「国際基督教大学(ICU)におけるミスコン開催中止をうけての共同声明」

ICUのミスコン企画に反対する会(以下、「反対する会」)有志メンバー 2011年10月10日

私たちは、国際基督教大学(以下、ICU)に関わる様々な市民です。2011年10月に開催されるICU祭にて、学生団体ICU-CP9主催によるICUでのミスコン開催が企画されていると聞き、企画に反対を表明する共同声明を出し、署名活動をすすめてまいりました。

(共同声明 https://sites.google.com/site/missconhantaiicu/jointstatementjp

それと同時に私たちは主催団体ICU-CP9との話し合いの機会を模索し、再三メールにて日程調整をお願いし続けておりました。しかし残念ながら8月11日以降お返事をいただくことができておらず、話し合いは実現の見込みがついておりません。

そんな中、ミスコン企画を断念し中止するという声明が、10月3日に学内向けサイトへの掲示という形で主催団体から出されました。

私たちは、今回主催団体から出された中止声明に納得しておりません。前回の声明文にてミスコンを含む差別的な行為に反対するとともに「ICUは社会から独立した象牙の塔ではありません」と述べましたように、ICUで今年度のミスコンさえ中止になればそれでいいという立場ではありません。

中止声明には、主に以下の2つの問題点があると、私たちは考えます。

(1) 中止決定の原因が具体的に何であったのか明言しないことで、主催団体は企画に対する反対活動や反対意見を矮小化しています。

ICU祭実行委員会への寄付金打ち切り示唆とは、一体どの団体が行ったものなのか。「関係各所」の圧力とは、具体的にどのようなものだったのか。具体的にどのような「誹謗中傷」が主催団体に向けられたのか。その内実が不明瞭である以上、中止の直接的原因となったものは「圧力」あるいは「誹謗中傷」のいずれかである、という印象付けは、これまでに表明された反対意見を矮小化する効果を持っています。

例えば、「反対する会」で私たちは、「圧力」でも「誹謗中傷」でもなく、言論という方法でミスコンの危険性を訴え、その上で主催団体及びその他の関係者がしっかりとこの問題を考えて、結果として中止を自ら選択することを望んでいました。

しかし主催団体は「反対する会」やその有志メンバーによる声明文公開をも「圧力」と解釈されているのかもしれません。ただ、私たちはむしろ逆に、ミスコン開催やその発案そのものがある種の圧力によるものであると感じています。「ミスコン」企画案は、思いつきのようであっても、現在の抑圧的な社会構造を前提としなければありえないものです(*注)。その構造を、そしてそれを反復・再生産するミスコン企画を言論的に批判しようとしていた私たちを「圧力」と呼ぶのは、私たちの活動を矮小化することです。

あるいは、「誹謗中傷」だったという認識かもしれません。しかしこれも、私たちの活動を矮小化していることには変わりありません。「ミスコンという企画を通して、ジェンダーについて全学規模で関心を持って頂き、議論を引き起こす事」を目標としていた団体が、私たちの活動や、インターネット上やオフラインで反対意見を表明した人々の行動を「心無い誹謗中傷」ともしも認識しているのであれば、一体どんな形でどのような意見を表明すれば主催団体の言う「議論」と考えてもらうことができたのだろうかと不思議でなりません。

あるいは、私たちの活動は「圧力」でも「誹謗中傷」でもなく、中止の直接的原因とはならなかったと認識しているのかもしれません。それは、反対意見に反論できずに中止したのではないぞ、つまり、中止を決断させるほどの説得力のある反対意見は存在しなかったのだという宣言であり、私たちの活動を矮小化するものです。また、それは同時に、「ミスコンという企画を通して、ジェンダーについて全学規模で関心を持って頂き、議論を引き起こす事」という主催団体の目的(学内サイトW3における同団体による2つめの投稿より)とは一切相容れない形で、主催団体が自ら議論を放棄したという形で中止を決めたことも意味します。

(2) また、主催団体は、自らの声明の読者を「ICU生」「卒業しても尚母校愛に溢れるOBGの方々」「面倒事の解決に積極的に動いておられた大学本部の方々」「遍く世間の煽り耐性が無い方々」のいずれかであると想定することで、誤った現状認識を表明しています。

今回のミスコン企画に対する「反対する会」の一連の動きは、「卒業しても尚母校愛に溢れるOBG」によるものではありません。立ち上げ、声明文執筆、署名活動にわたるまで、すべて在校生、卒業生、そして様々な市民が連携を取りつつ行なってきたものです。むしろ、声明文はミスコンを人権問題として捉えるものであり、在校生や卒業生、あるいはICUという一大学の枠すら超えた動きであったことは、主催団体に提出した署名からも明らかにわかることです。

また、「面倒事の解決に積極的に動いておられた大学本部の方々」という表現は、ICUとは人権問題を「面倒事」と認識する大学であるという宣言であります。私たちには、世界人権宣言を創立の精神の柱とするICUの大学本部の方々がみなそのような認識であるとは到底思えません。むしろ今回の一連のできごとを「面倒事」と感じていたのは主催団体であって、それが文章に表れているのではないでしょうか。

人権問題を「面倒事」ととらえるのは、典型的な差別容認の手口です。批判を受けている自分ではなく批判している側に問題があるのだという印象を与えることによって、人権問題に抗う声を「面倒事」であるとし、「誰もが口をつぐんでいる状態」を「問題が起きていない状態」と混同する手口です。そうすることで、差別的処遇によって不利益を被っているひとびとの声を封じ込め、勇気を出して実際に声を上げたひとびとの声を無効化し、特定のひとびとを黙らせているのです。

更に、「遍く世間の煽り耐性が無い方々」という表現の「煽り」という言葉がもし今回のミスコン企画自体を指しているのならば、「ミスコンという企画を通して、ジェンダーについて全学規模で関心を持って頂き、議論を引き起こす」という企画の説明と著しく矛盾が生じます。

企画は「ただの煽り」だったのだから反対活動は過剰反応だ、というかたちで、反対意見を表明したひとびとの声を無効化しようとしているのでしょうか。反対活動をしている私たちや賛同署名をした方々はおろか、在学生で反対の声を挙げた方々のことをも「煽り耐性が無い方々」と呼んでいるのだとすれば、現場において抗議の声をあげるという行動の重要性を無化し、リスクを背負って発言した人々の勇気を踏みにじる行為です。

そこで私たちは、以下の3点に関する説明を、主催団体、およびICU祭実行委員会に要求します。

  1. もしも「寄付金打ち切り可能性の示唆を含む関係各所の圧力」が存在したのなら、主催団体ICU-CP9、および声明において圧力をかけられたと指摘されているICU祭実行委員会が、具体的経緯を公開すること。
  2. 具体的にどのような「心無い誹謗中傷」があったのかを公表すること。
  3. 主催団体のICU-CP9が、今後どのように「ジェンダー問題について考える」つもりなのかについて説明すること。

私たちは、今後もICUやそのほかの大学をふくめ、あらゆる場におけるミスコンに関して議論を継続して行きたいと考えております。今回のICUにおけるミスコン企画は、あらゆる権力構造が網目のように張り巡らされた現代社会で生きる私たちが権力に抗うことができずに、ともすれば不正義をおかしてしまうということの、ほんの一例に過ぎないのです。この企画が立ち上がったことは氷山の一角なのです。

ミスコンは人種的、身体的、階級的に画一的な女性の美のイメージの強化をもたらし、女性の性的対象化の道具として機能してきた歴史をもちます。そういったミスコンという催しをICUの学園祭で開催することが何を意味するのか、議論せずにこのような形で終結を迎えるのだとすれば、社会における不正義を温存し、未来に役立つ反省を阻むこととなります。そういった事態を防ぐためにも、主催団体及びICU祭実行委員会に上記の要求を致します。

ICUのミスコン企画に反対する会有志メンバー

2011年10月10日

注: 現在の抑圧的な社会構造とは、たとえば、性別を2つにわけることを当然とし、片一方をもう片方よりも劣位に置く構造であり、同調を要請してくる規範の圧力などです。「料理」が今回の企画において審査基準に採用されたことは、こうした規範圧力の一例であるといえます。さらには、資本が学問や教育の場に著しく参画してくる産学協同の圧力も存在します。たとえば、ミスコン企画の審査基準には協賛企業の商品宣伝プレゼンテーション能力も含まれていました。また、今回の企画案において使われた「ミスキャンパス」という名称は、特定企業の登録商標です。「ミスキャンパス」を登録商標とする企業が今回の企画に関わっていたのかはわかりません。しかし、ICU祭という場が企業活動の場へと変貌しかねない状況にあったことは事実でしょう。この資本主義社会において私たちは性差別や異性愛主義を強制されながら生きているということを忘れてはなりません。

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