2013年度の講義録

講義録

第10回 卒塾式 new!

2月22日(土) 14:00-17:00

講義題目『科新塾を振り返って』

講義録

最終回の塾生発表会では,それぞれの塾生から科新塾に参加して変わったことや夢を発表し,意見交換を行いました。

この1年で学んだことや経験したことが今後の塾生の一助になることを祈っています。今年はサマースクールや株式会社パソナへの見学など新しいことにも挑戦することができました。1年間をまとめた卒業アルバムを作成しながら,充実した第3期を振り返っていました。1年間,本当にありがとうございました。

第4期もどうぞよろしくお願いいたします。

(第3期塾頭 鏑木結貴)

第9回 小説家

講義録

科学者維新塾・御茶ノ水第3期、第9回講義は約20名の塾生が集まり、大盛況の中終了いたしました。講師の松尾先生、参加していただいた皆様、ありがとうございました。

第9回講義では、研究と小説の2つの世界で活躍されている松尾佑一先生にお越しいただきました。

第一部は講演形式で、小説家に求められる能力、研究と小説の執筆を両立させる方法、小説家を目指した理由などについてお話しいただきました。

小説家と聞くと文系の職業というイメージが強く、理系の研究者とは距離が遠いように感じます。しかし、両者の仕事内容や求められる能力を比較すると、意外に共通点が多いことに気が付きました。小説家に必要なのはごく一部の人が持つような特殊能力ではなく、想像力・創造力・独創性・発想力・情報処理能力といった理系研究者にも備わっている能力とのこと。理系キャリアの新たな可能性を垣間見ることができました。

また、研究者と小説家の二足のわらじを両立させる方法として、平日は研究に専念し、小説の執筆は土日やまとまった休暇に一気に行うそうです。メリハリを付けることが大切なことは他の活動にも当てはまりそうですね。

松尾先生が小説家を目指した理由は、(1) 自分のアイデアを形にすること・「ものづくり」が好き、(2) コンクールに応募した作品が選考を通過していくことに快感を覚えたから、とのことでした。コンクールには大賞を受賞するまで応募し続けたそうで、失敗しても認められるまで挑戦し続けることの大切さを、先生のお話から学ぶことができました。

また、松尾先生は現在の子供たちの理系離れを危惧されていて、子供たちと科学との距離を縮めるための小説も作るという新たな目標を掲げていらっしゃいました。先生の次回作に期待がふくらみます。

第二部は「小説家体験」ということで、小説家と編集者に分かれてワークを行いました。小説家は約1時間という短い時間の中でひとつの作品を執筆。松尾先生からは「ストーリーは起承転結で構成して、最後にオチも付けて」というご注文が。一方、編集者は先生から編集者の仕事内容や役割について講義を受けた後、同じグループの小説家が書いた作品に対してアドバイスを行いました。

こうして小説家と編集者の二人三脚で磨きをかけた作品が懇親会で発表されました。力作を披露してくださったのは、小説家役の6名の方々です。甘党の男子学生のコミカルな日常、衝撃的な未来を描くSF小説、意外な結末に驚かされる軍隊物語など、作者それぞれの個性が輝く面白い作品ばかりで会場が大変盛り上がりました。松尾先生も作品の素晴らしさにとても感激されていました。

今回の講義とワークを通して、小説家という職業を身近に感じることができました。また、理系のキャリアを活かして社会貢献を行う道は無限にあることに改めて気付かされました。今後も「理系×小説」のような意外な組み合わせで活躍される方が増えていくことを願っております。松尾先生、お忙しい中ご講演いただきまして、どうもありがとうございました。 (第3期塾生 筒井香織)

第8回 政治家

第7回 Nature編集者

2014年2月1日(土) 14:00~17:00講演者 :松尾 佑一 (まつお ゆういち)講義題目:『理系博士が作家になる』

【プロフィール】1979年大阪府生まれ。2008年に大阪大学大学院工学研究科にて博士課程修了、博士(工学)。2009年、『鳩とクラウジウスの原理』で角川書店第1回野性時代フロンティア文学賞を受賞。理系の大学生や高校生を主人公とした作品を発表している。現在、国立大学の附属研究所において生物系の研究に従事。教育・研究活動の傍ら、休日に執筆を行っている。専門は分子生物学、放射線生物学。

12月21日(土) 14:00~17:00

講演者 :梅村聡(うめむら さとし)

講義題目:『理系博士が政治家になる』

【プロフィール】2001年大阪大学医学部医学科卒業。大阪大学医学部附属病院での研修後、2002年箕面市立病院、2004年大阪大学医学部附属病院(内分泌・代謝内科)で勤務。2007年参議院議員に当選。2012年野田第三次改造内閣で厚生労働大臣政務官に就任(2012年12月退任)。2013年6月参議院議員の任期を満了して現在に至る。

講義録

科学者維新塾・御茶ノ水第3期,第8回講義は約20名の塾生が集まり,大盛況の中終了致しました。お忙しい中沢山の方々に参加していただき,ありがとうございました。

第8回講義では医師であり,また,元参議院議員である梅村聡先生を講師としてお呼び致しました。講義の前半では,梅村先生が政治家となったきっかけ,そして,民主党時代にどのような問題に取り組んだのかについてお話いただきました。梅村先生は内科医時代,ある議員さんの病院見学の案内を行ったことがきっかけで,参議院選挙に立候補したとのことでした。実際に梅村先生が政治家になった経緯を伺うことで,漠然としたイメージしか持っていなかった政治家という職業へのキャリアパスについて,身近に考えることができました。

また,政治家の仕事内容としては,実際に梅村先生が参議院議員時代に取り組んだ「臓器移植法」について,「人の死とはなにか」,「脳の死とはなにか」,そして,「それを法律として定めることはどういうことなのか」,ということをふまえ,具体的にお話いただきました。梅村先生が国会討論で話された「延命して欲しい権利は法的に整備されているのに,延命を止める権利は法制化されていない」という問題点は非常に重く,誰もが迎える「自分の死」や「家族の死」に対して向かい合う良いきっかけとなりました。

第二部では,「梅村先生×河田先生×塾生」と題して,今の政治を見ていて聞いてみたいことを,梅村先生および河田先生にぶつけました。日頃から,政治に対して多くの疑問点を抱えている塾生から,「どうすれば政治家になれるのか?」,「意思決定を行うのは政治家か官僚か専門家か?」「若者が政治に興味を持つためにはどうすればよいか?」など,さまざまな質問が出されました。梅村先生はそれらの質問に対して真摯に,また,ときにはユーモアを交えお答えいただきました。

講義の最後には,逆に梅村先生から「この中で政治家になってみたい人はいますか?」という質問が投げかけられました。その結果,数人から手が挙がり,政治への関心の高さが伺われました。

梅村先生は,忘年会を兼ねた懇親会にも参加され,普段は聞けないような国会や選挙についての内情を語っていただきました。「政治家」というと少し敷居の高いイメージがありましたが,梅村先生の話を伺うことで,政治を身近に感じることができました。また,これからも政治について興味を持ち続けていきたいと思いました。梅村先生,お忙しい中ご講演頂きどうもありがとうございました。(第3期塾頭補佐 宮内 諭)

11月30日(土) 14:00~17:00講演者 :堀内 典明(ほりうち のりあき)

講義題目:『理系博士がNature編集者になる』

第一部「Nature Photonicsのエディターになるまで(海外でphd取得,日本でのポスドク経験)」

第二部「エディターの仕事について(仕事内容,Natureについて)」

【プロフィール】科学雑誌「Nature Photonics」編集委員。1999年にフランス・グルノーブルのジョゼフ・フーリエ大学で博士号を取得。その後、豊田工業大学にてポスドク研究員を 務めた後、2002年から2009年まで理化学研究所で研究員。2009年9月より現職。専門は、非線形光学、結晶成長学、フォトニック結晶。 Nature Publishing Group 唯一の日本人編集委員として活躍。

講義録

科学者維新塾・御茶ノ水第3期、第7回講義は約15名の塾生が集まり、大盛況の中終了致しました。講師の堀内先生、参加して頂いた皆様、ありがとうございました。

第一部前半(留学編)では、何故海外に興味を持つようになったのかということから始まり、90年代初頭のインターネットがまだまだ発達していなかった当時、どのような経緯で日本の博士課程在学中にフランス留学を実現し、最終的にフランスで学位を取得するに至ったかということをざっくばらんにお話し頂きました。

後半(就職編)では、日本に帰国後、ポスドク研究員を経て何故Nature Photonicsの編集者になったのか、ということについて詳細にお話し頂きました。

理研研究員であった当時、35歳を過ぎるとポスドクの応募先が減るという現実と、定年制の職に就きたいとの思いから企業研究者への転職活動を続けられていたそうです。しかしながら、企業HP・ハローワーク・大手転職サイト・研究仲間などを通じて積極的に情報収集を行っていたものの、リーマンショック直後の状況で研究職そのものを断念せざるを得なくなってしまいました。そんな折、友人からの口コミでNature Photonicsの編集者職の募集情報を知られたとのことです。堀内先生曰く、「ハードルは極めて高そうに見えたが、当時はとにかく応募できるところがあれば応募していた」そうです。講義の途中には、「堀内先生以外の日本人Nature編集者がいないのは何故か? 当時の潜在的な日本人の応募資格者(ポスドク・助教など)は他にも大勢いたと思うが、いったいどれだけの人が応募したのだろうか?」という質問も出てきて、具体的な日本人の倍率などはわからないと前置きをされたうえで、「日本には国立系研究機関以外にも企業研究者の道があるが、少なくともフランスではメーカーが存在しないため博士号取得者が研究職以外に就かざるを得ない状況にある。そのような状況を踏まえると、Nature編集者に応募しようとする日本人は、諸外国と比較すると相対的に少ないのではないか」といったやり取りも行われました。

第二部では、「Natureの編集者の仕事」についてお話し頂きました。現在Nature Photonicsの編集者は現在4人おり、仕事は大きく分けて「論文の審査(55%)」・「掲載論文以外の記事執筆など(30%)」・「情報収集のための学会聴講(15%)」などに分かれるそうです。Natureの編集者というと一見華やかな仕事に見えるけれども、研究者からの(不採択通知に対する)日々のクレーム対応に追われ続け非常に大変だそうです(笑)。それでも、毎日送られてくるexcitingな論文を世界で初めて読めることに強いやりがいを感じ、お仕事に励まれているとのことです。

また、講義の残りでは、Natureグループではどのようなプロセスで論文審査が行われ、どのような基準で採択を決めるかということを実際の論文を例に解説して頂きました。論文の審査では、全体の80%は編集者の初期選別により不採択となり,残り20%が査読者にわたり最終的に10%が採択されるそうです。お話の中で印象的だったのが採択プロセスにおいて、(1) 論文の採択・不採択の決定はあくまで編集者が(Nature Photonicsの場合は基本的には4人全員の目を通して)行うということ(査読者の多数決ではない)、(2) 査読者の肩書は全く関係なくポスドク研究員でも大御所教授でも同じ一人の査読者として判断するということ、(3) 投稿者側が指定する「査読に回して欲しくない競合グループ、研究者」はきちんと考慮することでした。インパクトが極めて高い雑誌であるからこそ、徹底的に疑念の払しょくに努めようとしている姿勢が強く感じ取られました。

講義後の懇親会の席でも熱冷めやらぬまま活発に議論が行われました。その中で個人的に最も強く印象に残ったやり取りは、「Nature系列誌という超一流の英字科学誌で記事を書くために、あらかじめ特別な執筆訓練などされたのか?」という質問に対する、堀内先生の「Nature Photonics誌にはNatureスタイルの英文校正をする専門家がいて、そういう方達に任せている。そもそもイングリッシュ・ネイティブでない自分にそのようなこと求められても酷である」というお答えです。語学は単なるツールでしかないとは判っていたつもりですが、Nature誌の編集者ですら(Nature誌だから?)英語力が第一義ではないということに新鮮な驚きを感じました(もちろん堀内先生の御謙遜もあると思いますが)。

Nature系列誌への採択決定権を持つ編集者の方ということで、さぞや順風満帆なキャリアを積まれてきたのだろうと初めての内は勝手に身構えていました。しかしながら、今回のご講義で、堀内先生の温厚なお人柄もあり、国際学術誌の編集者というキャリアを非常に身近に感じることが出来ました。堀内先生のご活躍をきっかけに今後第二、第三の堀内先生が出てきてくれることを願います。堀内先生、お忙しい中本当にありがとうございました。 (第3期塾生 松本拓也)

第6回 弁護士・弁理士

10月19日(土) 14:00~17:00講演者 : 鮫島 正洋 (弁護士・弁理士)

講義題目:『技術系弁護士として考えること』

【プロフィール】 弁護士 / 弁理士。1985年東京工業大学金属工学卒業後、藤倉電線株式会社(現:株式会社フジクラ)に入社し電線材料開発に従事。1991年に弁理士試験合格後、1992年に日本アイ・ビーエム株式会社に入社し、義的財産マネジメントに従事。1996年に司法試験合格。2004年に内田・鮫島法律相談事務所開設。 現在は中小企業知的財産戦略支援事業統括委員会委員長、金沢工業大学客員教授を兼務。著書に「新・特許戦略ハンドブック」「基礎から学ぶSEの法律知識」 など。

講義録

科学者維新塾・御茶ノ水第3期、第6回講義は弁護士である鮫島先生にご講演頂き、大盛況の中終了致しました。お忙しい中沢山の方々に参加していただき、ありがとうございました。

今回の講義では前半に鮫島先生のご講演を行い、鮫島先生のプロフィール、知財弁護士という仕事内容、起業を目指す塾生へのメッセージなどをお話して頂きました。

鮫島先生がご活躍されているのは「技術法務」という、技術を持つ企業を、特許制度を使って守る分野です。この分野では法律の知識だけでなく、最先端の技術の価値を理解する素地が必要です。私はこれを伺って初めて「弁護士」は文系だけのものではなく、常に新しい発見や技術を追い求めている「理系博士」にも、素養がある分野なのだと感じました。

鮫島先生には特許や弁護士業務についてのご説明をして頂きました。特許とはある技術を申請者(企業)が独占できる権利ですが、企業の競争力に直結する権利でもあります。しかし一口に特許と言っても、技術を守りきれる取得範囲で取らなければ、この競争力が生かせない場合があります。鮫島先生は、まずは特許の重要性を理解してもらい、特許の強みを最大限に生かせるような取得範囲を提案するなど、特に中小企業に対してサポートをされているとのことでした。弁護士としてはお客さんとの短い面談時間の中、いかに信頼関係を築くかが一番大事である、という言葉が、実感を伴って感じられました。

自ら「技術法務」という分野を切り開き確立されている鮫島先生ですが、起業を目指す人へは、まずニーズを見ること、そしてその中から自分が対応できることを探す、などのアドバイスを頂きました。特に印象的だったのは、「ニーズは進化する」「鶏口となるも牛後となるなかれ」という言葉です。どんな時でも市場は歪んでいて、必ずニーズはある。変人と言われても先んずること。起業に不安を感じている人も、この言葉には励まされたのではないでしょうか。

後半には、塾生3人からの特許に関する質問が行われ、会場内で活発な意見が飛び交いました。今持っている技術を秘密にしてノウハウにすべきか、特許取得をしてライセンス販売をするのかなど、実践的な内容が盛り込まれており、とても興味深かったです。中には画期的な技術について発表した塾生もおり、業界の手法を変えうる新技術を目の前にして、会場は熱い熱気に包まれながら終了しました。前半で特許に関する知識を深めた後、後半で実例を検討するという形式で参加できたのは、自分にとって特許の概念が身につく良い機会だったと思います。

鮫島先生はプロフィール紹介の中で、かつてエンジニアとして働いた経験が、「知財弁護士」という現在の立場でとても生かされているとおっしゃっていました。自分が今していることが不得意でも、他の道に向いていることがあるかもしれない。自分が今していることが、道を変えても生かせるかもしれない。私にとって、この2つが今回の講演で一番心に残りました。私も目の前の研究を力にしていきながら、道を狭めず進んでいきたいと思います。鮫島先生、お忙しい中、ご講演頂きどうもありがとうございました。(第3期塾生 鈴木和恵)

第5回 経営者

10月5日(土) 10:00~12:00

講演者 : 中田有吾

講義題目:『博士と経営コンサルタント』

【プロフィール】 専門は組織開発および研究開発マネジメント。東京大学経済学部卒業、大阪大学大学院経済学研究科博士前期課程修了。現在、大阪大学大学院経済学研究科博士後期課程在学中。鉄道会社での勤務を経て、リクルートマネジメントソリューションズにて組織開発コンサルティングに従事、製造・金融・サービスなど業界を問わずマネジメント全般に関するコンサルティングに従事。現在は独立して「部門間連携」あるいは「ナレッジマネジメント」といった領域での企業向けコンサルティングを行う一方、グロービス経営大学院で社会人向けに人材マネジメント、論理思考、プレゼンテーション等に関する講座も担当する。今最もホットなテーマは「グローバル企業における研究開発拠点の役割分担」。

講義録

第5回講義は大盛況にて終了いたしました。今回の講義には約20名が参加し、講義、ディスカッションともに非常に盛り上がりました。講師の中田先生、参加された皆様、ありがとうございました。

今回の講義では、中田先生から、1)ご自身のキャリアについて、2)コンサルティングの仕事とは、3)経営学とコンサルティング、4)キャリアを考える上で、というお話がありました。中田先生と塾生と意見交換をしながらの講義が前半に、後半のディスカッションでは、始めに会場が二手に別れてそれぞれ意見交換をした上で、どんな話が出たかを話し、それを受けて中田先生がさらに話を進めるというスタイルでした。会場の全員で考えながらの講義はとても面白かったです。

中田先生のキャリアのお話で興味深ったことは、組織の違いによって文化や社風が異なるという点です。鉄道会社では「100%そうと確信が持てない時にはそれはやってはいけない。」という考え方に対して、コンサルタントでは「60%の確率があればそれはやるべきことで、100%になるまで待っていたら時遅し。どっちの案でも良いけど、どっちにするか決めてくれ。」という考え方を持っている、という組織文化の違いは面白いお話でした。特に、コンサルタントの考え方は経営者に求められる思考でもあるとのことで、また私たちがこれから人生を歩む上でも当てはまる考え方だと感じました。

コンサルティングの仕事に関しては、コンサルタントとして必要なことは、思考力、スキル、ファンダメンタル、であるというお話がありました。その3つの中で、スキルはその気になればすぐに習得できるので、一番大切なのはファンダメンタルであるというのが印象的でした。ファンダメンタルの中で特に印象に残ったことは、中田先生のコミュニケーション術についてです。中田先生は、まず一番苦手な人から話をする、ということです。自分が得意とする人から話を持っていくと、最後に苦手な人に話を持っていくことになり、時としてそれまでのことがその人によってひっくり返されてしまうことがある、だから苦手な人から攻略するのだ、ということです。また、経営陣だけでも現場だけでもダメ、すべての人と良好なコミュニケーションをとることが大切であり、オープンにできることはなるべくオープンにすることで相手と信頼関係を築けて初めて話し合いができる、というお話でした。これは、コンサルタントだけでなく、どの分野の人にとっても重要なことだと感じました。また、思考力としては、相手の立場に立った論理的思考力が大切である、というお話でした。私たち理系博士は論理的な思考力に関しては比較的習得してきていると思いますが、相手の立場に立って話をする、ということは課題かと感じています。

経営学とコンサルティングの話では、テクノロジー・ライフサイクルとキャズム(隙間)についての話が印象的でした。顧客には5つのタイプがあり、イノベーター、アーリー・アダプター、アーリー・マジョリティー、レイト・マジョリティー、ラガードと分けられ、新しい商品が出たらすぐに飛びつくイノベーターとアーリー・アダプターから世の中に浸透してきたから買おうかなと考えるアーリー・マジョリティーの間には大きなキャズムがあるというお話がありました。シーズを市場に出すためには、キャズムを通して私たちは何を考える必要があるか、これは深い話でした。また、河田先生はイノベーターであり、iPhoneを買うのに朝から並んだことが暴露され、会場に笑いがおこりました。

キャリアに関しては、1)成長の期待を持てる選択をすること、2)選択肢を狭めないこと、3)お金を貯めておくこと(2年くらい無職でもいられるくらいあれば、日銭稼ぎをしなくともやりたいことができる)、の3つが大切というお話がありました。さらに、佐藤一斎「言志後録」の言葉は大変深い話で、常に努力を続けることの大切さを改めて感じました。

今回の講義は、コンサルタントや経営という点だけでなく、私たちがこれからどんなキャリアを歩んでいくのか、私たちだからできることは何か、を考えさせられるとても有意義な講義でした。(第3期塾生 柳川由紀)

第4回 プチサマースクール

8月24日(土) 14:00~17:00

講演者 : 三輪 唆矢佳 (トムソン・ロイター)

講義録

科学者維新塾・御茶ノ水第3期 第4回講義では、10名の塾生が集まり、トムソン・ロイターの三輪唆矢佳先生にご講演頂くとともに、先日のサマースクールで行ったグループワークの結果を発展させるための検討を行いました。

トムソン・ロイターの三輪先生からは、「私、会社、そして研究者と社会のつながり」と題してご講演頂きました。

トムソン・ロイターは、オンラインの学術データベース"Web of Science"の運営で知られています。同社は、データベースに基づき、各論文の被引用数やインパクトファクターなどの指標情報の収集・公表も行っています。

講演中は、指標の算出方法や、その背景にある考え方などを巡って、活発な議論が行われました。例えば、「科学者コミュニティー内だけの内輪の引用数による評価で良いのか」、「ノーベル賞選考も引用数が基準の一つになっていることに対して、トムソン・ロイターはどのような認識を持っているのか」など、忌憚のない問題提起が行われました。三輪先生からは、トムソン・ロイターは、研究者の研究プロセスを支援するための様々なサービスを提供することを本分としており、各種指標の公表も、支援サービスの一環として位置付けているとの説明を頂きました。

科新塾の河田塾長から「インパクトファクター以前は、大学ではコネなどが幅を利かす人事が横行しており、必要な淘汰が起きなかった」との指摘があった通り、指標が普及したことで得られたメリットもあります。トムソン・ロイターとしても、インパクトファクターだけでなく様々な指標を考案している中途だそうで、三輪先生がおっしゃられたように、現在は適切な指標確立に向けた「過渡期」にあると言えるのでしょう。

インパクトファクターも、ノーベル賞も、研究者が研究者を評価した結果であることを改めて認識しました。特に論文引用数は、研究者仲間が多い人ほど高いポイントを稼げると言われます。つまり、研究者人脈を広く持つ人材を手に入れたい組織には、論文引用数が採用基準として適していると言えますが、革新的な新技術を生み出す人材が欲しい組織は、別の評価基準も必要になるでしょう。一方、企業との共同研究が主体の私個人としては、研究者同士の評価だけでなく、企業からの評価も取り入れてほしいと思います。一口に研究者といっても方向性は多種多様であり、その評価がいかに難しいかを再確認する講義でした。

講演の後は、科新塾のスピンオフ・プロジェクトである「世代間交流会」より活動紹介およびイベント招待を受け、講義参加者の中からも数人がイベント参加を決めていました。

その後、プチ!サマースクールと題し、サマースクールのグループディスカッションの結果を受けて、科新塾として取れる具体的なアクションを検討しました。特に、中高生を対象として、実社会に対する見識や起業家志向を育むためのセミナーを催せないかという点について、活発な議論が行われました。 (第3期塾生 赤坂 俊哉)

サマースクール 講義2

7月28日(日) 9:00~10:15

講演者 : 村磯 鼎 (合同会社シーピーピー代表取締役)

【プロフィール】合同会社シーピーピー代表社員(代表取締役)。1984年に東京大学農学部農芸化学科卒業後、1986年に大阪大学医学部医科学修士過程修了、1990年に同大学院医学研究科博士課程修了。2001年~2009年バイオインフォデザイン。2009年~現在合同会社シーピーピー。これまで産業技術総合研究所臨海副都心センターバイオ・IT融合研究棟立案・フォーカス21プロジェクト策定・バイオインフォマティクス検定試験の立案・理化学研究所、島津製作所、凸版印刷による共同研究・東京大学医科学研究所、コニカミノルタによる共同研究・京都大学医学部、長浜市によるコフォート研究・長浜市によるバイオインキュベーション施設の立案を手がけ、日本が科学技術立国の条件を満たすためには人材が極度に不足していることを知る。2005年よりキャリアプランニングプログラムをスタート。理系人材の発掘が仕事になる。「博士はサラリーマンになるな、起業家たれ!」をモットーに啓発活動を行なっている。

講義録

サマースクール2日目の午前中には、合同会社シーピーピー代表社員(代表取締役) の村磯鼎先生を講師としてご講演頂きました。

講演では、村磯先生の現在の業務内容や、村磯先生が現在のお仕事に就かれるまでの経緯、その中で生まれた失敗談などをお話して頂きました。

村磯先生が代表取締約を務めていらっしゃる合同会社シーピーピーの、大学院生や博士号取得者のキャリアを支援するプログラムに関連してお話して下さった、博士がキャリアを形成するためには、「①世の中のことを知り、②その中で自分がFitする場所を見つけ、③そこにたどりつくための戦略を練らなくてはいけない」というお言葉が非常に印象的でした。また、③の戦略を練るにあたって、他人に自分の記憶や印象を持ってもらうことの必要性や、コミュニケーション能力やお金に関する知識の重要性も、お話して下さいました。

また、自分を他人に売り込む際は、自分の強みをきちんと認識し、その強みを証明するためのエピソードを常に考えておかないといけないということをお話して頂き、学部時代に自己分析や就活での自己アピール経験の少ないであろう博士課程進学者が、これからキャリアを形成するにあたり意識しなければいけないことだと感じました。

さらに、これからの時代は広く浅い知識を持った「ゼネラリスト」よりも、連続して常に何かしらの分野で最先端を進み続ける「連続スペシャリスト」が求められるのではないかというご意見を伺いました。それに関連して仰った、「常に1つのことだけに目を向けるのではなく、常に同時進行でいくつかのことを進め、ある分野において状況が悪くなっても、すぐに別の方向にシフトできるようにしなくてはいけない」というアドバイスは、ややもすれば自分の専門分野に専心し過ぎる博士号を持つ人にとって、有益なものだと感じました。自分自身、これからの大学院生活を、広い視点を持ち2足あるいはそれ以上のワラジをはくことを意識して過ごしていきたいと感じました。(第3期塾生 三浦 健人)

サマースクール 講義1

7月27日(土) 14:30~16:00

講演者 : 南部 靖之 (株式会社パソナ創業者、現取締役グループ代表兼社長)

【プロフィール】株式会社パソナ創業者、現取締役グループ代表兼社長。1976 年関西大学工学部卒業。「家庭の主婦の再就職 を応援したい」という思いから、大学卒業の 1 ヵ月前に起業し、現在のパソナグループを設立。以来、新たな働き 方や雇用のあり方を社会に提案し、誰もが自由に好きな仕事に挑戦できる雇用インフラの構築を目指している。 2003 年からは新たに「農業分野」への就農支援を開始、2008 年には、独立就農を支援する農業ベンチャー支 援制度「チャレンジファーム」を兵庫県・淡路島で開始し、農業分野に新しい発想と知識を持った人材が参入する ことで農業全体を活性化し、周辺産業も含めた雇用の創出と新しい働き方の提案を行っている。 リーマンショッ ク後は、急激に悪化した大卒新卒者の就職を支援するため、独自に若者のキャリア形成の支援を行っている。

講義録

今年の科新塾サマースクールは淡路島で2日間にわたって行われました。御茶ノ水、中之島の両塾生合わせて22名の参加があり、先生方とともに密度の濃い時間を過ごすことが出来ました。

サマースクール一日目には、株式会社パソナ取締役グループ代表の南部靖之先生を講師にお招きし、ご講演いただきました。

初めに、南部先生のご講演に先立ちまして、パソナグループが行っている「ここから村」での半農半芸の活動について、実際に活動されているお三方からご説明いただきました。農業を行いながら、芸術活動を通じて地域活性を目指す姿に、塾生から多くの質問、激励の声が上がりました。

続いて、南部先生の講義が行われました。南部先生は、講義室の入り口を通るなり席に着く間もなくお話を始められました。南部先生の熱のこもった講義に、冒頭から塾生は圧倒されていました。南部先生は、人生にはいろいろな選択肢があり、人によっていろいろな歩み方がある、というメッセージをご自身の経歴、ご家族のことを例に挙げながら分かりやすくお話しくださいました。

講演中で一番印象に残ったのは「人に使われてはいけない」という言葉です。自分の信念、信条を貫くためには、まずは自分が主導的に動ける環境を作りだしていくこと、そしてその環境を維持、発展させていくこと、が重要であると学びました。また、この言葉には他人の人生を生きるのではなく、自分の人生を生きろ、「生かされるのではなく生きろ」という意味も込められていると感じました。

講義は熱気に満ちており、予定されていた時間を大幅に超えて行われました。また、講演後に行われたBBQの時間でも、即席の青空講義が行われました。その中では、「尾頭付きの鯛」「世界で一番おいしい豚」というフレーズを上げながら、①利益を独り占めするのではなく、周りにも分配すること、②大きな成果を出すために、一人ではなく、みんなの力を合わせること、という心構えをお話しいただきました。2回の講義を通して、起業家であり企業人である南部先生の目線ならではのお話を聞くことが出来ました。(第3期塾生 古賀 舞都)

第3回 官僚

6月29日(土) 14:00~17:00講演者 : 中内 晶 (元環境省職員、現応用物理学会事務)

講義題目:『私が官僚になった理由とやめた理由』

【プロフィール】 2008年大阪大学大学院工学研究科環境エネルギー工学専攻修士課程を卒業。同年環境省入省。環境省在籍時は、5回の異動を経験。廃棄物・水質環境基準・化学物質管理政策等に携わり、新たな環境基準の制定や、アジア諸国と化学物質管理政策の情報共有に貢献。その他、厚生労働省への出向や、震災対応も経験。2012年9月に環境省を退職し、社団法人応用物理学会入社。現在は講演会業務に従事。

講義録

科学者維新塾・御茶ノ水第3期、第3回講義は約20名の塾生が集まり、大盛況の中終了致しました。お忙しい中沢山の方々に参加していただき、ありがとうございました。

第3回講義では元環境省職員、現応用物理学会事務の中内晶先生を講師としてお呼びしました。

講義の前半では「私が官僚になった理由とやめた理由」という題目で、中内先生にご講演頂きました。中内先生が環境省に勤めていた際の業務内容やタイムスケジュール等を例に、漠然としたイメージしか持っていなかった官僚という仕事の内容(および過酷さ) を具体的に分かりやすく説明して頂きました。また、中内先生の現在の勤め先である応用物理学会の業務についても伺い、環境省で働いていた時と変わらぬ、もしくはそれ以上の高い志を持って働いていらっしゃることがとても素敵に感じられました。講義の最中や質疑応答の時間には、いつにも増して活発に質問や意見が飛び交い、官僚という職業に対する理系博士の関心の高さが窺えたと思います。

講義の後半では「官僚の仕事を体験しよう!」ということで、自分たちが官僚になったと想定して、「日本人のノーベル賞受賞者を増やすには?」と「博士号を持った人の就職率を上げるには?」という2つのテーマについて、どんな施策を講じれば達成できるのかをグループワークで話し合いました。

「日本人のノーベル賞受賞者を増やすには?」というテーマに対しては、大型プロジェクトだけに研究予算を集中させるのではなく、広く研究資金を分配することで50年後の日本人ノーベル受賞者を増やすとう「ノーベル賞の種を広く育む」という施策案や、世界にまだまだ十分にアピールできていない優れた日本人の研究を国際的に発信することでノーベル賞受賞者を増やすという「ノーベル賞 取るべき人は すでにいる!」などの施策案が挙げられました。「博士号を持った人の就職率を上げるには?」というテーマに対しては、博士課程の学生にインターンを義務付ける制度を設けることで、研究職以外の進路を視野に入れてもらうという「キャリアビジョン構築のためのインターン(シップ) プログラム」という案や、学生と企業とのつながりを作ることを目的として、企業が博士課程の学生のための会社基金を設けることなどを柱にした「25歳からのハローワーク」などの案が挙げられました。

予定時間を過ぎてもほとんどのグループで白熱した議論が継続されており、施策案を、施策導入後の効果や導入プロセス、施策のキャッチコピーまで踏み込んでまとめることの難しさを感じました。 (第3期塾生 三浦 健人)

第2回 科学雑誌編集者

5月25日(土) 14:00~17:00講演者 : 小松 研吾 (株式会社ニュートンプレス 編集部)

講義題目: 『理系博士が編集者になって科学を伝える』

【プロフィール】1979年、北海道生まれ。2008年、北海道大学大学院 理学研究科 地球惑星科学専攻 博士後期課程修了。在学時代は、地球近傍の宇宙空間に存在する「放射線帯」とよばれる領域について研究。2008年11月より,株式会社ニュートンプレス編集部に入社。現在、一般向け科学雑誌『Newton』本誌、別冊およびiPad版Newtonの編集を担当。

講義録

科学者維新塾・御茶ノ水第3期、第2回講義は約20名の塾生が集まり、大盛況の中終了致しました。お忙しい中参加していただき、誠にありがとうございました。

第2回は、株式会社ニュートンプレス編集部の小松研吾先生を迎え、『理系博士が編集者になって科学を伝える』というテーマで講義を行いました。講義前半では、小松先生の経歴とNewton誌の編集の仕事内容、最近のiPad版Newtonに関する取り組みなどについてご講演をいただきました。そして後半では、「編集者体験!」というテーマで、有志の塾生があらかじめ書いてきた記事について「素読み(読者の視点に立って、まっさらな気持ちで記事を修正していく作業)」を行いました。

【Newtonはガラパゴスな雑誌?】

講義前半の質疑応答の中で「Newtonは『科学のおもしろさを多くの人に伝えたい』という創刊以来の思想を大事にしたまま、すごく“上品”なやり方で成功しているとても稀な雑誌かもしれない」という意見が出ました。“上品”とは、連続小説のような連載物で読者の購買意欲をあおることなく、毎回読み切りを貫いているという意味です。このようなスマートな方針が、Newtonの読者というスマートな層にむしろ喜ばれているということなのでしょう。

しかし一方で、「Newtonは、すでに科学が好きな人に読まれているだけで、科学に苦手意識を持っているような人には届いていないのではないか」という意見もありました。この問いに対して小松先生は、「まずは、科学にすでに多少の興味をもっている人に対してそのレベルを上げていくことで、世の中の科学コンテンツを増やし、誰にとっても科学が身近にある環境を作ろうとしています。そして、それが結果的に科学嫌いの人にも届くようになるのではないかと考えています。」と答えられました。地道で時間がかかるやり方ですが、科学のもつ特徴には最も似つかわしくも感じられます。

個人的には今回の講義を受けて、婚活や朝活に並ぶ「理活」ブーム(?) を仕掛けることで、通勤時間や余暇に科学雑誌を読んで知的ステータスを上げたり、あるいは自分の子どもに買い与えて読ませたりすることがカッコいい、と受け取られるような社会を作れないかしら、と考えました。

【「読んでもらうための努力」の欠如】

私は学生ですので、日常的に書く文章はレポートなどの「書けと言われて書いた」ものがほとんどです。そのため、「何を書いても読んでもらえる」と考えてしまい、レポートの内容にばかりに意識を向けていました。

しかし、Newtonに自分の文章を載せるという立場に立った場合、本屋に並ぶ膨大な本のなかに埋もれることなく、なるべく多くの人に向けて「読んで!」と訴えかける文章、見出しにすることが必要になってきます。今回の素読み体験では、今まであまり意識してこなかったこのような方向への工夫が必要になりました、この体験はとても新鮮であり、今までその視点を持っていなかった自分の甘えを痛感することになりました。これから文章を書く際は,内容だけでなく,このような視点を忘れることのないようにしたいと感じました。 (第3期塾生 小松田 麦子)

第1回 科学者

講演者 : 河田 聡 (大阪大学教授、阪大フォトニクスセンター長、理化学研究所主任研究員)

講義題目: 『私が科新塾を始めた理由』

【プロフィール】 専門は応用物理(ナノフォトニクス)。1974年大阪大学卒業、79年同博士課程修了、カリフォルニア大学ポスドクなどを経て1993年より阪大教授。2003年ラマン顕微鏡メーカー、ナノフォトン(株)を創業。光(フォトン)とナノ構造の相互作用の研究である「ナノフォトニクス」の世界的パイオニア。ギネスブックに世界で最小のレーザー造形物が写真入りで掲載。紫綬褒章、文部科学大臣表彰、島津賞、市村学術賞、江崎玲於奈賞、等。

講義録

科学者維新塾・御茶ノ水第3期、第1回講義は約40名の塾生が集まり、大盛況の中終了致しました。お忙しい中たくさんの方々に参加していただき、ありがとうございました。

第1回は、塾長の河田聡先生より「私が科新塾を始めた理由」という題目でご講演頂きました。河田先生はチャールズ・ダーウィンの「生き残る者は強いものではなく、変化に対応できるものだ」という言葉を踏まえ、現在の日本の大企業や政府は大きくなりすぎ、社会の変化に対応しきれていないという問題に注目しました。そこで、かつて脱藩浪士である坂本龍馬が日本の改革に邁進したように、これからは何にも縛られない人間、つまり「理系博士」こそ窮地の日本を救う可能性があると考え、緒方洪庵が立ち上げた適塾をモデルとして科学者維新塾を立ち上げることにしたのです。後半は適塾の卒業者の一人として福沢諭吉を取り上げ、これから理系博士はどうあるべきかについてお話いただき、最後に「科学者という職業に縛られずにあらゆる分野で活躍してほしい」とエールをいただきました。特に、福沢諭吉が著した『文明論之概略』の一節、「異端妄説の譏(そしり)を恐るゝことなく」は印象的で、他人と違うことを言うことを恐れない、また,失敗を恐れない勇気を持ちたい、と強く感じました。

また、塾長補佐の沖野先生、西村様、堀内様、矢作様、運営メンバーの自己紹介の後、参加者全員の自己紹介を行いました。講義後の懇親会、懇親会の2次会にも多くの方にご参加いただき、様々な話題で盛り上がりました。次回の講義もお楽しみに! (第3期塾頭補佐 近藤 真司)

4月27日(土) 14:00~17:00