目次
第一章 平和主義とは何か――平和主義の輪郭
1 定義と批判
2 強度の面から考える
3 範囲の面から考える
4 平和主義の二類型
第二章 戦争の殺人は許されるか――義務論との対話
1 非暴力の義務論的根拠
2 生存権に訴える
3 民間人に責任はあるか
4 兵士に責任はあるか
第三章 戦争はコストに見合うか――帰結主義との対話
1 非暴力の帰結主義的根拠
2 「最大幸福」の視点から
3 「最大多数」の視点から
4 帰結主義の留意点
第四章 正しい戦争はありうるか――正戦論との対話
1 正戦論とは何か
2 自衛戦争は正戦か
3 正戦を知りうるか
4 「非暴力は無責任」批判
第五章 平和主義は非現実的か――現実主義との対話
1 国際関係論における現実主義
2 現実主義は現実的かⅠ――目的としての安全保障の検討
3 現実主義は現実的かⅡ――手段としてのパワーの検討
4 「非暴力は無力」批判
第六章 救命の武力行使は正当か――人道介入主義との対話
1 人道介入主義とは何か
2 人道的介入のジレンマ
3 善きサマリア人の義務
4 非軍事介入のすすめ
終章 結論と展望
文献案内
はじめに
「戦は経験のない者には甘美だが、体験した者はそれが迫ると心底から恐怖を覚える。」(ピンダロス『祝勝歌集/断片選』四一四頁)
平和を愛さない人はいないだろう。だが平和主義となるとどうだろうか。一方で、文字通り平和を何よりも重視する生き方であるとして、好感をもつ人もいるかもしれない。他方で、戦争の放棄や戦力の不保持など、現実味のない遠大なユートピア主義にすぎないとして、拒否感を覚える人もいるかもしれない。しかし、例えば自民党が二〇一二年四月に公表した日本国憲法改正草案でも、改定版第九条の二において「我が国の平和と独立並びに国及び国民の安全を確保するため」の国防軍の保持を規定しながら、同時に前文で平和主義の精神を継承することを謳っている。この案を支持するかどうかはさておき、国際関係の指針として、平和主義を掲げることが何を意味しているのか、いま一度考え直してみる必要があるのではないか。
一言でいえば、平和主義とは、暴力ではなく非暴力によって問題解決をはかろうとする姿勢のことである。しかしながら、その思想や実践は決して一様ではない。例えば、非暴力の原則はいついかなる場合でも、例外なしに貫徹されるべきだと考える者もいれば、それはあくまでも原則的指針にすぎず、例外的状況では暴力に訴えることもやむなしと考える者もいる。また、非暴力の原則をあらゆる場面に適用して、個人の正当防衛や警察力の行使すら否定する極端な主張もあれば、その原則を国際関係の場面に限定して、平和主義をもっぱら反戦の教えとして理解する主張もある。このように、平和主義という観念は、それ自体で必ずしも整合的ではない多様な含意をはらんでいるのだ。
その理由の一端は、平和主義の歴史的出自が多様であるという点にある。例えば、ある歴史家は反戦平和運動の思想的ルーツとして、キリスト教、社会主義/無政府主義、功利主義の三つを挙げている(Ceadel, Pacifism in Britain, 1914-1945, p. 13)。一方では、特定の宗教的信条から平和主義に至る人もいれば、他方では、特定の国家観や革命理論の一環として平和主義に至る人もいる。戦前の日本では、前者の代表が内村鑑三、後者の代表が幸徳秋水である。さらには、イギリスの哲学者J・ベンサムのように、「最大多数の最大幸福」なる世俗的原理の追求から平和主義に行き着く場合もある。このように、平和主義は実質的に様々な思想の寄り合いとなっており、主義主張として統一されていない。
同じことは、平和主義に対峙する非平和主義にとっても当てはまる。これまで伝統的に平和主義の論敵となってきたのは、「戦争はときに正しく、ときに不正だ」と考える正戦論と、「戦争の正不正を議論するのは無意味だ」と考える現実主義だった。そのどちらも国際関係論上で有力な学説であるが、意外なことに、平和主義・正戦論・現実主義の三つ巴の状況を統一的に検討する試みは、国内外であまり見当たらない。さらに近年では、「人権侵害を阻止するための武力行使は正しい」と考える人道介入主義という立場が、非平和主義の論陣として新たに台頭しつつある。こうした論争状況を、あらためて整理しなおしてはどうだろうか。
これは、国民主権や基本的人権の尊重と並んで、平和主義を戦後憲法の基本原則として掲げる日本国民にとって、とりわけ重要な課題である。戦争の放棄や戦力の不保持を記した憲法第九条の是非は、改憲論争の中心的論点として戦後から今日までくすぶり続けてきた。わが国が将来にわたって平和主義を維持するかしないかは、国民が議論を重ねたうえで決めればよい。しかし、護憲派・改憲派を問わず、相手の主張をはじめから戯画化・歪曲化して、一方的に棄却するのは公平ではない。現在の私たちには、国是として平和主義を掲げることが何を意味するのか、そして平和主義が非平和主義と比較してどれほど妥当なのかを冷静に見極める議論の土俵が必要なのである。
本書の目的は、非平和主義を含む他の学説との対話を通じて、平和主義の思想や実践を捉えなおし、国際関係の指針として、人々の支持を得られ、説得力のある平和主義のあり方を探ることである。具体的には、はじめに平和主義の多様なパターンを類型化したうえで、その主張を義務論および帰結主義という二つの対照的立場から評価し、平和主義のありうる姿を特定していく(第一~三章)。続いて、平和主義を批判する三つの非平和主義的立場を順に取り上げ、双方の主張を吟味するなかから、非平和主義ではなく平和主義を採用することの論拠を検討する(第四~六章)。最後に、要約と結論を交えながら、今後平和主義を掲げるにあたっての見通しを占ってみたい(終章)。
本書は、国際関係の指針となりうる平和主義のあり方を探るものであるが、タイトルが示すとおり、外交・防衛戦略の本ではなく政治哲学の本である。ここでいう哲学とは、決して深遠とか難渋とかを意味するのではなく、私たちの身近な知識やものの見方に名称を与え、体系立てることを意味する。哲学者のL・ウィトゲンシュタインは、「思考は、そのままではいわば不透明でぼやけている。哲学はそれを明晰にし、限界をはっきりさせねばならない」と言った(『論理哲学論考』五一頁)。目下の政治論議の重大性に鑑みると、これは迂遠な回り道の作業に見えるかもしれない。しかし、感情論や水掛け論に陥ることなく、政治論議に理に適った着地点を見出そうとするならば、思考の明晰化こそすべての出発点なのである。