「偽りの聖女を抹殺し、聖剣を取り返してこい」
カジは突然の『命令』に、「はぁ」と素っ気ない返事を返してしまった。
コリッジ教会堂には、今はカジとサンタナ司教しかいなかった。
人払いされているのでどんな命令を下されるのかと思ってみれば、聖女と聖剣とは眉唾物である。
――おとぎ話のようじゃないか。
そんな不信感が顔に出ていたのだろう、サンタナ司教は苦虫を噛み潰したような顔でカジを睨んだ。
「イーデイという町に聞き覚えは?」
「……いえ」
「では、『サキツの聖女狩り』は?」
「……」
「ふん。知られては困る事だ、おぬしが知らなくてもいいことではあるがな」
カジは眉根を寄せた。
ではさっさと説明してくれ――そんな思いが伝わったのか、司教は本題に入ってくれた。
「昔、『サキツの聖女』というのがいた。万病を治し、瀕死の傷をも治したという」
「本当であればそれは聖女に他ならないのでは? 列聖は?」
「されるわけなかろうが!」
随分な大声が教会内に響きわたった。
「サキツの女は聖女を名乗る不届きものよ! 治癒されたとされる者の死体がいくつもあがっているのだからな! 治っていただけではない、そのように偽装したにすぎんよ!」
「……ふむ」
「だいたい、瀕死の人間が治るほどの力を持ちながら、神の声は聞こえぬという! これが聖人になりえるか? 否! 否! あれは偽りの聖女よ」
「それで?」
カジは先を促す。
「……だが、サキツの女を聖女だと信じている周りの女達は、偽りの聖女をかばった。私こそが聖女だと名乗り出て、次々と裁きにかけられた。本物であれば神が護ってくれるだろうが、全てが偽者よ」
「……」
これが本当なら最悪の事件ではないか。
カジは俯くことで感情を隠した。
――自分もまた、聖北の暗部を担ってきた。聖北に関わる悪を斬ってきた。しかしその『聖女狩り』は無関係な人々が信仰の薪にされたようなものではないか!
しかし、カジは聖北の狗だ。ここで飼い主を噛み殺したところでどうにもならない。
感情を殺し、再び「それで?」と先を促す。
「サキツの全ての女が裁かれた。しかし! 偽の聖女は生き延びていたと! 二十年経って今度はイーデイの町にいるのだと! あの不届き者が! 既に何人かの司祭や司教が彼女に取り入れられたとの話しもある! よりにもよって、イーデイに!」
「イーデイの町に、何かあるのですか」
「……」
司教から立ち昇っていた怒りが、すっと冷める。
「あそこには、真に列聖された聖人、ロメ様の不朽体がある」
「なるほど」
「ロメ様は聖剣を携えていたと。その剣を振りかざして偽の信仰を説こうとしているのであれば許しがたい悪だ! しかも聖北の使徒を丸め込むなど、悪魔の所業だ!」
司教はカジに指を突きつける。
「お前が! 奴を始末するのだ! そして、ロメ様の剣を我々聖北教会の手に戻せ! 分かったな!」
御意、と告げてカジは席を立った。
――最悪の仕事だ。
コリッジ教会堂の扉を開けながら、カジは奥歯を噛み締めた。
人を聖北の名の元に切り捨てたことなど、いくらでもあった。
だからこそ、この仕事が己に回ってきたのも分かる。
――だが、こちらとしても全ての依頼を「はい、そうですか」と受け入れられるわけではないのだ!
胸の内で燃え上がる苛立ちは、既に顔に出ていた。
しかし、ここで逃げ帰るわけにもいかない。
カジは聖人の闇の多くを知りすぎているし、最近庇護下においた『少女』もいる。
つまりは、この仕事をやるしかないのだ。
「やれやれ、本当に、その聖女が偽物であればいいんですけどね」
自前のトランクの荷物を改めながら、ため息を吐く。
――まさか真正面から斬りにいくわけにもいくまい。
カジは長剣を『トランクの中に突き刺すようにして仕舞った』。
これは錬金術師が造った魔法のトランクだ。
見た目よりも多くの物、大きな物を収納することが可能で、これを依頼の報酬として貰ってから先、手放せない物となっていた。
「あと、これと……それと……あまり詰め込むと出てこなくなるから……こんなものでしょうね」
一度トランクの中が渋滞を起こして財布がとれなくなったことがあったので、いくらか加減をする。
魔法に疎いカジではこのトランクを完全に理解することは出来なかった。
賢者の塔の魔術師ならば分かるかもしれないが、出所が出所なので誰にも構造を見せたことはない。
「……ふむ」
相手は聖女である。例えそれが偽りだとしても、聖北教会のことは調べているだろう。
となれば、自分の存在が割れているかもしれない。もちろん、彼女の敵として。
「偽名……偽名か。所属教会……うん、少し考えなければ」
自分の名前が何処かで有名になっているとは思えなかった。
――普通の依頼ならまだしも、今まで抹殺指令を失敗したことはなかったので。
失敗していたら、もうこの身は生きてはいないだろう。
――簡単に死ねるとも思えなかったが。
それでも人付き合いがある以上、自分の何かが知られていることはありえる。
カジは滞在先の部屋を出て、階段を降りながら一つずつ自分を作っていく。
「行くのかい、聖北の方。外はご覧の有様だが……」
人の良い宿の亭主がくいと顎で示した先は窓であった。
よくよく見れば、細い雨がちらちらと景色を曇らせている。
「雨具は持っています。ありがとう、亭主」
「そうかい。神のご加護があります様に」
「……ありがとうございます」
礼が喉から出るまで、少し時間がかかった。
件の町に行くために、カジは歩くつもりだった。
乗り合い馬車を使っても良かったが、誰に見られるともわからない。とにかく目立たないようにするつもりだった。
雨避けのフードつきマントを纏い、トランクを持って雨の中へと繰り出した。
――何も雨の中を行くことなど初めてではない。
人々は濡れるのを嫌って家からなかなか出てこない。これはカジにとって好都合と言えた。
街を出て、街道を歩く。
予定では夕方には着くはずだ。この分では、夕日など拝めないであろうが。
この街道には、モンスターの目撃情報はなかった。
しかし、油断してはならない。ゴブリンやコボルトは根城を転々と変えるものもいる。
突然縄張りを離れて流れてくる大型生物もいないわけではない。
だから、なるべく気配を消しながら、足早に雨の中を往く。
旅人が、どうしても雨の中を行く時は、当然急ぐものだ。
そうするように、カジもそうした。
――どれくらい歩いただろうか。
カジは背中から迫っている馬の足音に気づき、ゆっくりと振り返った。
雨の幕、その向こうに四頭立ての馬車が見えた。
どうやら、乗合馬車らしい。
そのまま見送るつもりであったが、「止まって!」と澄んだ声がして、馬車はやや遠くで止まった。
「やあ、こんにちは! こんな雨の中どちらに?」
馬車を颯爽と降り、良く響く声でそう言ったのは、若い男だった。
歳はカジと同じくらいか、少し下か。
「ええ、この先の町に」
「ああ、そうですか!」男はにっこりと笑った。「なら、馬車に乗っていくと良いでしょう。目的地は同じです! さあ!」
「いえ、その――」
「いいのです!」
鼻白むカジの手を、あろうことか男はぎゅっと握った。
「神父様、これも神の采配でしょう。私も聖北の使徒、喜んであなたの助けをいたします」
「……」
ゆるゆるとカジは微笑んだ。
――そう。カジは今、聖北の神父の姿をしていた。
「勿体ないお言葉です」
「神父様。私はヨルクと申します。その、軽蔑されるかもしれませんが……冒険者をやっています」
「それはそれは」
カジは今度こそ笑う。
「僕は堅いことは言いません。冒険者が民を救うことも大いにあるのですから」
その言葉に、ヨルクは晴れの日の様にぱあっと笑った。
「そうですか! さあさあ、これ以上濡れてはいけません。どうぞ! 仲間を紹介させてください!」
そうして招き入れられた馬車の中には、四人の人物がいた。
平均的な冒険者チームの人数だな――そう思っていると、馬車はがたがたと出発した。
御者も早く着きたいのだろう、雨だというのにやや馬の足は速い。
カジを座らせた後、ヨルクはにこにこしながら仲間に示した。
「神父様、やっぱり同じ町に行くんだって。止まって良かった!」
「まったくまたお前は勝手に……」
苦言を呈したのは、赤い髪を短く刈り込んだ男だ。
「俺、神父様を見過ごせないよ」
ヨルクがそう返せば「はいはい、分かってたよ」と男は顔を背けた。
「神父様、あいつはオットマン。私の親友です」
「どうも」
それっきり、オットマンは何も話さなかった。
「隣がキケイ。考古学者です」
「どーも、聖職者サマ」
眼鏡の男はにやにやと笑っていた。
「あんたも聖剣を見に?」
「……というよりも、巡礼に」
――カジは内心、意外に思った。
どうやらこの冒険者チームは、件の聖人の剣が狙いである様だ。
「そりゃそうか! 聖職者サマはそういうもんだよなぁ」
「キケイ! よさないか」
彼もまた「へいへい」と言って、書物に目を落としてそれっきりとなった。
「すいません、神父様。あいつ、賢者の塔との付き合いの方が長くて、教会とはあまり……」
「いいえ、構いません。仕方ない部分もあるでしょうから」
「ありがとうございます」
更にヨルクは隣を指す。
「彼女はカロリネです」
「初めまして、よろしく」
彼女はにこやかに笑って、カジに握手を求め、カジもにこやかにそれを握り返した。
「最後に、隅にいるのがアンズです」
――それは、東方の名前であった。
アンズと紹介された人物は、確かに東方風の衣服を纏ってはいたが、顔は目深に被ったフードに隠されてよく見えない。
多分、女性。
だが、彼女は紹介にも応えず、こちらを見ることも無かった。
「アンズ、あんた何か言いなよ」
カロリネに促されても、やはり、東方風の女はなにも言わなかった。
「いつもあんな調子じゃないか。言うだけ無駄だ」
オットマンがぽつりという。
「神父様、アンズがすいません。彼女はこの『白鳥の杖』に入ったばかりで、無口で……」
「いえ、本当にお気になさらず」
カジは全員を見回した後、ヨルクに向き合う。
「このパーティのリーダーはあなたなのですね。素敵なお人柄に皆さんついて行かれるんでしょう」
「ははっ! 褒めても何も出ませんよ」
そういえば、と彼は首を傾げた。
「神父様、お名前を伺ってもよろしいですか?」
「――ええ。ジルコニア・クロッカスと申します。ジールとお呼びください」
カジは偽った。
「コイン大教会から参りました。イーデイには、ロメ様のお姿を見に」
「敬虔だねぇ」
キケイが笑う。
「俺達はそのロメサマの剣を見に行くんだぜ」
「おい、キケイ」
「何だよオットマン。どーせ一緒にイーデイに行くんだ。俺達の目的なんてばればれだぜ」
「……」
ちらり、オットマンがヨルクを見る。
彼らのリーダーは肩をすくめて「そうだよ、何も悪い事するわけじゃないし」と微笑んだ。
「ジール様。私達はロメ様の聖剣をご加護にあやかりたいと考えてイーデイに向かっているのです」
「ご加護を……?」
「はい」
「ロメの剣っていうのはさ」カロリネが続ける。「ここいらの冒険者では有名な話で、それに祈れば成功や勝利を得られるって話なのさ」
「そうなのですか……?」
「神父様の間じゃ、そういうのはないのかい」
「ええ。不思議ですね、そんな噂話があるなんて」
――カジは、聖人ロメについて詳しく知っているわけではない。
確かに列聖された事実と、聖なる剣を用いたという話はあるが、それ以外はまったくと言っていいほどエピソードがない。
今回も『コイン大聖堂からきたジルコニア・クロッカスという神父は、聖人ロメとはどういった人物なのかを確認する』という偽りの目的を立てていた。
嘘は少ない方が良い。
「イーデイは今、どこぞの聖女もいるらしい。あんたにとっちゃ、きっと楽しいご旅行だろうさ」
「……なるほど」
オットマンの言葉に考え込む、ふりをする。
ヨルクはそんなオットマンを諫めていたが、ふとカジが気にしたのは、馬車の隅であった。
東方風の女が、いつの間にかこちらを見てた。
フードの奥。黒い前髪の間から見えたのは、まるでアクアマリンのような青――
イーデイの町に予定よりだいぶ早く着いた時、まだ雨は止んでいなかった。
馬車の御者はヨルクと「帰りは迎えにこれませんが大丈夫ですか?」と話しており、彼らが何日も滞在するのだろうと予測がついた。
――これは正直面倒だ。
自分は聖女を始末しに来たのだ。それを冒険者達がいる間に行うのは難しいと思えた。
「初めてなんでしょ、ここは」
カロリネが隣に来て、言葉を続ける。
「私は聖なる目を持ってないけど、神父様なら何か見えたりするの?」
「それは、……剣、のことですか?」
尋ねると、彼女は「う、うん、まあね」と苦笑いした。
「あなた達、本当は――」
「あー! ヨルクに用事があったんだった! あっはっは!」
彼女は眩しいまでのごまかしをして、走って行ってしまった。
「困りましたね……」
「そうね」
カジの呟きを拾ったのは、アンズであった。
その声を初めて聞いたわけだが、随分と儚い声なのに随分心に響くと感心した。
「本当に、ばればれで困る」
「剣を奪い、……いえ、言葉が過ぎました。剣をとりに来たんですね、貴方達は」
「あなたもそうでは?」
「僕はそんな」
「……ふうん」
じゃあ違うことか、と小さな声をカジは何とか拾った。
「あなたは知らない様だから言うけれど」
アンズの声はまるで外界を拒むアザミの棘の様だった。
「ロメの不朽体はこの町にはないわ」
「……何?」
「ここの教会にはロメはない。あるのは、嵐の森の中よ。そして多分、剣もそこ」
「……」
「何も知らないまま、来たのね」
「恥ずかしながら」
「ロメに関しては私達もそうよ」
彼女はフードをまた深く被る。
「ただ、剣はその身体がまだ持っているらしいの。嵐の森の中の神殿を、私達は探しに来た」
「……」
「私達は、実質この町を支配しているサキツの聖女に挨拶に行く。良かったら、あなたが先導して。ヨルクはにこにこしているだけで終わるから」
歩き出したアンズに「待って」と静止をかける。
「あなたは、何処まで知っているんです?」
彼女は振り向かなかった。
ただ、少し笑いを含ませて、
「聞いてもいないのにぺらぺら喋るのは、嘘を作り込んできた人間だからね。あそこは、名前だけで良かったんじゃない?」
と、歩いて行ってしまった。
「……やれやれ」
どうやら、あの東方風の女には何かしらばれてしまっているようだ。
頭痛の種が増えたが、表情に出すわけにもいかない。
ヨルクがパーティを率いて町に入るのを見て、カジも距離を開けて侵入する。
――イーデイ。
聖人ロメが生前最後に過ごした町であり、人々に見守られながら亡くなった土地だそうだ。
しかし、と、カジは視線を上げる。
門から見える高い十字架は、雨ざらしになっていて定期的な掃除もされていないように見えた。
――さて、いかなるものか。
トランクを持ち直し、カジは教会に向かう。
イーデイの町は教会を中心とした、一般的な円形の町の様であった。
町の壁は高くなく、代わりに縁の外側のほとんどが森に埋もれているようだった。
それがアンズの言っていた嵐の森なのかもしれない。
この分だと、獣もモンスターも近くには居ないのかも――
「おや、神父様?」
雨の中、ふと呼び止められた。
大通りに面した宿から顔を出した、亭主らしき男は「大勢でいかがされました?」と眉をひそめていた。
「ああ、いえ。前の彼らは途中一緒になった冒険者達です。僕は、巡礼の者です」
「はあ、なるほど」
ちょいちょいと手招きされ、小声で言われる。
「聖女様への処罰ではないのですか?」
「……いえ」
カジは小さく言う。
「僕はあくまでもロメ様の巡礼です。もちろん、聖女の話は知っておりますが、僕がどうこうできる話ではございません」
「そうですか……」
彼は俯いて言う。
「どうか、聖女様はそっとしておいてください。どうか、どうか」
「失礼ですが」
カジは目を細めて、鋭く言う。
「既に僕の前に、何人か巡礼に来ているはずです。何かあれば、もう起こっているのではないでしょうか」
「……すいません、ぴりぴりしているんです」
「分かります。サキツのあれは許されない行為ですからね」
そう言えば、宿の亭主は「そう言ってくださるんですか」と顔を覆った。
――そう、もう何人かここに来ているはずなのだ。
しかし、誰も何も教会に伝えていない。
良きも悪きも。
在る無しも。
それが不可解であるということは、表に出さなくていい。
今はただ、ロメの巡礼をする者に徹する。
「聖女様は僕にお会いになるでしょうか」
「もちろん! 同じ聖北の使徒ではありませんか。聖女様は教会に寝泊まりされております。……もちろん、その」
更に亭主は小声になる。
「親しい女性を亡くした皆は、あなたに何か言うかも知れません。私は、その……独り身でして……だから、その、他の人は……私とはちょっと……」
「ありがとう。分かりました」
カジは丁寧に礼をして、冒険者達を追いかけた。
意外にも、教会の門の前で待っていてくれたのはオットマンであった。
「あんた、聖女との面識は?」
「いえ」
「……それでも、ならず者の俺達よりは、あんたが先に挨拶してくれた方がいい。で、良かったらヨルクも紹介してやってくれないか。会いたがっているんだ」
「構いませんよ」
『白鳥の杖』のリーダーはずいぶん慕われているらしい。
カジは彼を伴って、教会の敷地内に入る。
広場は花壇も水場も手入れされている様子はなく、あまり綺麗では無かった。
その広場でうろうろとしているヨルク、慰霊碑らしきものを読んでいるキケイとカロリネ。朽ちた花を見ているアンズ。
ヨルクがカジに気づき、「あ、神父様」と顔を綻ばせた。
「僕が先にお話しします。よろしいですか?」
「はい! もちろんです!」
五つの視線を受けながら、カジは教会の聖堂の扉を開いた。
――何故か、胸を締めつけられる感覚がした。
しかし、それも一瞬。
カジが視線を上げると、そこには三人の男と、「まあ! お客様?」と声を上げる若い女が汚れたステンドグラスの前に立っていた。
「聖北……!」
明らかな敵意を向けてきたのは、女の隣に立った屈強な男だった。
それはまるで、獅子の様。
「ダニオ、やめて」
女は男を慌てて諫める。
「もし、何かする気なら、もう始まっているわ。あの神父様はお客様だわ」
「……ファビアーノ、ロケ。お迎えしろ」
脇に居た男――金色の髪の若者と、黒い長髪の男――が静かにカジの隣に立つ。
「神父様。あの方の事をご存じか」
嘘は通じそうに無いなと、カジは小細工を諦めた。
「知っています。サキツの聖女、でしょう」
「では……」
「しかし、僕は彼女に会いに来たわけではないのです。僕の目的は、聖人ロメ様なのですから」
「まあ!」
何故か、女は手を叩いて喜んだ。
「もしかして、あなた、聖剣に挑みに来たの?」
「は……?」
「セイント・ヴィヴィアン」
低く告げたのはダニオと呼ばれた男だ。
「部外者と話す必要はございません」
「まあ、ダニオ。部外者といえば、私達の方が部外者なのよ」
「……」
「気を悪くしないでくださいね、神父様」
彼女はダニオの手を振り切って、カジの前まで歩み寄った。
――若い。
サキツの聖女狩りの事は、少ししか知ることは出来なかった。
当時聖女は十五歳ほどであったという。
それから二十年。だというのに、彼女は自分とあまり変わりない様に見える。
これも神の奇跡とやらなのだろうか?
「神父様。私はサキツから逃れた女、ヴィヴィアンと申します」
「ジルコニア・クロッカスと申します、セイント・ヴィヴィアン」
「まあ! ヴィヴィアンでいいんです。私は、正式な聖女ではありませんので」
「ヴィヴィアン様!」
叫んだのは金髪の男だ。
「そんなことを言わないでください。確かに、あなたは奇跡のお人なのですから。俺の腕を、つなげてくれたじゃないですか!」
「それとこれとは違うんですよ、ファビアーノ」
彼女はやんわりと彼に黙る様に身振りした。
「イーデイの町には二ヶ月前ほどから滞在しております」
「逃亡生活、というわけですか……お労しい」
一応、そんなことを言ってみる。
彼女は笑って「私は仕方ありません。しかし、本当に苦労しているのは私についてきてくれるダニオや皆なんです」と目を伏せた。
「ヴィヴィアン様。我々のことはお気になさらず」
黒い長髪の男――おそらく、ロケだろう――が静かに彼女に伝えた。
サキツの聖女は「ありがとう」と声をかけ、改めてカジに向き合った。
「イーデイの町はロメ様の町。私達は少し身を寄せているに過ぎません」
「あの、ヴィヴィアンさん……僕の他にも、聖北の者が来たと聞いているのですが」
「はい。二ヶ月間、何人かの聖北の使徒が参りました。一人……あの」
彼女はちらりとダニオを見る。
ダニオはカジをじっと見つめたまま動いていなかった。
「ダニオが、神父様と喧嘩になってしまって……あの、な、殴ってしまって……すぐ帰ってしまった他は、皆さんロメ様の遺物をお参りしたようです」
「そう、ですか」
嘘か真か、判断つきかねた。
「申し訳ありません、ジルコニア様。どうか、今のお話しは内密に……私のせいで、皆、聖北に目をつけられているのは事実なのです」
「セイント・ヴィヴィアン」
あえて、そう呼ぶ。
「私は、あなたをどうすることもできません。あなたを本物とも、偽物とも言えない立場なのです。ですから、どうか、僕のことはお気になさらずに」
「……ありがとうございます!」
彼女は手を組んで祈った。
「ああ、嬉しい……こんなに嬉しいこともないわ」
「ヴィヴィアン様!」
ダニオの怒声。
「わたくしは、聖北のことを許しません……サキツの男は、皆そうです」
「分かっております」
ヴィヴィアンは唇を噛んだ。
「私だって、許しはしません。しかし、何もしない神父に手をかけたら、それこそ同じですよ。ダニオ、ファビアーノ、ロケ」
「……」
三人は黙って俯いた。
――さすが聖女と呼ばれるだけある、できた女性だ。
カジは心の中で賞賛を贈った。
本当であれば、その奇跡の術を見てみたくもあったが、今は近づくのは得策ではないだろう。
「ロメ様を拝見したく思っているのですが……その、剣に挑む、とは」
「はい、ジルコニア様」
ヴィヴィアンはステンドグラスに向き合った。
「この聖ロメ教会は、ロメ様が生前住んでいらした場所だそうです。祭壇にはロメ様の生前のお召し物や、十字架などが飾られております。しかし、お体はここにはありません」
「何でも、嵐の森にある、と――」
「ええ」
彼女は頬に手を当てて考え込む。
「どうやら、ロメ様には教会の他に、隠れ家があったそうなのです。そこに、ロメ様はいらっしゃるとのこと。しかし……」
「何か、問題が?」
「ここ半年ほど、霧が濃く、森が人を惑わすのだそうです。なので、二ヶ月の間に私がお会いした神父様方も、ロメ様のお体とは……」
「なるほど」
そもそも伝説の少ない聖人だ。身体がなかなか見れない場所にあるとすれば、巡礼の者も少ないと察せられた。
「何人かの神父様は、ロメ様の剣を聖遺物として持ち帰ろうとしたそうなのです。しかし、まず辿り着けない。辿り着いたとしても、剣を手に入れることは叶わなかった、と。なのであなたも、剣に挑みに行くのかと思いましたのよ」
「……ふむ」
現存する聖剣だ、聖北の上層部は手に入れたくて仕方ないだろうに。
だというのに、今だ剣はロメの元にあるという。
何か『事情』があるのだろう。これは実際にその剣を目にしないと分からないことであったが。
「分かりました。少し、考えます」
「はい」
「……あの。実はここに来るまでに冒険者達と知り合いまして。あなたに、会いたいと」
「まあ! 冒険者が? 素敵、何か面白いお話しをしてくださるかも……」
「ヴィヴィアン様、そんな怪しい者達を……」
「大丈夫です。では、ジルコニア様、紹介していただいても?」
「はい」
カジは約束通り、『白鳥の杖』を聖堂内に招き入れて、簡単に紹介した。
「感激です! まさか、噂の聖女様にお目にかかれるなんて!」
ヨルクは予想通り、にこにこと聖女と話をするばかりであった。
「ジール」
後ろから小さな声をかけられる。
「振り向かなくていいし、黙っていて。あなたは目をつけられている」
「……」
「あのヨルクが相手をしている間に、宿に部屋を取りに行きなさい。神父だからってここに寝泊まりする気?」
「……」
答えの代わりに、すーっと息を吸う。
「セイント・ヴィヴィアン。僕はそろそろ宿へ」
「まあ、神父様。ここにお泊まりにならないのですか?」
「聖女の側に居たら、きっとあなたの周りは黙っていませんから」
「まあ……気を使わせてしまって……すみません」
「いえ。では」
そうして振り返ると、フードの女の口元が歪んでいるのを見た。
「こっそり出て行けば良いものを」
「それはそれで、印象が悪い」
カジはアンズに目配せして、一人、外に出た。
もともと、ここに泊まる気はなかった。
――さて、依頼遂行のためには、どうしたものか。
考えることは山ほどあるが、まずは少し休もう。
何事もなく部屋を確保し、湯を借りて汗を流したところで、訪問者が現れた。
「……カロリネさん?」
「よう、ジールさん」
彼女は軽鎧を脱ぎ、剣を一本だけ携えていた。
「どうせ暇だろうって。皆で夕飯でもって、ヨルクが」
「そうですか」
ふと気になり、カジは尋ねる。
「皆さんはこの宿に滞在を?」
「あー、いやー、その……」
カロリネの目が泳ぐ。
「私達は、その……金もないし、馬屋を借りて……」
「冗談でしょう」
「いや、本当なんだって。ただ、飯だけはちゃんとするって決めてるのさ」
「……」
――『自分が冒険者だった時は』、こんな無茶をした記憶がない。
代わりに、食事は満足にとらないこともあった。価値観の違いなのだろう。
「冒険者って大変ですね」
「まあね。博打みたいなもんだからさ。だからって飯代を集ったりしないよ! ね、どうだい?」
そんな風に言う物だから、カジも結局同行することにした。
―― 一人よりも六人の方が、襲われても何とかなる、と考えたのもあった。
案内されたのは『ダンの店』という、その名もずばりの店だった。
「いやぁ、今日は大入りだ!」
そう言って笑うシェフ、ダンは何やら嬉しそうだった。
「聖女様一行が来て儲かるかと思いきや、聖女様一行は教会で慎ましく食事をなされるもんだから、とんと儲からなくてなぁ」
「なるほど」
「おっと、神父様! 今のは聞かなかったことに!」
「構いませんよ」
ヨルクが「さあ、ジール様、こちらです!」と導いたのは、アンズの隣であった。
「どうも」
「ええ」
何とも奇妙な巡り合わせだ。
「えー、それでは。明日からの聖剣探索に向けて、乾杯!」
とヨルクは高々と杯を上げたが、『白鳥の杖』はもう既に銘々に食事を始めていた。
まったく、このリーダーが慕われているのか慕われていないのか分からなくなってきた。
最初に出されたスープを、周囲にそれと分かられないように、臭いと味を確かめる。
――大丈夫そうだ。まあ、毒で死ぬ身体ではないが。
「ジルーさんさぁ」
食事も進んだ頃、わざと名を崩しながら、キケイが言う。
「嵐の森にロメサマを探しに行くんでしょ?」
「ええ」
「場所の目星とかついてねぇの? 秘密の目印とか、地図とかさぁ」
「キケイ、失礼ですよ」
ヨルクが窘めるのを、「いえ、知りません」と遮る。
「僕こそ教えて欲しいくらいなんです。まさか、ロメ様が教会にいらっしゃらないとは」
「調べがたりてねぇなぁ、聖北」
「キケイ!」
そこで、強い"力"が発生した。
カジはふっと目を細める。
ヨルクの身体からは法力が立ち上っていた。どのような力かは分からないが、そんじょそこらの聖職者では太刀打ちできないだろう。
「キケイ。俺達だって分かってないんだぞ、失礼なことばかり言うな」
「……悪かった」
ヨルクは心底がっかりしたように見えた。それは仲間の無礼か、はたまた自分の至らなさか。
「……ジール様」
そして、彼はまっすぐにカジを見る。
「すみません、私達も情報が少なく、もしかしたらあなたから何か聞けるのでは無いかと期待して食事に誘ったのです」
「なるほど」
これは好都合かもしれない。
もし自分が協力して、彼らの目的が――良くも悪くも――早く解決すれば動きやすくなるかもしれないからだ。
いかにしても聖剣を渡すわけにはいかないが。
「僕も何も知らないと同じです。しかし、何か協力できることはあるでしょう。例えば、怪我をした時、とか」
「ほ、本当か……!」
声を上げたのはオットマンだった。何故か随分ほっとした顔をしている。
「ジール、あんた癒やしの術が使えるんだな?」
「ええ」
「そうか……」
オットマンはちらりと『白鳥の杖』を見回した。
「実は、癒やしの術を使えた奴が抜けてしまってな……俺は、不安だったんだ」
「おやおや」
カロリネが苦く笑った。
「あんたがそんな弱音を吐くなんてね」
「……」
オットマンは続ける。
「俺は聖女がここにいるって聞いてラッキーだと思ってたよ。最悪、傷を癒やして貰おうと思ってたからな」
「あっはっはっは! どんだけ心配してるんだこの男は。全く似合わねぇ!」
キケイはずり落ちた眼鏡を直しながら豪快に笑った。
「いいか? イーデイの周りも、嵐の森にもモンスターはいないと、我らがカロリネ様が言ってたじゃねぇか。それとも何か? 枝に引っかかって首でも切ると思ってたのか?」
「……」
「オットマンよぉ、いつもはそんな事言わねぇじゃねぇか」
「……すまん」
彼は俯いて小さくなっている。
どうも事情がありそうだったが、まさかカジが問いただすわけにもいかない。
そのまま微妙な空気となった食卓が終わった後、ヨルクから「明日は朝十時に宿にお迎えに行きますね」と告げられた。
カジもそれを了承し、宿に戻る。
――町の男達が、心配そうにこちらを見ていた。
もしかしたら、サキツから流れてきた男達なのかもしれないなと、カジは丁寧に礼をする。
宿に戻ると「何かされませんでしたか」と宿の亭主が心配して待っていてくれた。
「はい、大丈夫です。……皆さん、ぴりぴりしているのは本当ですね」
「ええ……」
彼はゆっくりお休みくださいと頭を下げた。
そしてカジは自分の部屋に戻り――ふと、思う。
――サキツから来た者が、宿を経営している?
しかも、この町全体の男達が、カジに不審と怒りを向けているではないか。
「……何だ、この違和感」
ソレをつかみ取ることが出来ない。
「……疲れてるんですね……寝てから考えるか……」
トランクを広げて、小さなカードを二枚取り出す。
――何処かで買った護身用の魔法だ。
カードを窓と扉の前に置いて、「其は番犬也」とコマンドワードを呟く。
これで何か侵入者がいれば大きな音が鳴る。
カジは確かに疲労を感じながら、ベッドに転がり込んだ。
――窓を叩く音で目が覚めたので、どうやら少しは寝ていたらしい。
「……?」
やや不明瞭な意識で窓を見ると、何とそこに居たのはキケイであった。
「よう、聖北」
護身の魔法が発動しない様にこちらから窓を開けてやると、彼は小声で言った。
その姿が少し歪んでいるのは、姿隠しの魔法か何かを使っているのか――
「こんな夜更けに何ですか?」
「ジルー。あんた、どれくらいの地位なんだ?」
「……下っ端ですよ」
「もしも、もしもだが。俺が聖剣を手に入れたとしたら、あんた、上に取り次げるか?」
「何ですって?」
「もしもだよ」
キケイの顔はにやにやと笑っているが、本気だと言うことがカジにも分かった。
――こいつは、剣を聖北に売り渡す気なのか?
「まあ、考えておいてくれ! もちろん、あんたの協力あってのことだって言ってやるからさ」
すると、その姿は突風のように掻き消えた。
カジは肩をすくめる。
――どうやら、『白鳥の杖』も一枚岩ではないらしい。
朝食は自分の保存食で済ませることにした。毎回毒味をしていたら不審がられる。
「おはよう、ジールさん」
部屋まで迎えに来てくれたのは、昨日と同じくカロリネだった。
「おはようございます」
「飯は? もう終わった?」
「ええ」
「……」
カロリネは口の端を持ち上げた。
「旅慣れしてるんだね、神父様」
とんとんと遠慮無く、カジの胸を叩くカロリネ。
――そこには、銀のナイフを忍ばせていた。
「すいません、気に障りましたか?」
「いいや。一つや二つ、そういうのは持っとかないと危ないしね」
ただ意外だったと、カロリネは笑う。
「前にいた奴――ペパーって言ってね。そいつはあんたみたいな男だったんだけど、絶対に刃物を持たなかったから」
「僕みたいなって……神父だったんですか?」
「ああ、そう言ってたよ。……ただ、死んだ奴を悪く言いたくないけど、あいつ、ちょっと教義から外れていたような感じがして、ねぇ」
カジは思わず笑ってしまった。
自分もまた、似た様な者だとの自嘲を込めて。
それをどう受け取ったのか、「あんた、優しい人だね」とカロリネは言う。
「いえ、人をどうこう言えないだけですよ」
「そうかい? そうなのかもね」
行こうという声に促されて、カジは宿を出た。
やはり、ちらちらと視認できる視線は、怒りやいらだち、なんなら殺意まで含ませて、カジを伺っている。
気分の良い物ではない。だが、好意を返して欲しいわけではない。
――自分こそ、本当に聖女を殺そうとする者なのだから。
嵐の森の入り口には、まるで境界を分けるかの様に、小さな剣が二本突き刺さっていた。
「おはようございます、ジール様!」
ヨルクの挨拶に続いて、アンズ以外の『白鳥の杖』がそれぞれ挨拶してくれた。
では彼女はというと、天気も良いのにフードを深く被り直し、少し微笑んだだけだった。
「本日の作戦をお聞きしたいです」
「はい」
ヨルクは森を指さした。
「嵐の森を探索します。カロリネが周辺を調査してくれましたが、中に入るのは我々も初めてです。もちろん、危険なことは我々に任せてください。ただ、何か――例えば、何かの目印だとか、そういうのを見つけたら教えてくださいね」
「分かりました」
カジが了承すると、「よし、早速行こう!」とヨルクが勇ましく号令をかけた。
まずはオットマンが森の中を行き、その後すぐにカロリネが向かった。
きっと彼らが先鋒なのだろう。
「ジールさん、彼らについていってください。アンズ、守ってあげて」
「はい、分かりました」
「……」
アンズは無言で、しかし笑って、カジと一緒に歩き始めた。
ヨルクとキケイが後ろからついてくるのをちらりと確かめていると、「気になる?」と彼女は笑った。
「護衛任務はどれくらいしたことがあるの?」
「二度です」
「へぇ」
「……あ!? い、いえ、そう! 護衛されたことがあるって話で――」
「嘘が下手ねぇ」
目元こそ見えないが、アンズは顔に笑顔を貼り付けているに違いない。
しかも、意地悪そうな、だ。
「剣も槍も持っていないけど、大丈夫なの?」
「あ、あのですね、僕は……」
「胸ポケット」
「……」
――どうやら、彼女にはごまかせないらしい。
「他の人に話したんですか、僕のこと」
「まさか」
彼女は袖で口元を隠す。
「今は言わなくてもいいことよ」
「……そうですか」
「それに、全部分かってるわけじゃないから」
くすくすと笑うアンズを見ていると、全部分かられていると思ってしまうのだが。
「仲いいな、あんたら」
キケイが後ろから言う。
「アンズがそんなに話しているところ、そうそう見ないぞ」
「ははは、キケイは嫌われているからな」
「……ヨルクもひでぇやつだな」
「待て」
オットマンがキケイの言葉を遮る。
「霧だ」
「霧……?」
全員が緊張する中、確かに森の奥から青白い霧が流れてきていた。
「これは結界に類する魔法よ」
アンズが言う。
「解除は……出来そうに無いわ。これが、聖剣に辿り着けないカラクリか」
「全員、綱で身体を縛ろう。カロリネ、お前に任せる」
オットマンの呼びかけに、彼女は「はいはい」と手早く全員を緩やかに綱で縛った。
確かにこれではぐれる心配はないだろう。
「穴にだけ気をつけてくれよ、カロリネ」
「私を誰だと思ってんの」
カロリネが歩き出し、続いてオットマン、カジ、アンズ、キケイ、ヨルクと続き――
数分も経たずに異常を感じた。
「えっ……」
思わず、カジは足を止め、同時に後ろのアンズが止まったのを悟った。
「これは……」
彼女の声も重い。
――前の二人がいない。
――後ろの二人も、いない。
ロープは二人を繋ぐものばかりで、前も後ろもぷっつりと切れていた。
「……やられたわね」
こうなったら綱は無駄だ。アンズはナイフを持ち出してさっさと切って捨ててしまった。
「皆さん、大丈夫でしょうか」
「少なくとも、魔法生物の気配はない。普通の獣であれば、あの子達なら大丈夫でしょう」
アンズは落ち着いていた。
もちろん、カジも取り乱してたわけではないが、彼女の落ち着きは異常とも思えた。
「折角だもの。足を止めて。二人きりで話したいこともあったし」
彼女は笑う。
「いろいろ思うところがあるんでしょう、敬虔なる聖北の使徒よ」
「……ええ」
「この町の違和感をうかがっても良いかしら?」
「……」
カジは目を細める。
「男しか顔を見せない」
「ええ」
「しかも、サキツの男。イーデイの本来の住民を、あの飲食店の店主の他には見ていない……気がします」
「私も、そうだと思うわ」
アンズはフードの下で、自分の前髪を直した。
「何処に居るのか、居ないのか。正直、長居したい町じゃないわね」
「……あなたは、本当に何を目的にしているんですか」
「言ったはずよ。聖剣を狙っている、ってね」
「……それだけとは、とても」
「そうね」
アンズは更に声を潜めた。
「私は、生き残る為に情報を集めている。生き残ってこそのロマンよ。夢を追ってるだけじゃ、直ぐに人は死ぬ。私は、このパーティを生き残らせる為に、知恵を回し、知識を使っているの」
「……」
――こんな冒険者、カジは見たことが無かった。
彼らはいつだって向こう見ずで、時に馬鹿のつくほどのお人好しで、臆病なくせに無残に命を散らしたりする。
しかし彼女は、第一目標に自分の命、第二に仲間の命を置いているらしい。
慎重さと冷徹さ――そして、目的への貪欲さを感じた。
参謀、知恵袋、リスクブレイカー。
彼女であれば、もし危ないと感じれば、ヨルクにすぐ撤退を命じるだろう。
「だから、あなたも慎重になさい、ジール。私は、あの聖女こそ、危険な者だと判断しているんだから」
「……! それはどういう」
「そのままの意味よ。私は、近づかないことにした。ただ、それだけ」
「……ご忠告、どうも」
彼女が核心を突かなかったので、カジもそれ以上何も告げなかった。
――もしかしたら、もうパーティを撤退させる気なのかもしれなかった。
「……」
カジは口元を抑える。
霧は二人の足下に揺蕩い、時に風に煽られて二人の間を隠す。
「毒ですか、これ……何だか、ぼーっとしてきました」
「……そんなことは無いと思うけど」
彼女は人差し指をくるりと回して、霧を絡め取る。
「よっぽど剣に近づけさせたくないのね。これは森の構造を、誤認させる類いの魔法よ。真っ直ぐ歩いているつもりで、実は右に曲がったり。多分、あの剣が刺さっていた入り口に戻させるためね」
「……この綱はどう説明しますか?」
「うーん、そうね……切り口からして、切られた様だから……多分、物理的な罠があるわ。もちろん、危害を加えるんじゃ無くて、こうやって綱や印を刻もうとすると発動する何かね」
「……」
何だか、この身も冒険者になったみたいだ。
カジはくらくらする頭を押さえながら、懐かしさに笑った。
「具合が悪いのね」
アンズは鋭く告げる。
「霧のせいじゃないわ。魔法が行使されているわけでもない。朝食に毒でも盛られた?」
「いえ……毒で死ぬような体質ではないので……」
「聖北の狗め」
怒りの様な感情が、その言葉には乗っていた。
「優れた狗は毒をもろともしないのは知ってるけど、いくら毒の耐性を得ようと、無理な毒は無理よ」
「……それ、言われたの二回目です」
カジはたまらず目を閉じる。
視界が歪むからだ。
「毒は……なしです。手持ちのを食べましたから……」
「じゃあ、一体……? 私の感知できない魔法? そんなことがあってたまるか……!」
彼女は強い焦りを滲ませて、フードを自分の頭から剥ぎ取った。
肩までの黒髪がこぼれ落ち、アクアマリンの瞳がカジを見る。
随分美しい顔だ。こんな美しい顔を、わざわざ隠すほどの何が彼女にあるというのか。
「……私に、偽りなく答えなさい」
「は、はぁ……」
「聖北の神父というのは、本当?」
「……半分」
「じゃあ、所属している教会があるのね? ロメと血縁は、ない?」
「あるわけないですよ……僕の出身はイルムガルデです」
「イルムガルデ!?」
彼女の声は今までになく大きい。
「け、剣聖の都市……! 一応聞くけど、あなた、剣ね? 剣を使うのよね?」
「一応。でも、そんな聖剣の類いでは……」
「分かってるわそんなこと!」
何を一体焦ってるんだろう――カジはぼんやりする頭で、アンズの美しい顔が歪んでいるのを不思議に思った。
ああ、それよりも。
「行かなきゃ」
「ど、何処に?」
「森の奥です……行かなきゃ……」
「待ちなさい!」
アンズはカジの腕を強く掴む。
――振り払おうと思えば振り払えたが、一抹の理性がそれを阻止した。
「落ち着きなさい。今、先に進むのは危険よ」
「どうして?」
「……おそらく、私は結界に弾かれる。かといって、あなたを一人で行かせるのは、私が許さない」
彼女はカジの腕を、もぎ取る様な勢いで押さえている。
「ヨルクがこうであればいいと思っていたけど、どうやら呼ばれているのはあなたのようね。あなたは聖剣に選ばれたのよ」
「……」
名前を聞いて、俄に返った。
「そうだ……皆さん無事だろうか」
「どうせ入り口に戻っているだけ。私達も一度戻りましょう」
「でも、奥に……」
「……『白鳥の杖』としてはこんな事言っちゃいけないんだろうけどね」
彼女は諦めた様に、しかしほっとしたように言う。
「あなたは聖剣を手に入れるわ。絶対に。だから、ちゃんと準備をしましょう。今手に入れたら、うちのメンバーが黙っていないだろうしね」
「……」
「秘密にしておいて。私も、黙っておく」
「……ヨルクに、剣を渡したかったのでは?」
「いいのよ、そんなの」
アンズは笑った。
「ヨルクは欲しがっていたし、オットマンはヨルクに渡したかったし、キケイは掠め取って聖北に売りつけようと思っていたし、カロリネは自分の物にならないかなと思っていた。所詮、私達は寄せ集め。だから、私が何をやろうと、文句を言わせないわ」
「……何をする気なんだ?」
「あら」
彼女は満面の笑みを浮かべた。
美しく、鮮やかに。
「あなたに剣を手に入れてもらうこと、ただそれだけよ」
「それで……あなたになんの得が?」
「得はないけど、損もない。強いて言えば、剣が正統な持ち主に渡るのを見たいわ。きっとそれは素晴らしい事なのだから」
「……分からないな」
「私は、名誉とロマンと知識の為に生きている。そのために、貴方を犠牲にするわ」
「……ははっ」
あまりに素直な回答であった。
「分かりました。でも、足がどうにも動かなくて」
「私が引っ張るから、あなたは行きたい方向と逆向きに。頑張って」
「……はい」
随分簡単に言ってくれる。
しかし彼女は非力にもかかわらず、体重で勝るカジを懸命に引っ張ってくれた。
――「言い方はきついけど、本当は優しいんだなぁ」などと、ぼんやりする頭で考える。
何とか移動する毎に頭ははっきりと冴えはじめ、霧で視界が塞がれたかと思えば、あの剣の刺さった入り口に出た。
「アンズ! ジールさん!」
カロリネが叫ぶ。
ここには既に、オットマン、カロリネ、キケイが青ざめて待っていたのだ。
「良かった、無事で」
「この結界が、攻撃的なものじゃなくて助かったわね」
アンズが「ヨルクは?」と冷静に告げると、三人は目を伏せる。
「まだ、だ」
「……大丈夫だと思うけどね」
それを見て、カジはアンズに耳打ちする。
「あの、もしかして聖剣に呼ばれているのでは?」
「……ないと思うけど」
意外にも否定が返ってきた。
彼女の予測は正しく、なんと彼は「わあ! 皆良かった無事で!」と『聖女と共に』町からやってきたのだ。
アンズがさっとフードで顔を隠したのを、カジは横目に見た。
「お前、どうして聖女を」
「いやだって、皆が心配になって……俺、慌てちゃって」
「馬鹿! 俺達がすぐくたばるわけないだろ」
ヨルクとオットマンとの会話に、アンズが「馬鹿ね」と呟いた。
「あれだけ近づくなと言っておいたのに」
その声もカジにしか聞こえなかっただろう。
聖女は「良かったですね、何事も無くて……」と柔らかく微笑んでいた。
「しかし、本当に辿り着けないなんてなぁ」
「はい、そうなんです。実は、ダニオもロケも挑んだんですが、同じように辿り着けず……」
「へぇ、聖女様も聖剣を?」
「はい」
聖女は森を見る。――敵意の様なものを覗かせて。
「私も、ロメ様のご加護を得たいと考えたのです。私だけではありません。ダニオ達も、ロメ様の加護を得られれば、もう悲しい思いをしなくていいと思ったのです」
そうだ、と彼女はぱあっと笑って、「良い考えがあります!」と手を叩いた。
「情報交換といたしましょう」
「じょ、情報交換?」
「はい! 私はよく分かりませんが、ロメ様の剣を探す為に、皆で協力するんです。ダニオからも話させます」
「それはいい!」
驚いたことに、ヨルクは真っ先に賛同した。
「ちょっと、ヨルク」
アンズだけではなく、オットマンも彼の行動を窘めようとしたが、『白鳥の杖』のリーダーは笑う。
「どうしたの、皆」
「どうしたも何も――」
「だって」彼は心底不思議そうに言う。「情報は多い方が良い。俺達、まったく歯が立たなかったじゃないか」
「……そうだが」
皆尻込みしているのは、もちろん『本当は剣を奪いに来た』からだろう。
ヨルクはどう思っているのかは分からない。
彼はまさか、純真に聖女に協力を仰ぐつもりなのか?
「ヨルクさん、その、」
「ジール様も、聖剣、気になりますよね? せっかくだから、皆でこの謎を攻略しましょう!」
「あ、あの」
思わず、カジが自分の身に起きたことを説明しようとして、
「痛ッ!」
アンズに足を踏まれた。
黙っておけという武力行使に、カジは内心で「すいませんでした……」と真摯に謝った。
「諦めな、ジールさん」
カロリネは肩をすくめた。
「ああなったらヨルクは曲げないからね」
「そうだな……」
オットマンですら諦めが早い。
キケイにいたっては、「そうなりゃ早く見つかるかな……」とわりと乗り気だった。
「……」
アンズはかなりご立腹のようで、会話を交わそうともしていない。
カジには決定権がないので、このまま静観するしかなかった。
「ああ、こんなに嬉しい事ってないわ……いっぱいお話が聞けるなんて!」
もう聖女ヴィヴィアンもその気であり、反対できる様な雰囲気ではない。
――そして、何故だか、『反対できない、何かがあった』。
「ジール……」
アンズのうわずった声。
恐怖に似た何かを、必死に噛み殺しているようにも思えた。
もっとも、同じ気持ちはカジも感じていたのだが。
「大丈夫」
――何故、そんなことを言ってしまったのか。
おこがましくも、聖北の暗部ではなく、騎士でありたいと思ったからか。
「隣の席にしてもらってください」
それだけ告げて、カジは意識を自分の胸ポケットに移した。