01 未知の戦争遺跡(防空糧秣倉庫?)発見か

軽便鉄道が花見川を架橋するところで、写真入りで軽便鉄道の橋脚を説明する資料を見つけました。

地元郷土を調べた資料です。

これで一件落着と感じました。

ところが同じ資料に、この付近で、九十九里浜に米軍が上陸する本土決戦に備えていた終戦に近い時期に、戦車第4師団が築城演習をして防空糧秣倉庫をつくったという記述があります。(正確な地図はでていない。)

この情報に接し、思考の顛末は省略しますが、次のような未知の戦争遺跡がこの場所にあるのではないかと考えるようになりました。

グーグルアースの空中写真に投影した私の見立て

正面写真に投影した私の見立て

上記地元郷土を調べた資料では「コンクリート構造物入口?」と書いた地物の写真を軽便鉄道橋脚としています。

しかし、この地物は軽便鉄道のルートから外れてしまいます。

「軽便鉄道橋脚があるとすれば、この付近」と書いた楕円付近が、正確な軌道の延長部です。

この付近は樹木に覆われていて橋脚を確認できませんが、現在は、枯れかけた樹木背後には地層の露出が見えるだけす。

海老川乱歩さんに紹介していただいたURL(http://johokan.net/history/RailHistory/Haisen/military-ct.html)に掲載されているコンクリート製の橋脚写真はおそらくこの部分です。

樹木を取り払って、あるいは現場に近づいて観察しなければ橋脚があるのかないのか何とも言えません。 しかし、紹介URLの写真は地層の姿が木の枝で区切られ、橋脚のような形になり、見間違えた可能性が濃厚と考えます。

「未知のコンクリート構造物?戦争遺跡(防空糧秣倉庫)?」と書いた部分が、今回発見(?)したことになるかもしれない地物です。

航空写真でも、対岸から撮った写真からもこの部分に灌木が生えていなく、また、その形状からコンクリート構造物のように見られます。入口もあるようです。

おそらく戦争末期につくられた防空壕(防空糧秣倉庫)であり、軽便鉄道を使ってこの場所に本土決戦用の糧秣を蓄えたのだと、想像します。

近くの印旛沼流域下水道施設関連のものではないようです(電話ヒアリング)。

戦後印旛沼開発工事のヤードとしてつくられた構造物であることも考えられますが、その可能性は低いと思います。

海老川乱歩さんのコメントが、紆余曲折を経て、未知の戦争遺跡発見につながる可能性大です。

この見立ての確からしさを高めてから改めて資料等の紹介をしたいと思います。

2012.11.09 ブログ「花見川流域を歩く」記事