003 1935年頃の普通鉄道の花見川架橋写真紹介

鉄道連隊の花見川架橋作業の紹介 3

1935年(昭和10年)頃の鉄道連隊による普通鉄道花見川架橋(柏井橋梁)写真を紹介します。

1 写真紹介 柏井橋梁架設作業①

柏井橋梁架設作業①

「演習線路の各橋梁は架設および撤収訓練を目的としたものであるため、とうぜん恒久的なものでなく、架け替えもしばしば行われた。写真は1935年頃の撮影と思われ、前ページ下(*)とほぼ同一アングルながら、橋脚が以前の重畳抗列より鉄筋コンクリート造となり、橋桁は一部に九三式重構桁がもちいられた。」

出典:「写真に見る鉄道連隊」(髙木宏之著、光人社発行)

写真掲載は著者及び発行元の承諾済み

* 2013.05.02記事「1927年頃の軽便鉄道の花見川架橋写真紹介」中の「架橋作業(其四)」写真

考察と感想

切通しの斜面が写っていて、印旛沼堀割普請の捨土土手を切って鉄道敷をつくったことがよくわかる写真です。

白いテントがある付近が現在の京成バス駐車場入り口付近です。

2 写真紹介 柏井橋梁架設作業②

柏井橋梁架設作業②

「谷地内より架設工事を終えた柏井橋梁を見上げたカットで、鉄筋コンクリート造の新橋脚左側に隣接する重畳抗列と、サンドル右側の単列架柱は、旧橋脚と思われる。画面左の鈑桁は、小ブロック複数をボルトで結合して所要径間を得るものと思われるが、制式名称は残念ながら不詳である。」

出典:「写真に見る鉄道連隊」(髙木宏之著、光人社発行)

写真掲載は著者及び発行元の承諾済み

考察と感想

画面左に2人の人物がいて(右は兵、左は一般人?)その背後に谷津の遠景が見えます。戦前期堀割の風景として貴重な情報です。

3 写真紹介 柏井橋梁重構桁架設終了シテ

柏井橋梁重構桁架設終了シテ

「九三式重構桁は、長さ約2mの箱型鉄骨を所要径間に応じて継ぎ合わせ、橋桁の上方にワイヤーロープを張り、滑車で吊って前方に押し出して橋脚にのせ、径間と荷重に応じて2列ないし8列に配置し、その上に軌道を敷設するものである。写真はワイヤーロープの門型支柱を明瞭に示すもので、横梁上をチェーンブロックが左右に移動するものと思われる。なお、本葉が収められたアルバムには「演習中初年兵勝井候補正足ヲ辷(すべ)ラシテ犠牲トナル」の記入があり、高所のため、生命の危険をともなう訓練であったことがわかる。」

出典:「写真に見る鉄道連隊」(髙木宏之著、光人社発行)

写真掲載は著者及び発行元の承諾済み

4 撮影写真と空中写真との対照

架橋作業写真は1935年(昭和10年)頃撮影であり、空中写真は1949年撮影で、その間に14年の年月が経っていますが、地形や鉄筋コンクリート橋脚はほとんどそのままであると考えられます。

地物の対照は次のようになります。

架橋作業写真と空中写真の対照

空中写真は米軍撮影(1949年撮影、USR-R2769-95)

トーチカ及び監視塔は1944年~45年頃建設されたと考えられる。

架橋作業写真の出典は「写真に見る鉄道連隊」(髙木宏之著、光人社発行)

写真掲載は著者及び発行元の承諾済み

参考 米軍撮影空中写真

1949年撮影、USR-R2769-95

参考 グーグルアースによる空中写真

監視塔と普通鉄道橋台位置を示してあるので、米軍撮影空中写真と比較することによって、普通鉄道橋脚の現在位置のイメージをつかめるようにした。

(東側の普通鉄道橋台が撤去されているのか、樹林に隠れて現存しているのか不明。)

4 写真撮影方向の特定

柏井橋梁架設作業①の写真撮影方向

空中写真は米軍撮影(1949年撮影、USR-R2769-95)

トーチカ及び監視塔は1944年~45年頃建設されたと考えられる。

サムネイル写真の出典は「写真に見る鉄道連隊」(髙木宏之著、光人社発行)

写真掲載は著者及び発行元の承諾済み

柏井橋梁架設作業②の写真撮影方向

空中写真は米軍撮影(1949年撮影、USR-R2769-95)

トーチカ及び監視塔は1944年~45年頃建設されたと考えられる。

サムネイル写真の出典は「写真に見る鉄道連隊」(髙木宏之著、光人社発行)

写真掲載は著者及び発行元の承諾済み

つづく

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