署名一覧
「ICUにおける」ということではなく、一般的原則として(あるいはその背後にある不公正な原理に関して)反対です。<br>とはいえ、私の所属先でも、学生は特に違和感をもたずにプリンセスコンテストなるものを大学祭で行っています。10年以上前には一度大反対運動が起こったのですが。いつの間にか忘れられました。<br>このICUでのミスコン反対を契機として、全国でミスコンの類を再考することになれば、と願っています。
ここに載っていない名前も、記事をさかのぼっていただくと見つかります。
順不同
佐野佳子さん(松戸市臨時職員)
Yuji Teradaさん
橋口昌治さん
藤田悟さん(NPO法人京都自由大学事務局長)
藤本あかねさん(立命館大学)
田仲康博さん(ICU)
進藤竜一さん(11卒業生)
八幡谷真弓さん
Junji Hirookaさん
石橋祥子さん(卒業生(ID91)、青山学院大学大学院国際マネジメント研究科)
木下直子さん
匿名希望さん6名(ICU 12含)
三鷹市男女平等参画条例第3条では、
(1) 市、市民、事業者等が協働して、何人も男女の性別により差別的な取扱いを受けず、その人権が尊重される社会を実現すること。
(2) 社会のあらゆる分野において、何人も男女の性別にかかわらず、対等な構成員として個人の個性と能力を十分に発揮できる社会を実現すること。
(3) 何人も男女の性別による固定的な役割分担を強制されることなく、自己の意思と責任による多様な生き方の選択ができる社会を実現すること。
とうたっています。この場合の、市民とは、「市内に住み、又は市内で働き、学び、若しくは活動する人をいう」のですからICUの学生も含まれます。
「ミスコン」は古典的な性別役割イメージを女性におしつけるものであり、女性差別を助長し強化する道具として使われてきたものです。なによりも選ぶ行為そのものが「対等な」立場にはないことをあからさまに示しています。
ICUでミスコンが開催されないことを強く望みます。
声明の主張に共感はしますが、少々不満があります。ここ2年ほど、ICU生に特別講義をする機会がありましたが、昔と雰囲気はあまり変わっていません。つまり、(何かが変わった今でも)明らかにミスコン企画に違和感を覚える学生が多い大学のお祭りで、なぜわざわざ実行委員会は強行しようとしているのか?その経緯について解説がありません。すでに対話をした形跡はあるのですが、その内容を丁寧に紹介してくれないと、あまり世間を説得する力はありません。
ミスターICUを同時開催するなら、ジョーク余興としていいかもしれませんが、Miss/Msを開催することには反対です。
理由はいまさら言うまでもないでしょう。せめてICUだけは、規模は小さくても本当の精神的豊かさ、すべてのいのちの幸せをしっかり見つめることができる大学であってほしいと願うからです。
反対に、このコンテストを行うことで、どれだけICUのマーケティング的なイメージに傷がつくかも考えるべきだと思います。
ミスコンは、偏った価値観による「女性の商品価値化」であり、性に関係なく、学生が学び成長するための場所である大学での開催は、不適切だと思う。
容姿やジェンダーによって、学生に優劣(順位)をつけること自体問題がある。
人間を、生と同時に与えられた個人の努力では変えられない性別や形状を対象として、それが現在の社会基準に最も迎合するものかどうかを、他者が判定を下し、烙印を押す行為、それが「ミスコン」なるものだと考えます。人間の尊厳を無視した最も人間が回避すべき思考方法だと強く嫌悪します。
今回の「ミスコン」に於いては、学外の企業が加わっていると聞きました。
これは就職活動に於ける多大な利益を生む「就活イベント」を主催するような類の広告代理店企業だと思われ、この「ミスコン」によっても利益を受けるべく企画されたのであろうかと考えます。「ミスコン」に参加される方々は自己を商品として提供することに何の違和感も無いのでしょうか。
人間は何かによってランク付けされるような「物」「商品」ではなく、一人ひとりが異なった個性を持つ貴重な存在であると自らが認識せずしては、より良き社会が築けるはずはありません。
「就活イベント」でも学生達が商品として売り買いされるために無駄な競争を強いられ、特定の企業に多大の利益が流れている事実を、貴大学の優秀なる学生さん達が理解出来ないとしたらとても残念です。一体何を勉強されているのでしょう。
また、今や性別は2極には分けられないことが分かって来た時代でもあります。
セクシュアルマイノリティーの家族を持つ者としても、人間の個性を社会の商品として扱うようなイベントを、お祭りのような軽い気持ちで行うのは、多くのマイノリティーの人々を傷つけることにもなることをどうか理解して下さい。
貴大学の学生さん達の深い叡智を期待し、このイベントを中止することを願います。
女性の客体化を更に日常化させる事に反対です。
うかつにも、自分の通ってる大学でも去年からミスコンを開催してたことを知りませんでした。かっては反権力で鳴らした大学だけに、情けなくやるせない気持ちです。ミスコンは、男も女も含めた人間そのものを消費の対象としてしか扱わないものだと思います。開催に強く反対します。
なぜ今になってミスコンを行うのでしょうか。なぜそこまで人間(女性)の間に勝手な優劣をつけようとするのでしょうか。非常に残念で不快です。
差別を賛美するイベントを根絶したい。
ミスコンに反対表明することへの批判もありますが、ここであえて違和感を示す勇気が必要だと思います。
ミスコンなんてそんなICU生やだ!
「女性」を消費の対象とし、美醜で順位付けすることに、正当性があるとは思えません。
私の大学でも、学園祭で「ミスコン」や「女装コンテスト」がおこなわれることになっています。
差別的な要素をはらんでいながら、それが大衆の前で公然とおこなわれることに、危機感を感じています。
ICUでそのようなことがおこなわれることのないよう、反対声明に賛同署名します。
ミスコン自体はもちろん、それを巡る議論の中で数々の暴力を感じました。
自分のいる場所に危機を感じました。
ミスコンが人を傷つけるものである以上、自分は反対します。
また、学内でミスコンについての議論がもっと行われることを望みます。
現在、学内にはミスコンについて考えを述べることが難しい空気が
流れているように感じます。
おそらくジェンダーやセクシュアリティについて述べること自体が
何らかのレッテルを貼られる可能性を内包しているからだと考えます。
そのこと自体も社会的に大きな問題ですが、
少なくともICUでは意見の内容で相手を勝手にラベリングすることのない議論が可能だと信じています。
また、その議論の場がどのような意見であっても、どんな立場であっても
それぞれが自分の考えを表明できる場であることであればよいと願っています。
ICUがもっと自由にジェンダーやセクシュアリティの話をできるような場所になりますように。
現在私は、一応「男」というカテゴリーを生き、恋愛・性愛対象は「女性」
です。
しかしよくこの男らしさというものが、自分が生きる上でうっとおしさや、
疑問を感じる事があります。
いわく「男は腕っ節が強くなければ」、「俺は今まで何人の女性と肉体関係を持
った(男性性と力の誇示)」、「男は甲斐性=金をもってこそ(経済権力への無批
判)」。
この要素に入らない「男」というものは、別に犯罪を犯したわけでもないのに、
なにか社会から圧迫を受けるような生を生きざるえません。それは私にとって息
苦しく、潜在的に多くの人が息苦しいのではないでしょうか。そして、これは批
判的に考え直される文化的価値であると、少なくともこう言えるのではないでし
ょうか。
逆説的なことですが、「魅力的な女らしさ」を争うミスコンに無批判であることは、
女らしさ・男らしさの再生産に無批判になることです。
それは少なくとも学問の場所、大学で行うのは相応しくない。
ミスコンへの反対は、私が悩まされる・批判的に見ざるをえない「男らしさへの」
批判であり、それは同時に「女らしさ」への批判とならざるえません。
ですのでICUでのミスコン開催に反対いたします。
(詳細に考えなければなりませんが、ミスコンが開催されない事により、誰かが被害
を被るということはあまり想像できません。いわゆる「美男美女」もそうでない人々
も、普通の生活が送れます。そして今までの「美醜」を見直すことこそが、健康かつ
文化的な生活、本当の意味で美しく楽しい生活を作り出す切っ掛けとなるでしょう)
(それと、選考基準が「ファッション」・「料理」・「プレゼン」であれば、なぜそ
こにXX
染色体を持つ者(男)が参加してはいけないのでしょうか)
関係各位の方々は、冷静な議論と判断を期待したいと思います。
ミスコンやめといたほうがいいとおもいます。
ミスコン主催者は適切な説明責任を果たしていません。しかも、盛り上がれるのは一部だけで、多数の人を不快にさせたり、傷つけたりするイベントは祭りにふさわしくありません。男性のまなざしによる「女性のランク付け」という行為を、公的な場で共有してもいいのでしょうか。「社会では当然やっていること」だからやってもいいのでしょうか。いやしくもCritical Thinkingを学んだ者として、社会常識に疑いを持てない態度、恥ずかしくないのでしょうか。
ミスコンのような企画は、正直もう必要ないんじゃないか、と考えます。
正直、古いと感じざるを得ません。
さらに今回はバックに企業がついているということ。学生が学生の力によって学生文化を育むべきだと思うので、こういうや企画は相応しくないものと考えます。
ミスコン開催が、ICUのよさを否定することにつながるのではないかと非常に危惧しております。
また、性別で判断する訳ではありませんが、この男女比の偏った学校内でミスコン開催者関係者の男性率が高いのも少々疑問です。
いろいろあって学園祭は公式行事ではないようですが、大学を公の場で代表するイベントではあるので、大学側もなんとか言えばいいのに、、
学校でミスコン反対を呼びかける運動はしないのですか?署名活動など、、ぜひするべきだと思います
本当はもっと対話が必要なんじゃないかと思う。企画した人たちには、その人たちとしての考えがあったのだと思う。だけど、今このスピードで実施に向かっている恐ろしさを考えると、自分は反対を表明したい。ミスコンに向けて盛り上がっていくキャンパスがどんなに生活しづらい環境になるかを想像してみる。学生時代のことを思い出して、息苦しくなる自分がいる。恐怖心を感じながらも、ファイナルの準備とサークルに追われている、在学生の後輩の姿。企画団体の人たちには、考える時間を持ってほしい。 可 / Visible 本当はもっと対話が必要なんじゃないかと思う。企画した人たちには、その人たちとしての考えがあったのだと思う。だけど、今このスピードで実施に向かっている恐ろしさを考えると、自分は反対を表明したい。ミスコンに向けて盛り上がっていくキャンパスがどんなに生活しづらい環境になるかを想像してみる。学生時代のことを思い出して、息苦しくなる自分がいる。恐怖心を感じながらも、ファイナルの準備とサークルに追われている、在学生の後輩の姿。企画団体の人たちには、考える時間を持ってほしい。
ページを過去にさかのぼっていただくと、今回より前に署名くださった方のリストが2つあります。
順不同
黒澤美子さん
伊藤寧美さん(ICU生(ID11))
匿名希望さん
匿名希望さん(ID10, 一橋大学大学院)
細谷みゆき/HOSOYA Miyukiさん
匿名希望さん
山口梓さん
匿名希望さん(卒業生(ID:11))
遠藤礼子さん(プリティユニオン)
長尾有起さん(ICU卒業生(ID08))
Carole Hisasueさん(79)
永野潤さん(フェリス女学院大学等非常勤講師)
ICUの中でも外でも差別を再刻印するイベントには反対する、ということがわかりやすく書かれている共同声明に共感しました。ありがとうございました。
いかなる「新しい価値観」に基いた基準であろうとも、人間を一列に並べ、審査格付けすることは差別的です。その典型であるミスコンに反対します。
卒業生が口を出すのもどうかと思ったのですが(ID 98です)、Mrは?Mrsは?男と女という二項的な枠組みにはまりたくないかもしれないLGBTその他の人たちは?などと考えるうちに、やはり賛同しようと思うようになりました。
本当に、この企画をICUでやる必要性はあるのでしょうか?
大学で学んだことをもとに、考えれば、ICUのポリシーに反する行為だと思います。
この企画をやること自体は些細なことですが、そのことによって、これまでICUが大事にしてきた何かを大きく損なうのではと考えます。
卒業生の親です。共同声明に賛同します。
前からミスコンはおかしいと思っていました。女性は男性の目を楽しませるために存在しているわけではない。そのうえ今回は審査項目に料理って、何様なんだと思います。男性の「女はこうあってほしい」願望丸出しじゃないですか。
私の大学でも地味にミスコンやってますが、周りの男子が「あの子が可愛い」「あの子はイマイチ」なんて言ってるのをみると腹が立ちます。何の権利があって人を品定めしてるのかと。
最近ミスターコンや女装コンテストも始まりましたが、そっちは完全にお笑いで、おもしろい人が勝ち。男性は(男性としての)見た目の良さや女性からの願望で評価されることはありません。
これを差別を言わずになんと言いますか。
どうでもいい事だと思われる方も多々いるとは思いますが
私にはそうは思えません。
小さなこのイベントが社会に与える影響を大きく持っていると思っています。
私が出来る事はこの様に企画へ反対するくらいですが
それが少しでも何かの力になれるのであればと思い
賛同署名させていただきました。
共同声明に全面的に賛成いたします。
ミスコンが行われ続けていること自体に反対ですが、特にICUで開催しようとする事に呆れています。
ICUがこれ以上”フツーの”大学に成り下がらないように、署名します。
前回のまとめ以降に署名してくださったかたのリストです。
前回の分は、ページをめくっていただくと御覧いただけます。
順不同
Merita Wi-Kaitaiaさん(Former ICU Student)
森山至貴さん
石原みき子さん(環境とフェミニズムの英会話寺子屋)
高原さつきさん
岡田健一郎さん
宮澤日奈子さん(ICU(11))
釜野さおりさん(国立社会保障・人口問題研究所)
中村優子さん
蔦森樹さん(琉球大学非常勤講師)
長山一石さん(LSE)
久保田裕之さん(卒業生ID05・元CGSスタッフ)
竹内絢さん
Munehito MOROさん(ICU 12)
米岡裕美さん(立命館大学大学院)
秋山まなさん(ICU卒)
二木泉さん(ICU卒業生・非常勤職員)
Akiko Yonemitsuさん(ID 11)
匿名希望9名(ICU (ID14)、卒業生、国際基督教大学4年)
なお、この賛同署名は、ミスコン開催に対しての意見箱ではありません。おひとり、以下の「共同声明に賛同します」にチェックをいれて「ミスコン開催賛成」の意見を送ってくださった方がいましたが、そのような意見はこの賛同署名ではなく別の場所でご表明下さい。なお、現在までに頂いたなかで同様の誤解をされた方はこの方1名なので、例外として署名人数から除外致しますが、今後同様の署名があった場合にはそれも本声明への賛同署名とみなします。どうぞお気をつけください。
私のブログ(ソウルヨガ)でも紹介しましたが、ICUの外にも目を向けたところにとくに共感しました。
是非をきちんと議論するのは大切。それぞれの物の見方をぶつけてみればいい。で、私は、このようなコンテストには反対です。悪ではないが不要だと思う。女性の品定めなんて、どんな理屈で正当化しようが、やはり本質的に下品な行いだもの。人間のダメなとこを誰もが免れない「罪」として自覚しつつ、それとどうやってそれと向き合うかという課題を大事にしている大学だと思うから、きちんと考えてほしいな。あの宣言文に署名した時に、自らの行いを問い直す重い決意に緊張しながら、誇らしい気持ちにはなりませんでしたか?
ツイッターから流れてきました。
「ICUのミスコン」と言う文字を見ただけで、「なにそれ、ICUらしくない!」と強く思いました。
共同声明にもあるように、すべての差別に反対するのがICUの精神であると思っています。
ミスコンは性差別のひとつの象徴と言っていいと思います。
それを、わざわざ、ICUで!?
理解に苦しみます。
学外で行われるミスコンに関しては、意見を言うのが(聞いてもらうのが)困難な場合もあると思います。
でも。私の愛する母校については。そんなことをやってほしくない。
かつての社会科学科でジェンダーについて学んだ者としても。
まだこんな差別が堂々としかも勉学の場で行われようとしていることに
憤りを覚えます。
絶対行われてはならない。
Let's keep ICU as an institution where its students are respected and not abused!
日々、ミスコン的 価値観に傷つけられているワタクシはこの会の趣旨に賛同し、
全てのミスコンとそれを許す土壌に反対の意思を表明します。
I certainly agree to this statement against beauty pageants. I liked how ICU has been, and having no beauty pageants I felt shows how ICU is different from other universities in Japan. Things change as time passes, but some parts are things that should be maintained to keep its originality.
While attending ICU, I was always thankful and proud of the extent that it celebrated diversity. I am therefore against the idea of having a beauty pageant, as it would only promote a certain type of "women's beauty."
ミスコン開催に強く反対します。ミスコンのない大学であることを誇りに思っていました。今回のような企画が出ていることに強く失望します。
美というものは一元化したり比較したり、ましてや序列化できるものではありません。
美意識は歴史・文化を背景に形作られます。歴史・文化が異なれば美の基準は異なります。既存の美意識による美の序列化は、性差の非対称による支配・服従の権力構造に、さらに被支配側を序列づけた結果、女性同士にも権力構造をも付け加える結果をもたらします。女性の美しさの多様性を否定し、規格化された美意識基準で女性を陳列、審査、等級をつけるミスコンは明らかに女性に対する人権侵害であるとともに、暴力、性暴力の一形態であると考え、共同声明に賛同します。 可 / Visible
投票者による「主観」での投票である以上、また、「ミスコン」と銘打った企画である以上、「自分自身の「魅せ方」を競う」とはいえ、そこで行われる評価には目に見えない、ある価値観が内包されてしまっているように思えてなりません。本当に、既存の、差別的なまなざしの含まれる価値観から離れて、「主観」で評価するということができるのでしょうか?評価が行われることで傷つく人は、本当にいないのでしょうか?
私はミスコンを「祭りのイベントの一つであって、楽しめる人が楽しめば良い」という性質のものではないと思います。「(女性は)こうあるべき」という善し悪しの再定義が、どうしてもされてしまうからです。そのような画一的な定義が全体で共有されることは、多様性を否定することになってしまいます。多様性を否定する、差別的な価値観を拡大させてしまうようなイベントには、反対です。
ミスコン開催をやめていただくよう、お願いいたします。
・所属の公開について不可としましたが、ID14であるということは公開してくださって問題ないです。
・ミスコン反対の共同声明を読ませていただきました。まったく同意いたします。そもそも、あまり詳しいことは知らないのですが、元の開催動機ではミスコンである必要ではなかったようではないですか。そこからどうしてミスコンでなくてはならなくなったのか、ということに疑問があります。ミスコン以外に一般受けしやすい企画を考えるのが面倒だったのか、それとももしかして自分の中の不純な動機(綺麗な人がみたい・知り合いたい等)を優先させてしまったのかどうか。一般受けする企画なら他にも考えようがあると思いますし。これは私個人の意見ですが、折角大学のお祭りなんだから一般受けを狙った企画ではなく、学術的なそれでいいのではないかと思います。
話は少し変わりますけれども、どんなに企画者の方々がICUでのミスコンを従来とは違うジェンダー的にも認められるミスコンにするつもりで企画を立てたとしても、見る側の人々は従来の考え方で見るわけです。一般受けを狙っているならなおさらです。共同声明にも書かれていたかと思いますが、ミスコンでは結局「美」が競われることになるわけですから「美の画一化」が無意識下で行われてしまいます。コミッティーとCGSスタッフの対談記録にも同じような話がありましたが、ミスコン反対というと、大概「はいはいCGS、はいはいフェミニスト」って言われます。もしくは「ハイハイ優勝が期待できない子」。これには苦笑ですが。ミスコンには、今挙げた3つの他にも、もっと複雑な社会的問題があるということを考えてほしいと思います。
えー、まだまだしゃべらせていただきたいことがありますが、既にずいぶん長くなってしまったのでここで切らせていただきます。機会があれば有志の方々とお話できれば幸いです。読んで頂きありがとうございました。
女性とカテゴライズされる人々が容姿によって評価されることに疑問を抱かず、さらに積極的な意味を持たせることに対してまずは不愉快です。希望する人だけ評価されるのだから良いという考えもあるかもしれません。しかし、ミスICUというものを考える時、その土俵に乗っていないICUの人々も分母に入れられてイメージされてしまう危険性があると思います。私は気にしない、と思っている人だって、ある特定の評価基準に無意識のうちに自らを照らし合わせ、押し込めてしまう可能性も否定できません。ICUのキャンパスがどんな人々にとっても居心地のよいものであり続けるよう願っています。
折々のイベントでICUにかかわらせてもらいました。樹々の茂る、ひろびろとしたキャンパスの中で、のびのびと学んでいる学生さんたちの姿が印象に残っています。けれども、忘れてはならないのは、そのキャンパスの中に、性差別を受けている人やマイノリティの人々は存在し、あなたの隣にもいるということです。ひとつひとつのかかわりが、どうか、排他的になりませんように。互いに話し合うことが放棄されませんように。何よりも、「すべての人間は、生れながらにして自由であり、かつ、尊厳と権利とについて平等である」という一節を含む「世界人権宣言」に署名してから大学生活をはじめたということに立ち返って議論がなされますように。
最後になりますが、そうした理念にもとづいたICUのミッションに敬意を表します。
開催に反対でもありますし、この声明文にも賛同しますが、今回さまざまな方のやりとりを見ていて、お互いにこのような意見の述べ方でいいのかと思う気持ちが強まっているのも事実です。
このサイトで署名した人全員の行動について知っているわけではないし、呼びかけ人の方々みなさんの行動いついて知っているわけではないので、私が念頭においている行動の方がどれだけそこに含まれるかわかりませんが、ここで署名することと、行動の仕方に賛同することとは別に受け止めてほしいという気持ちが率直な気持ちとしてあるので一言コメントを残すことにしました。
ちなみに今回反対声明に署名したので、反対する方々の行動のありようについてのみ意味しているように見えますが、そうではなく、賛否のいずれにおいてもあるいは判断保留の方についても同様です。
私自身が反対したいと思う理由は声明文の内容と齟齬を来すものではありませんが、このような目的を達しようと思った場合に、果たしてこのような意見を直球でぶつける形のみでいいのかということを感じています。一番理解してほしい相手が、結局のところ「面倒くさくて」あるいは「圧力をかけられたと感じて」押し黙り行動を控えるが信念は変わらずにいるという結果をもたらすだけに終わる可能性はないかと感じるのです。それが本当に反対する側のみなさんが欲している結果なのか?と疑問を覚えます。
CGSの記事を読みましたが、あのような対話の場こそが本当は今回必要なのではないでしょうか。どうして企画者はこのようなことを思い立ち、それに賛同する人々はなぜ賛同しているのか、そこを企画者・賛同者側も考え、語り、私達も理解しないことには前進しないように思うのです。
ネットを活用した意見のやりとりは便利さもありますが、今回FBやtwitterなどでのやりとりにはそうした対話的側面が観察されていないように思います。この共同声明の内容には賛同するのですが、今の現状でこうした内容を声を大にして叫ぶことで、ますます対話の場から人々を遠ざけることにならないことを私は心から願っています。
声明文を出す重要性がないと言っているのではありません。単に互いが意見表明しあうだけでは全く「対話」になっていないということ、対話なくして双方が理解しあい、問題を解決することはないのではないかと私は考えていると伝えたいだけです。
呼びかけ人にも、賛同者にも、また、この声明文を受け取る側も、賛同する気持ちなくしても目にする人にも、ぜひそのようなことを考えてほしいと思い、長文ですがコメントに残させていただいた次第です。
順不同
中谷いずみさん(奈良教育大学)
北村紗衣さん(ロンドン大学キングズカレッジ)
Natsumi IKOMA さん(ICU)
コー ダイアナさん(法政大学)
重松智子さん
近藤弘幸さん(東京学芸大学)
堀真悟(Hori Shingo)さん(ICU非常勤職員)
金明秀さん(関西学院大学)
坂詰みどりさん
清水晶子さん(東京大学大学院 /ICU非常勤教員)
遠山日出也さん(草津市)
岸本あかねさん
Wakaba Fukadaさん
片岡平和さん
奥山たえこさん(杉並区議会議員)
堀江有里さん(日本基督教団牧師)
KATO, Kaoriさん
金子活実さん(一橋大学院)
飯野由里子さん(東京大学)
Ookawara, Yasutakaさん(卒業生(ID:99))
笹沼朋子さん(愛媛大学)
義澤秀香さん(卒業生)
Teneal Jonesさん
IYORI, Ayaさん(早稲田大学大学院政治学研究科(ID:101109))
賀谷恵美子さん(NPO法人スクール・セクシュアル・ハラスメント防止関東ネットワーク)
新垣民邦さん(02年ICUHS卒業)
池田久美子さん
Keiko Hayashiさん(Former Student)
Aiko Yoshinariさん
北島瑞穂(Mizuho Kitajima)さん
佐々木裕子さん(ICU06卒業生)
Grace Leeさん(Former OYR)
Anna Mukaiさん
かとうちひろ さん
徳安真理子さん
梅田美奈さん(早稲田教育複合文化)
鶴見美巴さん
その他、コメントのない匿名希望さん10名
ICU13、SS、OB/IS
6月11日深夜現在、合計80名の署名を頂いております。
みなさんのご協力に感謝します。
美しいと決めるのは、個人的な感情ではなく、美の多様性を広げることでもなく、社会的に構築された、規範です。その規範を私達が、「気づかないうちに」強くつよく内面化してるっていうことに、どれだけ意識的でいられるかどうか。それが批判的に生きるってことだと思う。ミスコン、反対です。
ICUはほかの人とは違うこととか、ユニークなこととか、一人ひとりのよさを認めるいい風土があると思っています。が、こういうイベントは、多様性を否定し、一つの価値観に人をあてはめようとしていないですか?すごく視野の狭いとしか言いようがないです。
現実社会の中で、私たち女性はいまだに差別を受けており、それが「常識」となっています。女性を容姿で評価することも明確な差別ですが、社会の中では「常識」の一つとして私たちの意識を強く支配しています。この中で、大学は社会の「常識」を一つひとつ批判的に吟味し真理を探究する場であってほしいと思います。大学の中で「常識」が無批判に再現され、また差別の再生産に加担することが残念でなりません。ミスコン開催をやめていただくよう、お願いいたします。
共同声明に加えて。
美というものに価値がおかれる社会である(女性の場合は特に)という認識はミスコンに賛成する人も反対する人も持っているのだと思います。ミスコンが嫌なら見なければいいとか、参加しなければいいというミスコンを擁護する意見もあったようですが、特定の美に価値を置く社会の中で行われるミスコンは、いわば「決勝戦」であり、ミスコンの舞台に上がっていなくても、ほぼ同等の基準によって日々美醜は判断されており、「女性」は誰もこのゲームからは降りられないのだということが、私には不快なように思われます。(もちろん、「女性」というカテゴリから疎外されるという差別もある)
ミスコンは、単なる学園祭イベントとしては片付けられません。“マジョリティ"の価値観を押し付け、それを以って人に優劣を付ける。これを差別と言わずして何になるでしょう。たとえそこに料理やファッションというカテゴリーが与えられたところで((このカテゴリーの与えられ方自体がすでに問題ですが)、一体誰の舌や、誰のセンスがそれを決めるのでしょう。誰のための、何のためのコンテストなのでしょうか。私には、それは(目に見えない)多くの人の人権を侵害する、暴力性をもつ「差別」のお祭りにしか映りません。開催に反対します。
学問の場である大学で、外見だけ人を格付けするコンテストをする必要を感じません。
”Love your neighbor as yourself.”
他人の価値を内面化させてそれに自己を当てはめようとすることほど、無意味な辛さやしんどさを生み出す行為はないと思う。自分を大切にできてこそ隣人を愛せると思います。その意味でも、「価値」を順位付けしようとする「ミスコン」の開催には反対です。
どんどん他の大学の雰囲気と同じような感じになっていくICUになんだかなーと思っていたけれど、ミスコン開催予定と聞いてさらにがっかりしています。自分はむしろぼーっとしているほうですが、ICUにはもっと尖った視点で物事を見ている人が多いと思っていたし、そういう環境に身をおけることを多少誇りに思っていたので。
今回の声明やツイートなどを見て、よく考えれば考えるほどミスコンというものが不愉快な仕組みの上に成り立っているものであることがわかってきます。表面だけ見ていれば、学祭の中の楽しいイベントの一つになりえるのかもしれないけれど、「ICU的」鋭い視点で考え直したら、このイベントのせいで嫌な思いをする人がいるかもしれないっていうことにすぐに思い当たるはず。そういうことは、やっぱり常識ある大人として開催するべきではないんじゃないかと思って、今回の声明にも賛同します。
私たちがなぜよくないって思うのか、少しでも相手側に伝わるといいなと思います。
共同声明に賛同します。容姿の評価が女性にとってのみ特別な意味をもつことは不公正なことだという理解が広まることを願って。
ツイッターで反対運動を知りました。つまらない性の基準をおしつけるミスコンには反対です。
大学ではありませんが、娘がICU高校でお世話になりました。ICUの精神=人権侵害のない教育・研究・就労環境を整え、構成員が安心して過ごせるキャンパスを確保する=を高く評価しています。ミスコンはこれに逆行するものです。強く反対いたします。
質問
「本学の構成員はみな献学の精神である国際性」の部分の「献学」はこの字なんですか? 「建学」ではなくて。
ミスコンに限らず、現代の日本社会に暮らす人は自分を商品として扱うことに慣れすぎているのでしょう。学生のうちから、己の商品価値を「自己分析」し、上手なプレゼンによって自分という商品を売り込むことが常態化してしまうと、人間を商品としてしか評価できない貧困さを身につけてしまうでしょう。そして、商品同士を競わせ審査し享受する側/商品として競わされ審査される側、という間の権力関係を批判的に捉える視点も失われてしまいます。こうした「己と人を商品として扱うことが常態化している」という意味で、残念ながら、日常生活そのものが「ミスコン化」されているのがいまの若者をとりまく環境なのかもしれません。ミスコンに象徴される、「売る側/売られる側」「審査する側/される側」の権力関係と、それがジェンダーと不可分に結びついていることがまったく問題として捉えられない有様です。
日常生活そのものがミスコン化していては、ミスコン批判を己の日常の否定と捉えて反発するのはまあ当然なのかもしれません。しかし、日常への批判意識無き学問&学生に存在意義などあるのでしょうか?
ミスコンについてはずっと自分の中でもやもやした気持ちがありました。今回共同声明を読ませていただいて、ミスコンに対して自分自身が違和感を持っていた点、なんとなく嫌だと感じていた理由が明確になった気がしています。他大学ではありますが、署名と言う形で応援させていただきたいと思います。
2011/06/11 10:27 に chicomasak が投稿
2011/06/11 10:27 に chicomasak が投稿
2011/06/11 10:26 に chicomasak が投稿
2011/06/11 10:26 に chicomasak が投稿
かように蔑視的なイベントの開催に反対いたします。
ICUにミスコンは似合わないと思います。
I agree
「ミスコンがない」という事実は、ICU生だった頃の自分にとって、軽く言えば〝ICUの好きなところ〟の一つであり、もっと言えば〝ICUをICUたらしめている基本理念の一つの顕れ〟であり、どちらにしろ、当時からその〝不在〟を非常に意識し(そして歓迎し)ていたことでした。
今、ICU祭でミスコンを行うという話を聞き及び、そのバックラッシュ(と言うより現在進行形の世間的風潮へのおもねりか)を大変残念に思うと同時に、一関係者として見過ごせないものと考え、本共同声明に賛同します。
ファッション・料理・プレゼン等を基準にするという噂も聞きましたが、「顔とスタイルで判断するんじゃなければいいだろう」程度の認識なのでしょうか。問題は、何かを基準として「ミス」の名の元に女性の〝あるべき姿〟を規定しようとする態度そのものにあるのです。(世界の様々な「ミスコン」でも、実態はどうあれ容姿以外の基準項目を設けています。)
ファッションや料理やプレゼンのコンテストをするなら、「ミスコン」などという名前を付けずに、性別問わず参加者を募り「ファッションコンテスト」や「料理腕比べ」「プレゼン大会」をすれば良い。女性、男性、あるいは日本人、○○人…何でもいいですが、わざわざそうした属性で他者のアイデンティティを区切り、そこに〝望ましい〟とされる基準→価値観を付与していく、同時に、そうした枠組みに収まらない(と感じている)人を無意識的であれ排除する行為=ミスコンが、能力テストとは全く異なる問題を孕んでいることに、何故企画者は気づかないのでしょう。
個人の資質の問題と考えるべきかもしれませんが、ICUの教育や入試形態の変化も影響しているのだろうか、と憂いたくなる事態だと感じています。
I would like to add my name to the brilliantly written statement speaking out against the 'Misskon'.
私はセクシュアルマイノリティの一人としてICUのキャンパスで過ごしています。「ジェンダー、セクシュアリティ研究が進んでいるICU」というイメージに対して、実際はあらゆる場面で差別的な発言がなされていたりします。この現状に対して、私はICUは日本社会の一部である以上、世の風潮の影響にされされるし、仕方ない。これが現状であり、この社会で生きていくことなのだ。と自分に言い聞かせて強くあろうと普通に生活をしてきました。そんな中、ICUでミスコンを開催すると聞き、とても驚きましたし、ショックでした。これはICUで差別的発言が日常的になされていること、「そういう雰囲気があること」を表しているのだと思います。私は世の中に対しては、諦めていかないととても生きていけないので、期待しないで生きてきました。でも、今回のICUでのミスコン開催には断固として反対です。なぜなら、「人権宣言を掲げてきたICU」がミスコンを行ってしまったら、もう終わりだと思うからです。私は他のミスコン全てに反対ですが、ICUがミスコンを開催することが他の大学でのミスコンよりつらいです。それは世界人権宣言をへの裏切り行為であり、その宣言を信じてICUで過ごしてきた、全ての人への裏切りだからです。以上の理由で、私は共同声明に賛同致します。
時代に逆行したイベントと言わざるをえない。
例えば横浜市は2002年に「ミス横浜」という名称を廃止して「横浜親善観光大使」に変更している。
直接的には関係ないかもしれないが日本は男女平等指数94位である。ジェンダーに対する意識の低さを感じた。
これだけの反対論があるなかで「誰もが安心して学生生活を送れるキャンパスであるべき」というICUの基本的な理念(建前)を破壊・変容させるようなミスコンが開催されようとしていることは、とても残念なことです。
ICUは素晴らしい学校です。
わざわざ差別構造を構築しその上にICUの全学生たちを
乗っけるような真似は止めて下さい。
ミスコンに出場する生徒だけが差別の被害者ではありません。
潜在的にエントリーさせられる全女子学生はもちろん
その差別の様子を容認し楽しむ男子学生も差別構造の被害者に
なるのではないでしょうか。
学生のためを思えば開催すべきでないという結論が出るはずです。
どうかICUの名を汚さぬよう。
ミスコンは、歴史的背景から、やはり女性差別であると思う。加えて、ミス・ミスターという二元的な性別のくくりは、セクシュアルマイノリティーのひとを疎外するものではなか。ミスコン開催について、セクシュアルマイノリティーの方々の意見が聞きたい。
ミスコンは生身の女を「娼」と「母」に切り分ける「まな板」。
身売り希望学生は「外部市場」へ。
ジェンダーや性的イメージ、身体の画一化、男女の不均等などの問題はただひとつのミスコンに反対するだけでは収まり切らず、いやむしろひとつのイベントやドキュメントに拘り続けることが論理的な破綻をきたすものだとは十分意識される必要がある。
それだけわたしたちの生活や習慣、文化、価値観に深く根差した問題である。
ここでは、ICUというロケーションとそこに関わる言論領域の可能性を重大とみなして反対を表明する。破綻や矛盾を怖れず、そこにある問題に立ち止まって思考する機会として、反対運動を位置付けるものとする。
2011/06/11 10:20 に chicomasak が投稿
2011/06/11 10:19 に chicomasak が投稿
2011/06/11 10:19 に chicomasak が投稿
2011/06/11 10:18 に chicomasak が投稿
2011/06/11 10:17 に chicomasak が投稿
奴隷を品定めするのはもうやめましょう!
若い人たちが考える端緒になってほしいです。
久方ぶりにミスコン議論が盛り上がったことが不幸中の幸いです。
共同声明に賛同します。
小さなところから着実に、社会のこのような性差別が見直されていくことを望みます。