusを産んだ。[Dic: Daunus]
BC1355年、Azanの子Cleitorは、Arcadia北部にCleitorを創建した。[Paus.8.4.5]
BC1352年、Eumolpusの子Immaradusは、AthensのErechtheusと戦い、両者とも戦死した。[Paus.1.38.3]
** Eleusisの祭儀は、EumolpusとCeleusの娘たちが継承し、その後、Chioneの子Eumolpusが継承した。[Paus.1.38.3]
BC1352年、Scirusは、DodonaからEleusisの応援に駆け付けて戦死した。[Paus.1.36.4]
BC1352年、Chioneの子Eumolpusは、ThraciaからEleusisの応援に駆け付けた。[Paus.1.27.4とPaus.1.38.2から推定]
** Chioneの子Eumolpusの応援の直接の伝承はない。EleusisにEumolpusの墓がある。Eumolpusの後裔がEleusisに住んでいた。
** Atheniansと戦ったEumolpusはThracianであった。以上のことからEumolpusは応援に駆け付けたと推定される。[Paus.1.38.2]
** Athens側には、Hellenの子Xuthusの子Ionの息子たちの後裔からの求めで、同族のSicyonやCorinthから応援に駆け付けたと思われる
** Sicyonからは、Hellenの子Dorusの子Deucalionの子Marathoniusの子Coronusの子Lamedonが参加したと思われる。[Paus.2.6.5]
** Corinthからは、Hellenの子Aeolusの子Sisyphusの子Aloeusの子Epopeusの子Marathonが参加したと思われる。[Paus.2.1.1]
** Marathonは、この戦いへの応援で、Erechtheusの娘との結婚が成立したと思われる。[Newton.173]
BC1352年、Erechtheusの子Cecropsが第7代Athens王に即位した。[Paus.1.5.3]
BC1350年、Epopeusの子Marathonは、父の横暴に耐えかねてSicyonからAtticaの海沿いの町へ移住した。[Paus.2.1.1]
BC1350年、Orchomenusの子Aspledonは、BoeotiaのOrchomenusの北にAspledonを創建した。[Paus.9.38.9, Strabo.9.2.41]
BC1350年、Boeotiaに住むPhlegyansがDelpiを荒らした。[Paus.9.36.2]
BC1350年、AcrisiusはAmphictyonsを組織化した。[Strabo.9.3.7]
** Achaiansが多く住むようになったArgosのAcrisiusは、LocrisやPhocisからの求めで、Phlegyansと戦うために組織化したと思われる。
** Dorusの子Deucalionの子Amphictyon が最初に結集した種族 - Ionians, Dolopes, Thessalians, Aenianians, Magnesians, Malians, Phthiotians, Dorians, Phocians, Locrians who border on Phocis, living at the bottom of Mount Cnemis. [Paus.10.8.2]
** Ionians, Dolopes, Aenianians, Magnesians, Molians, Phthiotians, Dorians, Phocians, Perrhaiboi, Boiotians, Achaians, Delphians [Suda.Alpha.1736]
** Thessalians, Boeotians, Dorians, Ionians, Perrhaebi, Magnetes, Dolopians, Locrians, Oitaeans, Phthiotians, Malians, Phocians [Aeschines.116]
BC1350年、ArgosのPhilammonは、Delhpiを荒らしたPhlegyansとの戦いで戦死した。[Paus.9.36.2]
** Philammonは、Argosの精鋭を率いていたことから、Acrisiusの息子と思われる。[Paus.9.36.2]
BC1350年、Lacedaemonの子Amyclasは、Lapithusの娘Diomedeと結婚した。[Apo.3.10.3]
** Amyclasの姉妹Eurydiceは、ArgosのAcrisiusの妻であり、AmyclasとAcrisiusは義兄弟であった。[Apo.3.10.3, Paus.3.13.8]
** Acrisiusが隣保同盟を組織化したときに、ThessalyのLapithusと知合い、義理の弟の縁組みを仲介したものと思われる。[Strabo.9.3.7]
** Diomedeと共にThessalyから移住したAeolisが初めてLacedaemonに居住した。
BC1350年、Arcasの子Elatusは、Arcadiansを率いてPhlegyansを撃退した。[Paus.8.4.4, Paus.10.34.2]
BC1350年、Arcasの子Elatusは、PhocisにElateiaを創建した。[Paus.8.4.4]
BC1350年、Aeolusの子Macedonは、ArneからOlympus山近くに移住した。[Hesiod.CW.F3, Strabo.7.8.2]
BC1350年、Haliartusの子Hippomenesは、HaliartusからThebes寄りに移住して、Oncestusを創建した。[Paus.9.26.5]
BC1350年、Aeolusの子Magnesは、兄弟Macedonと共に、ArneからOlympus山近くへ移住した。[Apo.1.7.3, Paus.6.21.11, Hesiod.Women.3]
BC1350年、Aeolusの子Cretheusは、ArneからPagasetic Gulf北岸に移住して、Iolcusを創建した。[Apo.1.9.11]
BC1349年、Acrisiusは、後継者がいなくなったため、Egyptに住むDanaeの子PerseusをArgosへ連れ帰った。[Plut.Mor.106aから推定]
BC1348年、Proetusは、LyciaからCyclopesを招きTirynsの城壁を強化した。[Apo.2.2.1, Paus.2.16.5, Paus.2.25.8, Strabo.8.6.11]
** Cyclopesは7人で、Nauplia近くの洞窟を住んでいた。[Strabo.8.6.2, Strabo.8.6.11]
BC1348年、Perieresの子Pisusは、Olenus近くのPharaeからPharisの娘Telegoneを妻に迎えた。[Greeceの河神に記述]
BC1347年、Danausの娘Phylodameiaの子Pharisは、Messenia湾に流れ込むNedon川の河口近くにPharaeを創建した。[Paus.4.30.2]
** Pharisは、兄弟PharesがAchaiaのPeirus川中流域に創建した町と同じ名前を付けた。[Paus.7.22.5]
BC1345年、AmphionとZethusは、Thespiae近くに移住して、Eutresisを創建した。[Strabo.9.2.28]
BC1345年、Perieresの子Pisusは、OlenusからAlpheius川の近くへ移住してPisaを創建した。[Paus.6.22.2]
BC1343年、Perseusは、祖父の兄弟Proetusを殺した。[Hyginus.244]
BC1343年、Perseusは、Seriphus島へ逃れて、Dictysと妻Clymeneの庇護を受けた。[Apo.2.4.1, Hyginus.63]
** Dictysと妻Clymeneは、Perseusの救済者で、Athensに両者の祭壇がある。ClymeneはAthensに縁があると思われる。[Paus.2.18.1]
** PolydectesとDictysをMagnesの息子たちとする説。[Apo.1.9.6, Hesiod.CW.F3]
Hellenの子Aeolusの子Mimasの子Hippotesの子Aeolusの子Magnesの子Dictys。
Hellenの子Xuthusの子Achaeusの子Archanderの子Metanastesの子Pilumnusの子Perseus。
** PolydectesとDictysをPeristhenesの息子たちとする説。[FGrH.Nr333.F4]
Danausの娘Amymoneの子Naupliusの子Damastorの子Peristhenesの子Dictys。
Danausの娘Hypermnestraの子Abasの子Acrisiusの娘Danaeの子Perseus。
** 両説とも、PolydectesとDictys兄弟の名前はあるが、Seriphusとの関係は明記されていない。
** 前者の説では、Perseusとの関係が薄く、ThessalyのMagnesiaからSeriphus島までの距離も遠い。
** 後者の説では、Abasと従兄弟のNaupliusは、住んでいる町も近く、親戚付き合いがあったと思われる。NaupliaからSeriphusまでも近い。
** したがって、Seriphus島のPolydectesとDictys兄弟は、Danausの娘Amymoneの子Naupliusの曾孫と思われる
** Seriphus島は、ArgosとCrete、Egyptを結ぶ航路の補給基地であったと思われる
** Seriphus島は、Dictys兄弟が入植する前から、Danausの娘Amymoneの子Naupliusが創建した、Tiryns近くのNaupliaの住人が漁や交易で利用していたと思われる。Naupliusの父は、Danausと共に渡来した者であった。[Paus.4.35.2]
BC1341年、Danaeは、Egyptから植民団を率いてSardinia島へ向かう途中、強風に流され、Italy半島西部海岸に漂着した。[Virg.Aene.7.409]
** Sardinia島へは、(BC1390年)Macerisの子Sardusに、(BC1372年)Archanderの子Aristaeusが、Egyptから植民団を率いている。
BC1341年、Danaeは、Romeの南東30kmの所にArdeaを創建した。[Pliny.3.56, Virg.Aene.7.409]
** Danaeの植民団には、ArgosからEgyptへ移住したAchaeansやPelasgiansが含まれていたものと思われる。
BC1340年、Phrixusの子Cytissorusは、ColchisからPontus海南岸に移住してCytorusを創建した。[Diod .4.72.2, Strabo.12.3.10]
BC1340年、Antiopeの子Zethusは、LocrisからPhysciusの娘Thebeを妻に迎えた。[Apo.3.5.6]
BC1340年、Aethexの子Faunusは、Aboriginesと共にTrasimene湖北のCrotonからUmbriansを追い払った。[Antiq.1.20.4, Ita.5.1]
** Faunusの子ArnusはThessalyから移住したPelasgiansの後裔であった。[Herod.1.57]
BC1340年、Orchomenusの子Aspledonは、Orchomenusから南西へ約10kmの所に母の名前に因んだMideiaを創建した。[Paus.9.39.1]
BC1340年、Lapithusの子Lesbosは、Thessalyから植民団を率いてLesbosへ移住し、Macareusの娘Methymaと結婚した。[Diod.5.81.6]
BC1340年、LesbosのMacareusは、彼の息子NeandrusをCos島に移住させた。[Diod.5.81.8]
BC1340年、LesbosのMacareusは、彼の息子LeucippusをRhodesに移住させた。[Diod.5.81.8]
BC1340年、Cardysの子Clymenusは、CreteのCydoniaからOlympiaへ移住した。[Paus.5.8.1, Strabo.8.3.30]
** Deucalionの時代の大洪水から、約50年後であった。[Paus.5.8.1]
BC1339年、Cardysの子Clymenusは、Olympiaで競技会を開催した。[Paus.5.8.1]
BC1339年、Acrisiusは、Argosで死去して、ArgosのAcropliceであるLarissaに埋葬された。[Cleme.Exho.3]
BC1339年、Proetusの子Megapenthesは、TirynsからArgosに居を変えた。[推定]
** Megapenthesは、Abasの直系であり、傍系のPerseusよりもArgosの住民は歓迎したものと思われる。
** Megapenthesと共に、Tirynsなどの住民もArgosに移住したと思われる。
BC1338年、Laiusは、Labdacusの息子としてThebesで生まれた。[Apo.3.5.5]
BC1338年、Salmoneusの娘Tyroは、ThessalyのArneの近くのPylusに住むHippocoonに嫁いだ。[Apo.1.9.11, Hyginus.10]
** Salmoneusは、Enipeus川を挟んでPylusの対岸に住んでいたと思われる。
** TyroはEnipeus河神(Hippocoon)に恋した。[Apo.1.9.8, Home.Od.11.235, Strabo.8.3.32]
BC1337年、Labdacusは、Thebesで死んだ。[Apo.3.5.5]
** Labdacusは、父方の従兄弟Pentheusと同じような考えを持っていたので狂乱女たちに殺された。[Apo.3.5.5]
BC1337年、Labdacusの子Laiusは、1歳であったので、祖父Nycteusの兄弟Lycusが2度目の後見になった。[Apo.3.5.5、Paus.9.5.6]
BC1335年、Aethliusの子Endymionは、Cardysの子ClymenusをOlympiaから追放した。[Paus.5.8.1]
BC1335年、Perseusは、EthiopiaのCepheusの娘Andromedaと結婚した。[Apo.2.4.3]
** Adrasteiaに住んでいたTantalusと、Ethiopia(Adrasteiaの一部)に住んでいたPerseusとは面識があったと思われる。
** 後の、Perseusの息子たちとTantalusの子Pelopsの娘たちとの結婚は、この当時の縁であったと思われる。
BC1335年、Salmoneusは、ThessalyからEleiaへ移住して、Salmoneを創建した。[Strabo.8.3.32, Apo.1.9.7]
** Salmoneusは、異母兄弟Aethliusが創建したElisの近くに移住した。
BC1335年、Andraemonの子Amphissusは、Oeta山近くに、Oetaを創建した。[Paus.7.2.5]
BC1335年、Anaxは、Maeander川の河口近くに、Anactoriaを創建した。[Paus.7.2.5]
** Anaxは、最初のMinosの子Asteriosの2人の息子たち、MiletusとCaunos、いずれかの息子と思われる。[Nonnus.13.222, 546]
BC1332年、Perseusは、Seriphus島から帰国し、Tirynsを占拠した。[推定]
** Perseusのそれまでの拠点は、Seriphus島と思われる。[Paus.2.18.1]
BC1332年、Antiopeの子Amphionは、Tantalusの娘Niobeと結婚した。[Apo.3.5.6, Paus.9.5.7]
** 出会いの場は、Thebesの西約5kmのCabeiriの神域と思われる。そこから南西約7kmの所にAmphionが住むEutresisがあった。
** SamothraceからGreeceに伝播したCabeiriには、Niobeの父祖が信奉するCybele信仰も含まれていた。
** Tantalusの子Broteasは、神々の母の一番古い神像を作った。[Paus.3.22.4]
BC1330年、Alxionの子Oenomausは、ArcadiaのHeraeaからEleiaへ移住して、Harpinaを創建した。[Paus.6.21.8]
BC1330年、Meliaの子Tenerusは、Ptous山に神託所を開設した。[Paus.9.26.1, Strabo.9.2.34]
** Ptous山の神託所は、BC335年、Alexander the GreatがThebesを破壊するまで続いた。[LeakeN.2.279]
BC1330年、Aeolusの子Magnesの子Glaphyrusは、ThessalyのBoebeis湖の近くにGlaphyraeを創建した。[StephByz.G209.3]
BC1330年、PerseusはMycenaeを創建して、堅固な城壁で囲んだ。[Paus.2.15.4, Paus.7.25.6]
** Mycenaeは、420年前に創建されたが、Perseusの時代には、町はなかったのかもしれない。
BC1329年、Endymionは、Olympiaで競技会を開催した。[Paus.5.1.4]
BC1328年、TantalusはGanymedesを死なせて、Ilusに追われてLydiaのSipylus山へ移住した。[Diod.4.74.4]
** Tantalusは、ElisのEndymionによってOlympiaから追放されたCardysの子Clymenusの息子と思われる。[Paus.5.8.1]
BC1326年、Endymionの子Aetolusは、Phorbas(Phorbus)の娘Pronoeと結婚した。[Apo.1.7.7]
** PhorbasがThessalyに住んでいた頃で、Hippotesの子Aeolusを共通の先祖とする同族の結婚であった。
BC1326年、ZethusとAmphionは、Thebesを攻めたが、Lycusに撃退されて、Locrisに亡命した。[FGrH.Nr333.F170とPaus.9.5.6から推定]
** ZethusとAmphion は、Thespiae近くのEutresisに住んでいた。[Strabo.9.2.28]
** Locrisには、Zethusの妻Thebeの父Physciusがいた。[Apo.3.5.6]
BC1325年、ZethusとAmphionが軍勢を集めてThebesを攻めて、Lycusと交戦した。[Diod.19.53, Paus.9.5.6]
BC1325年、Lycusは、ZethusとAmphionによって殺害された。[Apo.3.5.5]
** Lycusは、後見20年目であった。1回目~8年(BC1365-57)、2回目~12年(BC1337-25)
** Thebeの兄弟Locrusは、義兄弟Zethusに加勢した。[FGrH.Nr333.F170]
** ThessalyのArneに住むBoeotusの子Itonusも加勢したと思われる。
** Itonusは、Locrusの父Physciusの兄Itonusの妻Melanippeの子Boeotusの息子であり、Locrusは、Boeotusの従兄弟であった。
** この戦いへの参加が端緒となって、Boeotusの子ItonusがBoeotiaへ移住したと思われる。[Diod.19.53, Strabo.7.7.2]
** Amphionは、LaiusをThebesから追放した。[Apo.3.5.5] Laiusは、密かにThebesから逃れた。[Paus.9.5.6]
** しかし、後にLaiusはPelopsのもとへ亡命しているので、Pelopsの姉妹Niobeの夫AmphionとLaiusの間には敵対関係はなかった。
** Laiusは、そのままThebesにいて、AmphionはLaiusの後見人になったと推定される。
** LaiusはAmphionの母Antiopeの姉Nycteisの息子Labdacusの息子であった。つまり、LaiusはAmphionの母方の従兄弟の息子であった。[Aelian.13.5, Athen.603a, Plut.Mor.313e]
** Amphionは、Laiusの父Labdacusの母Nycteisの妹Antiopeの息子であった。
BC1325年、ArneのBoeotusの子Itonusは、Boeotiaへ移住した。[Diod.19.53, Strabo.7.7.2]
** Itonusの居住地は、最初はLake Copaisに沈んだArne、そこから、近くのCoroneiaへ移り住んだと思われる。
** Itonian Athenaが、ThessalyのArneの近くと、BoeotiaのCoroneia周辺にあった。[Strabo.9.5.17, Paus.3.9.13, Paus.9.34.1, Paus.9.34.5, Strabo.9.2.29]
** LelegesもLocrisからBoeotiaへ移住した。[Strabo.7.7.2]
BC1325年、Deionの子Phylacusは、PhocisからThessalyへ移住し、Pagasetic Gulfの北東にPhylaceを創建した。[Apo.1.9.12]
BC1324年、AmphionとZethusは、Cadmeiaの下方に城壁を備えた市を創建した。[Home.Od.11.253, Paus.9.5.7]
** 城壁は、近くに住む横暴なPhlegyesから町を守るためであった。[FGrH.Nr333.F41]
BC1324年、AmphionとZethusは、Cadmeiaの下方に創建した町の名前をThebesと定めた。[Paus.9.5.6]
BC1322年、Zethusは、彼の息子NeisがThebeの過失で死に、悲嘆のあまり死んだ。[Paus.9.5.9]
BC1321年、Epopeusが死去。Epopeusの子Marathonは、AtticaからSicyonへ帰還した。[Paus.2.1.1]
** Marathonは、SicyonにAsopia(後のSicyon)、CorinthusにEphyraea(後のCorinth)を分け与えた。[Paus.2.1.1]
BC1320年、Lapithesの子Phorbasは、Rhodesの住民から招かれて、Thessalyから島へ移住した。[Diod.5.58.5]
** Rhodesへ招いたのは、Macareusの子Leucippusと思われる。彼とPhorbasは、Hippotesの子Aeolusを祖父とする従兄弟であった。
BC1320年、Salmoneusは、ElisのEndymionの子Aetolusを追放した。[Paus.5.1.8, Strabo.8.3.33]
BC1320年、Aetolusは、ElisからAetoliaへ移住した。[Apo.1.7.6]
** Aetolusの移住先は「Curetian country」、つまり、後のPleuronであった。[Apo.1.7.6, Strabo.10.2.5]
** Aetolusの移住先は、Achelous川とEuenus川の間の、Curium山麓の土地であった。
** Aetolusは、Aetoliaに住んだ最初のGreeksであった。AetolusがAetoliansの名祖となった。[Paus.5.1.8, Strabo.8.3.33, Strabo.10.3.4]
BC1320年、Amphion一家が悪疫のために、死に絶えた。[Apo.3.5.6, Paus.9.5.9]
** Amphionの息子Amyclasと娘Meliboea(Chloris)は、助かった。[Apo.3.5.6]
** Chlorisには兄弟姉妹が多く、彼女は最年長であった。[Apo.3.5.6]
** Chlorisは、Pelopsの結婚当時も、未婚であった。[Paus.5.16.4]
BC1320年、Labdacusの子Laiusは、Thebes王に即位した。[Paus.9.5.10]
BC1320年、Ascraの子Oeoclusは、Aloeusの息子たち、OtusとEphialtesと共にBoeotiaのAsopus川源流付近にAscraを創建した。[Paus.9.29.1]
** Sicyonに住むAloeusの息子たちがAscra創建に協力したのは、両者の間につぎのような関係があったからと思われる。
** AscraはSisyphusの子Aloeusの娘で、夫はSisyphusの子Thersanderの子Haliartusで、従兄妹同士の結婚と思われる。
** Ascraの子OeoclusとAloeusの息子たちとは、Sisyphusの子Aloeusを共通の祖父とする従兄弟と思われる。
BC1320年、Erechtheusの子Pandorusは、Euboeaへ渡って、Chalcisを創建した。[Ps-Scym.566]
BC1320年、Erechtheusの子Cecropsは、Euboeaへ移住した。[Paus.1.5.3]
** 支配者が、突然「移住した」という場合、「追放された」であることが時々ある。
** Lynceusの子AbasによるArgosからPhocisへの移住。[Paus.10.35.1]
** Melampusの子AbasによるArgosからThessalyへの移住。[Strabo.9.5.5]
BC1320年、Cecropsの子Pandionは、Megaraへ移住して、Pylasの娘Pyliaと結婚した。[Apo.3.15.5, Paus.1.5.3]
** この時、Pandionの兄弟と思われるCychreusとScyrius(or Sciron, Chiron, Scirus)もそれぞれ、Salamis島とScyros島へ移住した。[推定]
BC1320年、Amyclasの子Acriasは、Laconia湾岸にAcriaeを創建した。[Paus.6.21.10]
BC1320年、Endymionの子Paeonは、Paeoniaへ移住した。[Paus.5.1.5]
BC1320年、Linusは、AmphimarusとOuraniaの息子として、Thebesで生まれた。[Diogenes.1.3, Suda.la.568]
BC1319年、Endymionの子Epeiusは、Olympiaで競技会を開催した。[Euseb.Chron.191]
BC1319年、Melampusは、AmythaonとAglaiaの間の息子として、ThessalyのPylusで生まれた。[Apo.1.9.11, Diod.4.68.3]
** Melampusの予言術と、兄弟すべてがBoeotiaから妻を迎えていることから推測して、Aglaiaは、BoeotiaのTenerusの娘と思われる。
BC1318年、Salmoneusの娘Tyroは、Iolcusに住む、叔父Cretheusと再婚した。[Hyginus.13]
BC1315年、Oenomausは、HarpinaからPisaに移住した。[Paus.5.1.6]
** Harpinaに住むOenomausが、すぐ西側のPisaに住むPerieresの子Pisusを攻めて、Pisusは追放された。[推定]
** Pisusは妻Telegoneの父Pharisが創建したMesseniaのPharaeへ移住した。
** 当時、Olympiaを領していたElisは、Perieresの兄弟Aethliusの後裔の町であり、Oenomausは、Olympiaをも奪った。[Paus.5.1.7]
BC1315年、Naxos(Strongyle)島のThracians、Euboeaを襲撃したが撃退された。[Diod.5.50.4]
** Euboeaは島ではなく、Hyriaと思われる。その後、近くのAnthedonからAloeusの妻と娘が拉致されている。[Diod.5.50.6]
BC1315年、Naxos島のThraciansは、ThessayのDrius(位置不明)を襲撃した。[Diod.5.50.4]
BC1315年、BoeotiaのAnthedonのAloeusの妻Iphimedeiaと娘Pancratisは、Thraciansに拉致されてNaxos島へ連れ去られた。[Diod.5.50.6]
** Aloeusは、AitoliaにAlusを創建したという伝承もあるが、創作と思われる。[Hesiod.CW.F6]
** Aloeus の息子たち、OtusとEphialtes の墓がAnthedonにあった。[Paus.9.22.6]
BC1315年、OtusとEphialtesは、Naxos島のThraciansを打ち負かした。[Diod.5.50.6]
** Strongyleと呼ばれていた島の名前をDiaに変更した。[Diod.5.51.2, Pliny.4.67]
** PhliusやSicyonで大事に祀られているDia(Hebe ~ Argosで崇拝される女神Heraの娘)を島名にしたと思われる。[Strabo.8.6.24]
** Naxos島は、豊かなブドウ畑の故にDionysiasと呼ばれた。[Pliny.4.67]
BC1315年、2人目のMinosが生まれた。[Diod.4.60.3]
BC1314年、Oenomausは、Olympiaで競技会を開催した。[Euseb.Chron.191]
BC1312年、Cecropsの子Pandionは、Athens王に即位した。[Euseb.Chron.185]
BC1312年、Pandionは、妻Pyliaの父Pylasの助力を得て、MegaraからAthensへ帰還した。[Euseb.Chron.185から推定]
BC1312年、Pelopsは、IliumのIlusに攻められ、LydiaからPeloponnesosへ移住した。[Paus.2.22.3]
** PelopsのPeloponnesos上陸地は、Laconia湾のEurotas川の河口近くと思われる。
** Eurotas川の河口近くのAcriaeの創建者AcriasがOenomausに殺された。[Paus.6.21.10]
** Acriasは、Spartaから南に移住してAmyclaeを創建したAmyclasの息子と推定される。
** AcriaeにはPeloponnesus半島内で最古の神々の母の神像があった。[Paus.3.22.4]
** Pelopsの本当の名前は、Peloponnesusであった。[StephByz.P515.2]
** Pelopsは、Asiaから莫大な富を持って、貧しい人々の暮らすGreeceにやってきて、富によって勢力を広げた。[Thucy.1.9]
** TantalusとPelopsの子孫たちが持つ富はPrygiaやSipylus山一帯の鉱床から生れた。[Strabo.14.5.28]
BC1312年、Pelopsは、PisaのOenomausと戦って、彼の娘Hippodamiaを捕虜にした。[Paus.5.16.4]
** Pelopsは、Oenomausを槍で殺した。[Eur. IT.826]
** PisaからCorinth地峡までの戦車競走の逸話があるが、馬が競走できる距離ではない。[Apo.E.2.5]
** Pelopsの後裔が、自分たちを戦争捕虜の子孫としないように、戦車競走の逸話を広めたものと思われる
BC1311年、PelopsとHippodamiaの婚礼の宴の徒競走でAmphionとNiobeの間の娘Chlorisが勝利した。[Paus.5.16.4]
** これが史実とすれば、Pelopsは姪Chlorisを妻にする筈であり、創作と思われる
BC1310年、OtusとEphialtesは、Muses女神を3柱 Melete (Practice), Mneme (Memory) and Aoede (Song)と見なした。[Paus.9.29.2]
BC1310年、Periphasの子Melaneusは、Triccaの近くにOechaliaを創建した。[推定]
BC1310年、Aeolusの子Perieresは、後継者の絶えたMesseniaのAndaniaからの求めに応じて、ThessalyからAndaniaへ移住した。[Paus.4.2.2]
** ThessalyのAeolisの有力者の中から独身であったPerieresが選ばれたものと思われる。
BC1310年、Perseusは、Proetusの子Megapenthesに殺された。[Hyginus.244]
** この後、ArgosとMycenaeは絶縁状態になった。
** Thebes攻めでMycenaeは援軍を出すことを承諾したが、結局出さなかった。最初から援軍要請もしていなかったと思われる。
** Argos はTroy攻めに名を連ねているが、戦死者もなく、消極的参加だったと思われる。
BC1310年、Megapenthesは、PhocisのAbaeのLynceusを殺害した。[Hyginus.244]
BC1310年、PhocisのAbaeのLynceusの子Abasは、Megapenthesを殺害した。[Hyginus.244]
** Acrisiusの死後、MegapenthesがArgosを治め、植民市Abaeとの間で、紛争があったと思われる
BC1310年、Megapenthesの子Argeusは、Argos王に即位した。[Paus.2.18.4]
BC1310年、Lynceusの子Abasは、PhocisのAbaeからEuboeaのChalcisに移住した。[Hyginus.244, Strabo.10.1.3]
BC1310年、Lynceusの息子と思われるOrnytusは、AbaeからPhocis北西部へ移住してNaubolenses(後のDrymaea)を創建した。[Paus.10.33.12]
BC1310年、Lynceusの息子と思われるCriusは、AbaeからEuboeaに移住した。[Paus.10.6.6]
BC1310年、Pandorusの子Diusは、EuboeaのChalcisから北西へ移住して、Dion(Dium, Dios)を創建した。[wiki:Dius, SchoOnHomeIl.2.538]
BC1309年、Alexinusは、Olympiaで競技会を開催した。[Euseb.Chron.191]
** Alexinusは、ElisのSalmoneusの子Alectorと思われる。[Diod.4.69.2]
BC1308年、Labdacusの子Laiusは、Menoeceusの娘Jocastaと結婚した。[Paus.9.5.10]
BC1307年、Aeolusの子Perieresは、MycenaeのPerseusの娘Gorgophoneと結婚した。[Apo.1.9.5, Paus.4.2.4]
** AndaniaとMycenaeはAchaeansの町であることから、この婚姻が成立したと思われる。
BC1306年、Lapithesの子Phorbasは、Pelopsを恐れたElis王Alectorから招致されてOlenusを任せられた。[Diod.4.69.2]
** <<AlectorがSalmoneusの息子と思われる理由。>>
** Salmoneusは、ElisのEndymionの子Aetolusを追放した。[Paus.5.1.8, Strabo.8.3.33]
** Aetolusの跡を継いだのは、Aetolusの姉妹Eurycydaの子Eleiusであった。[Paus.5.1.8]
** Eleiusは、Salmoneusの異母兄弟Aethliusの孫娘の息子であった。[Apo.1.7.3]
** Pausaniasの系譜に登場しないElis王Alectorが、PhorbasにOlenusを任せた。[Diod.4.69.2]
** Phorbasは、Salmoneusの異母兄弟Lapithesの息子であった。[Diod.5.81.6]
** Oenomausの後にOlympic Gamesを開催したAlexinusは、Alectorと同一人物と思われる。[Euseb.Chron.191]
** 以上のことから、つぎのことが推定される。
** AlectorはSalmoneusの息子であり、Eurycydaの夫であり、Eleiusの父であった。
** Salmoneusは、Elis王Aetolusを追放して、孫EleiusはElis王となり、年少であったため父Alectorが後見人になった。
** その後、PisaのPelopsが勢力を増し、危機感を募らせたAlectorは、従兄弟Phorbasに当時Elis領であったOlenusを任せた。
BC1305年、Periphasの子と思われるMelaneusは、Andaniaの近くにOechaliaを創建した。[Paus.4.2.2]
** Melaneusは、父Periphasの兄弟Aeolusの息子、つまり、従兄弟のPerieresの求めでMesseniaに移住したと思われる。
BC1305年、Aeolusの子MacedonとCecropsの娘Oreithyiaの間の息子Europusは、Pellaの少し北に、Europus創建した。[StephByz.E287.14]
BC1305年、Minyasの子Cyparissusは、Delphiの近くにCyparissusを創建した。[Paus.10.36.5]
BC1303年、MesseniaのAndaniaのPerieresは、2人の息子たち、AphareusとLeucippusを残して死んだ。[推定]
** Perieresの妻Gorgophoneが、LacedaemonのOebalusと再婚して、Aphareusと結婚する娘Areneが生まれるので、この頃と思われる。
BC1303年、Aeolusの子Cretheusは、Iolcusで死んだ。[Diod.4.68.3]
BC1303年、Cretheusの子Peliasは、父の継承権を巡って兄弟のNeleusと争った。[Diod.4.68.3]
** PeliasやNeleusは共同でOlympia祭競技会を開催した。[Paus.5.8.2]
** Neleusと共に移住したBiasの娘がPeliasと結婚した。[Hyginus.14]
** 以上のことから、PeliasとNeleusは、良好な関係にあった。
BC1303年、Amythaonの娘Perimelaは、Periphasの子Antionと結婚した。[Diod.4.69.3]
BC1303年、Amythaonは、Neleus、Melampus、Biasを連れてEleiaに移住して、Pylusを創建した。[Apo.1.9.9, Diod.4.68.3, Paus.4.36.1]
** Amythaonは、息子たちを同行させており、Eleiaへの移住を主導したのはNeleusではなく、Amythaonであった。[Diod.4.68.3]
** Pylusは、ElisからOlympiaへ行く山道にあった。Pylusの近くを流れるLadon川がPeneius川に合流する。[Paus.6.22.5]
** MegaraのClesonの子Pylasは、EleiaにPylusを創建したという伝承もある。[Paus.6.22.5]
** 史実であれば、Pylasは78歳以上である。Pylusの名前から考えられた創作と思われる。
** Pylusの名前は、Amythaonの生まれ故郷、ThessalyのPyllusをそのまま名付けものと思われる。[Apo.1.9.11]
BC1303年、Aeolusの子Perieresの妻Gorgophoneは、SpartaのOebalusと再婚した。[Apo.1.9.5, Paus.4.2.4]
BC1303年、Hippocoonの子Pheresは、PhyllusからIolcusの近くへ移住してPheraeを創建した。[Apo.1.9.14]
BC1302年、Amythaonの子Melampusは、ArgosのMegapenthesの娘Iphianeiraと結婚した。[Apo.2.2.2, Diod.4.68.5]
** Megapenthesの子Argeusは、Mycenaeを恐れて、当時、Eleiaの盟主であったAmythaonの息子に妹を嫁がせたものと思われる
BC1301年、Aetolusの子Calydonは、Amythaonの娘Aeoliaと結婚した。[Apo.1.7.7]
** Amythaonの祖父Salmoneusは、Calydonの父AetolusをElisから追い出した敵であった。
** Calydonの住人の多くは、Elis出身者の後裔であった。
** Calydonは、Curetesを味方にして勢力を増す彼の兄弟Pleuronに、婚姻を通して対抗しようとしたと思われる。
BC1300年、Aeolusの子Magnesの子Pierusは、Olympus山の北側にPieriaを創建した。[Tzetzes.6.930]
BC1300年、Hippocoonの子Aesonは、Pagasetic Gulf近くにAesonis(or Aeson)を創建した。[Apollo.1.411, StephByz.A54.16]
BC1300年、Perseusの子Cynurusは、MycenaeからLaconiaの近くへ移住してCynuriaを創建した。[Paus.3.2.2]
BC1300年、Eurymachus率いるPhlegyesは、Thebesに攻め入り、略奪して町を荒廃させた。[FGrH.Nr333.F41]
** Phlegyesには、Phorbasという指導者もいた。Phorbasは、Trojan Warの後でPanopeusに住んでいた。[Ovid.Meta.11.410, Philos.2.19]
BC1300年、CreonはMenoeceusの息子としてThebesで生まれた。[Hyginus.86]
BC1300年、Atysの子Tyrrhenus率いるMaeonians (Pelasgians)は、LydiaからItaly西海岸へ移住した。[Antiq.1.27.2, Herod.1.94, Strabo.5.2.4]
BC1300年、Romisは、Latiumに侵入しようとしたPelasgiansを撃退した。[Plut.Romu.2]
BC1300年、Faunusの子Arnusは、TyrrhenusらのPelasgiansによって、Trasimene湖周辺から追い出された。[Ita.5.1]
BC1300年、PelasgiansのMaleosは、Tyrrhenusに追われてRome近くのRegis VillaからSicilyへ移住した。[Paus.1.28.3, Strabo.5.2.8]
** Pelasgiansは、Sicily、Acarnania、Boeotiaと住居を変えて、BC1126年頃にAthensに移住した。[Paus.1.28.3, Diod.19.53, Strabo.9.2.3]
BC1300年、ThessalyからItalyに移住したPelasgiansは、Tyrrhenus率いるMaeoniansに追い出された。[Pliny.3.50, Strabo.5.2.3]
BC1300年、Perseusの子Electryonは、Mideaを創建した。[Paus.2.25.9から推定]
** Electryonの妻Mideaの名前に因んで、町の名前にした。[Apo.2.4.5]
BC1300年、Triopasの子Phorbasの子Pellenは、ArgosからAchaiaへ移住して、Pelleneを創建した。[Paus.7.26.12]
Upd:2023.10.15