Souk des Nejjarine(家具職人スーク)
Pl Seffarine(サファリーン広場)
広場の階段が仕事場
真鍮職人のスーク
フェズ川を渡る橋
橋の両側は高い塀に囲まれている
塀から川を覗くとこんな感じ
反対側はこんな感じ。右はタンネリ。その奥がカラウインモスク
たぶん幼稚園
パン屋さん
アンダルース門。スペイン、アンダルシア(コルトバ)から来た移民街
アンダルースモスクの案内版。モスクは9世紀に建てられたとか書かれている。
モスクの水のみ場
歯医者
入り口
モスクは859-860(245 AH)にマリアムビントモハメッドビンアブドラアルフィリ(同時にカラウィインモスクを設立したファティマアルフィリの姉妹)により設立。アンダルシアに背景を持つ住民のグループからも追加の資金を受けた。彼らは818年に難民としてウマイヤ朝の首長アルハカムからの激しい弾圧への蜂起失敗のちコルドバの街から逃げてきた。
モスクは、石の柱で支えられた蹄鉄のアーチの平行な列によって形成された5つの通路で構成されていた。クルミの木と他のいくつかの木が植えられた小さなサーン(中庭)が含まれていた。後の多くのモロッコのモスクとは異なり、アーチの列は東西に走り、南のキブラの壁に垂直ではなく平行だった。
10世紀の間、フェズはコルドバのウマイヤ朝とファーティマ朝の間の競争に巻き込まれた。しかし、これはアルアンダルシーインとアルカラウィインのモスクにとってはライバル派閥から後援を受けることになった。933年、ファーティマ朝の支配者ウバイド・アッラーの家臣であるフェズの新しいゼナタ知事、ハミド・イブン・ハムダン・アル・ハムダニは、フトバ(金曜日の祈りの間の宗教的な説教)の会場をこのアンダルシア人のモスクに移し、イドリス5世によってマディナファスに建てられた最初のモスクであるアルアシャフの古いモスクをフェズエルバリのアンダルシア地区のメインモスクとして置き換えた。同時に、クトバはシュラファモスクから市の対岸にあるカラウィインモスクにも移された。
956年、コルドバのウマイヤ朝のカリフであるアブドアッラフマーン5世は、今日まで存続するモスクのミナレットの建設を後援した。
985年、カリフ・ヒシャム2世の宰相でコルドバの事実上の支配者であったイブン・アビ・アミールは、従兄弟のアスカラジャを軍隊と共に派遣し、フェズとモロッコ北部を直接奪還。 フェズの奪還の成功から数か月以内に、ミンバー(教壇)はに新しい部品で作り直された。
アルモハド再建
第4代アルモハド・カリフであるムハンマド・アル・ナシル (在位1199年 - 1213年) は、前任者よりもフェズに大きな関心を寄せ、モスクのレイアウトを拡大することに加えて、アルモハドの再建では、記念碑的な北門、噴水、女性の祈りのホールの新しい入り口、女性の祈りのホールの上の階にあるイマームのための住居が追加された。また、古いミンバーも復元した。
モスクはまた、教育のための4つのコースを提供し、アルカラウィインモスクと同様に2つの図書館を含み、フェズのメディナで14番目に重要なモスクとなっている。
サッファー通りの案内。スーク(店)とフォンドク(宿)が軒を連ねていると書かれている。
たたずむフェズ猫12号と13号
みかん売り。2つの黒いボウルは秤
ガイドに連れられた怪しい薬屋
幼稚園
鶏肉屋、下のかごのを絞めて売っているので新鮮
ミントの葉
魚屋
おこぼれを待つフェズ猫12号と13号
隣も魚屋