「新年明けましておめでとうございます」という表現につき
「旧年」が明けるのだから「新年明けまして・・・」は間違い
とおっしゃる向きもあるようです。
「旧年明けましておめでとう」
が日本語として正しい,というわけです。
しかし,これまで
「昨年明けましておめでとう」「旧年明けましておめでとう」
という“正しい日本語”の賀状をいただいたことはありません。
年の変わり目が「明く」というのは,
一定の期間を終わりにして,次の段階に入る,改まる。
という意味です(角川新版古語辞典など)。
長文を改行して2段落に分けたとき,改行されたのは第1段落でも第2段落でもなく,元の長文であるように,年が改まって新年になったとき,改まったのは旧年でも新年でもなく,「年」(連続する時間)です。
だから誰も,冒頭の論者のように「旧年明けましておめでとう」とは言いません。
室町時代の細川家の文例集「細川家書札抄」にも,年始の挨拶の書き出しとして
改年 あるいは 明年
とあり,そこでは改まったり明けたりするのは旧年でも新年でもなく「年」であるとされています。
したがって「旧年明けまして・・」が日本語として正しいという理由で「新年明けまして・・」を論難する方は,前提を間違えている可能性があると思います。
また,日本語は"結果主語"をとるので,「新年が明ける」も間違いではないという考え方もあります。
家が建つ(材木を建てる→結果として家になる)
湯が沸く(水が沸く→結果として湯になる)
が正しいのなら
新年が明ける(年が明ける→結果として新年になる)
も間違いではない,ということです。
しかし,この説明は,結果主語を伴うことが動詞の属性であるとすれば,妥当しない可能性があります。
結果主語を伴う動詞は,通常は,結果主語を別の名詞に差替えることが可能です。
家が建つなら,ビルも建つし塔も建ちます。
湯が沸くなら,風呂も沸くしお茶も沸きます。
したがって「新年が明ける」を結果主語で説明するなら,夜が明けて朝になることを「朝が明ける」と言えなければならないし,夏休みが明けて2学期を迎えることを「2学期が明ける」と言えなければなりません。
しかし私たちは「朝が明ける」「2学期が明ける」という言い方には,強い違和感を覚えます。
これは,「明ける」は一般に結果主語を取らない動詞であることを示唆しています。
このように考えてくると「新年あけましておめでとう」は
誤用が慣用化したもの(又は慣用化しつつあるもの)
と説明するほかないように思えてきます(おそらく「新年おめでとう」の途中に「明けまして」を挿入してしまっただけです)。そしてこの誤用には,それなりの合理性があります。それは「新年あけましておめでとう」は,年明けのすがすがしい気分に良く合う,ということです(誤用とされる用法も,合理性があれば,慣用的な言い回しとして定着しやすい傾向があると思われます)。