2011年度の講義録

2011年度の講義録

第10回 塾生発表会

日程:2011年11月26日

概要:全講義を受講した塾生たちによる発表会です。科学者維新塾を通じて得た、自身のキャリアに関する想いや考えを発表し、意見交換を行いました。

科学者維新塾・御茶ノ水の最終回では、「塾生発表会」を行ないました。21名の塾生が、「目標や夢が、科学者維新塾に参加して変わったか、あるいは具体化し たか」というテーマで、発表を行ないました。一年間を通して考えてきたことがまとめられた発表でしたので、あとは、それぞれがどのように行動に移していく か、それを期待して見守りたいと思います。(塾頭:熊本康昭)

第9回 番外編

日程:2011年10月29日

講師:河田聡(科学者維新塾塾長、大阪大学教授、理化学研究所主任研究員など)

概要:塾生から講師への質問をベースに講義を進めていきます。講師が立ち上げたベンチャーの話、モロッコやフィリピンなど海外の科学研究事情などをテーマとして扱いました。

講義録

科学者維新塾・御茶ノ水の塾長の河田聡先生を講師として迎え、「塾長に維新着いて質問しよう」と題して、第9回講義を行ないました。講義、懇親会ともに、大盛況にて終了しました。

塾生から事前に寄せられた質問をベースに、「海外で働く方法」「Steve Jobs 後の世界」「自分をどのように育てたか?」「博士の役割」「改めて科学者維新塾とは何なのか?」「科学者維新塾での活動をこれから塾生はどう活かすべきなのか?」など、様々なテーマを取り上げて、終始対話形式で講義が進みました。

「海外で働く方法」のテーマでは、どのように海外での仕事を探すのか、といった方法論から、海外で働く意義や目的といった本質論、または日本と海外の違いといった比較論まで、様々なことが議論されました。7月の講義でもそうだったように、塾生の多くが海外で働く、あるいは勉強することに興味を持っており、非常に活発な議論ができたと思います。

「Steve Jobs 後の世界」をテーマに取り上げた議論では、「Jobs の代わりになる人はいないので、Apple の技術革新はとまるのでは」といったこれからの話から、80年代のアメリカにおけるベンチャーブームの話などが、話題に挙がりました。ベンチャーの話から、産業の寿命や、日本でなぜ起業が難しいか、といった内容にまで話が拡がり、起業に興味をもつ塾生にとっては、視野が広がる良い機会になったのではないか、と思います。

「自分の育て方」というテーマに関しては、河田先生から様々な意見を聞くことができました。「全く違う夢を3つ以上もつ」「10年刻みで夢を変える」「新 しい研究テーマは、興味だけでなく、どれだけそれが社会に貢献しそうか、という視点で決める」「市場は調査するものではなく、創出するもの。調査していて は、他の人と同じものしか生み出せない」といった意見は、どれも塾生にとっては新鮮かつ有意義なものだったのではないかと思います。

「博士の役 割」については、これまでの講義で散々議論をし尽くしてきたことではありましたが、改めてテーマとして意見交換すると、それぞれ色々な考え方をしているこ とがわかり、面白い発見でした。私がこのテーマで一番印象に残ったのは、「日本の社会では、失敗が許されない。しかし、博士課程は、チャレンジングな研究 ができる、日本では数少ない失敗が許される場である」といった考えでした。このことは、博士が、失敗を恐れずにものごとに取り組むことを学んだ人であり、世の中に新しい価値を提供しうる人材である、ということを改めて私に気付かせてくれました。

最後に、「改めて科学者維新塾とは何か!?」「科学者維新塾での活動を塾生はこれからどう活かすべきなのか!?」といったことが議論されました。このテーマに関しては、当初塾生の間で意見の違いはありましたが、講義の最後には、「理系博士が視野とネットワークを拡げ、将来、社会の停滞を引き起こしている大きな問題に挑み、それを解決していくこと」が科学者維新塾の役割である、ということを共有できたのではないかと思います。

いよいよ次回は、今年の科学者維新塾・御茶ノ水の最後の講義です。講義では、塾生発表会を行ないます。塾生の皆さんがどのような発表をするのか、非常に楽しみです。ちなみに、今回の講義の中で河田先生が、理系博士になって欲しい職業として、

1.政治家

2.ジャーナリスト

3.起業家

4.小説家

を挙げておられました。この職業になりたいという発表が一つでも多くあれば、今年の科学者維新塾・御茶ノ水は、大成功といって良いのではないかと思います。(塾頭:熊本康昭)

第8回 理系博士が 国会議員・大臣 になる!?

日程:2011年9月10日(土)

講師:鈴木寛 文部科学副大臣

講義録

第8回講義では、参議院議員で前文部科学副大臣の鈴木寛先生をお招きして、「理系博士が国会議員・大臣になる!?」というテーマで講義を行ないました。講義、懇親会ともに、大盛況にて終了しました。

今回はいつもと異なった形式である,「事前に募集した質疑への応答」+「新規の質疑応答」という構成で講義が進みました.お忙しい中にもかかわらず,鈴木先生は事前質問にしっかり目を通されており,非常に興味深い回答が続きました.

特にお話が多かったのは,「科学技術政策」及び「教育・学習」に関してのトピックです.「科学技術政策」に関しては,博士課程を取り巻く現状を中心に,大 学や科学界の抱えている問題に多く言及がありました.例えば,「メタレベル間の移動を自由に行える」「ロジカルな人材」であるのが博士人材ですが,現状で は社会がその活用を十分にできておらず,特に対外国の交渉などで憂き目を見ることがあること(博士という『箔』が無いため侮られるなど),そして近年徐々 にその認識が産業界にも広まり意識が変わりつつあること.また,さらに「知的高度人材」として国際的な活躍の場が求められていることなど,非常に興味深い 博士の現状のお話がありました.一方で,日本の科学界の中で人文科学や社会科学がそのプレゼンスを発揮できておらず,例えば科学技術イノベーション政策な どで専門家が不足しているなど運営側の科学者に対する要求も示唆して頂きました."Evidence based policy making"という言葉はそれを如実に表現しています.

もう一つのメイントピックの「教育・学習」に関しては,成熟国である日本でこどもの好 奇心をドライブする難しさ,そしてその劇的な効果に関して説明があり,初等教育の重要性を再認識させられました.また,そこでも「良い刺激を与えられる人 材」としての博士の必要性に触れられました.

後半の質疑応答では,塾生がそれぞれ重要だと考えているトピックスに関しての質問が多く出ました.「起業」,「国際化」,「人材育成」,「政策参加」などのポイントに関して,含蓄深い回答が続きました.

全体を通じて,Best and Brightestな人材になることの重要性が伝わって来ました.この激動の時代,学術界だけでなく,政治家,大学運営者,教育社,官僚,起業家など様々 な分野でBest and Brightestが必要とされています.我々も常に自己研鑽を続け,この塾に参加しているモチベーションを保ちつつ前進する姿勢を保とうと改めて感じさ せられた回でした.(塾生:比嘉康貴)

第7回 理系博士が海外で教授になる!?

日程:2011年7月9日(土)

講師:河野 淳一郎(こうの じゅんいちろう)

ライス大学教授(電気情報工学科及び物理・宇宙科学科)。専門は応用物理(ナノ構造半 導体、カーボンナノマテリアル)。1995年、ニューヨーク州立大学バッファロー校にて博士号 (物理学) 取得。カリフォルニア大学サンタバーバラ校、スタンフォード大学で研究員を務めた後、2000年にライス大学にて助手に就任。その後、2005年から同大 学にて助教授を務めたのち、2009年より現職。アメリカ大学生の日本インターンシップ・プログラム「NanoJapan」主宰。

講義録

第7回講義では、ライス大学教授の河野淳一郎先生に「理系博士が海外で教授になる!?」というテーマでご講演頂きました。講義、懇親会ともに、大盛況にて終了しました。

今回(第7回)は、ライス大学の教授・河野淳一郎先生に講義して頂きました。これまでの講義された方々は博士号取得後、アカデミック研究者以外の道に進ま れた経歴を持っていらしたのに対し、河野先生はポスドク→助手→助教授→教授というアカデミック研究者としての道を歩まれている方でした。

河野先生の講義は大きく分けて3つのトピックから構成されており、第一に、理系大学院において日米の違い、第二に、河野先生自身がライス大学の教授になるまでの道のり、第三に、最近の日本人の若者は海外に出たがらず内向き志向である、という内容でした。

日米間における理系大学院の教育法の違いについては、日本に比べアメリカでは研究に打ち込める様な財政サポートが充実していました。何より、高校の頃から 研究経験をさせてもらえるという研究室がオープンなところに関しては、日本での本格的に研究に触れる・携われる時期の遅さを痛感しました。他に、”博士号 の取得”に対しても”就職に不利になる・視野が狭くなる”といったネガティブな日本での印象とは異なり、アメリカでは”免許取得・ビジネスのキャリアとし て有効”といったポジティブな印象として受け止められている違いも見え、非常に考えさせられました。

また、講義の後半での「他のアジアの国々に 比較して日本人留学生の少ないのはなぜ」という塾生への問いかけについては、質疑応答間で様々な議論がありました。留学について考えている塾生は多かった のですが、金銭問題・海外での生活(文化・食事・言葉)といった不安要素を抱いており、それが海外進出への減少・内向き思考へとつながっている様に見受け られました。

今月末にはサマースクールが開催されます。中之島の塾生との合同ですので、非常に楽しみにしています。サマースクール明けの次回(第8回)は、鈴木寛文部科学副大臣をお招きしての講義ですので、こちらも大変楽しみにしています。(塾生:濱崎英史)

第6回 理系博士が弁理士・弁護士になる!?

日程:2011年6月18日(土)

講師:鮫島 正洋(さめじま まさひろ)

弁護士 / 弁理士。1985年東京工業大学金属工学卒業後,藤倉電線株式会社(現:株式会社フジクラ)入社し,電線材料開発に従事。1991年弁理士試験合格 後,1992年日本アイ・ビーエム株式会社に入社し,義的財産マネジメントに従事。1996年司法試験合格。2004年,内田・鮫島法律相談事務所開設。 現在,中小企業知的財産戦略支援事業統括委員会委員長,金沢工業大学客員教授を兼務。著書に「新・特許戦略ハンドブック」「基礎から学ぶSEの法律知識」 など。

講義録

第6回講義では、弁理士・弁護士としてご活躍中の鮫島正洋氏に「理系博士が弁理士・弁護士になる!?」というテーマでご講演頂きました。講義、懇親会ともに、大盛況にて終了しました。

まず、鮫島先生が歩まれた3つのキャリアについて、お話を頂きました。鮫島先生がどのようにして一般企業の研究職から弁理士を経て弁護士になられたのか、その経緯や動機を聞かせて頂きました。

そして、弁護士として、独立して事務所を設立するに至った想いについてもお話を頂きました。鮫島先生は、弁護士になられて事務所で雇用された後、既存の弁 護士は問題に対して分析型に終止しており解決の手段を提供するに至っていない、という問題意識を持つようになり、知識が無料で得られるようになった昨今、 弁護士の仕事は分析することや知識を提供することではないと考え、自らの経験・理系の専門知識を活かして戦術・戦略を提案したいとの思いから事務所設立に 至ったとのこと、お話をしてくださいました。

質疑討論の時間には、先生の仕事観、人生、思いについて、さらに深くお話を伺いました。「様々な規 模の会社と仕事をしているが、中小企業やベンチャー企業との仕事は直接経営に関わることができるので一番楽しい」「仕事を続けながらの司法試験の勉強時間 の捻出方法」といったお話が特に印象的でした。また、「おすすめの本は」という質問に対して、「本は基本的に読みません。出版された時点でそれは遅れた情 報だから。」という回答には、様々な人脈から得た一次情報をベースに、常に変わり続ける市場の動向をリアルタイムで分析している方の発言だと感服させられ ました。

講義の後半では、日本の現状についてお話を頂き、さらに、現状の問題点を解決するために理系博士である私たちが行動することが、将来の日本の姿を決定することになるとの激励のメッセージを頂きました。

後半のお話の中では、まず、先月の国際学会で発表された資料を使って、日本の現状について、主に経済面についてお話下さいました。日本の経済力や国力を測 る国際的な指標において、日本の順位は下がり続けており、日本製品の世界的シェアは低下している、また、それだけでなく、東京市場への海外からの投資は、 ロンドン、ニューヨークなど他の株式市場と比較すると極端に少なく、日本の既存産業は、低迷期に陥っている、さらに、既存産業だけでなく、ベンチャー企業 に対する資金提供もこの2、3年で急激に減少している、との解説を頂きました。

そして、「ベンチャーが育たない国の20年後、30年後、50年 後の産業は必ず廃れる」「ベンチャーを育てる仕組みを作っていかなければ、将来の日本の産業は育たない」「日本は今でも高い技術力を持っているが、それを 支え次の産業基盤にしていくシステムが社会の中に確立されていない」との問題点を指摘されました。さらに、これらの問題点の根底には、国民の危機意識、問 題意識の低さがあることを強調しておられました。実際には、日本の現状に問題意識を持った若者(科新塾に参加しているメンバーを含め)は多く、公益、国益 を考えて何か行動をしたいと考えているが、人脈、経験、知識がないことからどう行動して良いかわからない、逆に人脈、経験、知識をもっている世代は若い人 達との交流がないことから、上の世代と若い世代をつなぐ場が必要であるとのメッセージを頂きました。

鮫島先生は実際にベンチャー企業に経営に関わっていることから、起業に興味のある塾生との間でかなり具体的な議論が交わされていました。(実際に鮫島先生と塾生の間で新たな企画が持ち上がりそうです!)

鮫島先生の講義は、理系博士の知識や技術はビジネスの世界でも十分に活かせる道があるということ、また何かしらに問題意識を持っている者達が実際に行動し ていかなければ今の日本を立て直すことはできないということを強く意識させるものでした。しかし、同時に先生が今目の前にあることに真剣に取り組めない者 は、他の場所に行っても同じであると仰っていたように、それぞれが目の前の課題に真剣に取り組み、いつの日かアウトプットできる日を目指して、ひたすらイ ンプットし続けていくことが大切なのだと思いました。(塾生:魚井夏子)

第5回 理系博士がサイエンスライター・サイエンスコミュニケーター になる!?

日程:2011年5月21日(土)

講師:渡辺 政隆(わたなべ まさたか)

サイエンスライター。東京大学大学院農学系研究科博士課程修了。独立行政法人科学技術振興機構エキスパート(科学コミュニケーション分野)担当。さらに奈良 先端科学技術大学院大学客員教授・日本大学芸術学部客員教授・和歌山大学客員教授も勤める。専門は科学史、進化生物学、科学コミュニケーション。著書に 「一粒の柿の種―サイエンスコミュニケーションの広がり」「シーラカンスの打ちあけ話」「ガラガラヘビの体温計」など多数。「種の起源」「ワンダフ ル・ライフ」「生命40億年全史」など多数の訳書でも知られる。

講義録

第5回講義では、サイエンスライター・サイエンスコミュニケーターとしてご活躍中の渡辺政隆氏に「理系博士がサイエンスライター・サイエンスコミュニケーターになる!?」というテーマでご講演頂きました。講義、懇親会ともに、大盛況にて終了しました。

まず、渡辺政隆氏に、ご自身の経歴や日本における科学技術振興の変遷、サイエンスコミュニケーションについてお話頂きました。海外でのサイエンスコミュニケーションの話も多く出てきて、日本との違いも見え、大変勉強になりました。

質疑応答では、政策や教育、翻訳やサイエンスコミュニケーションなどが、多くの視点から熱く議論されました。また、「理科離れは本当にまずいことなのだろ うか」、「科学リテラシーが低くとも生活できるということは、科学リテラシーはなくても良いのではないか」というような、かなり本質的な質問もあり、白熱 した議論が展開されました。

また、渡辺さんからは、サイエンスライターという立場から、サイエンスライティングについてもお話し頂きました。 「翻訳業を始めるにはどうしたら良いか」という点にも話題が移り、多くの塾生が真剣に耳を傾けておりました(現在はエージェントがしっかりと入り込んでお り、個人での翻訳書出版は難しいとの回答でした)。

質疑応答の最後の方に、日本では、「理系にいけば成功する」というイメージがなく、逆に最近 は、ポスドク問題など暗い話題が多いことも問題なのではないか、という話も出てきました。その際の議論で出てきた「理系博士として成功した人を科学者維新 塾から輩出することは、科学者維新塾の目指すべきアウトプットの一つであろう」という意見には、私も特に強く賛同しております。

震災が起こり、原発や放射線などの言葉を耳にする機会が増えました。このような状況の中で、サイエンスコミュニケーションについてあらためて意識し、自分にできることをしていきたいと改めて感じた講義でした。

次回の弁理士/弁護士の講義も楽しみにしています。(塾生:砂田麻里子)

追記:今回は、渡辺さんの講義のあとにミニセミナーがありました。「電力問題についての提言書」というタイトルで塾生の川口さんが熱弁をふるってくださいました。こちらも大変興味深い話でした。

第4回 理系博士がジャーナリスト になる!?

日程:2011年4月9日(土)

講師:西村 吉雄(にしむら よしお)

1971 年、東京工業大学大学院博士課程 (電子工学専攻) 修了、工学博士。同年、日経マグロウヒル社 (現在の日経BP社) 入社。1979~1990年、『日経エレクトロニクス』編集長。その後、同社の発行人、調査・開発局長、編集委員などを歴任。2002年、東京大学大学院 工学系研究科教授。2003年、同大学を定年退官。著書に『硅 石器時代の技術と文明』『半導体産業のゆくえ』『産学連携』『情報産業論』、訳書に『中央研究所の時代の終焉』など。

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第4回講義では、元日経エレクトロニクス編集長である西村吉雄氏に「理系博士がジャーナリストになる!?」というテーマでご講演頂きました。講義、懇親会ともに、大盛況にて終了しました。前回(第3回)は科学ジャーナリズムについての講義でした。 今回(第4回)は、技術寄りのジャーナリズムについて、日経エレクトロニクスの元編集長の西村吉雄先生に講義して頂きました。西村先生の講義は大きく分けて2つのトピックがあり、 第1に、インテルでマイクロプロセッサーが開発された話や、日本の半導体産業の隆盛と衰退に関する講義と、第2に、今まさに転換点にあるジャーナリズム業界の課題と今後についての講義がありました。 インテルの開発秘話は、西村先生がリアルタイムで取材されていたために、当時の興奮が伝わってくる話でした。

ジャーナリズム業界の課題と今後に関しては、質疑でも特に熱い議論が交わされました。ジャーナリズム業界に関する論点は主に2つあって、第1に、ビジネスという視点では、「ジャーナリスト集団をフルタイムで雇用しようとすると、広告収入を中心にした既存のビジネスモデルでは難しくなっている」、という話が出ました。第2に、「ジャーナリストの使命は何か?」という視点については、「ジャーナリストの視点から正しいと思われること、伝えたいこと」、「大衆が読んで喜ぶこと」、「広告主が書いて欲しいこと」、「情報提供者が書いて欲しいこと」の4つの間でジャーナリストは揺れている、という話が出ました。

ジャーナリストの使命に関する質疑では、昨今の原発報道が混迷していることもあって、様々な議論が塾生側から巻き起こりました。 福沢諭吉「文明論之概略」の一節に「自由の気風はただ多事争論の間にありて存するものと知るべし。」という言葉があります。 塾生から出たマスコミ批判や正義論を集約すると、この言葉になるのではないかと思いました。

一連の講義を通して、科学技術を誰に何のために伝えるのか?、どうやって伝える仕組みを作って行くのか?、ということに問題意識を持つように私はなってきました。 次回(第5回)は、サイエンス・ライター/コミュニケーターについての講義なので、大変楽しみにしています。 (塾生 鶴沢英世)

追記:塾生中島の感想

専門家が大衆に理解してもらうためには、正しい情報とともに“情熱”も伝えることが重要ではないか、とおっしゃっていたのが印象的でした。

第3回 理系博士が"Nature編集者” になる!?

日程:2011年3月19日(土)

講師:堀内 典明(ほりうち のりあき)

科学雑誌「Nature Photonics」編集委員。1999年にフランス・グルノーブルのジョゼフ・フーリエ大学で博士号を取得。その後、豊田工業大学にてポスドク研究員を 務めた後、2002年から2009年まで理化学研究所で研究員。2009年9月より現職。専門は、非線形光学、結晶成長学、フォトニック結晶。 Nature Publishing Group 唯一の日本人編集委員として活躍。

講義録

第3回講義では、Nature Photonics Associate Editorである堀内典明氏に「理系博士がNature編集者になる!?」というテーマでご講演頂き、大盛況にて終了しました。

「なぜNature編集者になれたか」よいう質問への回答は、その時の境遇をポジティブに受け止めて、できることを結果が出るまで必死にやった結果、とい うことでした。元来、プロジェクト制の研究職に就いている科学者には、次の職を自ら積極的に追及することが必須である上に、2008年のリーマンショック によって状況がさらに厳しくなったことを受けて、堀内氏はあらゆるフィールドにおいて、様々な方法でキャリアパスを開くべく行動しました。ウェブを使った 情報収集、研究会でのコミュニケーション、メールでのコンタクトなど、実際に有用ないくつかの方法を教えて下さいました。

「もし採用者の立場になったらどんな人を採用したいか」との問いには、「ポジティブに仕事を熟す人」というご回答を頂きました。専門的知識、スキル、実績も必要ではないか、と考えておりましたが、それらを差し置いたご回答が印象的でした。

私がこの講義から学んだことは、準備していても予期できないことは起こるが、その時にとる行動(Cause)が成功(result)の成否を決める、そして、我々は、置かれた境遇で自身のストロングポイントを最大限ポジティブに活かし献身的に行動することで成功を得られる、ということです。私は日頃から、人々がどのようにして成功するのか、ということに興味がありました。それに対する一つのロールモデルを、第3回の講義を通して学ぶことができました。(塾生:中島靖紀)

第2回 理系博士が経営者・起業家になる!?

日程:2011年2月26日(土)

講師:中原 林人(なかはら りんと) 旧名:謝 林(しぇー りん)

科学技術庁 航空宇宙技術研究所(現宇宙航空研究開発機構)にて3年間研究に従事、大手メーカにて商品開発・研究企画業務に携わる。 1991年東京大学大学院航空学専攻博士課程修了。 2008年グロービス経営大学院大学修了。博士(工学)、経営学修士。 2008年11月 ナノフォトン株式会社 代表取締役社長に就任。

講義録

第2回講義ではナノフォトン株式会社代表取締役社長である中原林人氏に「理系博士が経営者・起業家になる!?」というテーマでご講演をしていただき,大盛況にて終了しました。中原氏はご自分の経験をもとに「座学だけではなく、まず行動を」「走りながら考え、考えながら走る」「価値の創造」などのメッセージを織り交ぜながら,経営者・起業者について述べられました。

また,「5年後の自分の姿を明確に想い描けるか」という質問を塾生に投げかけました。塾生の中からは5年後に「起業したい!」という強いビジョンを持っており,中原氏も強い手応えを感じたとおっしゃってくださっています。

起業に興味を持っている塾生はとても多く,前回の河田先生の講義もふまえ,理系博士の活躍する幅の広さを実感してきています。今後の講義が楽しみです。(塾頭補佐:鏑木結貴)

第1回 理系博士が維新を起こす!?

日程:2011年1月22日(土)

講師:河田 聡 (かわた さとし)

理化学研究所主任研究員、大阪大学教授、阪大フォトニクスセンター長。専門は応用物理(ナノフォトニクス)。1974年大阪大学卒業、79年同博士課程修了、カリフォルニア大学ポスドクなどを経て1993年より阪大教授。2003年ラマン顕微鏡メーカー、ナノフォトン(株)を創業。光(フォトン)とナノ構造の相互作用の研究である「ナノフォトニクス」の世界的パイオニア。ギネスブックに世界で最小のレーザー造形物が写真入りで掲載。紫綬褒章、文部科学大臣表彰、島津賞、市村学術賞等。

講義録

科学者維新塾の塾長である河田聡先生によって第1回講義「理系博士が維新を起こす!?」が大盛況に終了しました。博士とは,一つの知識・技術に特化した人間ではなく,幅広い知識を持ち,己の力で生きていく力を持つことである,と博士の意識について講演しました。また,博士はアカデミックポスト以外にも政治家・起業家・ライター・ジャーナリスト・弁護士など,様々な進路があり,進路の幅の広さについて述べました。質疑応答の時間には,参加した塾生の多くが博士課程在学の方やポスドク・研究員の方が多いこともあり,今後の生き方について真剣な意見が多く述べられ,予定よりも30分以上長く議論が続きました。

講義後の懇親会においては,講演中ではなかなか表現しづらかった過激な意見や考え方を塾生同士がお互いに述べ,活発な議論が絶えず行われました。

東京で初めて開催された科学者維新塾でしたが,非常に活発な第1回目を終えることができました。今後,本塾生から維新を起こす人材が生まれる予感をひしひしと感じることができました。これから開催される残りの講義が楽しみでなりません。(塾頭補佐:佐々木 良太)