研究の概要

幾何学的非平衡熱統計力学

応用数理科学や理論物理学の諸分野において、それぞれ理論体系の幾何学化が行われ、数学と応用数理科学の交流により、双方に様々な恩恵が得られてきた。例えば、量子力学における幾何学的位相や、数理統計学の幾何学化である情報幾何学とその数理工学での応用は良い例である。しかし現在までに、熱力学や統計力学の幾何学化は種々の成果はあるもの、それほど追求されてこなかった。特に物理学で今後も重要にあるであろう、非平衡熱統計力学の幾何学化とその応用は追求されるべきである。非平衡系の記述には、時間発展則を導入する必要があるが、熱統計力学を微分幾何学の言語に書き換えることにより、微分幾何学で発達した多様体上のベクトル場の解析方法の使用を可能にし、非平衡系の理論的枠組に恩恵をもたらすであろう。現在までに、平衡熱力学状態は接触多様体(奇数次元版のシンプレクティック多様体に対応)の特にルジャンドル部分多様体の点として記述する方法が提案されている。しかし、ルジャンドル部分多様体以外の点の物理的解釈は不明である。

私は、接触多様体上の力学系である接触ハミルトンベクトル場を調べ、そのベクトル場を生成する接触ハミルトニアンをうまく選ぶと(通常の古典ハミルトン系との類推ではハミルトンベクトル場はハミルトニアンにより生成され、ハミルトニアンをうまく選ぶと)、積分曲線がルジャンドル部分多様体とそれ以外の点を結ぶことができることを示した。 これは平衡系での物理的解釈を素直に非平衡系にまで一般化することにより、物理系の緩和過程と解釈できる。また、高次元の接触多様体とその上での凸関数は、低次元の統計多様体を誘導することを示した。この成果は、現在まで別々に研究されてきた、接触幾何学と情報幾何学を今後有機的に研究する手段になるかもしれない。

媒質中のカシミア効果

カシミア力は「非」無限遠方に空間的境界を有する量子場のゼロ点エネルギーの具現化であるといえる。絶対零度における量子電磁場の場合、10nm程度の距離をおいて平行に配置した無限に広い2枚の完全導体の間に働くカシミアエネルギーによる圧力は1気圧程度である。それ故、今後重要になってくるであろう、ナノマシン等の設計で無視できない寄与を与える。従って、カシミア効果の研究は、量子場の基本的性質を探る知的好奇心の満足のみならず、工学的応用にも重要である。カシミアエネルギーを理論的に計算するには場の時間的周波数、すなわちスペクトル、を計算し、その無限和を実行する必要があるが、その無限和は発散する場合が殆どで、正則化と呼ばれる無限大から有限な値を引き出す操作が必要である。場が空間座標に依存せず均質である場合には、ゼータ関数等を用いその正則化を陽に実行できる場合もあるが、場が空間非均質な場合はその正則化は困難を伴う。

我々は非均質媒質での量子電磁場起源による絶対零度での カシミア力の解析的計算例やその数値的正則化の方法を提案した。

電磁場に対するストレス-エネルギー-運動量テンソルの選択可能性とそ の応 用

電磁気学は理工学における研究の最も基礎となる学問体系の一つで その基礎は応用へ直結する. 基礎理論の深い理解が期待されるが, 媒質中の正しいストレス-エネルギー-運動量テンソルが現在でも 知られていない. このテンソルを DH や EB や観測者との相対運動 を用いてどのように選べばよいかという問題は アブラハムやミンコフスキーの時代から100年以上も論争がな され今現在でも明確な解答は得られていない. 特に運動する誘電体や種々の工学的応用が期待されるメタマテリアルでは DH と EB を結ぶ構成関係式は非自明であり, 用いるストレス-エネルギー-運動量テンソルにより電磁場のエネルギーや運動量 の理論的予測が異なる.

我々は幾何学的言語を用い 電磁場起源の力や運動量, トルクを与えられたストレス-エネルギー-運動量 テンソルから系統的に計算する手法を提案した.その手法を用い, 回転する誘電体に電磁波を照射した時に生じるトルクを複数のテンソルに対して あらわに計算し, 用いるテンソルに対してその相違を示した. 将来, 我々の理論的計算と実験を比較することによりどのストレス-エネルギー-運動 量テンソルを選択すべきかか判明するであろう.

微分幾何学を用いた空間的境界値問題の解法(導波路内の電磁場/線形波 動方程式)

加速器はその主たる目的が素粒子物理の実験であると共に, 自由電子 レーザー等の応用があり, 強高度の電磁場源として物性実験等で用いられる等 のためさまざまな物理・工学の分野で需要が増している. その設計に際し, 与えられた軌道と速度で移動する荷電粒子 が生成する 電磁場を決定するのは基本事項である. しかしごく単純な境界条件, 例えば無限に長い金属製の円筒, の場合でないと有限要素法等をもちいても 信頼度の高い電磁場分布を得るのは困難な場合が多い. 一方古典電磁気学はマクスウェル方程式で記述され, これを幾何学の 数理的言語により書き直すと, 座標変換の取扱いが系統的になる. このマックスウェル方程式の幾何学的記述により, 非自明な境界条件に伴う電磁場解析 の困難さを取り除く可能性が期待できる.

我々はこの幾何学の言語を利用して, 荷電粒子分布を与えた場合, かつ 境界が円筒から幾何学的に微小変形した導波路内電磁場の摂動論的決定を 行った.

また物理学でしばしば導出される線形波動方程式の空間境界条件を考慮した 摂動解を構成した. 境界条件として緩やかに 曲がった断面が円形のパイプ内の場合を考え、境界条件を厳密に満たす摂動解を 微分幾何学と特異摂動法をもちいて構成し, 時間的周波数が曲がった境界によりシフトすることを解析的に示した.

特異摂動法の開発と応用

近可積分 (可積分な系に摂動が加わった系)や弱非線形系において有効 な摂動法の開発と その応用を行っている. スモールパラメーターの自然数冪で解を展開する 単純な摂動法では, しばしば摂動解の有効範囲が狭くなっている問題がある. 解の (ある意味で) 大域的性質を理解するために, より **よい** 摂動法の開発と その応用が望まれる.

私は "くりこみ法" と呼ばれる方法に関して研究してきたが, この "くりこみ法" にはオリジナルな方法に加え, 我々の方法を含む幾つかの流派 が存在する. 通常の微積分学が適用できない(時/空)離散系へ くりこみ法 を拡張する方法や, 一般に常微分方程式系より取扱いが難しい 偏微分方程式への拡張法の探索をおこなってきた. 更に近年, この手法が, 一般に無限自由度系となり解析が困難な 時間遅れ系に対してもその適用が可能であることを見出した.

長距離力を有する大自由度古典力学と統計力学

長距離力系とは相互作用距離が長距離に及ぶ系の事を指す.

我々は以下古典ハミルトン系を考えるが, 現実の物理系での例として自己重力系や渦糸系, プラズマ系等が挙げられる. このような長距離力系では, 系に相加性 (additivity) を有さないため, 例えば, 無限自由度極限でも物理量の平衡期待値の ミクロカノニカル統計予言とカノニカル統計予言に相違 が生じる事等, が起こりえる. そのような問題に対して, ハミルトン力学 の立場に戻ったり, 統計力学の視点に立って研究をおこなう.

私達は, α-XY モデルと呼ばれるモデルにおいて, 力学定義でのマクロ変数の期待値に関して研究を行った. その期待値の有限サイズ効果が相互作用距離に非自明に依存すること を見い出し, それが系が長距離力系であるにも関わらず, カノニカル統計理論から説明できそうである事を示した.

短距離力を有する大自由度古典力学と統計力学

長距離力系と並行して短距離力の大自由度古典ハミルトン系 にも興味を持っている. 固体(格子)やマクロかつ連結した 構造物の運動を調べる際に応用がある. そのようなモデルとして歴史的に 有名な Fermi-Pasta-Ulam モデルやあるクラスの標準系とみなせる Discrete Nonlinear Schroedinger (DNLS) 方程式が標準的なモデルとして 知られ, 力学や統計力学的知見が集積している.

私は, DNLSにおいて周期軌道1本でカオスの強さを示す指標である 最大リアプノフ数やマクロ変数の平衡期待値が予言できる という近年の予想に対して, 特にその周期軌道依存性を調べ, マクロ変数期待値に対しては高エネルギー領域に対しては その依存性が無いことを我々の周期軌道のクラス内で示した.

ノイズ注入同期の数理と応用

ある非結合な力学系2つに共通のノイズ等の信号を注入すると 2つの力学系から得られる時系列が一致することがある. この性質は非線形系の数理として興味深いだけでなく, 自然現象の理解や工学的応用も有している. 特に半導体レーザーのノイズ注入同期は, 物理的に隔離した2つ以上の 受信系に同期をもたらすため, 光学系を用いた秘匿通信法での応用可能性を有する.

我々はある非結合な半導体レーザーの同期が あるクラスのノイズを注入することにより達成しえることを Lang-Kobayashi model とよばれる系を用いて数値的に示した. またこの数値計算に対応する実験も行われ, 数値的知見と同様 の結果であることが確かめられつつある.

またこの研究とは別にどのような信号を注入すれば *同期が強く* なるかについても研究を行った.

アーノルド拡散の動力学

自由度3以上の近可積分ハミルトン系では, 摂動がどんなに小さくても, 相空間大域的な運動が生じると言われている. 2自由度系の場合では, 摂動が小さければ, 可積分起源の相空間構造物 (トーラス) がカオス軌道を妨げる ので大域的運動は生じ得ない. アーノルド拡散は, 系の統計性の起源としても 重要となる.

その他興味がある事など:

ディスクリートブリーザーの性質

非線形格子力学系において Discrete Breather と呼ばれる解がしばしば生じる. これは空間的にエネルギが局在した解で, 非線形性と, 格子という空間離散性を反映した解の1つである. 空間的に局在しているという意味で, エネルギの局所空間への蓄積 や系の破壊とも関係するようです. FPU 系等では Discrete Breather 解がしばらく 続いた(準平衡状態) 後に , 緩和が起こります.

フォトニック結晶の数理

フォトニック結晶とは相異なる誘電体を周期的に配置した人工デバイス の事で, 電磁波の制御を目的とする. その周期的な構造のため, バンドギャップが生じ, そのギャップ内の電磁波はそのフォトニック結晶 では存在出来ない. そのため, 超小型の導波路の設計が可能となる. 誘電率の非線形性を考慮すると非線形の問題になります. 空間離散の弱非線形発展方程式が基本になるはずなので, 非線形物理の手法が役立つかもしれません.