この文章は、これから卒業論文や修士論文を書こうとしている方達に向けて書いたものです。良い研究計画の基準は分野によっても時代によっても異なるのですが、特にここ10年くらいの経済学の研究デザインについて私自身が考えてきたことを、自身の頭を整理する意味も込めて文章化してみました(同じようなテーマでもっといいことを書いている文章は山ほどあるので、私の意見を鵜吞みにしないで是非色々検索してみてください。)。ちなみに研究計画を構成する要素は、(1)答えるべき問題、(2)その新規性と貢献、(3)問題に答えるための方法論の提案、の3つで、この順番に考えていくのが最もスタンダードです。以下で一つ一つ見ていきましょう
(0)関心のあるテーマを持つ
このページを読んでくださっている人であれば、多少なりとも興味のあるテーマを持っていると思います。というわけで、これに関しては既にあるという前提で(1)に進みます。
(1)リサーチクエスチョンを設定する
問題は、「漠然と関心のあるテーマ」をいかに具体的な「リサーチクエスチョン」に落とし込むかということです。論文というのは言い換えると、「自分で問題を作り自分でそれを解く」という自作自演です。それを第三者が見たとき面白くて説得力があると感じれば、それは良い論文だということです。
というわけで、クエスチョンをまず立てます。私が考えるよいリサーチクエスチョンの条件は、以下のようなものです。
i) 質問に端的に答えられる形式になっている。「なぜ(why)」や「どのように(how)」よりは「何が(what)」という問いの方が良くて、もっと言えば、なるべくYES/NOで答えられる形式になっていることが望ましい。例えば、「高齢者にとって住みやすい街はどのようなものか?」ではまだ漠然と関心のあるテーマの域を出ませんが、 「病院が充実している町は高齢者にとって魅力的か?」だとだいぶ良くなります。このような形式でリサーチクエスチョンが望ましいのは、科学的手法を用いて答える方法が確立されているからです。(上の問いなら、病院の有無で高齢者の厚生を比較すれば良い)逆に、「〜とは何か?」的なリサーチクエスチョンには科学的方法で答えることができません。
ii) 答えが自明ではなく、対立仮説が用意されている。例えば上記の「病院建設~」のテーマは、普通に考えれば答えが容易に「YES」となりそうなので今一つです。しかしここで、病院建設が他の財政支出を圧迫することまで考えたら、もう少し良い問いになります。「病院建設のための公共投資増加は、高齢者にとって魅力的か?」だと、対立する答えが明確に意識できるでしょう。これは、やってみなければ答えがわからない研究です。
iii) 自分以外の誰かが、答えを本気で知りたいと思ってくれる。知りたいと思う理由は様々で、知的好奇心もあれば、その問題解決が社会の役に立つからという場合もあるでしょう。私個人は、自分自身にとって「面白い」というモチベーションはあまり重視しません。あなた自身が面白いからというだけで進めた研究は、別の誰かにとって面白くないという理由で批判されても、決して文句は言えないでしょう。そもそも、社会にとって重要な問いに本気で答えようとして知恵を振り絞る研究が、面白くないはずはありません。
(2)リサーチギャップを見つける
リサーチギャップとは、「既存研究とリサーチクエスチョンの差」とでもいえば良いでしょうか。要するに、我々が究極的に知りたいことに既存研究がどの程度答えられているかということで、これが大きいほど論文のインパクトは大きく、他方で解決(後述)が困難になります。
実は、(1)と(2)のどちらが先に来るかということは難しい問題で、勉強会などで論文を読んでいるときにリサーチギャップを先に発見することもあります。つまり、既存研究が自身の設定したリサーチクエスチョンに、十分に信頼できる答えを返せていなければ、それはそのままリサーチギャップになります(その場合、リサーチクエスチョンは先行研究から引き継ぎます)。
一つ注意してほしいことがあります。先行研究で最新の手法やデータが使われていなくても、それ自体がリサーチギャップであるとは限りません。先行研究が採用している方法が、その最終的な結論にどのような「バイアス」をもたらしている可能性があるかを指摘して初めて、十分大きなリサーチギャップを発見したことになります。同じように、新たな要素を追加して拡張したモデルも、それだけでリサーチギャップを埋めたことにはなりません。そのモデルの拡張を正当化するのは、追加された要素が現実的かどうかということではなく、それが分析の結果と結論を潜在的にどれだけ歪めるかということです。逆に、その潜在的な歪みとそれを取り除く方法さえ説得的に説明できていれば、結果的に歪みが小さく結論がほとんど変わらなくても、論文としてまとめる価値は大いにあると思います。驚くべき結果だけが良い論文の条件ではないのです。
さて、バイアス以外のリサーチギャップの可能性として、条件整理の不十分さがあります。例えばある研究が、「課税が平均的家計の厚生を改善する」と結論づけたとしましょう。仮にその結論自体が十分に信頼できたとしても、「それが全ての家計にとって正しいか?」という疑問が残ります。このとき、例えば所得や家族構成などで細かく条件づけをして課税の効果を分析することは、十分に価値のある研究となるでしょう。
最後に、よくこの手の解説で挙げられる悪い例として、「アメリカで実証された研究を日本のデータでやってみよう」というものがありますが、私は必ずしも悪いことだとは思いません。ただしこれが良い研究計画として認められるには、日本とアメリカの制度や市場環境の違いから、その結果が日本のデータで再現できることが必ずしも自明ではないということを、あなた自身が説得的に説明する必要があります。しかしここがうまくいけば、単に別の国で結果を確認するということにとどまらず、市場経済についての別の知見を明らかにするかもしれません。(例えば、ある財に対する税金がアメリカでは生産者に、日本では消費者にかけられたとしましょう。このとき、アメリカにおける課税後の価格と数量の変化は需要関数の形状を描くのに対して、日本の変化は供給曲線の形状を描きます。)
(3)チャレンジとその解決方法を提案する
リサーチクエスチョンを立てた後すぐに分析方法を提案することは、良い計画とは言えません。問いに答える前に一度立ち止まって、どのような障害があるかを考えてみましょう。この障害をしばしば「チャレンジ」と呼びます。リサーチクエスチョンと同様にこのチャレンジが明らかになっていなければ、あなたが選択した分析方法がどの程度適切かは評価できません。実は(2)のリサーチギャップはチャレンジのうちの最も主要なものと重複する場合が多いのですが(例えば、実証研究における内生性によるバイアスなど)、ここではもう少し細かいものも含めて、様々な障害を列挙してみましょう。論文後半の頑健性チェックやモデル拡張といった追加分析では、これらの比較的マイナーなチャレンジに一つ一つ対処します。
問題(チャレンジ)解決方法は具体的な技術に属することなので、それこそケースバイケースで考えなければなりません。これに関して一般論を述べるのは非常に難しいし、たくさん論文を読んで勉強する必要があります。でも、この段階まで来ていれば、以前は読む気が起こらなかった数式のたくさん登場する論文にも、立ち向かう意欲がわくことがあります。今や我々はその難しい論文と、同じレベルで問題意識を共有できているからです。また、そもそもチャレンジを自分で列挙することができないという人は、ゼミなどで論文をサーベイする段階で正しく読めていない可能性があります。論文後半の頑健性チェックや追加分析を読み飛ばさず丁寧にフォローしていますか?なぜその分析を追加する必要があったかをみんなが納得できるように説明できますか?
問題解決に使う技術は、クエスチョンに対して必要十分なものでなければなりません。意味もなく複雑な方法を使っても、設定したクエスチョンに正しく答えることに貢献していなければ何の意味もありません。では、乗り越えるべきチャレンジが低くて、技術が必要じゃなさそうな場合はどうでしょうか?たとえば、必要最小限で組んだモデルが中学生でも解けるようなものだったり、あるいは操作変数を使わないOLS推定でも特にバイアスの心配がなそうな場合です。これはこれで論文の評価が低くなることがあるので困ったものですが、こんな時はもう一度、「自分の直面しているチャレンジは本当に低いんだろうか」と疑ってみます。つまり、「現実的に重要で、かつモデルの結果を劇的に変えてしまうような要素を見落としていないか」、とか、「ありそうな内生性のバイアスの可能性を徹底的に考えてみよう」とかです。自分では単純な問題だと思っていても、学会で報告してみたら他人から色々指摘され、そのアドバイスを受け入れたことで論文が格段に良くなることはよくあります。ですからこの点に関しては、「このままでは自分の持ってる技術が発揮できないから、頑張ってチャレンジをひねり出して問題を難しくしてやれ」と考えるくらいでもいいのかもしれません。ただしほどほどに。
最後に、時々「ものすごいアイデアを思い付いた」といって私のところに来る学生(あるいは学生時代の私)がいて、そういう学生は大体前置きなしで(3)を持ってきます。要するに、何か今までにない働きをするモデルとかそんなやつです。でも、そういったアイデアは、経済学ではなかなか具体的なリサーチクエスチョンと結びつかなくて、多くは立ち消えてしまいます。「すごいアイデアはないかなー」という感じで考えている人も、大体無意識で(3)を最初に探していますが、迷宮入りしやすいので注意しましょう。
でも他方で思うんですが、本当にすごい、何もない空中から突然生まれるような研究は、結構な割合で(3)から始まり、後から問いを発見しているのかもしれません。これは論文の「問い直し」とも関係があるように思われます。良い論文は最初の問いを立てて分析して答えを出した後に、もう一度問いが何かということを考え、問い自体をブラッシュアップして論文を書き直し、ようやく完成するということが往々にしてあるのです。この文章をここまで読んで、研究プロセスのどこにもスリリングな「発見」がないと感じた人がいるかもしれませんが、この問い直しのプロセスこそが経済学の研究における「発見」だと私は思っています。同じように、あなたが発見した新たな「アイデア」はそれ自体がゴールではなく、それを活かせる問いを見つけることこそが重要です。このプロセスは本当に時間がかかりますし、一定時間考えたら成果が出るようなものでもありませんが、別の論文を書いたり読んだりしながら、諦めずに頭の片隅で考え続けてください。