本校の創立は明治6年(1873)4月15日で、善徳寺境内に、国学者の小川勝門先生を創立者として「稲生(いのう)小学校」という校名で開校された。明治19年、下芳養尋常小学校と改称され、その後、幾多の変遷を経て、昭和22年(1947)、新学制が実施され「田辺市立芳養小学校」と改称された。本校は今年で151年の歴史を刻み、田辺市内小学校中、最古の歴史と伝統を誇っている。また、本校は、山の緑に囲まれ、前方には紀伊水道・熊野灘が広がり、四季にわたって美しい自然環境に恵まれている。
現在地に移転するまでの旧校地は、国道と鉄道に挟まれ、極めて限定された狭隘な地点にあり、学習活動の不便さと騒音に悩まされていた。
昭和43年に明洋団地が開発され、入居開始に伴い、児童の受け入れ態勢と、永年の念願並びに問題点解決のために、現在地への校舎の全面移転計画が現実のものとなった。
昭和45年、陸上自衛隊の協力を得て校地造成工事に着工。翌46年4月、現在地に新校舎が落成した。以来、田辺西部地区(校区内)開発に伴い、本校の児童数も昭和50年代になって急増している。
しかし、昭和60年には700名を超えていた児童数も、その後600名前後で推移していたが、少子化の影響で漸減が続き、平成29年度には300名を下回った。
令和6年度は、11月5日現在223名となっている。