目次
序章
1 本書の目的
2 方法と射程
3 本書の構成
第1部 リベラリズム・多文化主義論争の修正
第1章 問題の所在―リベラリズムと多文化主義の論争
1 本章の課題
2 リベラリズムと「平等な尊重」
3 多文化主義者のリベラリズム批判――テイラーを参照に
4 反差別要求
5 国家中立性要求
6 多文化主義と「集合的目標」
7 結語
第2章 リベラリズムは「集団を顧慮しない」か――平等保護と集団別処遇の一解釈
1 本章の課題
2 リベラリズムと反差別
3 平等保護の一解釈――ドゥオーキンの積極的差別是正措置論から
4 差別の非対称性
5 政治的市民としての尊重と文化構成員としての尊重
6 反差別と文化保護政策
7 結語
第3章 国家中立性と文化保護政策――リベラルな多文化主義は可能か
1 本章の課題
2 リベラリズムと国家中立性
3 国家中立性は何でないか
4 「目的」と「正当化」の区別
5 目的の中立性と文化保護政策
6 正当化の中立性と文化保護政策
7 結語
第1部のまとめ
第2部 リベラルな多文化主義の論理
第4章 自律と文化――キムリッカ多文化主義論の批判的考察
1 本章の課題
2 リベラリズム・自律・多文化主義
3 文化の道具主義的理解
4 コスモポリタンの代替案
5 コスモポリタニズムとコミュニタリアニズムの狭間
6 結語
第5章 公正としての多文化主義――パレクとバリーの論争を手がかりに
1 本章の課題
2 リベラリズムと公正
3 公正としての多文化主義
4 文化的不利益は高価な嗜好かハンディキャップか
5 論争の評価――文化的メンバーシップの意味について
6 結語
第6章 「自尊心の社会的基礎」とリベラルな多文化主義の課題
1 本章の課題
2 公正の再検討
3 ロールズと自尊心
4 「自尊心の社会的基礎」としての文化保護政策
5 いくつかの異論
6 結語
第2部のまとめ
終章 結論と政策的展望
1 結論と今後の課題
2 若干の政策的展望
引用・参考文献一覧
序章
1 本書の目的
ロールズ(John Rawls)が1971年に著した『正義論』(Rawls 1971)が、英米圏の政治理論分野で数多くの論争を引き起こし、のちに「ロールズ産業」と呼ばれるほどの広範な影響力を有するようになったことはよく知られるところである。同書は、1950年代に下された政治哲学の死亡宣告をくつがえすためのとば口となり(伊藤 2002)、それと同時に、当時ロールズ自身が論敵とした功利主義や卓越主義、あるいはその後つぎつぎに登場した思想潮流―リバタリアニズム・コミュニタリアニズム・フェミニズム・ポストモダニズムなど―のなかで仔細に吟味されることをつうじて、現代政治理論の進展における重要な一里塚となった。本書で取り上げるリベラリズムとは、こうした一連の「産業」のなかでロールズを肯定的・批判的に受容し、継承し、発展させていこうとする思想のことを指している。
それでは、このように現代英米圏で発展してきたリベラリズムと、政治理論分野で1980年代後半以降あらたに注目を集めるようになった多文化主義(multiculturalism)といかなる関係にあるのであろうか。これが本書の主題である。ここでいう多文化主義とは、政策面では1960年代後半からカナダ・オーストラリア・スウェーデン・イギリス等の国々で漸次採用が始められた、自国内の少数派文化保護政策を推進する思想のことである。この思想は、二言語・二文化主義王立委員会(RCBB)の最終報告書(1969年)をもとに1971年カナダ首相ピエール・トルドーがその導入を公式的に宣言して以来、従来の単一民族観・単一文化観にたいする代替案として、また多民族・多文化間の平和的共生を図る取り組みの代名詞として、西洋諸国で急速に普及していった。それは現在、自治権の付与、法律の免除、文化の育成・支援、歴史やシンボルの周知といったさまざまな文化保護政策に結実している(詳しくは第1章第6節で取り上げる)。
リベラリズムと多文化主義の両思想の個別的研究については、政治理論分野でこれまで多数の蓄積が残されている。たいして本書は、両思想の関係性を明らかにすることに関心を向けている。具体的には、キムリッカ(Will Kymlicka)、パレク(Bhikhu Parekh)、ガレオッティ(Anna Elisabetta Galeotti)といった論者によって同時平行的に唱えられている、リベラリズムと多文化主義を架橋しようとする考え方、すなわち「リベラルな多文化主義」(liberal multiculturalism)の政治理論を主たる対象として、その可能性と妥当性を検証することである。
しかし、いまなぜリベラリズムと多文化主義の関係性に焦点を当てることが重要であるのか。いいかえると、両思想の関係性について、政治理論分野でいまどのような論争が生じているのか。その思想的背景も含めて、以下で簡単に振り返ってみよう。
本書が参照する政治理論分野におけるリベラリズムとは、ロールズ『正義論』を皮切りに、ドゥオーキン(Ronald Dworkin)を重要な継承者として、1970年代以降英米圏で広く受容されてきた思想のことである。その思想的特徴としては、個々人を「平等な尊重」(equal respect)をもって処遇せよという原理に基盤を置きつつ、集団的属性を顧慮しない「反差別」要求や善き生の目標にたいする「国家中立性」要求を支持していることが挙げられる(詳しくは第1章第2・3節で取り上げる)。以上の特徴を備える現代リベラリズムは、1960年代からアメリカ合衆国を中心に西洋諸国で展開された公民権運動・反差別運動・人権運動・社会福祉の拡充などを背景として発展し、社会変革の思想としてこれまで広範な影響力を獲得してきた(1)。
にもかかわらず、ロールズやドゥオーキンら現代リベラルの多くは、政策面では1960年代後半から西洋諸国のあいだで急速に広まりつつあった多文化主義について、一方で奇妙な沈黙を守ってきた。かれらは、市民的権利の普遍的保障や福祉国家政策の正当化に理論的関心を集中させながらも、市民が帰属する「文化」という要素を政治理論上でどのように取り扱うべきかについて、これまで十分な検討を行ってこなかったのである。その理由はひとつには、かれらが多民族国家ではなく国民国家を理論上の所与の前提としていたからであるかもしれない。キムリッカが言うように、「ロールズやドゥオーキンは、大半の戦後政治理論家と同様に、政治共同体とただ一つの文化共同体とが重なり合う国民国家という非常に単純化されたモデルで話を進めてきた」(Kymlicka 1989a: 177)。その結果リベラルは、多文化主義というあらたな政策課題にたいしてこれまで十分な応答を果たしてこなかったのである(2)。
こうした状況に異を唱え、リベラリズムの根本的見直しを提唱したのがキムリッカであった。彼は母国カナダの文化保護政策をモデルとしながら、国民国家を自明視する従来のリベラリズムに異を唱え、1980年代後半から90年代前半にかけて「文化」の問題を政治理論上の一大争点に押し上げたのである。これは、グローバル化を背景として移民や難民の国家間移動が飛躍的に増大しつつあるポスト冷戦期の政治・社会状況を踏まえたものでもあった(Castles and Miller 1993)。現代国家が直面する社会構成の不可避の多文化化を踏まえるなら、リベラルはもはや文化の問題から目を背け続けることはできない。むしろリベラルは、現代の政治社会が共通の「政治共同体の市民」のみならず個別の「文化共同体の構成員」によっても構成されていることを率直に承認すべきだというのである(Kymlicka 1989a: ch. 7)。
記すべきは、キムリッカによる従来のリベラリズムへの挑戦が、当初はおおむね好意的に受け止められたことである。それはたしかに、従来のリベラリズムの理論的間隙を埋めるものであり、多文化主義が政策面でいっそう重要性を増しつつあるポスト冷戦期の政治・社会状況にも沿うものであると思われた。もはやリベラルは多文化主義を無視して話を進めることはできない。キムリッカが多文化主義について下したつぎの勝利宣言は印象的である。「リベラルな文化主義はおそらく現今の文献で支配的立場となってきている。そこで生じている論争の大半は、そもそもリベラルな文化主義の立場を受け入れるかどうかについてというよりも、それをどのように発展・洗練させるかについてのものである」(Kymlicka 2001: 42)(3)。対照的に、リベラル右派の論者グレイザー(Nathan Glazer)が示した「われわれはいまや全員が多文化主義者である」(Glazer 1997)との言葉は、いわば従来の国民国家型リベラリズムの側から発せられた一種の白旗宣言であるようにも思われる。
しかしながら、こうして1990年代にリベラリズム内外で多文化主義の受容が進展した一方で、今世紀に入って、同じリベラルの論者による多文化主義へのバックラッシュ現象も生じている。たしかにそのバックラッシュの中身も一様ではない。たとえば、文化的少数派からの要求は多文化主義の思想に訴えずとも、結社、寛容、個人権といった従来のリベラリズムの語彙によって十分に対応可能であるというリバタリアンの主張(Kukathas 2003)から、多文化主義の一部要求は文化的少数派内部の女性にとって有害であり受け入れがたいとするフェミニストの主張(Okin 1999; 2002)、さらにはリベラリズムと現今の多文化主義はやはり本質的に相容れないものであって、法の平等保護や経済的再分配といった別の重要な政策課題に負の影響を与える多文化主義は結局棄却されるほかないとする平等主義者の主張(Barry 2001)など。
しかしいずれにせよ、こうした論者が90年代の多文化主義をめぐる肯定的見通しに何らかの異を唱えていることは事実である。リベラルを自認するキムリッカが多文化主義の勝利宣言を下したのちでさえ、同じリベラルを自認する有力な論者が多文化主義にたいしてつぎつぎと批判的な見解を示しているのは興味深い現象であるといえる(4)。実際、リベラリズムと多文化主義のあいだに何らかの理論内在的な対抗関係を見る論調は、近年もなお少なくない(Farrelly 2004: ch. 6; van den Brink 2000: pt. 5)。キムリッカの勝利宣言とは裏腹に、「リベラルな文化主義の受け入れ」をめぐる論争はいまだ継続中であるように思われる。
そこで、リベラリズムと多文化主義の関係性に焦点を当てることの意義は、現在薄れていないばかりか、いっそう増しているように思われる。90年代に示された多文化主義に親和的なリベラリズム像が、今日同じリベラルの陣営からふたたび疑問視されつつある現状で、両思想の関係性―キムリッカが示したように親和的関係にあるのか、それとも近年の論者が示すようにある種の対抗関係にあるのかという問題―をあらためて問い直すことは必要かつ重要な課題であると考えられる。事実、キムリッカの問題提起を引き継いで、リベラリズムと多文化主義を架橋するリベラルな多文化主義の整合性や一貫性を問い直そうとする取り組みは、近年もなお政治理論分野で活発に進められている(Casals 2006; Goodin 2006; Herr 2007; Knight 2004; Loobuyck 2005; Mitnick 2006)。
キムリッカ、パレク、ガレオッティといったリベラルな多文化主義者は、現代リベラリズムを「平等な尊重」の原理を掲げる思想であると見なす点で一致している。キムリッカの言葉を借りれば、「リベラリズムとは……ある種の平等主義によって特徴づけられる―すなわち、個々人全員は平等な道徳的地位をもち、それゆえ政府から平等な配慮と尊重をもって、平等者として処遇されなければならないということである」(Kymlicka 1989a: 140; cf. Galeotti 1993: 597–9; 2002: 204–9; Parekh 1994a: 202; 1994b: 13)。それでは、同原理を掲げるリベラルは、文化保護政策を推進する多文化主義をいったい放棄すべきであるのか、それとも受容すべきであるのか。この問いが、社会構成の多文化化に直面する西洋諸国で依然として提起され続けているのである。ガットマン(Amy Gutmann)は、その編著『マルチカルチュラリズム』の「序論」で以下のように問うていた。
多様な文化的アイデンティティ―それらはしばしば、エスニシティ、人種、ジェンダー、ないしは宗教にもとづく―を持つ我々市民が、政治における処遇の仕方に関して、お互いを平等者として承認するということは、何を意味するのであろうか。……公共機関が我々の特殊なアイデンティティを認めず、より普遍的に共有された関心事―市民的および政治的自由、所得、健康管理、教育に関する―のみを認めるならば、多様なアイデンティティを持つ市民は、平等者として代表されうるのであろうか。人々を平等者として尊重することは、我々それぞれに他の市民と同一の権利を認めることのほかに、何を伴うのであろうか。(Gutmann 1994b: 3–4/3–4)
まとめると、「ロールズを継承する現代リベラリズムと、文化保護政策を推進する多文化主義とを架橋する『リベラルな多文化主義』はどこまで可能なのか、またどこまで妥当なのか」。この問いこそ、本書が全体をつうじて取り組む課題である。リベラリズムと多文化主義の関係性を問い直すための一方途として近年注目されるリベラルな多文化主義を検討の俎上に載せ、その可能性と妥当性を政治理論的に検証していくこと、これが本書全体の目的である。
2 方法と射程
本論に移る前に、本書の検証過程で用いる方法とその射程を明らかにしておきたい。本書はリベラリズムと多文化主義を架橋するリベラルな多文化主義の可能性と妥当性を、現代政治理論の枠組みから検証しようとするものである。よって、主要な考察対象は個別の文化保護政策というよりも、個々の政治理論家によるリベラリズムと多文化主義の理論であり、さらに限定するなら、現代英米圏の論者によるリベラリズムと多文化主義の関係性についての理論である(5)。たとえば、代表的なリベラリズムの理論としてはロールズ、ドゥオーキンを、代表的な多文化主義の理論としてはテイラー(Charles Taylor)をおもな考察対象とする。さらに、リベラリズムと多文化主義を架橋する取り組みを意識的に行っている―その意味で本書にとって特別の重要性をもつ―論者として、キムリッカ、パレク、ガレオッティを中心的に取り上げる(6)。(そこで、本書が具体例として参照する国々やその文化保護政策もまた、以上の論者が参照する対象に限定される。具体的には、アメリカ合衆国・カナダ・イギリス・フランスといった国々とその諸政策である。)また、リベラリズムと多文化主義の関係性については、すでに国内外の政治理論分野で数多くの先行研究がある。本書の検証過程においては、こうした豊富な研究成果も積極的に活用・言及していくつもりである。
つぎに、本書の射程について二点留保を加えておく。
(1)本書の課題とは、リベラリズムと多文化主義を架橋するリベラルな多文化主義の可能性とその妥当性について検証を進めることである。ただし、こうして本書の焦点をリベラリズムと多文化主義の二点に絞ることによって、リベラリズム以外の見地から多文化主義を擁護しうる可能性を否定したいわけではない。たとえば、文化の存在それ自体が世界にたいして有する内在的(intrinsic)価値を承認することで多文化主義を擁護することも考えられるし(Musschenga 1998; Rockefeller 1994)、または過去に文化的少数派にたいしてなされた不正義の矯正や賠償の一環として多文化主義を擁護することも考えられる(van Dyke 1975)。さらには、しばしばリベラリズムと対置されるコミュニタリアニズムの見地から多文化主義を擁護することも考えられる(McDonald 1992; Taylor 1994a)。本書は、リベラルな多文化主義とそれ以外の多文化主義との違いや優劣の比較を行うものではない。むしろ、リベラリズムの思想を基本的に前提としたうえで、それが多文化主義とのあいだでどのような理論内在的な関係性を有しているかを検証するものである。以上の意味で、本書はリベラリズムそれ自体の擁護をその第一の目的とするのではない。
さらに、本書で検証対象とするリベラルな多文化主義それ自体についても、相応の限定を付しておくべきである。詳しくは第1章で取り上げるが、本書は「平等な尊重」の原理を掲げるリベラリズムと、「集合的目標」の実現を掲げる多文化主義を架橋する取り組みの可能性・妥当性を探ることをその目的としている。しかし、平等な尊重の原理を掲げるリベラリズムとは若干異なるリベラリズムの伝統に立脚して多文化主義を擁護することももちろんありうる。たとえばバーリン(Isaiah Berlin)のように、価値多元性とその通約不可能性という現代社会の不可避の事実を出発点に据える型のリベラリズムによって多文化主義を擁護することも考えられるし、またはミル(John Stuart Mill)のように、多様性の存在が「知識の成長」や「文明の発展」をうながすと捉える型のリベラリズムによって多文化主義を擁護することも考えられる(cf. Appiah 2005: 141–54; Bauböck 1999: 147–52)(7)。さらには、「残酷さ」(cruelty)の削減こそリベラリズムの知的伝統の核心にあるとするシュクラー(Judith N. Shklar)の「恐怖のリベラリズム」(liberalism of fear)論を出発点に据えて、多文化主義の理論的・実践的妥当性を再構成しようとする興味深い研究もある(Levy 2000)。リベラリズムを平等な尊重の原理を掲げる思想と見なすこと自体は、こうした別の型のリベラルな多文化主義論と両立不可能であるわけではないし、その可能性を否定するものでもない。
(2)つぎに、本書で参照する文化集団の射程についても言及しておきたい。そもそも「文化」をどのように定義するかは、文化人類学者が古くから取り組んできた問題であるが、本書ではその点に立ち入らない(8)。本書の課題にとって必要なのは、現実の政策面で文化保護政策を要求している社会集団を包含するような文化概念である。多文化主義の焦点となる社会集団は、大きく分けて以下の4つに分類される(9)。①民族的少数派―カタロニア人、バスク人、フラマン人、スコットランド人、コルシカ人、プエルトリコ人、ケベック人のような下位国家民族やイヌイット、マオリ族、アメリカ・インディアンのような先住民が含まれる。②移民集団―欧米諸国のアジア系移民やイスラム系移民、ユダヤ系移民が含まれる。③孤立主義的な民族宗教集団―北米のフッター派、アマン派、ハシド派などが含まれる。④外国人居住者―アメリカ合衆国のメキシコ人やイタリア・スペインの北アフリカ人、ドイツのトルコ人が含まれる。
こうした社会集団にとって自らの文化がもつ意味はもちろん多様でありうるし、文化保護政策の正当性も部分的にはその意味に依存している(Festenstein 2005: ch. 2)。本書ではその個別的意味については第2部の検討に委ね、ここでは以上の社会集団を包含するような文化概念を、パレクに従って以下のように一般的・概括的に示しておきたい。パレクによれば、文化とは「歴史的に形成された意味の体系」、すなわち「人間集団が自らの個人的・集合的生を理解し、規制し、構築するさいの参照点となる信念や慣習の体系」である(Parekh 2006: 143)。そこで、本書で参照する文化集団とは、言語・宗教・習俗などの局面で独自の「歴史的に形成された意味の体系」を有し、その意味体系の維持・繁栄を公式的に追求する集団のことである(10)。
これと関連して、ときに文化集団の射程には、女性・性的少数派・障碍者・老人のような社会集団も含められることがある。実際、「女性文化」、「ゲイ文化」、「障碍者文化」といった言葉が用いられることも近年ではさほどめずらしくない(11)。ただし、このような社会集団が「歴史的に形成された意味の体系」としての文化を有しているかどうかについては議論の余地がある。結局、これは文化をどのように定義するかに依存しているであろう。本書では、とくに文脈上必要のないかぎり、以上の社会集団を主たる参照の射程には含めていない。しかしそれは、議論を進めるうえでの実践的制約にすぎない。事実、本書と同様にリベラリズムと多文化主義の関係性に焦点を当てるにあたり、多文化主義を以上の社会集団をその射程に含める幅広い思想として理解する論者も少なくない(Galeotti 2002: ch. 6; Kenny 2004: ch. 7; Young 1990; 2000)。本書で参照しない以上の社会集団にたいする議論の拡張可能性についても、今後別途検討してみる必要がある(12)。
3 本書の構成
本書を貫く問題関心は、リベラリズムと多文化主義の関係性を問い直すため、両思想を架橋する「リベラルな多文化主義」の取り組みがどこまで可能なのか、またどこまで妥当なのかを政治理論的に検証してみることである。本書では、この課題を大きく二つに分けて進めていく。まず第1部では、その可能性に焦点を当て、リベラリズムと多文化主義を対抗関係にあるものと捉える見解にたいして、リベラルな多文化主義者がどのような修正を加えているかを確認する。ついで第2部では、その妥当性に焦点を当て、キムリッカ、パレク、ガレオッティらが具体的に展開しているリベラルな多文化主義論の当否を批判的に評価する。
第1部「リベラリズム・多文化主義論争の修正」
第1章「問題の所在―リベラリズムと多文化主義の論争」では、本書の問題意識の背景にある、現代政治理論上のリベラリズムと多文化主義の両思想の現在までの布置関係について明らかにし、第1部全体の舞台設定を行う。具体的には、現在リベラリズムと多文化主義が置かれている論争状況の根本には、(a)「反差別」要求と(b)「国家中立性」要求についての両思想の相容れない見解が潜んでいることを、テイラーのリベラリズム批判をもとに概観する。
つづく二章では、リベラリズム・多文化主義論争を修正すべく、上記二つの対立軸についてさらなる検討を加える。その大きな目的とは、(a)・(b)のどちらの対立軸にあっても、リベラリズムと多文化主義は理論内在的な対抗関係にあるわけではないことを、リベラルな多文化主義者の議論を手がかりに示すことである。
第2章「リベラリズムは『集団を顧慮しない』か―平等保護と集団別処遇の一解釈」では、(a)「反差別」要求の局面における同論争の修正を目指している。リベラルは一般に、個々人の「集団を顧慮しない」処遇を重視し、多文化主義者が要求する集団別処遇に好意的でないと考えられている。しかしじつは、リベラルが支持する反差別要求と多文化主義者が要求する集団別処遇はかならずしも排他的関係にあるわけではない。同章ではこのことを、ドゥオーキンの積極的差別是正措置論とそれを受けたキムリッカ、ガレオッティの多文化主義論を手がかりに明らかにしてみたい。
第3章「国家中立性と文化保護政策―リベラルな多文化主義は可能か」では、(b)「国家中立性」要求の局面における同論争の修正を目指している。一般的理解では、政府が個々人の生の目標に関与しないという国家中立性を、リベラルは支持し、逆に多文化主義者は批判すると考えられている。ただし、国家中立性の意味内容は大まかに「結果」・「目的」・「正当化」の三つに区別することが可能である。もし最後の正当化の意味で国家中立性要求を解釈するなら、じつはリベラリズムと多文化主義はかならずしも相反的関係にあるわけではない。
以上第1章から第3章までの検証によって、リベラリズム・多文化主義論争における「反差別」・「国家中立性」の二つの対立軸は誇張されたものにすぎず、両思想を架橋しうる可能性は理論的に開かれていることが明らかになるはずである。
第2部「リベラルな多文化主義の論理」
第1部で結論するように、リベラリズムと多文化主義を架橋しうる可能性は開かれているとしても、いったい両思想を架橋すべき積極的理由はあるのか。その問いにたいするリベラルな多文化主義者からの回答の妥当性を検証することが第2部の課題である。キムリッカ、パレク、ガレオッティといった論者は、「自律」・「公正」・「自尊心」概念に訴えることにより、リベラリズムの枠内で文化保護政策を正当化することが可能であると考えている。第4章から第6章にかけては、これら文化保護政策を正当化するための三つの理由について順次検討を加えていく(13)。
第4章「自律と文化―キムリッカ多文化主義論の批判的考察」では、キムリッカの多文化主義論を題材に、「自律」に基づくリベラルな多文化主義論の妥当性を検証する。ロールズを継承する現代リベラルにとって自律は重要な価値のひとつである。そこで、もしこの自律を陶冶するために文化保護政策が必要不可欠というのであれば、それはリベラリズムと多文化主義を架橋すべきことの大きな理由になるであろう。同章では、コミュニタリアニズムや「コスモポリタンの代替案」と比較しながら、キムリッカが提唱する自律に基づくリベラルな多文化主義論の妥当性を検証し、そのなかに含まれるいくつかの難点を指摘してみたい。
第5章「公正としての多文化主義―パレクとバリーの論争を手がかりに」では、「公正」に基づくリベラルな多文化主義論の妥当性を検証する。リベラルにとって公正が意味するところの重要な一側面とは、「選択」の結果の不利益は本人に責任を負わせるべきであるが、「環境」の産物の不利益は本人に責任を負わせるべきでないということである。そこで、もし文化的少数派の文化的メンバーシップを前者の選択ではなく後者の環境の一部として捉えるなら、リベラルは公正の首尾一貫した拡張として―すなわち環境の産物の不利益を補償するための一施策として―文化保護政策を正当化しうるであろう。同章では、この議論を是認するパレクと、それを否認するバリーの議論を比較検討するなかで、公正に基づくリベラルな多文化主義論の妥当性を問うてみたい。
第6章「『自尊心の社会的基礎』とリベラルな多文化主義の課題」では、「自尊心」を理由として文化保護政策を正当化しようとするリベラルな多文化主義論を取り上げる。もし人々に「自尊心の社会的基礎」を等しく保障することがロールズ派リベラルの主要な課題なのだとすれば、その市民的・経済的条件を改善することとならんで、その文化的メンバーシップに適切な配慮と尊重を示すことも、人々の自尊心を維持するための不可欠の条件といえるであろう。ロールズが『正義論』のなかで行った「自尊心の社会的基礎」についての記述は、文化保護政策を正当化する一理由として援用することが可能である。同章ではこの議論を、リベラルな多文化主義を支える有力な理論的取り組みとして評価してみたい。
以上の各章をつうじて、「リベラリズム・多文化主義論争の修正」を目指し、「リベラルな多文化主義の論理」を明らかにすること、いいかえればリベラリズムと多文化主義を架橋するリベラルな多文化主義の可能性・妥当性を政治理論的に検証していくこと、これこそ本書が以降辿っていこうとする道のりである。
(1)1960年代の時代経験のもとでロールズ『正義論』の基本的発想が彫琢されていった事情については川本 1997: 第3章を参照。
(2)とはいえ、現代リベラルが一元性や同質性のみを志向してきたというのは正しくない。まったく逆に、社会の多元性や差異性の自覚は、ロールズに代表される現代リベラルにとっての根本命題である。「社会には、相互利益を求める協働事業ではあるが、利害の一致と共に利害の衝突が生じるという、際立った特徴がある」(Rawls 1971: 4, 126/4, 99)。あるいは「政治的リベラリズムは、調停不可能な潜在的衝突の絶対的な深みを中心に置くことから出発している」(Rawls 1996: xxviii)。しかしなお、「多くのリベラルと同じく、ロールズは道徳的多元性には敏感であるが、文化的多元性にはそうではない」(Parekh 2006: 89)という多文化主義者からの指摘は真実であるかもしれない。Galeotti 1997: 224–7; 2002: 5–6, 67, 86, 214–5; Jones 2006b: 125–6; Kymlicka 1995: 224 n. 19/328–9も参照。
(3)別の箇所ではつぎのようにも言っている。「正義をめぐるこの論争は収束に向かいつつある。……少数派の権利が本質的に不正かどうかというより一般的な問題についていえば、論争はすでに終結していて、少数派の権利の擁護者が勝利を収めたのである」(Kymlicka 2001: 33; cf. 2002: 366/525)。
(4)バリー(Brian Barry)はキムリッカの勝利宣言にたいして、「リベラルな文化主義」そのものに異を唱える論者が少ないことは、多文化主義にたいする広範な同意が生じている証拠にはならないといくぶん挑発的に応答している。「分かってきたのだが、多文化主義について何も論じていない論者のあいだでは、多文化主義関係の書物には労力をかけるだけの価値もないという点について同意のようなものができあがりつつあるのだ」(Barry 2001: 6)。
(5)ホフマン(John Hoffman)とグラハム(Paul Graham)は、多文化主義をめぐる論争の焦点を、(a)態度としての多文化主義、(b)公共政策の道具としての多文化主義、(c)制度設計の一局面としての多文化主義、(d)多文化主義と道徳的正当化の四つに分類している(Hoffman and Graham 2006: 352)。この分類に従えば、本書が関わるのはおもに(d)の局面である。二人の言葉を借りれば、「もちろん制度は重要であるが、政治理論とは、いかなる政治制度が存在すべきかという問いだけでなく、それがどのように正当化されるかという問いにも関心を向けるのである」(Hoffman and Graham 2006: 352)。
(6)パレクのリベラリズムとの関係は、キムリッカ、ガレオッティに比べてより複雑である。一方で彼は、自身をある種のリベラリズムの批判者であると見なしているが、他方で別の種のリベラリズムへの賛同も明らかにしている(Parekh 1994a: 1994b; 2006: 14–5, 109–13, 367–70)。本書では第5章第4節、第6章第4節で、パレクをリベラルな多文化主義者のひとりとして取り上げるつもりである。
(7)ただし、これはバーリンあるいはミル本人の(当時の)考えを忠実に再現することではかならずしもない。ナショナリズムの是非にかんする、バーリンとその師弟関係にあった多文化主義者テイラーとの比較については中野 2007: 72–4; 堤林 1998: 77–87を参照。またミル自身の考えによれば、より劣ったあるいはより遅れた民族が、高度に文明化された国民に併合されることは「その民族にとって大いに利益となる」ものである。たとえば、ブルターニュ人やバスク人がフランスに併合されること、あるいはウェールズ人やスコットランド高地人がイギリスに併合されることである(Mill [1861] 1998: 431/358)。またミルは同じ著作で、政治制度や文化慣習の遅れを理由にフランス語系カナダ人の英語系カナダ人への同化を勧告した「ダラム報告」にも賛同している(Mill [1861] 1998: 448/370)。
(8)タイラー(Edward Burnett Tylor)の進化論的定義、ベネディクト(Ruth Benedict)の全体論的定義、クラックホーン(Clyde Kluckhohn)の個別主義的定義、ギアーツ(Clifford Geertz)の記号論的定義、ウィリアムズ(Raymond Williams)の動態的定義などがある(川原 2006)。
(9)この分類はKymlicka 2002: ch. 8 sec. 4に従ったものであるが、キムリッカが挙げる⑤アフリカ系アメリカ人を対象とする文化保護政策は本書では取り上げない。
(10)キムリッカの文化概念について若干言及しておきたい。彼は文化を「社会構成的文化」(societal culture)の意味で用い、それを「民族」(nation)と等置している。「私がこれから焦点を当てる文化とは、社会構成的文化という種類のものである。社会構成的文化とは、公的領域と私的領域の双方を包含する人間の活動のすべての範囲―そこには、社会生活、教育、宗教、余暇、経済生活が含まれる―にわたって、諸々の有意味な生き方をその成員に提供する文化である」(Kymlicka 1995: 76/113; cf. 2001; 25; 2002: 346/499)。「私は『文化』という語を、『民族』あるいは『人民』という語と同じ意味で、すなわち、制度化がほぼ十分に行きわたり、一定の領域や伝統的居住地に居住し、独自の言語と歴史を共有する、多世代にまたがる共同体を指すものとして用いている」(Kymlicka 1995: 18/27, cf. 80/118)。「文化」と「民族」を等置するこの考えは、近年キムリッカが賛同する「リベラル・ナショナリズム」の主張に連なるものであり、彼の多文化主義論を検討するうえで留意すべき事柄である。
(11)日本では1995年の「ろう文化宣言」が有名である(現代思想編集部編 2000)。
(12)たとえばCasals 2006: ch. 3; Kymlicka 1998: ch. 6がその検討を行っている。
(13)この三概念はあくまで分析上の区別であり、原理的に排他的な関係にあるわけではない。むしろ個別のリベラルな多文化主義論においては、これら三概念が複合的・有機的に結びついていることが通常であろう。たとえば、キムリッカの理論構成の場合、おもに「自律」と「公正」の二つの要素(と部分的に「自尊心」の要素)が見出されるし(第4章第2・6節、第5章第3節を参照)、パレクの理論構成の場合、「公正」と「自尊心」の二つの要素が同時に見出される(第5章第4節、第6章第4節を参照)。したがって、本書の関心からは逸脱するが、個別の論者の立論に焦点を絞って検討を進めようとするなら、これらの諸要素の相互関連についても問うてみる必要があるかもしれない。ただし、リベラルな多文化主義の政治理論を総合的に検証するにあたっては、これら三つの文化保護政策の正当化理由を分析的に区別しておくことはやはり必要かつ有益であると思われる。