『応用政治哲学』

『応用政治哲学――方法論の探究』(風行社、2015年)【出版社】【Amazon

目次

序章

第一部 政治哲学の方法

第一章 科学と哲学――何が共通で何が異なるか

第一節 事実と価値

第二節 科学的説明

第三節 哲学的説明

第四節 検証と実験

第二章 分析的政治哲学の系譜論

第一節 分析的政治哲学の出自

第二節 言語分析と政治哲学――一九四〇~五〇年代

第三節 ポスト言語分析と政治哲学――一九六〇年代

第四節 『正義論』以降

第三章 現代政治哲学の方法

第一節 分析と論証

第二節 「分水嶺」としての『正義論』

第三節 演繹的論証と帰納的論証

第四節 方法論的ロールズ主義

第二部 政治哲学の応用

第四章 理想と現実――政治哲学における「現実」の位置づけ

第一節 ロールズの理想理論

第二節 コーエンのロールズ批判

第三節 基本構造と個人行動

第四節 対立の調停

第五章 理論と実践――実行可能性問題の検討

第一節 実行可能性問題とは何か

第二節 「望ましさ」の優先順位づけⅠ――レキシカル・オーダー

第三節 「望ましさ」の優先順位づけⅡ――トレード・オフ

第四節 政策立案者は政治哲学を必要とするか

第六章 哲学と政治――政治哲学研究の社会的役割

第一節 リベラル=コミュニタリアン論争――方法論的再考

第二節 第三の論証法――公共的理由

第三節 後期ロールズと政治哲学

第四節 民主主義社会は政治哲学を必要とするか

第三部 応用政治哲学の諸相

第七章 平等論と教育政策への応用

第一節 教育改革をめぐる近年の政策論議

第二節 平等主義と優先主義

第三節 教育の水準低下

第四節 実証的知見

第八章 現実主義/平和主義理論における理想と現実

第一節 問題の設定

第二節 現実主義理論における理想

第三節 理想理論と非理想理論

第四節 論争の再構成

第九章 政治理論としての功利主義の耐久性

第一節 統合論的応答

第二節 理論の説明的価値と実用的価値

第三節 多元論的応答

第四節 理論選択の方法

終章

補章 論証のモデルと事例

第一節 論証の基本構成

第二節 演繹的論証

第三節 帰納的論証

第四節 誤った/注意を要する論証

序章

「哲学が、哲学者の問題に対処するための手段であることをやめ、普通の人々の問題に対処するための一つの方法、しかも、哲学者によって培われた一つの方法となるとき、哲学は回復するのである。」(J・デューイ)(1)

本書は、政治哲学とはどのような学問分野か、何を考察の対象とし、何を目標とするのかについて、筆者が取り組んできた考察をまとめたものである。筆者はそのタイトルを『応用政治哲学』とした。すなわち「応用」の観点から、学問分野としての政治哲学のアイデンティティを見定めようとすることが、本書の第一の特徴である。政治哲学と隣接する学問分野の倫理学では、メタ倫理学や規範倫理学と並んで、応用倫理学という下位分野が確立している。それに対して政治哲学では、個々の規範理論を構築する規範的政治哲学が盛んであるのに比べ、構築された規範理論を現実世界の諸問題に応用することが独自の学問的課題として十分に意識化されているとはいえない。政治哲学は倫理学と同等かそれ以上に、現実世界に向き合い、そこに貢献することができるし、またすべきである。本書は、その一助になるとともにその一部を担うための試論を展開している。

本書のサブタイトルは「方法論の探究」である。すなわち、方法論的観点から、学問分野としての政治哲学のアイデンティティを見定めようとすることが、本書の第二の特徴である。政治哲学者が用いる方法やアプローチに関する研究は、近年増えつつあるものの、依然として十分に体系化されているとはいえない。もちろん、方法論それ自体は何かを生産するわけではなく、個々の研究の背景にあるべきものである。また、方法やアプローチの選択肢は一種類である必要はなく、取り組む課題に応じて、その都度道具箱から取り出すといったものであろう。そのかぎりで、政治哲学の研究者は、「自分は何を用いて何を行っているのか」について自覚的である必要がある。本書の目的は、方法論の多様なカタログを示すことではなく、分析的方法を中心とする特定の方法やアプローチが、その応用的課題に関してどのような役割を果たしうるかを吟味することである。

本書は以上二つの特徴によって、従来の政治哲学研究に一定の貢献をなそうとすることを目指している。とはいえ、本書を手にする方のなかには、そもそも政治哲学を専門としない方もいるかもしれない。そこで、本書の特徴に関する説明も兼ねて、なぜ筆者がここで政治哲学について検討するのか、なぜ「応用政治哲学」なのか、なぜ「方法論の探究」なのかといった点について、本書の背景にある政治哲学研究の概略と現状をごく簡単に振り返ってみたい。

政治哲学の現在

本書が対象とする政治哲学とは、しばしば緩やかに「分析的政治哲学」と称されるアプローチやディシプリンである。現代の分析的政治哲学を牽引しているのは、間違いなく米国・英国などの英語圏であろう。例えば、より長い来歴をもつ『エシックス』誌に加え、一九七一年に公刊された『フィロソフィー・アンド・パブリック・アフェアーズ』誌は、戦後しばらくのあいだ、英米圏で停滞の時期を迎えていたといわれる政治哲学の規範研究を再び活況に戻す中心的役割を果たすことになった。現在はそれに加えて、『ジャーナル・オブ・ポリティカル・フィロソフィー』誌などが、分析的政治哲学の総合的な学術誌となっている。

また、こうした英米圏の学術動向は、世界大にわたって多大な影響を及ぼしている。例えば、大陸哲学の膝元であるヨーロッパ圏においても、J・ロールズを中心に英米政治哲学に関する研究が進んでいることが伝えられている(2)。わが国でも、近年米国大学の政治哲学講義がメディアや出版界において注目を集め、一種の正義論ブームが到来したことは記憶に新しい。またそれらの学問的成果の輸入と並行して、分析系のオリジナルな著作も次第に増えている。現時点のわが国で分析的政治哲学の専門的集積地となるような学術誌はまだ刊行されていないが、哲学系、政治学系、法学系、倫理学系の個々の学会誌でこれらの成果を目にすることができる。

とはいえ、こうした研究の量的増大が、どれほどのディシプリンの意識的共有のもとになされているかは別問題である。国外の研究成果を学び、新たな成果を付け加えようとしているわが国の研究者にとってはなおさら、その方法論的自覚化が必要なのではないか。実際、本書で後ほど詳しく見ていくように、英米圏でも今世紀に入ってから、政治哲学の方法論的再検討が急速に進んでいる。専門研究が質・量ともに一層充実しつつある現在であるからこそ、その方法の次元を含めて、政治哲学の学問分野としてのアイデンティティを今一度見定める作業が、わが国においても有益となるはずである。

政治哲学の応用

次に、なぜ本書では、政治哲学の「応用」に着目するのであろうか。従来の政治哲学では、リベラリズム対功利主義、リベラリズム対リバタリアニズム、リベラリズム対コミュニタリアニズムといったように、個々の規範理論同士が論戦を交わすことが多かった。これらの取り組みは倫理学の表現を援用すれば、規範理論それ自体の妥当性を吟味する「規範的政治哲学」と呼ぶことができるであろう。そこでの主たる論争は、どの規範理論がより整合的かつ説得的な理論を提示しているかをめぐる論争であり、その成果は、すでに多くの政治哲学関連のテキストによって紹介され、また今日も現在進行形で蓄積されている(3)。

規範的関心という観点からは、政治哲学には明らかに近接する学問分野がある――すなわち、人文学において規範研究に携わる道徳哲学ないし倫理学である。現代英米圏の政治哲学の多くの研究者は、倫理学者と同様の哲学的トレーニングを経つつ、倫理学の関心や主題と近いところで仕事を行っている。A・ヴィンセントが言うように、「事実、ロールズ世代の理論家の著作において、道徳哲学は政治哲学と分かちがたく結びつくようになったとも論じられる」(4)。この意味で、昨今の政治的リアリズム論争で問い直されているように、規範的政治哲学が倫理学の一応用であると位置づけられることも故ないわけではない(本書第六章第四節を参照)。

とはいえ、政治哲学はその対象――すなわち政治――を政治学一般と共有しており、その点で倫理学と近接するが、依然として同一ではない。政治哲学は個人の生き方にとっての正しさではなく、政治社会にとっての正しさを追求するのである。現実世界を振り返ると、私たちは不断に喫緊の政治・社会的諸問題に直面している。先述したわが国の正義論ブームには、こうした現実世界の状況に対して、哲学的分析が風穴を開けることへの期待もあったに違いない。そこで、現在の政治哲学が担うべき役割のひとつは、規範的政治哲学を展開すると同時に、それが現実世界においてどのような実践的示唆を与えるかを提示することである。すなわち、本書で言うところの「応用政治哲学」とは、規範的政治哲学の諸成果の政策的応用という意味であり、倫理学の諸成果の政治学的応用という意味ではない。

実のところ、こうした趨勢はとくに今世紀に入ってから、政治哲学研究におけるひとつのトレンドになっている。教育問題、財政問題、社会保障問題など、日常的にメディア報道をにぎわす現実世界の諸問題に対して、政治哲学者はすでに様々な方向から取り組んできた(本書第二章第四節を参照)。本書では、こうした趨勢のなかで、政治哲学がその応用的課題として現実世界に対していかなる貢献をなしうるかを改めて検討する。こうして、自分が携わっている学問分野の政策的応用性を洗い出すことは、自らもそこに生きる政治社会に対して、何らかの学術的・社会的貢献を果たすために不可欠の作業ではないであろうか(5)。

政治哲学の方法

本書は第三部を除いて、特定の規範理論を実質的に分析・評価するものではない。むしろ、本書で中心的に論じたいことは、応用研究を含む分析的政治哲学が備える(べき)方法ないしアプローチである。国内外を問わず、これまでの政治哲学研究は、(筆者自身のこれまでの取り組みも含めて)個々の規範理論の構築に特化するものが多く、それらを縦断する学問分野としての方法が、「論」として十分に検討されてきたとはいえない。政治哲学が学問分野のひとつとして一層成熟し、深化していくためには、どのような方法を身につけ、実際に用いていくかに関する体系的知識を研究者のあいだで共有しておく必要があろう。本書では、現代英米圏の分析的政治哲学を方法論的観点から捉えなおすことで、こうした間隙を埋めたいと考える。

方法論の探究がとくに重要であるのは、明示されているか否かを問わず、ロールズ以降の分析的政治哲学が、特定の方法やアプローチを共有しているからである(本書第三章第四節を参照)。本書では「英米系」や「分析系」として括られる特定の傾向を方法論的観点から浮き彫りにし、政治哲学者がその著作で何を行っているのかを明らかにする。これは、既存の研究を読解するうえでも、さらには新たな研究を実施するうえでも必須の理解であるに違いない。英米圏の、しかも戦後(とりわけ一九七〇年代)以降の政治哲学を対象としている点で、本書の射程はごく限られたものでしかないが、以上の理解に関して微力ながらに貢献できればと考えている(6)。

本書の構成

本書は大きく三部に分かれる。第一部「政治哲学の方法」では、今日の政治哲学を方法論的に特徴づけ、第二部「政治哲学の応用」では、政治哲学を現実世界の諸問題に応用するにあたって検討すべき方法論的課題を扱っている。第三部「応用政治哲学の諸相」では、政策的に応用された政治哲学がどのような具体的姿になるかを、個々の規範理論に即しながら明らかにする。「あとがき」で記しているとおり、本書を構成する各章の大半はもともと個別に発表したものであるが、一冊にまとめるにあたり、加筆修正や各章間の相互調整を施している。

第一章「科学と哲学――何が共通で何が異なるか」では、本書全体の出発点として、そもそも政治哲学がどのような学問分野かについて検討する。現在の政治哲学は、政治学における規範研究の役割を担っているが、本章ではその分野的位置づけを、政治科学との異同を交えながら明らかにする。第二章「分析的政治哲学の系譜論」では、英米圏の政治哲学が現在のかたちをとるまでの歴史的経緯について概観する。第三章「現代政治哲学の方法」では、以上の検討を踏まえて、今日の政治哲学において用いられる方法やアプローチを、とくにロールズおよび彼以降の著作を参照点として提示する。

第二部では、政治哲学の応用研究へと話を転じて、政治哲学研究の成果を現実世界の諸問題に応用するにあたって踏まえるべき方法論的論点について取り上げる。第四章「理想と現実――政治哲学における『現実』の位置づけ」では、規範理論を構築する政治哲学者が非理想的現実といかなる距離をとるべきかを検討する。第五章「理論と実践――実行可能性問題の検討」では、政治哲学研究が公共政策立案に対してどのように貢献しうるか、逆に政策立案者が政治哲学研究をどのように活用しうるかについて議論する。第六章「哲学と政治――政治哲学研究の社会的役割」では、より幅広い観点から、民主主義社会において政治哲学研究の成果がどのような社会的役割を担いうるかについて議論する。

以上が本書における方法論的探究の主要部分である。本書では加えて、第三部で応用政治哲学の個別事例を取り上げながら、その一端を示したい。第七章「平等論と教育政策への応用」では、学校選択制に代表される教育の自由化に向けた諸政策が、平等論の観点からどのように分析・評価されるかを明らかにする。第八章「現実主義/平和主義理論における理想と現実」では、安全保障構想としての現実主義と平和主義を理論的に構成する際の理想化の位相の違いに焦点を合わせ、双方における理想理論/非理想理論の区別を導入する。第九章「政治理論としての功利主義の耐久性」では、現実的(とりわけ政治的)諸問題に取り組む際の意思決定手続きとして、功利主義の実用的価値を評価することができることを論じる。

終章では、本書全体を通じて検討してきた政治哲学の特徴を、「道理的論証」として結論的に提示する。加えて、本書では補章「論証のモデルと事例」として、筆者が政治哲学研究の中心にあると考える「論証」の性質について概観し、併せて論証の具体例を倫理学・政治哲学研究から例示した。本書で対象となるテーマの広範さに比べれば、以上三部立てから成る検討は決して網羅的・完結的なものではないが、本書がわが国における応用研究を含む政治哲学研究のさらなる展開に何らかの貢献をすることができれば、これに勝る喜びはない。

なお、本論中で邦訳を引用する場合、訳文・訳語を一部変更した場合がある。あらかじめ記してご了承を請う次第である。

(1)「哲学の回復の必要」『プラグマティズム古典集成――パース、ジェイムズ、デューイ』(植木豊編訳、作品社、二〇一四年)、五三九頁。

(2)“Rawls in Europe,” European Journal of Political Theory 1/2 (October 2002)の諸論文を参照。

(3)筆者もその一端として、以前にリベラリズムと多文化主義、また平和主義に関する規範研究を行った。松元雅和『リベラルな多文化主義』(慶應義塾大学出版会、二〇〇七年)、同『平和主義とは何か――政治哲学で考える戦争と平和』(中公新書、二〇一三年)。

(4)Andrew Vincent, The Nature of Political Theory (Oxford: Oxford University Press, 2004), p. 8.

(5)筆者は同様の試みを、Masakazu Matsumoto, “Deliberative Democracy and Its Implications for Environmental Politics,” Journal of Political Science and Sociology 11 (January 2010), 91-107; “Political Theorizing and Policy Implications: The Case of a Rawlsian Approach to Multicultural Education,” International Journal of Multicultural Education 15/1 (April 2013), 1-12などでも個別的に行った。

(6)政治哲学におけるその他の多種多様な方法については、例えばDavid Leopold and Marc Stears (eds.), Political Theory: Methods and Approaches (Oxford: Oxford University Press, 2008)〔山岡龍一・松元雅和監訳『政治理論入門――方法とアプローチ』(慶應義塾大学出版会、二〇一一年)〕を参照。