DNAなどのカイラル分子がスピンフィルターとして機能する現象は、カイラル誘導スピン選択(Chiral-induced spin selectivity, CISS)効果と呼ばれています(図1)。この効果は十数年前に観測されて以来[1,2]、さまざまなカイラル分子において確認され[3]、スピントロニクスへの応用が期待されています。CISS効果は、磁性原子を含まないカイラル分子において、室温で大きなスピン偏極が観測されるという興味深い現象であり、その原因がスピン軌道相互作用(SOI)にあると広く信じられています[4]。
しかし、SOIが小さい軽い元素しか含まない分子で、このような大きな効果が観測される原因については、現在もコンセンサスが得られていません[4]。そもそも、時間反転対称性(TRS)を破らないSOIでCISS効果を説明することは、見かけほど単純ではありません[5]。我々は、らせん分子に着目し、長距離ホッピング、SOI、散逸の三者が生み出すスピンフィルター効果[5]や、SOIとらせん構造によるスピン—機械的トルク変換によるスピンフィルター効果[7]などの可能性を検討してきました。
図1) らせん分子接合スピンフィルターの概念図:上向きのスピンは透過し、下向きスピンは反射する。
スピンフィルターを実現するには、アップスピンとダウンスピンが互いに逆向きに運動する状態(スピン・運動量ロッキング)を作り出す方法が考えられます。例えば、右向きに伝搬するダウンスピンと左向きに伝搬するアップスピンのペアは、その時間反転対称なペア(右向きに伝搬するアップスピンと左向きに伝搬するダウンスピンのペア)を重ね合わせて定在波を作ることで実現できます(図2a)。しかし、この混成のハミルトニアンは、時間反転操作に対して符号が反転し、スピン軌道相互作用が時間反転に対して対称であることと矛盾します。この困難は、軌道が複数あれば回避できることを示しました[8,9,11]。軌道が2つあれば、第1の軌道を右向きに伝搬するアップスピンと第2の軌道を左向きに伝搬するダウンスピンのペア、それに加えて、第2の軌道を右向きに伝搬するアップスピンと第1の軌道を左向きに伝搬するダウンスピンのペアを重ね合わせることができます(図2b)。この混成のハミルトニアンは、時間反転操作について符号を変えないため、右向きに伝搬する2つのアップスピンと、左向きに伝搬する2つのダウンスピンによるスピンフィルターが実現します。
図2a)軌道が一つしかないとき:互いに逆向きに伝番する逆向きのスピンを混成するハミルトニアンは、量子力学特有の性質から、時間反転操作に対してマイナスの符号がつく。このため、軌道が一つしかないときはスピン軌道相互作用によるスピン・軌道ロッキングは実現できない。一般の量子導体についてはBardarsonの定理[J.H.Bardarson,J.Phys.A:Math.theor.41,405203(2008)]より証明できる[8,9]。
図2b)軌道が2つあるとき:異なる軌道の、互いに逆向きに伝番する逆向きのスピンを混成するハミルトニアンは、時間反転操作に対して符号を変えない[9,11](赤で示された混成のハミルトニアンと青で示された混成のハミルトニアンはお互いの時間反転となっている)。
以上のスピン・運動量ロッキングした状態(”ヘリカル状態”)が、p軌道原子のらせん鎖においては、あるパラメタにおいて実現できることを示しました[8,9](図3a)。この状態を用いることで有限のスピンコンダクタンスが実現されます(図3b)。このヘリカル状態は原子内SOIと螺旋構造が共存して初めて実現するという点で、実験の傾向と一致しており、このモデルを用いたCISSエナンチオ選択性[10]の説明も試みています[11]。
図3a) エネルギー分散:カラーバーはスピンの大きさを表す。
π結合(上)とσ結合(下)由来のバンドに分かれている。上のπバンドの上端と下端付近(点線)に”ヘリカル状態”ができる。
上のπバンドの下端付近では、右向きに伝搬するアップスピン(傾き正の赤線)および左向きに伝搬するダウンスピン(傾き負の線)が実現している。
図3b) スピンコンダクタンスのフェルミエネルギー依存性:バンドの上端および下端付近に、ヘリカル状態に起因する有限のスピンコンダクタンスが現れる。
[1] B. Göhler, V. Hamelbeck, T. Z. Markus, M. Kettner, G. F. Hanne, Z. Vager, R. Naaman, and H. Zacharias, Spin selectivity in electron transmission through self-assembled monolayers of double-stranded DNA, Science 331, 894 (2011).
[2] Z. Xie, T. Z. Markus, S. R. Cohen, Z. Vager, R. Gutierrez, and R. Naaman, Spin specific electron conduction through DNA oligomers, Nano Lett. 11, 4652 (2011).
[3] R. Naaman, Y. Paltiel, and D. H.Waldeck, Chiral molecules and the electron spin, Nat. Rev. Chem. 3, 250 (2019).
[4] F. Evers, A. Aharony, N. Bar-Gill, O. Entin-Wohlman, P. Hedegard, O. Hod, P. Jelinek, G. Kamieniarz, M. Lemeshko, K. Michaeli, V. Mujica, R. Naaman, Y. Paltiel, S. Refaely-Abramson, O. Tal, J. Thijssen, M. Thoss, J. M. van Ruitenbeek, L. Venkataraman, D. H. Waldeck, B. Yan, and L. Kronik, “Theory of chirality induced spin selectivity: Progress and challenges,” The Journal of Physical Chemistry Letters 13, 7 (2022).
[5] Ora Entin-Wohlman, Amnon Aharony, Yasuhiro Utsumi: "Comment on: "Spin-orbit interaction and spin selectivity for tunneling electron transfer in DNA"", Phys. Rev. B 103, 077401 (2021)
[6] Shlomi Matityahu, Yasuhiro Utsumi, Amnon Aharony, Ora Entin-Wohlman, Carlos A. Balseiro: "Spin-dependent transport through a chiral molecule in the presence of spin-orbit interaction and non-unitary effects", Phys. Rev. B 93, 075407 (2016)
[7] N. Sasao, H. Okada, Y. Utsumi, O. Entin-Wohlman, A. Aharony: "Spin-current induced mechanical torque in a chiral molecular junction" J. Phys. Soc. Jpn. 88, 064702 (2019)
[8] Yasuhiro Utsumi, Ora Entin-Wohlman, and Amnon Aharony: "Spin selectivity through time-reversal symmetric helical junctions", Phys. Rev. B 102, 035445 (2020)
[9] Yasuhiro Utsumi, Takemitsu Kato, Ora Entin-Wohlman, Amnon Aharony: "Spin-filtering in a p-orbital helical atomic chain", Isr. J. Chem. 2022, 62, e2022001071)
[10] K. Banerjee-Ghosh, O. B. Dor, F. Tassinari, E. Capua, S. Yochelis, A. Capua, S.-H. Yang, S. S. P. Parkin, S. Sarkar, L. Kronik, L. T. Baczewski, R. Naaman, and Y. Paltiel, “Separation of enantiomers by their enantiospecific interaction with achiral magnetic substrates,” Science 360, 1331–1334 (2018).
[11] Takemitsu Kato, Yasuhiro Utsumi, Ora Entin-Wohlman, Amnon Aharony: "Electronic and Spin States at Edges of Finite p-orbital Helical Atomic Chain", J. Chem. Phys. 159, 244101 (2023)