エンタングルメント(量子もつれ)は、量子力学特有の非局所相関を持つ状態であり、量子誤り訂正などにおいて重要な役割を果たします。メゾスコピック量子導体にバイアス電圧を印加すると、左右の電極間に広がる電子・正孔対が生成されますが(図a)、これは量子もつれ状態にあります [1]。エンタングルメントの大きさは、情報理論的なエントロピー(より詳しくは片方の電極の電子系についてトレースを取った縮約密度行列のフォン・ノイマン・エントロピー)で評価することができます。古典的な情報理論では、ある事象の意外性を測る量(自己情報量)をその事象の生起確率の逆数の対数として定義し、その期待値をエントロピーとします。この定義から分かるように、自己情報量自体は揺らぎのある量で、その分布(図b)を考えることができます [2](試行ごとに自己情報量を割り当てるにあたり、生起確率は既知であると仮定します。ただし、ほとんどの場合、最終的な結果の解釈に、この仮定は必要はありません。)。確率を自己情報量の分布や特性関数を求めることができれば、エンタングルメントに対してより深い理解が得られる可能性があります。
図a) 電圧を印加したトンネル接合:電極Bの電子が電極Aにトンネルし、電極Bにホールを残す。この電子・正孔対は量子もつれ状態にある。
図b) 情報量揺らぎ分布の 例:事象の生起確率は、{1/2,1/4,1/8,1./8}としている 。この分布の期待値がエントロピーである。自己情報量の揺らぎ分布は「エンタングルメント・スペクトラム」と関係する。
自己情報量分布の特性関数(情報生成関数:Information generating function) [3]は、形式的にはRényiエントロピーと関係があります。論文 [5-7] では、バイアス電圧が印加された非平衡状態における自然数次のRényiエンタングルメント・エントロピーの定式化を行いました[5-7]。それまでは、複数のKeldysh経路のレプリカ(多重Keldysh経路:図c)を用いる方法が提案されていましたが、計算は左右の電極間の混成に関する二次摂動に限られていました[4] 。論文 [5] ではレプリカ間の遷移を数える計数場を導入し、完全計数統計理論の問題に変換することで、混成について無限次まで、クーロン相互作用については摂動的に取り入れ、最後に解析接続を行うことで情報生成関数を得ました。また、確率熱力学または揺らぎの熱力学(stochastic thermodynamics) とのアナロジーから自己情報量の揺らぎに関する「Jarzynski等式」(0次のRényiエントロピーが利用可能な全状態数に等しい)を導入し、エンタングルメント・エントロピーの上界を求めました。
論文 [6] では、着目した電極の粒子数と自己情報量の同時確率分布を、縮約密度行列に粒子数について拘束条件を付けることで計算し、電子数が異なる電極状態間にはエンタングルメントは生じない(局所粒子数超選択則)事実を取り入れたRényiエンタングルメント・エントロピーを求めました。以上の論文では演算子形式を用いていますが、Keldysh経路積分形式でも同様の解析が可能であることを論文 [7] でチュートリアル的に説明しています。
図c) 多重Keldysh経路:Keldysh経路のレプリカを準備し、直列につなぐ。レプリカ空間での周期性を利用して離散フーリエ変換すると、変換のパラメタはレプリカ間の粒子の遷移を数える計数場となる。
以上の手法を用いて、量子輸送問題に情報理論的な視点を加えた研究も進めています。
一つは通信路としての量子導体の通信路容量 [9]の解析です [11,12]。従来、量子導体の通信路容量は、量子輸送理論的に熱流の計算から求める方法と、量子情報理論的に量子通信に利用できるモードの数を求める分割数で表す方法が知られていました [10]。しかし、なぜ異なる方法が同じ答えを与えるか明らかではありませんでした。論文 [11] では、2端子量子導体の2つの電極を送信側と受信側に分けて、移動したエネルギー(熱量)と自己情報量の同時確率分布を求めました。そしてJarzynski等式から、最大通信路容量が、与えられた信号電力の元での利用可能なモードの数を求める分割数となることを示しました。また、弱いクーロン相互作用が最適通信容量に影響しないことも示しています。さらに、論文 [12] では、通信路容量の量子輸送理論的な導出と量子情報理論的な導出が、熱量と自己情報量の同時確率分布を通じて統一的に理解できることをチュートリアル的に説明しています。またこの知見を基に、古典的な情報通信理論で知られる「注水定理」が、信号電力を与える拘束条件に加えて、特定のチャンネルのみが開いているという拘束条件を加えた分割数から導出できることも示しています。
資料:
https://kaken.nii.ac.jp/file/KAKENHI-PROJECT-17K05575/17K05575seika.pdf
[1] C.W.J. Beenakker: `Electron-hole entanglement in the Fermi sea’, in: International School of Physics Enrico Fermi, Vol. 162, Quantum Computers, Algorithms and Chaos, edited by G. Casati, D.L. Shepelyansky, P. Zoller, and G. Benenti (IOS Press, Amsterdam, 2006): 307-347
[2] R.M. Fano, Transmission of Information: A Statistical Theory of Communications (The M.I.T. Press, Cambridge, 1961)
[3] S.W. Golomb, `The information generating function of a probability distribution’, IEEE Trans. Inf. Theory IT-12, 75 (1966); S. Guiasu, C. Reischer, `The relative information generating function’, Inf. Sci. 35, 235 (1985)
[4] Yu. V. Nazarov, `Flows of Rényi entropies’, Phys. Rev. B 84, 205437 (2011); H. Ansari and Yu. V. Nazarov, `Rényi entropy flows from quantum heat engines’, Phys. Rev. B 91, 104303 (2015)
[5] Yasuhiro Utsumi: `Full counting statistics of information content in the presence of Coulomb interaction', Physical Review B 92 (16), 165312, (2015) (Editors' Suggestion)
[6] Yasuhiro Utsumi: `Full counting statistics of information content and particle number', Physical Review B 96 (8), 085304, (2017)
[7] Yasuhiro Utsumi: `Full counting statistics of information content', The European Physical Journal-Special Topics 227, 1911-1928, (2019)
[9] C. E. Shannon, `A Mathematical Theory of Communication’, Bell System Technol. J. 27, 379 (1948).
[10] J. B. Pendry, `Quantum limits to the flow of information and entropy’, J. Math. A: Math. Gen. 16, 2161 (1983); C. M. Caves and P. D. Drummond, ` Quantum limits on bosonic communication rates’, Rev. Mod. Phys. 66, 481.(1994).
[11] Yasuhiro Utsumi: `Optimum capacity and full counting statistics of information content and heat quantity in the steady state', Physical Review B 99 (11), 115310, (2019) (Editors' Suggestion)
[12] Yasuhiro Utsumi: `Fluctuation of information content and the optimum capacity for bosonic transport', The European Physical Journal-Special Topics 230, 1059-1066, (2021)