古代ギリシア年表 (BC1599-1500)
古代ギリシア年表 (BC1599-1500)
BC1580年、Boeotiaに悪疫発生した。[Paus.9.5.1]
BC1580年、BoeotiaのEctenesは、Attica、Thessaly、Egyptへと移住した。[Paus.9.5.1, Strabo.9.2.18]
** Ectenesの一部はBoeotiaに残留した。後にCadmusと戦って敗れている。[Nonnus.5.35]
** Boeotiansは、Ectenesと呼ばれていた。[Suda.epsilon.647]
BC1580年、Cecropsの父は、EgyptのNile Deltaへ移住してSaisを創建した。[Diod.1.28.4と Tzetzes.5.650から推定]
** Cecropsは、SaisからAthensへ来た。[TzeAdLyco.111, Tzetzes.5.650]
** OgygusはAtheniansの先祖であった。[Euseb.Chron.181]
** BC4世紀の歴史家Callisthenes of Olynthus やBC3世紀の歴史家Phanodemus of Athensは、AtheniansがSais人の先祖だと記している。[FGrH.Nr325.F7]
BC1576年、Argusの子Messapusは、第8代Sicyon王Leucippusの娘Calchiniaを妻に迎えた。[Euseb.Chron.175から推定]
BC1562年、Cecropsの娘Herseは、EgyptからAthensへの途中で、PhoeniciaのTyreに嫁いだ。[Apo.3.14.3とMarceReg.30から推定]
BC1562年、Cecropsは、EgyptからAtticaの東海岸のMirinousに上陸した。[Paus.1.31.5]
** Cecropsは、Egyptianであった。[FGrH.Nr328.F93, JeromeChro.1550, Suda.ka.1272, Suda.pi.2506]
BC1562年、Colaenusは、MirinousからMessenia湾入り口西側へ移住して、Colonidesを創建した。[Paus.1.31.5, Paus.4.34.8]
BC1561年、Cecropsは、Athens北東のAthmoneisのPorphyrionの次の王Actaeusの娘Agraulusと結婚した。[Apo.3.14.2, Paus.1.14.7]
BC1561年、CecropsはCecropia (後のAthens)を創建した。[Apo.3.14.2, Euseb.181, Paus.1.2.6, Paus.1.5.3, Paus.1.14.7, Pliny.7.194]
** Cecropsの添え名「Diphyes」は、2つの言語を使用する人。[FGrH.328.F93, JeromeChro.1550]
** a body compounded of man and serpent [Apo.3.14.1, Diod.1.28.7]
** 男は女を共有して、子供は母親しか知らなかったが、Cecropsは王になると夫婦の概念を定めた。[Suda.ka.1272, Tzetzes.5.650, TzeAdLyco.111]
** 7 世紀の年代記作家John of Antiochは、それまで、人々は獣のように交わって、一人の親(母)しかいなかったが、Cecropsが夫婦の概念を定めて、2人の親(父と母)を持つようにさせたと伝えている。[TzeAdLyco.111]
** Athenaが生まれたTritonis湖の近くに住む人々は、妻を共有していた。[Herod.4.180]
** Tritonis湖は、Cecropsが住んでいたSaisの近くにあったと思われる。
** AthenaはSaisと呼ばれていた。[TzeAdLyco.111]
** Cecropsは、Athena女神にちなんでその都市をAthensと名づけた。[FGrH.Nr328.F93, Jerome.1550]
** Saisは、海沿いにあったと思われる。[Diod.1.66.8]
** Cecropsは、大災害の後で、Atticaへ移住した。[Tzetzes.5.650]
BC1561年、密儀祭司Trochilusは、Triopasの子Agenorと争って、ArgosからEleusisに亡命した。[Paus.1.14.2]
** TrochilusはCallithyiaの息子であった。[SchoAratus.Pheno.161]
BC1560年、Argosの住人は、各地へ大移住した。[Antiq.1.17, Diod.5.60.4, Diod.5.81.2, Paus.2.16.1, Paus.8.1.6, Photios.186.19]
** BC1601年にNiobeの子Argusの子Ecbasusの子Agenorの子Argusは、Argionを創建している。[PsPlut.NRM.18]
** この大移動は、Argusの子Criasusの後裔と、Sicyonを味方につけたArgusの子Ecbasusの後裔との戦いの結果だと思われる。
BC1560年、Triopasの子Iasusは、彼の娘Ioを連れてEgyptへ移住した。[Paus.2.16.1]
** Ioは、the temple of Hera in Argosの巫女であった。[Apo.2.1.3, Palaepha.42]
** Ioは、Egyptでは、Isisと呼ばれた。[Suda.iota.636]
** Ioの父の名前。Inachus [AelianAnim.11.10, AescProm.i, Hyginus.155, Parthe.1]、Iasus [JeromeChro.1529, Paus.2.16.1]
BC1560年、Triopasの子Xanthusは、ArgosからLyciaに植民後、無人のLesbosに植民した。[Diod.5.81.2]
BC1560年、ArgosのCyrnusは、CariaのCherronesusにCyrnusを創建した。[Diod.5.60.4]
BC1560年、Triopasの子Pelasgusの娘Larisaは、ArgosからThessalyへ移住した。[Antiq.1.17]
BC1560年、Triopasの子Agenorの子Pelasgusは、ArcadiaのLycaeus山(現在のMt. Lykaion、標高1,421m)の麓へ移住した。[Paus.8.1.6]
BC1560年、Triopasの子Agenorの子Crotopusは、MegaraのGeraneia山麓へ移住して、Tripodiskionを創建した。[Photios.186.19]
BC1540年、Deucalionは、Thessaly地方のEnipeus川の源流付近に、Pyrrha (後のMelitaea)を創建した。[Paus.9.5.1, Paus.9.33.5, Suda.epsilon.647, Strabo.9.2.18, Strabo.9.5.6]
** Deucalionは、王になった。Athens王Cecrops治世中であった。[Parian.Marble.2]
BC1535年、Telegonusの子EpaphusはSaisからNileDeltaの南へ移住して、Memphisを創建した。[Apo.2.1.4, Cleme.Str.1.21, Herod.2.153]
BC1530年、Cecropsの子Erysichthonは、Temple of Apollo at Delosを建立した。[JeromeChro.1511]
BC1530年、Cecropsの子Erysichthonは、Delos島へ木像を送った。[Euseb.Pra.3.8]
BC1530年、Xanthusの娘Lyciaの子Patarusは、LyciaのXanthus河口近くにPataraを創建した。[FGrH.Nr1.F256, Strabo.14.3.6]
BC1530年、Cranausの娘Atthisが誕生した。[Apo.3.14.5]
** Athenaは、Tritonis湖近くで生まれた。[Herod.4.180]
** Cranausの娘Atthis(別名Athena[Apo.3.14.6, Tzetzes.1.170])は、Triton川の近くで育った。[Herod.4.180, Paus.1.14.6, Paus.9.33.7]
** Cranausの娘Atthisに因んでAtticaと呼ばれるようになった。[JeromeChro.1506, Just.2.6, Strabo.9.1.18]
BC1525年、Cecropsの子Erysichthonは、Delos島からの航海中に死に、Prasiaeに埋葬された。[Paus.1.2.6, Paus.1.31.2]
BC1525年、Pelasgusの子Lycaonは、Mount Lycaeusの近くにLycosuraを創建した。[Paus.8.2.1]
BC1520年、Italusの子Sicelusは、Italy半島中央部へ移住した。[Euseb.Chron.281から推定]
BC1520年、Italusの子Ausonusは、Acheron川の南側へ移住して、Tempsaを創建した。[Strabo.6.1.5]
BC1520年、Italusの子Morgesは、Italy半島南西部へ移住した。[Strabo.6.1.6]
BC1515年、Cranausは、EgyptからAtticaへ移住した。[Diod.1.29.1から推定]
** Athensの住人はPelasgiansであり、Cranaansと呼ばれていたことから、Cranausは、Ioの息子と推定される。[Herod.8.44, Ps-Scym.550]
** Cranausは、先祖Ogygusが昔住んでいたBoeotiaのTriton川のほとりに居住したと思われる。[Strabo.9.2.18]
** Cecropsが(Cranausに命じて)Triton川のほとりにAthensとEleusisを創建した。[Strabo.9.2.18]
** Homer(Il.4.8)は、Athenaの添え名にAlalcomenaeを使用しており、当時からその村がTriton川のほとりにあったと思われる。
** Atthisの息子Erichthoniusは、Egyptから来航しているので、AtthisもEgyptへ戻っていたと思われる。
BC1515年、Deucalionの子Hellenは、Enipeus川の対岸にHellasを創建した。[Strabo.9.5.6]
BC1511年、Deucalion時代の洪水
** Cecropsの治世中であった。[Euseb.Chron.183]
** Cranausの治世中であった。[Apo.3.14.5, Newton.143]
** 大地震が発生して、ThessalyのPeneius川が河口近くで堰き止められて、大洪水が発生した。[Apo.3.14.5, Euseb.183]
** Hellasが被災して、HellenはMelitaeaへ移住した。[Strabo.9.5.6]
BC1511年、Deucalionは、HellenやAmphictyonと共に、Athensに避難した。[Newton.143]
** Deucalionの墓がAthensにあった。[Newton.143, Paus.1.18.8, Strabo.9.4.2]
BC1511年、Cecropsが死に、CranausがAthens王に即位した。[Paus.1.2.6]
** CranausがDeucalionを味方に付けて、Cecropsから王位を簒奪したと推定される。
BC1511年、Cranausは、彼の娘Atthisと夫をEgyptへ追放した。[Cranausの死後、Cranausの子Rharusではなく、Cranausの娘の息子がAthens王を継承していることから推定]
** Atthisの夫は、Cecropsの子Erysichthonの息子であったと思われる。
BC1510年、Deucalionの子Amphictyonは、Cranausの娘と結婚した。[Paus.1.2.6, Euseb.Chron.183]
BC1510年、Atthisの子Erichthoniusが誕生した。[Apo.3.14.6]
BC1510年、Pelasgusの子Lycaonは、Lycaean gamesを開催した。[Paus.8.2.1]
** Lycaean gamesは、恐らく、ギリシア最古の競技会である。
BC1502年、Cranausは、Amphictyonに追放され、Lamptrae(AthensとSunium岬の間)で死んだ。[Apo.3.14.6, Euseb.183, Paus.1.31.3]
Create:2023.10.31, Update:2025.11.3