朴烈記念館を出て車で2時間ほど走り世宗特別自治市の芙江面についたのが午後の2時くらいでした。芙江小学校の前にある食堂で遅い昼ごはんを食べ、金子文子が通ったという芙江小学校を見て、彼女のゆかりの川を車で走り、彼女が住んでいたとされる芙江駅北口の小高い村も回りました。
ソウルに戻ったら夕方の6時くらいだった。今日の一日は金子文子のゆかりの地をたどって、朝の8時半から夕方の6時まで台風の中を500キロほど走った。急いでいたので一人でゆっくり旅する余裕はなかったけど、不遇な環境で育った日本人女性が植民地からの留学生と意気投合して同士になり獄中結婚し、その死骸は朴烈の兄の手で朝鮮に安置された。時間があったら朴烈記念館にはもう一度訪問して二人の人生についてゆっくり考えてみたいとおもった。-2012年8月28日-
朴烈義士とは韓国の独立運動家で聞慶には朴烈の記念館が今年の10月9日にオープンする予定だそうです。今回のお客さんは朴烈の奥さん(獄中結婚した)だった金子文子を研究する方でした。金子文子の話は噂は聞きましたが今回のお客さんのおかげでもっと詳しく知ることができました。記念館の裏には彼女の墓がありました。日本人として韓国に大事に保存されている人は少ないでしょう。
朴烈義士・金子文子記念館
ボラベンという台風が韓国を直撃するとニュースで騒いでたので果たして車で聞慶()まで行くのは大丈夫だろうかと不安がありました。ソウル駅近くのホテルでお客さんに会い高速で約2時間半くらい走っていく間にさすが台風の影響ですごい雨や風に会いましたが無事に目的地に到着したのは午前の11時でした。