聖書の教理概要③-霊性を高めるには

2017.03.09.



私たちは罪との闘いにおいて、日々葛藤を覚えるものです。聖書は、自分の内面で、「肉」と「霊」が対立していると述べています。ここで言う「肉」とは、不完全な肉体からの欲求のことで、「罪」、つまり、脳内(肉体)の間違った思考パターンから発せられます。また、「霊」とは、自分の意志、自由意志のことで、物事を判断したり、決定したりする理性的な能力のことです。


「肉の欲求(肉)」と「自分の意志(霊)」とが別個のものであることは明白です。例えば、「肉体」は便意を感じ、排泄することを私たちに切に訴えてくるかもしれません。しかし、もし、それが昼間の街中であれば、その要求に即座に応じるでしょうか。いいえ。普通は、ちょっと待て!と自分の「意志」で肉体に命じ、トイレに到着するまで我慢するものです。


このように、「肉体(肉)」は、私たちの「意志(霊)」とは全く関係なく、お腹が減った、眠くなった、トイレに行きたい・・・などと要求してきます。また、性的な欲求の場合が特にそうですが、人はそのような欲求と闘います。ある人はそのような性的な欲求に屈し、あるいは迎合して、性的に汚れた行為を習慣としてしまっているかもしれません。しかし、真のクリスチャンは、そのような欲求を克服し、自らを制して、清い生活を送っています。


ここで注目してもらいたいのは、自分の「霊」、つまり「意志」が、肉の欲求より上にあるのか、下にあるのか、という点です。もし、霊が肉よりも上であれば、肉の欲求を自分の意志によって制することができます。このような状態を「霊性が高い」と言うのです。逆に、意志(霊)が肉の欲求に迎合して従えられている状態を「霊性が下がっている」とか、「肉的である」と言います。


ですから、罪を克服するとは、自分の意志(霊)で肉の欲求を制することができるようになることを意味しています。そのためには、高い霊性を維持できなければなりません。


★「肉」と「霊」とは別物。

★罪を克服するには、自分の霊性(意志)が、

 肉の欲求よりも常に上位にあるべき。


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次に、肉と霊との考え方の違いについて考えてみましょう。


霊性を高める根本は、まず第一に(霊であられる)神との個人的な関係を築くことによるのですが、その点とは別にして、霊的な人の特徴として、よく考える、思考するという点に注目できます。思考は霊と同じく目に見えません。

一方、肉に堕する人は、肉、つまり、目に見える物事(飲食や性、金、偶像など)に主な関心を向け、肉の思うがままに行動します。上述のように、霊(自分の意志)が肉の欲求に従っている、または下位にある、霊性の低い状態です。


霊的な人は「なぜ?」という疑問についてよく考えます。そして、正しいから行なう、間違っているから行なわないと、理性的な決定をします。しかし、肉的な人はそのような思考過程が欠如していて、ただ単にしたいからする、したくないからしないという動物的な決定の仕方になりがちです。


とはいえ、残念ながら、どんな義人であっても上記のような肉的な傾向を少なからず持っているものです。例えば、ダビデ王も誘惑に負けてバテ・シバと姦淫を犯したでしょう。 また逆に、とても邪悪な人であっても、全く霊性(良心)がないというわけでもありません。ですから、私たちはだれでも、このような霊性と罪深い肉との綱引き(葛藤)を心の中で行なっていると言うことができます。


★霊的な人は、物事の善悪を

 よく考え、理性的な決定ができる。

★肉的な人は、肉の欲求に基づく

 動物的な行動をとりがち。


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さて、霊的な人は、よく考える、思考するということでした。


Who(誰が)What(何を) When(いつ) Where(どこで) Why(なぜ)How(どのように)というのが、5W1Hと呼ばれる基本的な質問の型ですが、霊的な人は、この中でも特に、「なぜ?」という疑問についてよく黙想します。


他の質問は、単に物事の事実(見える物事=肉)に関する情報の詳細を伝えるに過ぎませんが、「なぜ?」という疑問は、理由、目的、意図などの、物事の背後にある(見えない物事=霊)その第一原因となる要素について考えるという点で、他の質問よりも高度であると言わざるを得ません。


例えば、人が死ぬのはなぜですか。なぜ人は生まれたのですか。なぜ苦しみもがきながらも生きていかねばならないのですか。もし神がおられるのであれば、こうした事態を許しておられるのはなぜですか。これらは多くの人が考えて然るべき疑問です。霊的な人はそのような疑問の答えをすでに聖書から得ているでしょう。


しかし、そうではあっても、肉的な人は「ただ食べたり飲んだりしよう。明日は死ぬのだから」となり、こういう人生に関する疑問を考えることをやめて、目先の生活に溺れてしまいます。そのような思考停止の状態こそが、肉的な人の最大の特徴です。決してそのようになってはなりません。


 ★「なぜ?」という疑問を追求することを

 あきらめてはならない。

 そういう思考を止めると、肉的な人となる。

 

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今まで考えてきた通り、霊的な人は、よく考える、思考します。ゆえに、その洞察力によって、見えない物事(霊)を見る、識別することができるのです。次にこの点について考えてみましょう。


例えば、「1、2、▲、4、5  ・・・ 」いう虫食い問題があるとしましょう。あなたは見えない▲の中身を識別することができますか? 


もちろん、▲の中身は、「3」です。正解だった人は、見えない▲が「見えた」のです。それにしても、なぜ見えましたか? 


それは、① 1、2、3、4、5・・・という数字の並び方(法則)と、② 見えない▲の前後にある見える部分(2と4)との関係に基づいて推理したからです。クロスワードパズルや数独などもそのようにして解いていくのではないでしょうか。


また、シャーロック・ホームズなどの探偵も、事件現場に残された証拠物や関係者の証言(見える物事)に基づいて推理し、見ていたはずのない事件の様子、そして、犯人を言い当てることができます。


それで、上記の虫食い問題を解くのと同様に、①「仕組みを持つものは誰かが作った」という法則と、②生物などの複雑な仕組み(見える物事)が存在する事実に基づき、生物を作った設計者が存在するはずだと結論できます。このようにして、霊的な人は見えない神の存在を識別することができるのです。


★霊的な人は、その洞察力により、

 見えない物事(霊的な物事)を識別することができる。


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霊的な人は、見えない神の存在や、楽園での永遠の命を信じることができます。ただし、それは、盲目的な信仰、つまり、いわしの頭をやみくもに拝むような盲信ではありません。上記で説明したように、霊的な人は、常に「なぜ?」という質問について熟考します。ですから、なぜ見えない神が本当に存在していると言えるのか、なぜ本当に楽園が来ると言えるのか、そのような点を、きちんと論証することができるのです。


では、あなたはどうですか。見えない神が存在しておられることや、聖書が示している数々の希望が本当に実現するということをきちんと根拠を挙げて論理的に説明できるでしょうか。ただし、「根拠」と言っても、ただ単に、聖書にそう書いてあるから、というだけでは不十分です。ひいては、神が、あるいはキリストがそう言っている、というのでも同様です。それは、数学の問題を解く際に、「先生が◯と言っているので、答えは◯です」と言うのと同じです。そうではなく、普通は、計算過程をきちんと書き、その答えがどのように導かれたかを示すでしょう。


この点で失敗したのは、アダムとエバでした。エホバ神は、彼らに善悪の知識の木の実を食べないよう命じておられました。一応、エホバ神は、その理由として、彼らが死ぬことのないためだと言われました。しかし、そのように食べてはならないような、かえって食べれば死んでしまうような、不可解にも思えるそのような木をわざわざお造りになって、しかもエデンの園の真ん中に置いておられる「エホバ神の目的・理由・意図」については一言も述べられませんでした。


そして、アダムとエバの方もそれを尋ねなかったと思われます。というのも、蛇が、エホバ神は良いものを差し控えていると吹聴した時、エバは、エホバ神の意図を正しく答えることができなかったからです。この事から何が分かりますか。そうです、アダムとエバは、エホバ神の目的や意図などを全く知らず、ただ単に「エホバ神がそう命じたから」という理由だけで、善悪の知識の木の実を食べなかったということです。これを盲目的な従順、盲従といいます。


要点がお分かりでしょうか。そうです、霊的な人は、神のおきてや教え、約束などを表面的(肉)に聞くだけで自己満足に浸るようなことをしません。その背後にある意味・理由・目的・意図など(霊)を知るように努めるのです。


★霊的な人は、神のおきての背後にある

 意味(霊)を知るように努める。

★決して盲目的に従うべきではない。


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このように、聖書は、肉的な思考をやめて、霊的な思考を培うことを勧めています。そのようにして、高い霊性を維持し、肉の欲求を制するためです。そして、それが、自分の罪深さを克服するカギとなってきます。


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★では、具体的に何をすればよいのでしょうか?


☆自分の内面に「霊」と「肉」とが同時に存在していることを意識しましょう。


「霊」とは何でしたか? 同様に、「肉」とは? そして、それらが、自分の内面に実際に存在しているということを改めて確かめてみてください。そして、その違いを今よりもさらに強く意識しましょう。つまり、「霊」における自分が本物の自分であり、罪に汚染させている「肉」は本物の自分ではないということです。その違いをはっきりさせましょう。


☆霊的な思考をどんどん加速させましょう。


「霊的な思考」とはどのようなものでしたか? そう、様々な事柄に対して、「なぜ?」という疑問を抱き、その答えを解いていく・・・、という習慣を身に付けましょう。例えば、日記ノートに、その日の出来事を書く際、単に起きた事実を記すのではなく、ある出来事が起きた理由とか、相手の目的や動機など、「なぜ」それが起きたのかを自分なりに分析し、書くのもよいでしょう。