文学部哲学科
稲垣諭先生
稲垣諭先生
「「くぐり抜け」の哲学」(講談社刊)
-レストランも授業も結婚も「予約」の時代?-
-レストランも授業も結婚も「予約」の時代?-
大学の先生が書いた本には難しいイメージがあるかもしれません。
そこで大学図書館員が著者の先生方にインタビューを行い、
著書の魅力を掘り下げて紹介する「教員著作インタビュー」を始めます!
第1回では、稲垣諭先生の著書『「くぐり抜け」の哲学』を紹介します。
他者を「くぐり抜ける」哲学の重要性について、稲垣先生にインタビューしました。
※「「くぐり抜け」の哲学」は、大阪大学と岡山白陵高校の入試で出題されました(2025年)
「わけのわからない人間」との出会い
―――『「くぐり抜け」の哲学』は冒頭から面白い本でした。稲垣先生が中学生の頃に友達とマックに行き、みんなが「どのセットを頼もうか」と話している時に、稲垣先生だけ「モスの方が好きだから」と退店しようとする場面から始まります。
稲垣先生:照り焼きバーガーってモスが初めに出したんですよ。だからモスが1番美味しいと思う。だけどマックには390円の安いセットがあって、みんなはそれを買いたかった。自分はモスの照り焼きバーガーが食べたくて「僕はモスに行くから、食べ終わったら合流しよう」って言ったけど、みんなに「こいつ、何言ってるんだろう」みたいな反応をされた。(この事象を例にとると)僕にとっては他者って「わけのわからない人間」だけど、他者からすると僕が「わけのわからない人間」になる。
―――本書のテーマはまさに「わけがわからない他者」を理解することについてです。わかりやすい例えですね!
稲垣先生:みんなでマックに行くのは「楽しい時間を共有する」ためです。みんなでマックに来たのに「僕だけモスに行って後で合流する」ことを提案したら、「そういうことじゃないんだよ」と思われる。そんな他者の気持ちを理解できず、他者を傷つけてしまったと思うから「他者を傷つけずに理解するにはどうすればいいか」ということが、ずっと気になっています。
―――他者を理解する方法として、本書ではクラゲを例に挙げて「他者をくぐり抜ける」ことについて論じていました。なぜクラゲなのでしょうか?
稲垣先生:人間はクラゲを理解することはできるのだろうか。海に漂うクラゲは、どのように世界を知覚しているのか。嗅覚も聴覚もどうなっているか分からないようなクラゲが、どのようにこの世界を生きているのか。「クラゲにどうやって共感するのか、感情移入するのか」というようなことを、哲学者フッサールが現象学(人々に多様な物事がどのように現れてくるのか、その現れの認識構造を扱う学問)における他者理解の問題として、提起しています。クラゲを理解するプロセスが、自分の父、母、友達など、他者を理解することにも通じる。人間はある程度「あの人はこうだから」と、他者を理解したつもりでいるものです。正確に「他者を理解する」ということは、実は底なしの穴に入っていくようなもので、終わりがありません。
―――「他者を正確に理解する」ことは「クラゲを正確に理解する」ことと同じくらい難しいということでしょうか……。「他者を理解する」ことはもちろん重要ですが「他者を理解しようとすることで、傷つきやすくなる人が増えた」と本書に書かれていました。学生のリアクションペーパーからも垣間見えるという、社会に蔓延する「弱さを認められない弱さ」について教えてください。
稲垣先生:今の大学生は幼いころから「社会的弱者に配慮しよう」と教育されています。大学生になってから「弱者に配慮しよう」と言われても、「もうすでにやっているよ!」となるだろうし、自分が責められているようにも感じてしまう。(上記のように他者に配慮することで)他者を傷つける暴力は減ったけれど、苦しみを減らすことにはならない。むしろ、暴力が減ったからこそ、苦しみが増えているといえる。
―――弱者を差別するような「暴力」は減っているのに、人間は「苦しい」ままで、しかも「暴力が減ったからこそ、苦しみは増えている」とはどういうことでしょうか?
稲垣先生:一人暮らしの大学生を例にとると、現在学生の仕送り額は減っていて、当然、仕送りだけでは生活ができずアルバイトする学生が増えています。学業とアルバイトを両立しなければなりませんが、(文科省が大学に課している)授業のコマ数は増えており、昔と比べて両立が困難になっています。
そんな大変な思いをしている学生が、「社会的弱者に配慮しよう」などと言われると、「こっちだって頑張っているんだけど?」となる。「そんなこと、小学生の頃から配慮しなくてはいけないって思ってるよ!」って。でも、社会的に弱者と言われる人たちは(現実的に)確実に傷ついている。社会的弱者を守らなければいけないのは当然だけど「こっちだって頑張ってるし、大変なんだよ!」という学生の気持ちもわかる。彼らもまた傷ついているのだと思います。
SNSの発達で「苦しさ」が増大?
―――本書を読んでいて、SNSの発達がそのような「傷つき」を助長しているのではないかと考えました。自分が普段生活していて感じる「モヤモヤ」を誰かが言語化して、発信して、それを読むことで「ああ、わかるなあ」と共感する機会が増え、SNSが発達する前と比べて「苦しさ」が増大しているのではないかと思います。稲垣先生はどうお考えですか?
稲垣先生:そうですね。それに「モヤモヤ」って言葉自体が言語化を促しているところがあります。SNSでは「モヤモヤ」の言語化をみんなでやって、腑に落ちないような苦しい感覚をみんなで共有しあっています。
―――確かに、それまで気にしていなかったことでも、SNSで誰かが不快感を発信することで「こういうことにモヤモヤする人がいるんだ……。不快感を与えないように配慮しなくちゃ」と思ったりします。
稲垣先生:SNSによるモヤモヤの言語化によって、そのような「誰のことも傷つけたくない」という意識は高まっていくでしょう。最近、授業でもトリガーワーニング (「ショッキングな内容を扱います」等の前置きをすること) をしています。学生がショッキングな体験を回避しやすくなっている。でも、「これは本当に良いことなのか? むしろ傷つきやすさを助長しているのでは?」と思う一方で、それでもやはり学生を傷つけたくないから配慮します。
どうして学生が傷つきやすくなったかというと、「予約文化」の影響があると思います。
天気予報、乗換案内などのテクノロジーが発達したことで、未来のことがわからないと安心できない社会になってしまった。「ショッキングなことありますよ!」のトリガーワーニングは「予約」に慣れた学生への配慮です。でも、これは学生たちが悪いという話では決してなく、むしろ「予測できる社会」を「良いもの」としてつくってきた、僕たち大人の責任です。
飲食店も最近はふらっと入ろうとすると「予約してますか?」と聞かれて、「していない」と言うと「じゃあ、空いてない」と言われたりします。実は僕は予約が苦手なんですよ。このグループ学習室(インタビュー実施場所)だって予約してもらった。
稲垣諭先生の研究室の様子。
カメラに映りきらないほど本があります。
レポートの代わりに作品提出も認めているそうです。学生が提出した素敵な作品があります。
こちらの白黒の箱も学生の作品。
作品解説カード付き。
―――すみません、グループ学習室も予約しました(笑)※白山図書館のグループ学習室は事前予約制
稲垣先生:「食べログ(Web上で飲食店の情報を提供するサイト)の評価が3.6以上の店以外は行かない」なんていう学生も普通にいます。食べる前から美味しいとわかっている店でないと行かない。
―――私は3.5です(笑)
稲垣先生:気にするの!? なんで!?
―――「値段が高いから味もいいだろう」と期待したら全然美味しくなくて、食べログを見たら評価が低かった、ってことが何度かあったんです。それ以来「食べログ評価3.5以上」が基準になりました。お金を損したくないからですね。
稲垣先生:日本は長らく賃金が上がっていませんが、そのこともお金や時間を損することへの忌避につながっていると思います……。
―――「自分が気にしなくても一緒に行く人が気にするかもしれない」とも思います。美味しい店じゃないと嫌かもしれないし、入店するのに並びたくないかもしれない……と考えると「食べログ評価3.5以上」を基準に「予約」してしまいますね。
稲垣先生:それはさっき話した「誰のことも傷つけたくない」という心理にもつながっています。「怒られている人を見ると、自分も怒られているように感じてつらい」と感じることがありますよね。その共感自体はSNSが普及する以前からある。でも、共感の表明はSNSが発達する以前はあまりなかった。SNSのおかげでそのようなことが多く取り上げられるようになって「そのストレスわかる!」と共感する人が増えた。このことは、先ほど話に出た「暴力は減ったけど、苦しみは増えた」ということにつながります。
「強い恋愛」よりも「弱い恋愛」
―――セクハラなどをSNS上で告発する#Metoo運動など、男性に傷つけられた女性が声を上げて結託することはありますが、男性は「自分たちが傷つけられた」と社会運動になるほど声をあげて結託することはない、と本書で読みました。このことからわかる男性性の問題について詳しく教えてください。
稲垣先生:「コミュニケーション能力を身に付けないといけない」と言われやすいのは、男性よりも女性です。例えば父、母、兄、妹の4人家族がいて、食事後「皿を洗おう」と思って行動するのは父、兄より母、妹ではないでしょうか。「相手が何を欲しているかを察して動かなければならない」という社会的圧力は、男性よりも女性に強くかかる。女性は幼い頃からそのようにコミュニケーション能力を鍛えないとやっていけないところがあり、だからこそ高齢者になっても女性はコミュニティの維持がうまかったりする。ところが男性の場合、どうやってコミュニティを形成したり維持すればいいのかがわからない。これはまだ仮説ですが、そもそも男性はコミュニケーション能力を訓練する機会が女性に比べて少ないため、定年退職後、「職場」というコミュニティが消失すると、どうしようもなくなって孤立してしまうのではないかと。これが孤独死の問題につながります。
―――女性は「ペットがいれば」「推しがいれば」独身でもいいという人がいますが、男性は女性と比べるとそういう人が少ないような気がします。これは男性に「結婚すれば女性が自分のことを世話してくれる」(=自分が怠けても女性がコミュニケーションをとってくれる)と考える傾向があるからでしょうか?
稲垣先生:それはあるでしょう。そして女性はそのことを見越して「結婚したくない」という。明確なジェンダーロール(役割)が弱められ、いろいろな価値観が混在するようになったから「苦しさ」が増えたんです。「価値観を多様にする」ということは、それだけ他者と折り合わなければならない部分が増えるということ。当然「折り合いをつける」苦しみが増えます。「男性はこう」「女性はこう」などと決めていた方が楽なんです。でも、人類はもうそっち側には戻らないし、僕はそれでいいと思っています。
お見合い結婚時代は、女子は10代から結婚の準備をすることになっていて、新婚旅行先も親が決めていたんです。「男性が外で働き、その男性を女性が家で支える」というのが、国にとっても都合がよかった。その後、西洋から「自分でパートナーを、運命の相手を選ぼう!」という「ロマンティックラブ」という考え方が入ってきて、(1960年代に)恋愛結婚が流行った。ところがバブル崩壊が起きてロマンティックラブも崩壊。みんなが働かなければいけない時代になってからは「運命の相手」ではなく「民主的に決め合うことができる関係性」が重要視されるようになった。運命の相手に出会ってボロボロになる「強い恋愛」より、安心できる関係を築ける「弱い恋愛」に方向が変わったということです。「草食系男子」は弱い恋愛に適応した男性ですね。「結婚した後はこうしましょう」と事前に契約(=予約)するような関係が「良し」とされるようになった。
「ぶつかりおじさん」を救う希望
―――本書の結びであり、大切な部分である「マイクロカインドネス」の話をお願いします。
稲垣先生:「ちょっとそれ取って」と言われて、何かを取って渡すことは犬猫にはできない。ところが人間にはできる。誰かが何かを落としそうになった時、ぱっと手が出る。そういった利他行為が「マイクロカインドネス」です。人間はちょっとしたことで誰かを傷つけているけど、ちょっとしたことで誰かを救ってもいる。助けられた側は「自分も良いことをしよう」と思って次の利他行為を生み出す。マイクロカインドネスが人間を救うんです。ちなみに、電車とかでぶつかってくる男性に会ったことある?
―――あります! 女性を狙って体当たりする男性、通称「ぶつかりおじさん」ですね。
稲垣先生:「ぶつかりおじさん」は、どうして「ぶつかりおじさん」になったのか……。「あいつはヤバいやつ」というだけで、思考を止めない。「ぶつかりおじさん」を理解した気にならないことが大事です。被害者にとっては難しいだろうけれど、「ぶつかりおじさん」という「わからない他者」をくぐり抜ける。「ぶつかりおじさん」に至るまでの傷つきの集積があり、その集積は、マイクロカインドネスで救済できるのではないかとも思います。他の動物にはない「マイクロカインドネス」を人間が持っているということに(今まで語ってきた問題を解決できるかもしれないという点で)希望がありますね。
―――最後に、稲垣先生自身のことをお聞きしたいと思います。稲垣先生が最初に哲学に興味を持ったきっかけと、哲学への思い・考えを聞かせてください。
稲垣先生:哲学という学問は、昔の著名な哲学者のテクストをしっかりと読むことが必要なのですが、そのテクストを読み、解釈するのはいつもこの現在においてです。その意味で哲学はいつでも現代哲学だといってもいいと僕は思っています。はるか昔の哲学者のテクストをこの現代で読むことの意義をいつも考えています。日頃何気なく生きている自分の馴染みの思考や身体が、大事故にあったように動揺し、そこから簡単には解決できない問いが生じたとき哲学は必要になります。それは、それまでとは異なる生き方や思考法、行為可能性を提示してくれるものだからです。自分自身がそれまでとは異なる自分になれるような問いに出会った時、そこにあるのが哲学です。その意味でいえば、中学時代に友人とマックを一緒に食べない選択をした時から僕はもう哲学を行なっていたのだと思います。
稲垣 諭 (いながき さとし)
東洋大学文学部哲学科教授。専門は現象学・リハビリテーションの科学哲学・環境デザイン。
【担当科目】
ロジカルシンキング入門 、クリティカルシンキング入門、
哲学演習、近世哲学演習 、現代哲学演習 など。
本学文学部哲学科サイトにて、
文学部哲学科の学びについての詳細をご覧いただけます。
【紹介した著書】
触れるでも、素通りするでもなく、「くぐり抜け」てみる。
共感とも感情移入とも違う――それは、「他者」を理解するための新しい方法論。
現象学から文学、社会学、生物学、人類学、リハビリテーション医療、舞踏、ゲーム・プレイ、男性性――
現代社会の諸相に向き合い続けることで浮かび上がる「弱さ」の正体。
個の強さが要請される今、他者とかかわり生き抜くための哲学的逍遥。
他者をくぐり抜けて理解するということは、その他者の周辺/環境情報を知るにとどまらず、その他者とのかかわりの中で自分自身を作り変えていくことなのだ。自分の身体に自分のものではない経験があって、それが動き始める局面をくぐり抜ける。(中略)その自分の変化に応じて、他者との距離が認知的にも、行為的にも変化する。そのような経験を積み重ねていくのだ。