カジは一度宿に戻りたいと申し出た。
アンズを一人にするのは気が引けたが、自分の身体と精神と向かい合いたかったからだ。
あのトランクを開け、そこに剣があることも確かめる。
――我が故郷、イルムガルデ。
アンズの言うとおり、多くの聖北の騎士を輩出し、時にカジの様な暗部を担う人間を生み出してきた街。
まさか、ロメと関係性があったとでもいうのか。
「アンズの勘違いだと思うんですけどねぇ……」
カジとしては、聖人ロメは『聖北の力』を呼び寄せているのだと思っていた。
ヨルクは強い法力を持っていた。だから、多分剣に呼ばれているのだと思えるのだ。
誰も持ち帰ることの出来なかった聖剣――それが、この身如きを選ぶと思えなかったので。
あの正義感溢れる男にこそ、聖剣にはふさわしかろう。
自分の手は、血で汚れすぎているから。
「……」
窓の外を見る。
――監視の男が、一人、いや二人。
おちおちしていられない。
まさか愛剣を持っていくわけにも行かず、結局は銀の短剣を忍ばせるしか出来なかった。
服を整え、教会に急ぐ。
教会の門の前には幾人もの男達が立って待っていたが、一番目立っていたのはやはりダニオだろう。
「俺はお前を認めているわけではない」
会って早々、ダニオはカジにそう言った。
「いえ、いいんです、大丈夫です……分かってましたから……」
分かりきったことだったので、カジは面倒くさそうにひらひらと手を振ってしまった。
これは神父の行いではない。ないのだが、どうしても面倒だったので。
――アンズはもう来ているだろうか。
「聖女様がお呼びだ。妙な真似をするなよ」
『作戦会議』の為に用意されたのは、教会敷地内の居住区だった。
古い造りの建物であったが、ここは良く掃除されているのか清潔な雰囲気があった。
おそらく、サキツ一行はここを『根城』としているのだろう。
既にヨルクが聖女の隣に立っていた。それを見るファビアーノとロケは何やら複雑そうだ。
「他の『白鳥の杖』は……?」
「まだ来ていません。まったく、どうしたんでしょう」
不思議そうに眉根を寄せるヨルクに対し、カジは奥歯を噛む。
――隣の聖女を、皆警戒しているのでは?
ヨルクはそれに気づいていないのだろうか。
しかたなく、聖女から一番離れる位置に座る。何か言われれば、「この方が安全だろう」と言うつもりだった。
ヨルクは親しげに聖女とこれからについて話していた。
これは実に絵になる。
二人が聖剣について意見を交わしている図は、姫と勇者の様に見えてくるだろう。
まるで宗教画の様だ。
お似合いかもしれない。ただ、他の男達は黙っていないだろう。
聖女は女で、男は男なのだから。
「……」
――馬鹿馬鹿しい。
カジは微笑むことで、胸の黒い感情を無かったことにした。
「お待たせ! 待たせたねぇ」
カロリネの声が良く響き、キケイが飛び込んでくる。
「ヨルク! お前、さっさと一人で行っちまいやがって……!」
「え? でも、俺はちゃんと聖女様と先にここに居るって」
「そもそもが! そもそもが!」
「うるさい、口を慎め!」
ダニオの怒声。
その後、オットマンが暗い表情で現れ、アンズが音もなく入ってきた。
フードですっぽりと顔を隠した彼女は、何も言わずにカジの隣に座る。
「これで全員ですか、ヨルク様」
「はい、そうです!」
「では……ダニオ、あなたも座ってください」
「はい……」
カジはこの場を見回す。
ヨルクと聖女。
ダニオ、ファビアーノ、ロケ以外のサキツの男達は退出していた。おそらく、この三人が聖女親衛隊といったところなのだろう。
アンズはカジの隣で息を殺している。
――彼女の緊張が自分にもうつりそうだった。
「早速ですけれど」聖女が明るく言う。「ロメ様の剣について、情報交換と参りましょう」
「そもそもから聞きたいんだが」
オットマンはじろりと聖女を睨み付ける。
「聖人ロメの剣……一体何なんだ? 俺達冒険者からすれば、幸運のアイテムくらいにしか考えてないんだが」
「ロメ様は逸話が少ないですからね……」
カジは「そうですね、本当に少ない」と相槌を打った。
「私達が聞いた話ですと、どうして聖列されたかと言えば、聖剣を携えて強大な魔を斬ったからだ、と」
「その強大な魔も一体何なのか分かっていない……」
ヨルクは「それだけなんですよねぇ」と頭をかいた。
「奇跡の術とか、聖剣の祝福の種類とか、本当に分かっていない」
「意図的に消されてんじゃねって、俺思っちゃったんだけどね」
キケイの言葉に、「まあ……」と聖女は溜息をつく。
「それは、聖北に……あ、いえ! ジール様、そんな顔をされると……」
「いえ、いいんです」
――可能性はあった。
ロメの功績を「すごかった」だけで封じ込んでいる理由があるのではないか、と。
隣のアンズをちらりと見ると「あるかもね」と小さく返事があった。
「となれば、ますます剣が欲しくなるじゃねぇか」
「おい、キケイ!」
「ははっ、何でもありませんよぉだ」
「聖女様」
ダニオが静かに言う。
「ダンを呼んでおきましたから。何か聞けるでしょう」
「まあ! ありがとうダニオ」
――そうして現れた飲食の店主は、「はぁ」と首を傾げた。
「皆々様方、ロメ様の剣をお探しに?」
「そうなんです。いろいろあって」
「はぁ……」
彼は「よく分からないけど自分が必要とされているらしい」という顔をしていた。
「そもそも、ロメ様はどういった方だと伝わっているのですか?」
「ああ。ロメ様はこの地にいらっしゃる前に、邪悪なドラゴンや人を誑かす悪魔を、神より祝福された大剣で倒した」
「ド、ドラゴン……? おっきく出たねぇ」
カロリネは苦笑いしていた。大方、信じていないのだろう。
「剣については何か?」
「えーっと、何でも、剣は意志を持っているとかで、ロメ様を選んだとか何とか……」
とんっと足をアンズに蹴られた。
それみろ、という主張の様だ。
「俺達イーデイの人間は、ロメ様の伝説を聞いて育ちますけど、積極的に姿を見たり剣をどうこうとはしたことないですなぁ」
「と、いうと?」
「いえ、ね。俺達からしても、お伽噺なんですよ。わざわざ見に行くほどでもないし。俺も子供の頃一回だけ」
「へぇ……」
「でも二ヶ月前からあの霧が濃くなりましてねぇ……今までは時間さえかければ見に行けたんですが……」
「なるほど」
カジは今の言葉に違和感を持った。
しかし、形となる前にそれは霧散することになる。
「待ってください」
ヨルクが興奮した様で、机から身を乗り出したからだ。
「時間さえかければ、見に行けたんですね?」
「ええ。何度もぐるぐると森を行き来して……」
「であれば、今だってそう変わらないのでは?」
「ええっと、ヨルク様……?」
聖女の問いかけを止めて、「アンズ、答えてくれ」と話が飛んできた。
「あれは、方向や行動を狂わせるんだよな?」
「そうだと思っているけど……?」
「で、今回は数分で俺達は惑わされた。ダンさん、貴方達はどうだったんですか?」
「え、ええっと」
ヨルクの気迫に押されながら、ダンは「ええっとぉ……」と考え込む。
「二十分くらいで霧に巻かれたかな……でもどんなに長くても一時間歩けば辿り着いたと思う」
「ほら!」
ヨルクは自信満々で答えた。
「やっぱりそうだ。霧が濃くなったということは、護りが高くなったって事だろう。でも、今でも時間をかければ、絶対辿り着くと俺は思う! 今まで辿り着けない人達は、一時間で諦めてるんだよ」
「確かに……」
サキツの男達も納得した表情を見せているということは、やはり一時間もせずに諦めたのだろう。
「じゃあ、何だ。一日中彷徨えばいいってことか」
「待ってよ、ヨルク」
たまらず、アンズは抗議する。
「一日ですまないかもしれないのよ。それこそ、一生彷徨うことになるかもしれない」
「でも、どうせ入り口に戻らせようとする魔法なんだろ? 戻ってこれないわけじゃないはずだ」
「それはそうだけど……あなたの見積もりは甘いわ。この霧はそうじゃなくて――」
「そうでしょうか?」
聖女の声は、静かな水面に打たれた石の様であった。
「きっとこれは聖なる試練なのです。おそらく、ヨルク様を試されているのでは?」
「……何?」
「ですから。きっと霧が深くなったのも、ヨルク様がここに来るのをロメ様の意志が感じ取って、ヨルク様が聖剣を手にする為の試練にしていると思うんです」
聖女の言葉で、その場はしんと静まりかえった。
カジなどは「そうかもな」等と思っていたが、足にがんがんとぶつかる感覚からすると、アンズには不服だったらしい。
「それならそれで、チャレンジする価値は大いにあるだろうな」
「ちょっと、カロリネ――」
とうとうカジもアンズの足を蹴った。
――ここで事を大きくしない方が良いと思えたからだ。
彼女も思い直したのか、それ以上何も言わない。
「ヨルク様。明日、万全の準備で挑まれてはいかがでしょうか? ダニオ、私達もお手伝いしましょうよ」
「しかし、聖女様。お言葉ですが、こいつらは多分剣を――」
「まあ! ダニオ、きっとヨルク様こそ聖剣の勇者なのですよ。それに失礼をしてはいけません」
「……失礼いたしました」
聖女はうきうきとしているようだった。
当然だろう、もし聖剣を手に入れる者が居れば素晴らしい事だし、もしかしたら自分の汚名を雪いでくれるかもしれない。
ヨルクに協力することこそ、聖女とサキツの男達に益をもたらす――そう思えた。
「聖女様。私に聖剣探索のご許可をいただければ、喜んで往きましょう」
「素敵! ロメ様もきっとお喜びになられるでしょう」
ね、と聖女はカジに向かってそう言った。
カジは柔らかく微笑んで頷くだけにする。
――アンズは荒れるかもな。
パーティの参謀として知恵を巡らしてきた彼女より、聖女を信じたヨルクを、アンズは良く思わないだろう。
それをどうやって宥めようかと考え――そんな必要ないだろうに、と自嘲した。
今、カジとアンズは共犯者のようなものだ。
仲間ではない。
彼女も自分をそこまで信頼してくれていると思えない。
「怒ってますよね」
しかし、気がつけばそう聞いていた。
「ええ、そうよ」
アンズは顔を隠したまま呟く。
「どうします? 見切りをつけますか?」
「いいえ」
小さく、しかしきっぱりと彼女は言う。
「私はあなたに剣を抜いて貰うから」
「買いかぶりすぎですよ」
「いいえ。私が正しかったって証明してやるんだから」
――どうやら、彼女は随分負けず嫌いらしい。
カジは本来の依頼からどんどん離れていることを自覚しながら、見えない先行きに溜息をついた。
結局、ヨルクに剣を抜かせる為に、サキツ一行と『白鳥の杖』は協力関係になり、その後ダンの店で盛大に『前祝い』が行われた。
既に誰も彼もがヨルクが剣を抜くと信じて疑わなかった。
――隣で水ばかり飲んでいる女以外は。
「アンズさん、少し食べればいいのでは」
立食形式の食事の場で、サキツの男達も聖女も、他の『白鳥の杖』の面子も、ヨルクを囲んで皆楽しそうに食事をしている。
カジとアンズはそれを壁際で見ていた。
「そっくりそのままお返しするわ。あなただって何も食べてないでしょう」
「ええ、まあ」
「これどうぞ。私を信じていればね」
彼女は東方風の服の袖から、山苺の様な果物をこっそりと渡してきた。
「ありがとうございます」
何のためらいも無く、カジはそれを食べた。
甘酸っぱさが口に広がるが、毒らしきものは感じられない。
「皆馬鹿ね。酒まで飲んで」
「そんな言い方……」
「私はね、あなたに忠告する十倍はあの子達に忠告したのよ」
「そ、そうですか……」
「まったく」
彼女の機嫌はとてもとても悪い。
でも、カジに向ける顔には、何か違うものが混じっていた。
「あなたは私の話を聞いてくれるからね……信頼してるわ」
「それはどうも。こんなしがない下っ端神父を信頼してくれるとは」
「いえいえ……」
彼女はくすりと笑った。
「あなたがただの神父じゃないことは、雰囲気で分かった」
「はっ? あ、あの、ちょっと、その……」
「あなたは、戦士。腕と知恵とで戦場を駆けてきた人間だって、最初から分かっていたわ」
「あの、本当に……あなたは、何なんですか……?」
「ちょっと考えれば分かるわよ。隠せてないもの、あなた」
「……」
「これに懲りたら、次は冒険者でも名乗る事ね」
「あ、はい……」
仕方なく、笑って誤魔化した。
――次に指摘されるのは本当の所属かもしれない。
カジは楽しそうな『白鳥の杖』を見ながら、この場をどんな理由でいつ抜け出すか考え始めていた。
ここにいつまでいても何も進展しない。
「早く寝たい」
「口に出てるわよ」
「うっ……」
「まあ、いいんじゃない? そのまま伝えればきっと寝かしてくれるわ。何たって冒険者でもない一般神父様なんですからね」
「棘! 棘を感じます!」
しかしその通りに、カジはヨルクと聖女に休みたいことを伝えると「お疲れ様でした」と快く送り出してくれた。
アンズは「油断しないでよ」と釘を刺され、それに軽く手を上げて応えた。
ダンの店は祭りの様な賑わいだ。店主は大喜びだろう。
カジはさっさと休んで、明日の聖剣探索に『万全で』参加しよう。
宿のカウンターには『所用で外出中。お急ぎの方はダンの店まで』とあった。
気がつかなかったが、あの『祭り』の場に居たらしい。
カジは無人の宿の、自分の部屋に戻る。
これではお湯ももらえない。仕方ないがもう少し起きていることにした。
トランクを開けて、聖書を取り出す。
――自分は敬虔なる聖北の使徒である、という自認がある。
だが、擦り切れるほど読んだこれに毎回感動するわけではないのだ。
そうじゃあ、ない。
これは自分の信じる姿なのだ。
中身を全て覚えてしまった本。それを改めて読み始める意味。
聖職者として『外側に見せたい自分』なのだ。
例え、暗部を担っていたとしても。
信じたいのだ。
自分は、確かに誰かを救えるのだと。
ただ、ただ、信じたい。
それだけ。
剣ではなく、自分の言葉で――救えると、信じていたかった。
あの、擦り切れた交換日記の相手の様に。
「……?」
半分ほど読んだところで、微かな音に顔を上げる。
どうやら一階から誰かがこちらに全速力でやって――
「聖職者様ッ! すみばぜん、起きてくらはい聖職者様ッ!」
「ん? んんん?」
尋常ではない迫力であるが、呂律が回っていないようにも思える。
激しい音が扉を叩く。
「聖職者様ぁっ!」
カジは慌てて、扉を開ける。
「ど、どうしました……?」
そこには顔を真っ赤にした宿の亭主がいた。
「け、怪我人が! 怪我人がっ!」
「は、はい……?」
「聖女様が食事をしているところで、け、喧嘩が! 喧嘩があって! 奇跡の法! 奇跡の法使えるんですよね!?」
「……なるほど」
カジは右手で顔を押さえる。
どうやら厄介なことになってしまったらしい。
「今行きます」
トランクを閉め、急かされる様にして部屋から飛び出る。
「どこですって?」
「み、店の前に、まだ、た、多分……!」
「分かりました」
店主は随分飲んだのか興奮していて千鳥足だったため、「ここにいてください」と宿に押しとどめ、自分だけで現場に向かうことにした。
――暗い。
イーデイは町だ。だというのに、どこもかしこも灯りが見えない。
皆『ダンの店』にいるというのか?
――まさかな。
これは灯りを持ってくれば良かったと早くも後悔した。
「……う、ん?」
その暗闇の中。
誰かが『血の臭いをさせながら』、地面に倒れている。
「うわあ、随分派手にやったな……」
カジは近づき――その異常に気づいた。
『血に伏した人間は、もう息をしていないように感じられた』。
「そんな馬鹿な……、っ……!?」
うつ伏せに倒れているその人物は、カロリネではないか?
「カロリネさん! カ、カロリネさん!?」
近づけば血の臭いが濃く、もはや手遅れだというのも分かってしまった。
聖北の奇跡は万能ではない。
――聖女がどうかは、知らないが。
「どうして……」
遠くの灯りを頼りに身体を検分すると、彼女の首はばっさりと切られていた。
一目で刃物による傷だと分かった。
しかも、剣や斧ではなく、切れ味鋭いナイフのような――
「何をしている!」
はっとして振り向くと、目映いランプの光が目を眩ました。
「何をしていると聞いている!」
聞き覚えのある声だが、視界を光にやられてその姿を確認できない。
強い力で手首を捕まれた。
そして、ようやくその姿が露わとなった。
「……ヨルクさん?」
「あんた、何てことを!」
「は……?」
――息を飲む。
光に照らされた、カロリネの屍。
「違う、僕じゃない……!」
「じゃあ、なんなんだこれは!」
乱暴に胸ポケットから銀のナイフを奪われる。
「あんた、神父のくせにこんなものを!」
「これは護身用で……!」
「じゃあどうしてこんなに血で濡れているんだ!」
「……!?」
目を見開く。
確かに、この町に来てから一度も使っていないはずの銀のナイフは、赤い血でべったりと汚れていた。
ありえない――分かってはいるのに、この状況に頭がおいつかない。
「僕がカロリネさんを手にかける理由がないでしょう!」
「俺達『白鳥の杖』はもっとない。仲間だからな! もちろん、この町の人達にもないだろう。だが、あんたはカロリネと仲良くなっていたじゃないか!」
「そんな……!」
そのうち、何だ何だと人が集まってきて、一番会いたくなかった聖女までもがダニオを引き連れてやってきた。
「ヨルク様、これはどうしたのです」
「聖女様――この人が、カロリネを、殺したんです!」
「誤解だ!」
カジは思わず大声で叫んだが、「聖女様」とダニオは難しい顔をした。
「こいつはやはり怪しい人間です」
「……」
聖女は難しい表情をした。
悲しみのような、哀れみのような。
「ジール様。申し開きがあるでしょう。しかし、今は何も言わず、拘束されてくれませんか?」
「……」
ちらり、カジは周りを伺う。
――ヨルクを初めとして、どの男達も殺気立っている。
もともと男達からの目は優しくなかったが、今は敵ではなかったはずのヨルクまでこちらを完全に疑っている。
カジは仕方なく両手を挙げて「分かりました」と告げた。
――これが『詰み』でないことを祈るしかない。
ご丁寧に後ろ手にロープをかけられ、今は使われていないという自警団の詰め所の地下にカジは入れられた。
そこは小さいが立派な牢であり、聞いた話だとロメの時代から残っているとかどうとか。
「うーん」
本当に困ったことになってしまった。
当初の目的は達成できていないばかりか、あげくこうして殺人の汚名までかぶらされてしまうとは。
冒険者のカロリネ。
手練れに見えたが、一体誰が手にかけることが出来るのか。
ダニオ? 可能性としてはあるかもしれない。
あの人は、強い。雰囲気が他の男達とは違う。
「ここにいる以上、下手に動けないか……」
今外はどうなっているだろう?
――アンズは無事だろうか?
こちらはあの銀のナイフを没収されてしまったので丸腰なのも不安になる。
どうとでもなる、と楽観視できるほどカジは器用では無かった。
「うーん」
幾度目かの困窮した唸り声。
これからどうするべきか決めかねていた。
――と、微かに風の流れが変わった。
「どうやらまだ無事のようね」
鈴の様な声。
初めは儚い印象であったが、今ではしっかりと響く――鐘のようだと言っても良いかもしれない。
「アンズさん?」
「ええ。調子はどう?」
暗がりより現れた彼女は、小さなランプとカジのトランクを持っていた。
「あっ、それ……!」
「必要でしょ?」
「どうやって持ってきたんですか」
「カロリネが殺されて、ばたばたしているところだったから。ちょっと、こう、ね?」
「……流石冒険者ですね」
「褒めても何も出ないわよ」
彼女はフードで顔を隠しながら、くすくすと笑っていた。
「それで。何もされてない?」
「縛られているだけです」
「魅了や精神汚染されてたらどうしようかと思ったわ」
「……可能性が?」
「ええ。だって、ヨルクの様子がちょっと、ね」
彼女は表面上、平坦な感情をしていたが内心は穏やかではないだろう。
その証拠に、彼女の細い指はとんとんと忙しなくランプの持ち手を叩いていた。
「カロリネさんは……その……」
「あなたがやったんじゃないことくらい分かってるわよ」
「……どうして僕を信頼するんです?」
「だって、あんなばれる殺し方、あなたならしないでしょう」
「……信頼されていて何よりです」
カジは苦笑いを返すに留めた。
「アンズさん、これからどうするつもりなんですか?」
「分かってる事を聞かないで欲しいわね」
「いや、だって……僕を助けるつもりなら、ヨルクとは敵対することに……」
「もうそのつもりだって、言わなかった? あの人に剣は抜けないし、私の忠告を聞かなかった時点で私とあの人は敵対関係よ」
「ふ、ふむ……」
「あなたのせいじゃないんだから。安心して」
彼女がぱちんと指を鳴らすと、鍵の部分に衝撃が走り、簡単にひしゃげた。
「魔法使いってすごいですねぇ」
「縄を切るから――」
「あ、大丈夫です」
カジは手首を軽く回してから、『強く引いた』。
ぶちっと鈍い音がしたあと、カジの手はあっさりと自由になった。
「……何でそれを早くしなかったの?」
「いや、これからどうするか決めかねていまして」
「そう……じゃあ、これ」
牢から出て、アンズからトランクを受け取る。
開いた形跡は無かった。もっとも、これはカジを鍵としている魔法のトランクなので、目の前の女性がどんなにすごい魔法使いでも『あの錬金術師』の魔法を突破できると思えなかった。
「んーと……」
トランクを開け、剣を取り出す。
白い鞘に収められた青みがかった銀の剣。
「もう何があるか分かりませんから……取り出しておきましょう」
「へぇ。これがあなたの剣ね」
アンズは興味深そうにカジの剣をまじまじと見た。
「聖北騎士の紋がないわね。自前の剣?」
「ええ」
他に、予備の銀の短剣も出しておく。
これらの武器が使えなくなった時、最後に頼れるのはこのトランクそのものであることは秘密だ。
「これからどうするんです」
「剣を抜きに行くわ。どうせ、ヨルクと聖女もそれが目的なんだろうから、あなたが先に抜くのよ」
「そんな競技みたいに……」
「これは私達の安全を守ることにもなるのよ」
彼女は腕を組んで目を細める。
「今町から出るのは危険よ。聖女の手下がいるにきまってる。であれば、あの森に逃げ込んだ方が彼らとも出会いにくい」
「なるほど」
「これで良ければ、行きましょう」
「はい」
――誰かと組むなんて、いつぶりだろうか?
『あの頃』ですら、本当に誰かと連携できていたか怪しいものだ。
共に戦うことを不安に思うカジと対照的に、アンズは随分落ち着いていた。
きっと慣れているのだろう。
カジが先に、地上に出る。
「うわっ」
詰め所の床には、二人の男が転がっていた。
「し、死んで……は、いないですね……『眠りの雲』ですか」
「そうよ」
アンズのような魔法使いにとって、これくらいの魔法は序の口なのだろう。
「起こさないでね。行くわよ」
「え、ええ」
そっと詰め所を抜け出す。
町には煌々と光が灯っていた。
皆、自分を警戒しているのか――カジはそう思わずにいられなかった。
「暗がりが少ないのよ。下見はしておいた。私の指示に従って」
「はい」
町の男達は、町の入り口までの道をしっかりと見張っている様に思えた。
これには誰かの指示が関与しているに違いない。
聖女か、ダニオか、それともヨルクだろうか。
「……」
カジはアンズの指示に従いながら、この町の違和感への正体に気づいた。
「女が、いない」
「ええ」
「この町に居るのは、男ばかりです。サキツの女が皆聖北に殺されたのは知っています。しかし、『イーデイの女達がいないのは何故だ』?」
「それは、多分。殺されたんでしょうね」
「まさか聖北に……?」
「いえ、あの――」
その先を、アンズは言わなかった。
否、言えなかった。
「っ……!?」
振り返ったカジの目に映ったのは、崩れ落ちるアンズと、その後ろに赤く汚れて立つオットマンであった。
「何故彼女を斬った!」
彼女を抱き留めて、叫ぶ。
オットマンは、こちらを荒い息で見ていた。
血走った目、顔面は蒼白、肩で息をしている姿は、ここまで気配を消して近づいたとは思えないほどに焦りを湛えていた。
「……お、」
「……?」
「女が、悪いんだ……」
「は?」
「女が悪いんだ……聖女がいるのに……女がいるから……」
「オ、オットマン?」
「女がいるから悪いんだ……! だから、俺は! 俺は殺すんだぁ!」
振り上げられた血に濡れた剣は、カジではなくアンズをまっすぐに狙っていた。
「やめろっ!」
アンズを庇う位置に飛び出しながら、カジは剣を抜く。
闇夜に金属が噛み合う音が響いた。
「……!」
――オットマンは熟練の冒険者だ。
気配の消し方はともかく、万全であれば、おそらく『こんなこと』にはならなかった、はずだ。
「っ!」
短く息を吐き出し、蹴りを見舞う。
オットマンは剣にしか注視していなかったため、あっさりと体勢を崩した。
そこに剣で一撃を入れ、相手の手より剣をもぎ取る。
「なんっ……神父、の、くせに……!?」
オットマンは丸腰だ。
ここに剣を振り落とせば容易く首を落とせる。
だが、その必要性はカジにはなかった。
「はぁっ!」
腰を落とし、剣をくるりと逆手に持って、オットマンに向かって手を突き出す。
刹那、高密度の純粋な衝撃がカジの手から放たれた。
即ち――掌破!
それを真正面から受けたオットマンは、骨の折れる鈍い音と共に宙を舞い、落ちた。
「く、首ではない……はず……」
反省もそここそこに、カジはアンズに走り寄った。
アンズの背中はばっさりと切られてはいるが、致命傷ではない。
オットマンの剣が届くすんでのところで、回避行動をとったのだろう。
「アンズさん! アンズさん、聞こえますか!」
「……」
彼女は苦しそうに呻いて、その青い目でカジをゆっくりと見た。
脂汗をかいたその顔にかかる黒髪が、すっと熔ける、錯覚。
「えっ」
変化は一瞬。
彼女の黒髪は、この暗闇の中でも艶やかに輝く金髪へと変貌していた。
驚きはしたが追求するわけにはいかない。
彼女は今命の危機に瀕しているのだから。
だと、いうのに。
「置いて行きなさい……」
「……何ですって?」
「私を、置いて行きなさい……」
「……できるわけないだろ!」
カジは精神を集中させて、アンズの傷に『癒身の法』を行使する。
しかし彼女はいい顔をしなかった。
「傷が深い……あなたの、力を、無駄にするだけ、だから……!」
「無駄なんかじゃない! どうしてそんなことを言うんだ!」
「分かるのよ……こんな怪我、治すために、どれだけの精神力がいるか……その精神力は、貴方自身のために、残しておくべきだわ……」
「……」
カジは奥歯を噛んだ。
彼女の言葉に納得したわけではない。
こちらに向かってくる、複数の足音がしたからだ。
「痛いでしょうが、中断して移動します」
「いいから……」
「よくない!」
彼女を背負い――随分軽い身体だ。ちゃんと食べているのだろうか等と場違いな心配をしつつ――暗がりを進む。
「僕は、あなたを信頼することにした。あなたの助けが必要だ。だから、絶対に、死なせるものか……!」
「……」
長く沈黙があったが、不意に小さな笑い声が聞こえてきた。
「馬鹿な人ね……」
「今更ですよ」
「じゃあ……その、右、の奥……廃屋があるの。入って」
「はい」
その小屋は、所々壁に穴が開いていて一目で誰も住んでいないことが分かった。
しかし、そのために中に入れば外から潜伏している姿が見えてしまいそうであった。
「いいの。入って」
アンズに疑念が伝わってしまったらしい。
カジは音がしない様に静かに侵入した。
すると、背中のアンズから微かな詠唱が聞こえ――何らかの変化を感じたが、上手く言葉にはならない。
「認識錯誤の魔法ね。でも、三時間しか持たないわ」
「そんなにもたもたしていたら、あなた死にますよ」
「ええ」
カジは彼女を床に下ろす。
本当は寝台に寝かせたかったが、無残に朽ちているそれに彼女を下ろすのは気が引けた。
「上着を脱いで」
答えを待たず、半ば剥ぎ取る様にして彼女の上着を脱がせた。
――典型的な剣での傷だ。だいぶ深いが、これなら集中すれば何とか治せるだろう。
否、治さなければならない。
カジは袖をまくって、深く息を吸う。
法力で傷口を縫うイメージを持ち、術を放つ。
――少し前に、医術を学んだ。
聖北からすれば禁忌であるそれを、カジは今、知識と少しの経験として持っている。
悪くない経験であったと、口には出せないが深く思っている。
「……」
だが、どうしたことか、法力の効きが悪い。自分の力が弱まっているとでもいうのか。
止血にはなった。しかし、未だに彼女の傷が生々しく赤い。
「どうしてもこうしても」
アンズの声は、こんな時だというのに柔らかさを含んでいた。
「私が名前を偽っているから、じゃないかしら」
「え……あ、そういう……?」
「ええ」
彼女は何のためらいも無く、「ナギよ」と笑った。
「ナギ……」
そう、呟けば。
確かに法力の効果は目に見えて高まった。
「偽名を使っていたんですね……」
「お互い様じゃ無くて?」
「……まあ、はい」
カジは苦く笑う。
同時に、法力の力を高める為に、大きく深呼吸する。
集中しなければ、この怪我は治せない。
もう少し深ければカジの力を使ってもナギは助からなかっただろう。
「私はね」彼女はぽつりぽつりと話し始めた。「基本的にソロなのよ」
「一人でやってきたんですね」
「そう。名誉を求めていろいろなパーティを転々としてきた。その時、厄介なことに巻き込まれたくなかったから、いろんな名前を使ったわ」
「もしかして、髪も」
「そう。あの色は、目立ちすぎてね。髪の色くらいなら変えられるわ。顔そのものは流石に無理だけど」
「だから、隠していたんですか」
「ええ。なるべく見せない様にね」
今は自分の変化のために魔力を割けなくてね、と彼女は自嘲気味に笑った。
「……痛みがなくなってきたわ」
彼女の顔は赤みが戻り、脂汗もひいたようだった。
命の天秤は、間違いなく生に偏った。
「もうほとんど塞がりましたよ」
「そう。あなた、神父としても優秀なのね」
「まさか。僕よりも凄い癒やし手なんていっぱいいます。僕の『先輩』は断たれた腕もくっつけていましたよ」
「へぇ」
――そう、いい『先輩』だった。
「……治りましたよ」
カジは大きく息を吸い込んで、疲労から明滅する視界を回復させる。
「ありがとう。あなたは命の恩人ね」
「……こう言っては何なんですけど、あなたは少し、達観しすぎなのでは?」
「そう?」
彼女は不思議そうに首を傾げ、しかし深く考えた後、言葉を紡ぐ。
「斬られた時、もう死ぬ覚悟をしていたから。生き残ることは考えてなかった。あなたの足手まといになりたくなかったし」
「いや、その……」
「冒険者って、そういうものよ」
「……分かりますよ、そういう感覚だけは」
カジは思い出して、やはり笑った。
「自分も冒険者をやっていたことがありますから」
「……聖北の神父なのに?」
「まあ、いろいろありましてね」
――本当に、いろいろだ。
癒やし手である『先輩』はいたものの、大怪我は日常。
いくらだって死線を越えてきた。
そうして今、ここに立っている。
「僕の本当の名前はカジです。あらためまして、よろしくお願いします」
「魔術師に名前を教えるとはね。死にたいの?」
「あなたが先に名乗ったんですよ、僕だって名乗ります」
「……そういうところが良いのね、きっと」
彼女――冒険者ナギは立ち上がった。
そのまま身を低くし直して、壁に張り付く。
「……そうね。今はまだ、あの聖女の親衛隊は出てきていないみたい」
「ダニオと、ファビアーノ、ロケのことですね。分かるんですか?」
「それぞれに魔術的な印をつけていたから、それを辿っているの」
「随分、周到ですね」
「噂を聞いた時から警戒していたのよ。もちろん、『白鳥の杖』にもついているわ」
だからこそ、そんな彼女の言葉を無視したヨルクを許せなかったのだろう。
「オットマンがどうなったかはここからじゃ分からないけど、ヨルクの気配はしないわね」
「……あの、キケイは……?」
「……」
彼女ははたと気づいて、頭を抱えた。
「そう言えばずっと見ていないような……」
「ヨルクと一緒に居るのでしょうか」
「どうかしら……我の強い人だからね」
少しここで休もうと彼女は提案してきた。
ナギの体力とカジの精神力を回復するには、確かに休憩が必要だ。
「ただし、聖女の親衛隊が出てきたら直ぐに移動するわ」
「ええ」
聖女お抱えの親衛隊、三人。
いったい、どれほどの強さなのか。