伝道の書を研究してみよう!


2018.11.22.



ソロモン王は神の知恵を探求し、その結論を伝道の書としてまとめてくれました。その知恵の書をひも解いていくなら、人生を上手に生きていくための神からの知恵を得ることができるに違いありません。皆さんも一緒に研究してみませんか?


以下は、主な内容のまとめです。まずは、下線部だけざっと目を通してみて、このまとめの下に続く、解説を読んでみてください。


_____


伝道の書の主な要点


青字は聖句からの引用・要約

普通の文字は要約・解説。

(カッコ)内は、伝道の書の章:節

_____


災いの多い営み(世の中や人生)に関して知恵を求めて探求しようと心を定めた。

代は去り、代は来る。日の下には新しいものは何もない。


ソロモン王は、世の中の有様と人が歩む人生について考察することにした。

人の世は同じことの繰り返しであり普遍性がある。

ゆえに、ソロモン王の見出した箴言、すなわち、人生の成功法則は、どの時代であっても適用できる。

(1:1-18)。


_


より大きな仕事に携わった。自分の心からどんな喜びをも差し控えなかった。

王の後に入ってくる地の人に何ができようか。人々が既に行なったことだけではないか。


ソロモン王は、実際に様々な事柄を試してみた。

立場上、ソロモン王の出した結論が最大限のものであり、

たとえ誰かが同様に実験してみても、ソロモン王以上の結果を引き出すことはできない。

(2:1-13)。


_


賢い者にも愚鈍な者にも同じ一つの終局がある。


誰であれ、結局、人は最後には死ぬ。

生きていた間に労苦して築き上げたものは、他の人のものとなってしまう。

(2:14-26)。


_


公正の場に邪悪がある。定められた時があるからである。


神はすべての物事を目的をもって配置しておられ、それゆえに悪を許しておられるのにも理由がある。

最終的に、神のお定めになった時にすべての者は裁かれる。

(3:1-22)。


_


虐げの行為、互いに対する対抗心。しかし、二人は一人に勝る。


圧政による虐げと、対抗心に基づく競争。これらは集団社会による弊害であるが、

しかし、それでも、人は互いに集まり合って生きた方がよい。

(4:1-16)。


_


まことの神の家に行く時には、聞くために近寄れ。

弱者への虐げや正義が奪い取られたりするのを見ても驚き惑ってはならない。


神が悪を許しているのには理由がある。

神に文句を言っても何の解決にもならない。まずは神の高いお考えに耳を傾けるべき。

(5:1-8)。


_


彼らは畑のために王に仕えた。しかし、銀を愛する者は銀に満ち足りることはない。


争いや権力闘争の根本的な理由は、富の収奪にある。

そのように、人は富を得るために争いさえするが、しかし、それによって真に幸福になることはない。

(5:9-20)。


_


悪い病気。人は自分よりも強力な者に対して自分の言い分を弁護することはできない。


どんなに富んで権力があったとしても、病気にあれば不幸になる。

人生には不可抗力な災いが多く付きまとう。

(6:1-12)。


_


嘆きの家に行くことは、愚鈍な者たちの歌を聞く人に勝る。

一方をつかむことの方が良いが、他方からも手を引くな。

人々が話すかもしれないすべての言葉に心を向けてはならない。

魅惑的な女に捕らえられるなら、その者は罪を犯しているのである。


そのような災いの多い人生を賢明に生きるには、知恵に即した考え方をする必要がある。

だが、真の知恵を得るには、欲に屈しない正しい心を持つことが必要。

(7:1-29)。


_


王の命令を守れ。おきてを守れ。

死の日には何の支配の力もあり得ない。

刑の宣告が速やかに執行されなかったために、悪を行なうように凝り固まってしまった。


権威者から命令や、法律・ルールには従う方が賢明である。

たとえどんなに従うことを拒んでも、死はすべての人を従える。

悪行は、短期的に見れば得をするかのように思えるが、

しかし、長期的、結果的な観点から見れば、破滅をもたらす。

(8:1-17)。


_


一つの終局があるために、人の心もまた、悪に満ちているのである。

また、時と予見し得ない出来事とは彼らすべてに臨む。

とはいえ、あなたの手のなし得るすべてのことを力の限り行なえ。


どうせ最後には死んでしまうんだと自暴自棄になると悪に陥る。

また、人間の予測とは反する思わぬ事態に巻き込まれることもある。

とはいえ、命ある限り、最善を尽くして生きるべき。

(9:1-12)。


_


貧しい者の知恵は軽んじられる。

少しの愚かさが、積み上げられた知恵と栄光を台無しにする。

穏やかさが重大な罪を鎮める。

僕が馬に乗り、君が地を歩いているのを見た。


知恵についての考察。

(9:13-16)。

_


パン・働く者・金。

あなたのパンを水の表に送り込め。

あなたはまことの神の業を知らない。


世の中を動かしている「システム」がある。

経済システム、神の公正の摂理などに基づいて世の中は回っている。

(10:18-11:6)。


_


闇の日々を覚えておくように。

それで、あなたの若い成年の日にあなたの偉大な創造者を覚えよ。


人はやがて年老いて力を失ってしまう。

だから、若いうちに、まことの神を知るように努めるべき。

(11:7-12:8)。


_


事の結論はこうである。まことの神を恐れ、そのおきてを守れ。


結論。神のおきて、すなわち、

人生の成功法則にしたがって生きることこそが最善の生き方である。

(12:9-14)。



上記のまとめを順不同でさらにまとめるとこうなります。


人生の成功法則は、どの時代であっても適用できる。

ソロモン王の出した結論が最大限(それ以上、誰かが実験する必要はない)


人は最後には死ぬ。

人生には不可抗力な災いが多く付きまとう。

とはいえ、命ある限り、最善を尽くして生きるべき。

そのような災いの多い人生を賢明に生きるには、知恵に即した考え方をする必要がある。


神が悪を許しておられるのには理由がある。

まずは神の高いお考えに耳を傾けるべき。


神のおきて、すなわち、人生の成功法則にしたがって生きることこそが最善の生き方である。

だから、若いうちに、まことの神を知るように努めるべき。


つまり・・・、


災いの多い人生を賢明に生きるには、人生の成功法則を知る必要があります。

そして、そのような人生の成功法則は、神のおきての書、

すなわち、聖書を学ぶことによって理解できるのです。




伝道の書から見出される成功法則


では、以下にて、伝道の書の中で示されている幾つかの「人生の成功法則」を取り上げてみましょう。


まず、7:1-12です。


一言で言えば、試練をも成長の機会とみなすプラス思考です。


1 名は良い油に,死ぬ日は生まれる日に勝る。2 嘆きの家に行くことは,宴会の家に行くことに勝る。それがすべての人の終わりだからである。生きている者はそれを心に留めるべきである。3 いら立ちは笑いに勝る。顔の気難しさによって心は良くなるからである。4 賢い者たちの心は嘆きの家にあるが,愚鈍な者たちの心は歓びの家にある。


5 賢い者の叱責を聞くことは,愚鈍な者たちの歌を聞く人となることに勝る。6 愚鈍な者の笑いは,なべの下のいばらの音のようだからである。これもまたむなしい。7 単なる虐げが賢い者に気違いじみた行動を取らせることがあり,贈り物が心を滅ぼすこともあり得るからである。


8 事の後の終わりはその初めに勝る辛抱強い者は霊のごう慢な者に勝る。9 自分の霊にせき立てられて腹を立ててはならない。腹立ちは愚鈍な者たちの胸に宿るからである。


10 「先の日々のほうが今よりも良かったのはどうしてなのか」と言ってはならない。あなたがこれについて尋ねたのは,知恵によるのではないからである。


11 知恵が相続財産に伴うのは良いことであり,日を見る者たちに益となる。12 金が身の守りであるように,知恵も身の守りだからである。しかし知識の利点は,知恵がそれを所有する者たちを生きつづけさせることにある。


繰り返し、「~は~に勝る」と述べられています。死ぬ日、嘆きの家(葬式)に行くこと、いらだち、叱責を聞くこと(叱られること)・・・などは、一見すると、あまり面白くない、かえって不愉快な事柄であるはずです。それゆえに、愚者は、そのようなものを避けて、より楽しい、面白いと思えるものにこそ走るかもしれません。


しかし、葬式に行くなら、「生きている者はそれに心を留める」ことになり、また、賢い者から叱責されるなら、「顔の気難しさ」をもたらします。つまり、そのような出来事は、人が真剣に物事を考えさせられる機会となります。


そして、そのような真剣な思考の結果、ある一定の「結論」が出されるのです。そのような引き出された結論、教訓は、その人の思考パターンの一部として深く刻み込まれ、それ以後の人生に対する取り組み方を左右することになります。→★参考資料 ★参考資料


ここで見出されるのは、「苦しい状況を乗り越えて教訓を引き出し、人として成長する」という積極的な考え方、プラス思考です。ヤコブ1:2-4でも、「さまざまな試練に遭うとき、それをすべて喜びとしなさい」と言われている通りです。→★参考資料


人生には必ず苦難が伴います。しかし、そのような苦難からでさえも良いものを引き出し、かえって自分自身を成長させる機会とみなすことができるなら、その人は幸いです。実のところ、神が私たち人間にこのような苦難が臨むのを許しておられるのは、そのような理由によるのです。


__________


次は、上の節に続く、7:13-19です。


一言で言えば、極端に偏らないバランスの取れた思考です。


13 まことの神の業を見よ。神の曲げたものをだれがまっすぐにすることができようか。14 良い日には,自分が善良であることを示せ。災いの日には,まことの神がこれをもあれと全く同じようにされたことを見よ。それは,人間が自分たちの後のことを何も見いだせないようにするためである。


15 わたしは自分のむなしい日々の間にすべてのことを見た。その義のうちに滅びゆく義なる者がいる。その悪のうちに長らえる邪悪な者がいる。


16 義に過ぎる者となってはならない。また,自分を過度に賢い者としてはならない。どうして自分の身に荒廃をもたらしてよいであろうか。17 邪悪に過ぎる者であってはならない。また,愚かな者となるな。自分の時でもないのに,どうして死んでよいであろうか。18 一方をつかむことのほうが良いが,他方からも手を引くな。神を恐れる者はそれらすべてと共に出て行くからである。


「義に過ぎる者」とは、完全主義のような考え方のことかもしれません。しかし、罪人である人間は間違いを犯すことが避けられず、そのような完全主義は結局は失望をもたらすことでしょう。


では、どうせ間違いを犯してしまうのであるから仕方がないと無頓着になって、邪悪な事柄であっても平気で行なうようになるのも問題です。悪は必ず裁かれるからです。


このように、何事も「極端に偏らずにバランスの取れた思考」が必要であることが分かるでしょう。神を恐れて、その教えを学ぶ人は、「それらすべてと共に出て行く」、つまり、どちらにも偏らず、どちらとも両立できるバランスの取れた考え方を持てるようになります。


__________


続く、11:19-22です。


一言で言えば、相手の立場に立って考える客観的な思考です。


19 知恵は賢い者にとって,都市にいた十人の権力ある者よりも強い。20 常に善を行なって罪をおかすことのない義なる者は,地にひとりもいないからである。


21 また,人々が話すかもしれないすべての言葉に心を向けてはならない。あなたの僕があなたの上に災いを呼び求めているのを聞かないためである。22 あなたの心は,あなた自身も幾度となく他の者たちの上に災いを呼び求めたことを知っているからである。


すべての人は不完全で間違いを犯すという現実に思いを留めるなら、他の人に完全さを期待するべきではないことが分かるでしょう。実際、逆の立場で考えてみる時、あなた自身もこれまでに何度も失敗をしてきたのではありませんか。


そうです、このように、他の人を評価するに際して、逆の立場ならどうなのか、相手の立場に立って考えてみるなら、公正にかなった見方ができます。その点、主イエスも「自分にしてほしいと思うことは人にもしなければなりません」とマタイ7:12で述べておられる通りです。


私は、このような見方を「客観法」と呼んでいます。


ここでは、


試練をも成長の機会とみなすプラス思考

極端に偏らないバランスの取れた思考

相手の立場に立って考える客観的な思考


について考えました。


これらは、確かに、人生の成功法則のいくつかであると言えないでしょうか。


では、どうすればそのような健全な思考が身に付きますか? その点は、各人で探求してみてください。


__________


さらに、ソロモンは、そのような真の知恵を得る、つまり、人生の成功法則を体得するための条件をも示しています。


7:23-29です。


23 このすべてをわたしは知恵をもって試した。わたしは言った,「わたしは賢くなるのだ」と。しかし,それはわたしの遠く及ばないことであった。24 あるようになったものは,遠くて非常に深い。だれがそれを見いだし得るであろうか。25 わたしは自ら振り向いた。わたしの心がそうしたのである。知恵と物事の理由を知り,探究し,尋ね求めるため,また愚鈍の邪悪さと狂気の愚かさとを知るためであった。26 そして,わたしは見いだすのであった。自分を狩猟の網,心を引き網,そして手をかせとする女は死よりも苦いことをわたしは見いだした。これから逃れるなら,その者はまことの神の前に善良な者であり,これに捕らえられるなら,その者は罪をおかしているのである。


27 「見よ,このことをわたしは見いだした」と,召集者は言った。「一つ一つのことに当たり,その要約を見いだすためであった。28 わたしの魂は絶えずそれを求めたが,わたしは見いださなかった。わたしは千人の中から一人の男を見いだしたが,それらすべての中から女を見いだすことはできなかった。29 見よ,ただこのことをわたしは見いだした。まことの神は人間を廉直な者として造られたが,彼ら自身が多くの計画を探り出したのである」。


「自分を狩猟の網,心を引き網,そして手をかせとする女」、つまり、欲に屈服してそれに従うなら、理性は失われ、真実は見えなくなってしまいます。その結果、その人は、真実ではなく、偽りを信じるようになり、愚行に至るのです。そのように、欲は人を盲目にならせます。


ですから、そのような自分の内にある欲望を制し、純粋で正しい心を持つことが、真の知恵を得る、つまり、人生の成功法則を体得するための条件なのです。実際、神はそのような正しい心を持つ人だけに、ご自身の真理を啓示されます。→★参考資料


純粋な正しい心を持たねば、真の知恵を体得することはできない


__________


さらにもう一点考慮しましょう。


10:5-17です。


5 わたしが日の下で見た災いとなることがある。それは権力ある者のゆえに間違いが出て行くときのようである。6 愚かさは多くの高い地位に置かれたが,富んだ者たちがただ低い状態のもとに住みつづける


7 わたしは,僕たちが馬に乗っているのに,君たちが僕のように地を歩いているのを見た。


8 坑を掘っている者は自らそれに落ち込み,石壁を打ち破っている者は,蛇がこれをかむ。


9 石を切り出している者はその石で自分を傷つける。丸太を割っている者はそれに対して注意深くなければならない。


10 鉄の道具が鈍くなっているのに,その刃を研がなかったのなら,その人は自分の活力を使い尽くすことになる。したがって,知恵を有効に用いることには益がある。


11 まじないが掛かっていないのに蛇がかむなら,舌を使う者には何の益もない。


12 賢い者の口の言葉は恵みを意味するが,愚鈍な者の唇はその者を呑み込む。13 彼の口の言葉の始まりは愚かさであり,その口の後の終わりは災いの狂気である。14 そして,愚かな者は多くの言葉を話す。


人は何が起こるかを知らない。その人の後に起こることをだれがこれに告げ得るであろうか。


15 愚鈍な者たちの骨折りはその身をうみ疲れさせる。ひとりとして都市への行き方を知るようにならなかったからである。


16 土地よ,あなたの王が少年で,あなたの君たちが朝に食べつづけるなら,あなたはどうなるであろうか。17 土地よ,あなたの王が高貴な者たちの子で,あなたの君たちが,単に飲むためではなく,力強さを得るために,ふさわしい時に食べるなら,あなたは幸いだ。


ざっと要約すると、まず飛んで、8-9節は「自業自得」、10-11節は、「知恵は有効に用いるべき」、12-15節は、「愚かな者はムダに労する」と読めるかと思います。


上記を勘案したうえで、最初の5-7節を読むと、こう解釈できるでしょう。つまり、「あるべき秩序に逆らう間違った状態が生じているのに、それを間違いとも思わず、かえって一般常識であるかのように錯覚してしまうのは非常に不幸なことである」と。


聖句をよく見てみてください。「僕たちが馬に乗っているのに,君たちが僕のように地を歩いている」とは、まさに、現代の民主主義社会に大いに当てはまると思いませんか。例えば、一国のリーダーである総理大臣でさえも、国民に馬鹿者呼ばわりされています。


例えば、スポーツのチームがあって、そのチームメイトが、キャプテン、もしくはリーダーに非協力的で侮蔑をもって呼ばわるようでは、そのチームはどうして試合で勝利することなどができるでしょうか。


あるいは、例えば、あなたが何かの会や組織のまとめ役になったとして、その会員や組織員があなたのことを馬鹿者呼ばわりして小突き回すような状況で、あなたはそのまとめ役を続けることができますか。


しかし、それでも、現代社会は、今あるような「あるべき秩序に逆らった間違った状態」が「一般常識」であると錯覚しているのです。しかし、その結果が、今のような閉塞的な希望のない病んだ社会を生み出しているとは知らずに。


まさに、これは「自業自得」であり、「知恵を有効に用いることなく」、「ムダに労した」愚かな結果ではないでしょうか。→★参考資料(後半をご覧ください)


最後に、16-17節では、本来あるべき秩序に従った社会システムこそが、真に有益な結果をもたらすことを示しています。あなたであれば、世の中、組織、家族、グループは、本来、どのような状態にあるべきだと考えますか。→★参考資料


ですから、世の中のほとんどの人が「一般常識」だと思って当たり前に行なっていることであっても、それが本当に聖書の真理、知恵にかなったものであるかどうかを注意深く吟味しなければなりません。これは罠なのです。


世の中の一般常識が、神の知恵にかなった真理であるとは限らない


__________


最後に、続く18以降も考慮しましょう。


18 甚だしい怠惰によって梁は沈み,手が垂れ下がっていると家に雨漏りがする。


19 パン働く者たちの笑いのためであり,ぶどう酒は命を歓ばせる。しかし,はすべてのことに反応を生じさせる。


20 自分の寝室にいるときでも,王の上に災いを呼び求めてはならない。自分が横になる奥の部屋にいるときも,富んだ者の上に災いを呼び求めてはならない。天の飛ぶ生き物がその声を伝え,翼を持つ物がそのことを告げるからである。


11:1 あなたのパンを水の表に送り出せ。多くの日を経て,あなたは再びそれを見いだすからである。2 分け前を七人に,いや,八人に与えよ。あなたはどんな災いが地上で起こるかを知らないからである。


3 雲が水で満ちるなら,豪雨を地に注ぎ出す。また,木が南に,あるいは北に倒れるなら,木はそれが倒れるその場所にあることになる。


4 風を見守っている者は種をまかない。雲を見つめている者は刈り取らない。


5 あなたは,妊娠している女の腹の中で骨の中の霊の道がどのようになっているかを知ってはいない。それと同じように,あなたはすべてのことを行なわれるまことの神の業を知らないのである。


6 朝に種をまき,夕方になるまで手を休めるな。あなたは,これがどこで成功するか,ここでかそこでか,あるいはそれが両方とも共によくなるか知らないからである。


要約すると、まず、18-19節は、「世の中の経済システム」について述べています。その仕組みは、労働者、パン(物、商品)、金からなっていると言えるでしょう。


続く20節から11章2節までは、「神の公正のシステム」についてです。人の知らないところで、ひそかな悪行を行なっていても、あるいは、逆に、何の見返りもメリットもないような形で善行を行なっても、いずれも、神の目には留まっており、それ相応の報いを得ることになります。


3-4節は、「原因と結果」。ある事柄を実行すれば、それに応じた結果が生じますが、逆に、何もしなければ、何をも成し遂げることはできません。


5-6節は、「どのように、また、いつそうなるかを知らない」という事実。ゆえに、人は、その時その時を懸命に、最善を尽くして生きるべきです。


これらから、世の中は、単に人間が作った仕組みだけでなく、神の公正の摂理に基づいても動いているという洞察を得ることができます。神に畏れを持たずに、そのような神の摂理を考慮に入れないままに、邪悪な、あるいは、愚かな行動を取るなら、思わぬどんでん返しを喰らうことになるでしょう。


単に人が見ているから、人からよく思われるからという理由で善行を行なうのは偽善です。人の見ていない、評価されることもないだろうと思える人に対してでも、あなたは必要なら手を差し伸べるだけの気持ちがありますか。神はそのような人を義とみなし、たとえ善を施した人からの見返りがなくとも、ご自身が何らかの形であなたに返礼をしてくださるのです。


生活の中で、人の作った仕組みだけでなく、神の摂理をも考慮に入れるのが真の知恵


__________


終わりに。


この論文記事では、主な点だけを非常にシンプルにまとめてみました。つまり、手取り足取り、一から十まで説明しているのではなく、むしろ、単に、伝道の書を研究する際のヒント、足がかりを提示したに過ぎません。


人が書いた結論を単に読むだけでは真の知恵は身に付きません。そうではなく、自分自身で知恵の領域を探検し、探求し、調査し、考え、そのような思考過程を経て、自分の結論を引き出すべきなのです。この「思考過程を経る」という点が非常に重要です。


人の結論を聞いただけでは、それは単に「頭の中にある知識」に過ぎません。しかし、自らが思考して引き出した結論(「あ、なるほど、そうか!」)は、その過程において、そのような思考回路が構築されるので、その人の心の一部となります。つまり、これが、「心に達した」という境地であり、まさに真の知恵を身に付けた瞬間です。→★参考資料


ソロモンは自ら真の知恵を探求しました。そして、私たちに対するヒントとして、伝道の書を書き残してくれたと言えるでしょう。いわば、真の知恵という宝に至る地図・ガイドブックのようなものです。あなたも、もしまだなら、自ら「真の知恵の探求者」となりませんか。伝道の書を足がかりとするなら、知恵の領域を探検して、真の知恵を得ることができることでしょう。