2014年度の講義録

講義録

第十回 最終講義

科新塾御茶ノ水第四期は、2015年2月21日、第10回講義を行いました。

最終回となる本講義では、河田塾長自らが、塾生に向かって、夢を実現するために考えるべきことを指南しました。

塾生の多くは、経済的成功を夢見るよりも、自らの主義信条を貫徹させたり、社会貢献を果たしたりすることに魅力を感じていることを受けて、河田塾長は、敢えてビジネスの重要性を説きました。

自分の活動がビジネスになるということは、その活動にお金を払っても良いと思う人が相当数存在することを意味します。つまり、その活動は、代金に足る価値を、人々に提供していることになると河田塾長は主張しました。本当の意味で社会貢献できているなら、お金が回るはずであるから、逆にお金が回らないようなことに挑んではいけないというのが、塾長からのメッセージでした。

しかし、単純にビジネス以外の活動を否定しているわけではありません。寄付で成り立っている活動についても言及し、自らが寄付している盲導犬協会を引き合いに出して、良心的な団体は寄付者に対して精一杯のメリット創出を行っていると指摘しました。寄付する側もメリットを感じられるからこそ、再び同じ団体に寄付をするというサイクルが生まれるのだと述べました。

つまり、自分本位・自己満足の活動をするのではなく、他者から価値を認めてもらえるような活動をしなさい、というのがメッセージの真意であったといえます。

講演の後は、塾生一人一人が、一年間全体の感想を述べました。視野が拡がった、「普通」に縛られず自由に考えられるようになったなどの感想が挙がり、また来期も参加したいという、運営冥利に尽きる嬉しい声も聞かれました。

(第4期塾頭補佐 赤坂)

第九回政治家/医師

1月17日(土) 14:00~17:00

講演者:梅村 聡(政治家/医師)

【プロフィール】元参議院議員、医師。2001年大阪大学医学部卒業。2002年箕面市立病 院に勤務。2004年大阪大学医学部付属病院にて診療に従事。2007年 大阪大学医学系研究科入学。同年、民主党公認で大阪府選挙区から参議院議員選挙に出馬し、当選。 2011年に参議院議員選挙にて落選。現在は、日本内科学会認定内科医師、日本医師会総合政策研究機構 客員研究員。

講義録

科新塾御茶ノ水第四期は、2015年1月17日、梅村聡先生を講師に迎え、第9回講義を行いました。

梅村先生からは、超高齢化社会において尊厳死問題は避けられないという前提に立ち、医師としての知見と経験をもとに、人の終末期の在り方についての理想と現状をご講演いただきました。

講演は、終末期の決定と、延命治療の方法という2つのテーマから構成されていました。

終末期の決定については、まず、本人が表明した意思が担保される仕組みがないことを指摘。リビングウィルなどの意思表示ツールはあるものの、法理上では「死の直前に至っても意思に変わりがないことが保証されていない」という論理により、効力を持ちえないことなどを紹介しました。

次に、本人の意思表明が効力を持たないなかで、現実的には家族に意思決定が委ねられていること、そして家族は大半の場合、延命措置を選択するという、医療現場の実態を示しました。自身の終末期については延命措置を望まない人が多いにも関わらず、いざ家族(多くは自身の親)の話になると、延命を選択するそうです。そこには、突然に判断を求められて冷静になれないこと、延命を断れば家族内で糾弾されること、最高の医療を受けさせることが親孝行だという考えがあること、年金目的で延命を望むケースもあること、そして、医師としても責任を問われにくい延命を推奨しがちだということなど、様々な事情があることを指摘しました。

特に、家族の要望に沿って一度付けた人工呼吸器を、後になって医師が止めた場合、殺人罪に問われる実態を紹介し、現状では人々の意識も、社会の制度もが、家族と医師を延命措置に誘導し、尊厳死を遠退けていると説きました。

もう一つのテーマである延命治療の方法については、過剰な医療を施しがちになっている医療現場の実態に切り込みました。特に、胃瘻により、意識のないまま、施設で延命されているだけの患者が多い現状があり、その背景には、胃瘻の管理という低コストの作業だけで収入が得られる病院・介護施設側の都合があることを指摘。

今後、身寄りのない高齢者が増えるに従い、医療機関の収入源として生かされ続ける患者が増えるだろうという未来予想を示し、その影響として、通常の患者に割り当てる病床数が減るかもしれないと危惧を示しました。

講演後のディスカッションでは、尊厳死に関連して、様々な疑問や関心が塾生から提起され、梅村先生との間で議論が交わされました。動物を扱う研究をしており、普段から生命の死を目の当たりにしている塾生からは、「これはだめだな」という踏ん切りが必要なケースは必ず出てくるので、尊厳死を受け入れることにもっと積極的になってもいいだろうという意見が出ました。

尊厳死に起因して、そこから個人の自由や、法治の在り方などについても議論が及び、深いテーマであるにも関わらず、議論は多いに盛り上がりました。

(第4期塾頭補佐 赤坂)

第八回 中之島合同企画

講義録

科新塾では、御茶ノ水・中之島の合同合宿、通称「サマースクール」を毎年夏に開催しています。しかし、今年度は台風により、残念ながら中止になってしまいました。その代替企画として、御茶ノ水、中之島の合同講義を12月に開催し、「サマスクリベンジ2014」と題してサマースクールの内容を1日分に凝縮して行いました。当日は御茶ノ水・中之島から17名の塾生が集まり、大いに盛り上がりました。 今年度は『夢、ここから!!』というテーマを掲げ、塾生が自らの夢について腰を据えて考え、夢の実現に向けた一歩を踏み出すことを目的としました。前半のワールドカフェでは、自分の夢を紹介し合い、「起業・ビジネス・その他の社会活動」「サイエンスコミュニケーション・アウトリーチ」「表現・アート」「科学・研究活動」という4つの視点から自分の夢がどのように広がるか、ブレインストーミングを行いました。後半のグループワークでは、「夢の異分野融合・共鳴」を狙い、グループでお互いの夢を組み合わせるとどのようなことが実現できるか、日本や世界の現状・問題点に対してどのような影響を与えることができるかを議論し合い、最後に発表会を行いました。PhD政経塾やPhDの旅行会社など、様々なアイデアが飛び出し、大いに刺激を受けました。 夜の部では、塾生が自分の活動について発表するフリートーク大会を開き、学生チャプターの活動やコマ大戦の活動報告など、様々な話題で盛り上がりました。 最後に、今回サマスクリベンジ2014にご参加くださった皆様、いつも科新塾をサポートしてくださる皆様に深く御礼申し上げます。 (第4期塾頭 近藤)

第七回 サイエンスコミュニケーター

11月29日(土) 14:00~17:00

講演者:横山 広美(サイセンスコミュニケーター)

【プロフィール】東京大学大学院理学系研究科・理学部 准教授 兼 広報室副室長。日本学術会議若手アカデミー委員会委員。専門は現代科学論・科学コミュニケーション分野。科学者の情報発信における科学者の信頼問題、およびその政策、特に大型科学に関する問題に詳しい。1975年東京生まれ。雙葉小学校、中学校、高等学校を卒業。1999年3月東京理科大学理工学部物理学科卒業、2001年大学院理工学研究科修士課程修了、2004年3月東京理科大学大学院理工学研究科博士過程満期終了退学、2004年9月東京理科大学大学院理工学研究科にて博士(理学)。在学中から科学を伝えることを志し、修士2年だった2000年から科学記事の執筆を始める。2004年10月から専門を科学コミュニケーション分野にし、東京工業大学研究員、総合研究大学院大学上級研究員を経て、2007年から現職。 科学コミュニケーションの国際誌、Journal of Science communication(JCOM)のEditorial advisory boardメンバー。2007年、Nikonウェブ連載「光と人の物語」で科学ジャーナリスト賞受賞。2009年女子中高生理系進学支援事業・東京大学代表、2010年科学コミュニケーション研究会設立。

講義録

2014年11月29日、御茶ノ水科新塾第四期は、東京大学大学院准教授・広報室副室長である横山広美先生を講師に招き、第7回講義を行いました。

参加者:11名(うち塾生8名)

塾生一人一人が、各々に相応しい進路決定ができるよう、自らの過去と意思決定についてご紹介いただきました。

ご紹介いただいた内容を下記にまとめます。

■小学生~中学生

ミッション系スクールに在籍していたため、「世界は神様によって作られた」と教わってきた。

当初は、「神様って何だろう」「宇宙って何だろう」という素朴な疑問を持っていた。将来の夢は児童作家になること。

転機は、同級生の母親に科学雑誌Newtonを紹介してもらったこと。

「世界は神によって作られた」と信じていたところに「宇宙は150億年前に生まれた」という事実を突き付けられ、科学のすごさに気付く。

特に、科学を文章でまとめることに面白みを感じた。

科学を文章で説明してノートにまとめることを嬉々としてやっていた。

■高校生

物理が好きになり、物理への興味を育む。物理学科3年以上対象のイベントに、各大学の物理学科生と偽って応募ハガキを複数枚送って参加。

進学時、物理学科進学を応援してくれる親族がいなかったが、意志は変わらず。

■大学・大学院

高校からニュートリノの研究をやろうと決めていた。しかし、「書きたい(モノ書きの仕事がしたい)」と言い続けた。

修士2年の時、研究室の教官の紹介で、「子どもの科学」での執筆の仕事を得る。就職活動では、出版社3社から内定を得たが、結局博士課程への進学を決めた。きっかけは、指導教官から「深みを知らずに去るのはもったいない」と言われたこと、「書く人と編集者は全然違う。書くことが好きなら、書く人になるべきだ」と言われたこと。

■ポスドク時代

総合政策大学院大学にてポスドク。フリーランス作家としても、2年間で30社程度と仕事

2007年Nikon連載「光と人の物語」で科学ジャーナリスト賞受賞。

■東大理学部

東大広報室に、請われる形で着任。着任当初は、「広く一般に広報資料を書けるのだろう」と期待を持っていた。

しかし実際は、期待と異なる点が多かった。「書く時間が十分に取れない」「マネジメントの仕事が多かった」「対象は駒場生だった」「科学コミュニケーションの研究と講義が課された」など。

ただし、仕事に従事する間に、自身の考え方も変わってきて、むしろ現状を楽しむようになってきた。

「マネジメントの面白さに気付いた」「対象を絞り込み、質を高めるという広報の基本がわかってきた」「研究と講義の理論的背景を学ぶことで同業者よりも優位に立てた」など。

講演後のディスカッションでは、現代社会における科学の役割について、様々な見解が塾生・塾長から出され、塾生-講師の双方向の議論で大いに盛り上がりました。

(第4期塾頭補佐 赤坂)

第六回 医師/経営者

10月25日(土) 14:00~17:00

講演者:井上 久男(フリージャーナリスト)

【プロフィール】1964年生まれ。88年、九州大学文学部哲学科(宗教学専攻)卒。NECを経て92年、朝日新聞社に転職。名古屋、東京、大阪の経済部でトヨタや日産、パナソニック、シャープ等、自動車産業や電機産業を主に担当する。

2004年に独立してフリージャーナリストに転じ、文藝春秋社や講談社などが発行する各種媒体で執筆。「現代ビジネス」(講談社)などに連載コラムを持つ。農業や大学経営なども取材している。主な著書に『メイドインジャパン驕りの代償』(NHK出版)、『トヨタ愚直なる人づくり』(ダイヤモンド社)、『トヨタ・ショック』(講談社、共編著)。

13年に放映されたNHKテレビ60年記念ドラマ「メイドインジャパン」の脚本制作に協力。同じくNHKで放映予定の社会派ドラマ「ダークスーツ」

の脚本制作にも協力した。

05年、大阪市立大学創造都市研究科(社会人大学院)修士課程修了、10年、同大学院博士課程単位取得退学。

講義録

科新塾御茶ノ水・第四期は、10月25日、フリージャーナリストの井上久男先生を講師に迎え、第6回講義を行いました。

参加者:14名(うち塾生10名)

井上先生からは、「大手新聞社からフリージャーナリストへ転身の理由」と題して、90分間ご講演いただきました。

ご講演全体として、博士学生が多い塾生に対して、組織人に可能性を限定せず、独立して生きていく選択肢を意識してもらえるよう、フリージャーナリストとしてのご自身の経験・思想をご紹介いただきました。

具体的には、自らがフリーランスになった経緯、フリージャーナリストの魅力、フリーとして生きていくためのノウハウをご講演いただきました。

■自らがフリーランスになった経緯

井上先生は、社会人の最初の3年間をNECで過ごし、その後朝日新聞に入社、大手企業の安定的な記者ポジションを得ました。しかし、40歳のとき、その安定を捨ててフリージャーナリストになる決意をします。

その背景を以下のようにご紹介いただきました。

◇バブル崩壊という激変期の中で社会情勢が大きく変化し、絶えず勉強しなければ取材すらできなくなるという危機感を抱いた

◇飛び込んだ大阪市立大学の社会人大学院で、旧来の考えや安定を捨てて変化を起こそうとしている人々に出会い、リスクを負って自らの責任で生きていくスタイルに強く惹かれた

◇当時独身であり、リスキーなチャレンジに挑むことに抵抗がなかった

新しいことがしたいという気持ちと、それを阻むものがなかったことが最大の決め手であったと回顧されました。

■フリージャーナリストの魅力

井上先生は、ジャーナリストの存在意義を、「知る権利に応える/社会に問題提起していく/権力側が隠したいことを暴くこと」と考えます。そして、その本質論を追求することを求めた場合、新聞記者や雑誌記者などの組織ジャーナリストに比べて、フリージャーナリストの方が魅力的である理由を、以下のように指摘されました。

◇組織ジャーナリストは異動の影響で専門性が磨きにくいが、フリージャーナリストは専門性が磨けるし、それを活かす機会を創ることもできる

◇組織ジャーナリストはスポンサーや上司からの圧力により書くべき内容の変更を求められるが、フリージャーナリストは自分でやりたいことが自己責任できる

■フリーとして生きていくためのノウハウ

フリージャーナリストとして生きていくためのノウハウをご紹介いただきました。

特に、「理系博士がフリージャーナリストとして生きていくには?」という疑問に応える形で、ノウハウや心構えをご提示いただきました。

科学・技術の解説者として活躍するという提案に始まり、大学や学会を権威に屈せず開放する、理系の眼で社会事象を分析するなど、科学の訓練を積んだ人材がいかにジャーナリズムに貢献できるのか、想像を掻き立てられる様々な発想をご提示されました。

講演後は、テーマを設けずにフリーディスカッションを行いました。

ジャーナリズムの在り方に関わる議論や、大衆の情報リテラシーなどについて、井上先生のご経験談を適宜交えながら、深い議論が交わされました。

(第4期塾頭補佐 赤坂)

第五回 医師/経営者

9月27日(土) 14:00~17:00

講演者:瀬尾 拡史(医師 / サイエンス CG クリエーター)

【プロフィール】2011年 東京大学医学部医学科を卒業し、現在、東京大学大学院医学系研究科生体物理医学専攻博士課程に所属。医師。

東京大学在学中、デジタルハリウッドへのダブルスクールで 3DCG の基礎を習得。その後、「サイエンスを、正しく、楽しく。」を合言葉に、サイエ ンスコンテンツのプロデュース、制作を行う「株式会社サイアメント」を2012年に設立し、代表取締役を務める。

医学の専門家としての確かな知識と経験を活かし、他では真似出来ないような「正しさ」と「楽しさ」とを両立させたサイエンスコンテンツを制作。 ポスター、立体視映像、iPad 用アプリなど、様々なコンテンツ制作を統括。日本医師会、科学未来館、iPS 細胞研究所、稲盛財団京都賞シン ポジウムなど、講演歴多数。

講義録

2014年 9月 25日、科新塾・御茶ノ水第四期は、瀬尾拡史先生を講師に招き、第五回講義を行った。塾生と関係者の方 17名が参加し、双方向の濃密な議論となった。

まず,講演の前に5〜6人のグループワークが行われた,課題は,インスリンの分泌メカニズムを1分以内で説明する動画プランを作成することであった。

細胞内で連続的に動く現象を,説明とうまくマッチングさせながら表現するのには,皆苦戦している様子であった。

特に,物体が開閉しているような動きは絵として表現できていたが,電位が伝わるというような,抽象的な表現はなかなか絵にするのに困難を要した印象だ。

このグループワークを行ったあと,瀬尾先生の作品を模範解答として見たが,全員が感動していた様子が伺えた。なんと言っても,ひとつひとつの動きに無駄がなく,細かいところまで医学を駆使して作られていることが見て取れたからだ。

ご講演内容は、卓越した才能を発揮された学生時代や,企業を立ち上げてからの3DCG画像づくりの大変さ,というお話が中心であった。

瀬尾先生は,東京大学医学部医学科を卒業していて,医師資格を持っている。一方、学生時代には3DCGの専門スクールであるデジタルハリウッドにも通っていて,現在は,自ら起業した「SCIEMENT」サイエンスCGクリエーターとしてご活躍されている。

中学・高校時代から,CG画像制作に興味を持ち,趣味として作品づくりに取り組んでいたところ,周囲の反響が非常に高く,生徒だけでなく先生からも制作の依頼を受けていたそうだ。

また,ちょうど瀬尾先生が学生の頃,日本では裁判員制度が開始された。そこで,司法解剖の鑑定書における解剖写真を見て,わかりやすい3DCG画像にする手法を,最高検察庁へ提案した。その後も,模擬裁判や実際の3DCG画像を制作した。

この偉大な功績が高い評価を受け,医学部 5年の時に東京大学から,総長賞が授与された。

講義では,学生時代からプログラミングを始め,パソコン関係に深い興味を持っていことに触れられ,そこで制作したCG画像作品をいくつかご紹介いただいた。

ご自身も,初めはテレビでよく使われているデザインなどを参考にしたと話されていたが,本当にどれも素晴らしい出来で,私も何かの機会に制作をお願いしたい気持ちになった。

科学者と市民の温度差,科学技術の独り歩きが問題視されているが,現代の生活を支えているのはあらゆる科学技術であることは確かだ。最も身近なはずなのに,最も敬遠されがちである科学技術。医療に関連付けて言えば,私はセカンドオピニオンを思い浮かべた。社会的には,もっと症状の重みをわかりやすく第3者に説明できるようにする風潮は感じられるが,実際には「医者がそう言うから・・・。」

などと実情をほとんど把握していないままになることが多いと思う。

一方で,このような問題を解決したいが故, CG画像など視覚的な表現を積極的に取り入れてはいるが,製作者本人が医者ではないために,細かいところが「ごまかされてる」もので説明が行われていることも少なくはないそうだ。

では,どうすればよいのか?

それは,CG画像も作れて,かつ医者である人間がすればいい。このことに重点を置かれ,自分の今までしてきたことは,たとえ二流,三流でもいい,とにかく双方の問題を結ぶ架け橋になるような人間が必要だ,と熱く語られていた。

そして,「サイエンスを,正しく,楽しく。」という理念を掲げ今に至る。

瀬尾先生は,様々なことをされているが,年齢はまだ29歳であり,ついこの前まで学生の身分であった。その分,科新塾の学生も非常に馴染み深く,自分の人生と照らし合わせ,一例とは言え,いかに瀬尾先生の人生が濃密であるかを思い知らされた。

私なんぞ,一体何をして生きてきたのか,無駄ばかりの人生を恥じたくらいである。

我々もありとあらゆることを,少しずつでも経験してきたはずである。たとえその経験が,かじりかけでもいい。かき集めて生かせば,それは世界のどこかで必要とされているかもしれない。

瀬尾先生は,そのひとつひとつの経験の重みを,私達に教えてくれたのかもしれない。

(第4期運営 相田)

第四回 コンサルタント

7月12日(土) 14:00~17:00

講演者:中田有吾(大阪大学大学院経済学研究科助教兼グロービス経営大学院講師)

【プロフィール】専門は組織開発および研究開発マネジメントのコンサルティングと、同じ領域における経営学の観点からの研究。東京大学経済学部卒業、大阪大学大学院経済学研究科博士前期課程修了、同博士後期課程単位取得退学。西日本旅客鉄道(JR西日本)での勤務を経て、リクルートマネジメントソリューションズにて組織開発コンサルティングに従事。その後、「部門間連携」あるいは「ナレッジマネジメント」といった領域での企業コンサルティングを行うPICコンサルティングを設立する一方、グロービス経営大学院で社会人向けに人材マネジメント、

論理思考、プレゼンテーション等に関する講座を担当。現在は、大阪大学大学院経済学研究科助教の傍ら、企業向けのアドバイス業務を行う。

講義録

2014年7月12日、科新塾・御茶ノ水第四期は、大阪大学大学院経済研究科助教でありグロービス経営大学院講師でもある中田有吾先生を講師に招き、第四回講義を行いました。塾生7名が参加し、双方向の濃密な議論が行われました。

中田有吾先生には、「経営コンサルタントと経営学博士」と題して、ご講演いただきました。ご講演内容は、大きく分けて、現職に至るまでの経緯という過去の部分と、現在の活動内容や今後に向けてのビジョンという現在・未来の部分の、2つでした。

前者では、鉄道会社→大学院生(経営学修士)→人材コンサルティング会社→ビジネススクール講師→独立コンサルタント→大学院生(経営学博士)→大学助教という、

多様な職歴を積まれてきた経緯を、それぞれの転換点でどのような意思決定を行ってきたのかを中心に概観されました。

鉄道業界とコンサルティング業界では、リスクの取り方や価値基準の発想が大きく異なることに触れて、両者を経験したことが今の自分に強みになっていること、また、人材コンサルティング会社時代に問われた「会社の看板ではなく個人の名前で仕事が取れるのか」という問い掛けが、それ以降の仕事観に大きな影響を与えていることなど、過去の回顧録でありながら、人の成長がいかにして促されるのかを垣間見ることができる、示唆深いお話の連続となりました。

現在・未来の部分では、日本の経営学が、会社経営の実態を顧みない抽象論に偏っていること、逆に実業界もアカデミアの知見を上手く仕事に活かせていないことを問題意識として取り上げられ、コンサルタントでありながら大学助教でもある自らが、両者の橋渡しを行えないか、日々考えていることをご紹介いただきました。

アメリカでは、一流大学のビジネススクール講師と、実際の経営者との間での人材流動が盛んであり、実業界・アカデミア双方が上手く機能している実態について触れ、日本にも何かしらの変化が必要だと熱く語られました。

ご講演後のディスカッションでは、各塾生が、中田先生の話を自分事化すべく、中田先生の過去・現在において真似したい点・できない点などを考える機会を設けました。みな、自分自身が問題と感じている点を吐露しながら、中田先生と意見を交換し、今後の成長に向けて何ができるかを深く考えていました。

中田先生は様々な職歴を辿られておりますが、現在、中途半端の存在かというと、全くそんなことはなく、むしろ広範な経験を繋げることで独自の強みを確立されています。

何か一つのプロとなるべく、一つの道を究める生き方もあるかと思いますが、それとて一つの生き方に過ぎないということを、中田先生の生き方は示唆していると思います。

(第4期塾頭補佐 赤坂)

第三回 経営者

6月14日(土) 14:00~17:00講演者:長尾 正樹 (トムソン・ロイターIP&Scienceアジア・太平洋地域統括マネージングディレクター)【プロフィール】1980年、東京大学大学院工学系研究科航空学修士課程を修了し、オリンパス光学工業株式会社へ入社。その後、1991年にカリフォルニア大学バークレー本校にて MBA を取得し、GE横河メディカルシステム株式会社CT営業部長、ウィプロ・ジャパン株式会社代表取締役社長などを経て、ウィプロ上海リミテッドを設立、同社代表取締役社長に就任。2007年より、現トムソン・ロイターIP&Scienceアジア・太平洋地域統括マネージングディレクター日本代表。

講義録

科学者維新塾・御茶ノ水第4期、第3回講義は24名の塾生が集まり、大盛況でした。

皆さん、お忙しい中にも関わらず、OB・OGの方含め、沢山の方々に参加して頂き、運営一同感謝しております。

第3回は、トムソン・ロイターIP&Scienceアジア・太平洋地域統括マネージングディレクターの長尾先生より「理系院生が社長になった」という題目でご講演頂きました。

長尾先生は、オリンパス、GEでの職務経験からマーケティング・マネジメントの力を磨き、経営者として仕事をしていく為の資質を身につけられました。

講義の中では、「塾生が長尾先生を囲うように輪を作り、画用紙を使って、長尾先生のご質問に答える」という新しい試みが行われたのが印象的で、長尾先生の質問に対し、皆、一生懸命考えて自分なりの答えを出していました。

とはいえ、「自分がどういう人間で、将来どんなことがしたいのか」と自分を見つめなおすことは簡単なことではなく、なかなか思うような解を得られなかった塾生が多かったのではないかと思います。

長尾先生は懇親会にも参加して下さり、多くの塾生が、長尾先生とざっくばらんにお話することが出来たのではないかと思います。

自分の将来の夢について熱く語っている塾生も見受けられ、皆さんがどういう話をしたのか、個人的にまた聞いてみたいものですね。

(第4期運営 梶本)

第二回 編集者

5月31日(土) 14:00~17:00

講演者:小松 研吾 (株式会社ニュートンプレス編集部)

【プロフィール】1979 年、北海道生まれ。2008 年、北海道大学大学院 理学研究科 地球惑星科学専攻 博士後期課程修了。在学時代は、地球近傍の宇宙空間に存在する「放射線帯」とよばれる領域について研究。2008 年11 月より、株式会社ニュートンプレス編集部に入社。現在、一般向け科学雑誌『Newton』本誌、別冊およびiPad版Newton の編集を担当。

講義録

2014年5月31日、第四期科新塾御茶ノ水は、株式会社ニュートンプレス編集部の小松研吾先生を講師に迎え、第二回講義を行いました。

12名の塾生が参加するなか、小松先生によるご講演と、塾生主体のワークショップが行われ、有意義かつ活発な議論が生まれました。

小松先生からは、大きく分けて以下の3つについてご講演頂きました。1現職を選ぶときの意思決定、2現職での今まで及び現在の取り組み、3今後の仕事の広がり、です。

現職を選ぶときの意思決定については、研究者になるつもりで博士課程に進学した後に研究者以外への転身を思い立った背景と、ニュートンプレスを選択した理由を回顧。

前者については、研究を続けることの是非を、自分の本音や適性などから問い直したことがきっかけだったと振り返られました。後者については、科学が好きだという自らの

素直な気持ちからキャリアを広く捉え直し、科学を「広く知り」、「伝える」ことにキャリア探しの活路を見出されたことをご説明頂きました。

現職での取り組みについては、2013年1月より創刊されているiPad版Newtonを通じて、科学をインタラクティブに理解する電子雑誌作りに取り組まれていることをご紹介頂いた他、普段の編集業務の難しさについても言及されました。研究者と違い、読者の興味喚起が重要になること等に触れたうえで、初見読者の素直な疑問に応える記事を作るための「素読み(すよみ)」と呼ばれる独自の校閲プロセスもご紹介いただきました。

今後の仕事の広がりについては、小中学生向けの学習コンテンツ制作を手掛け始めていることや、Apple Storeでのイベント企画、ニコ生での放送企画など、従来の紙媒体での出版事業を越えた新しい取り組みの最前線をご紹介いただきました。特に、小松先生には、就職前のキャリア模索時に、編集者同様「伝える」仕事である「教師」という選

択肢が頭をよぎった過去もあるだけに、小中学生向けの学習コンテンツ制作の話が舞い込んできた時には、深い縁を感じたとのことです。

最後に講演の締めくくりとして今後の抱負を述べられ、科学を広く伝え、科学が好きな人の裾野を広げ、ひいては科学の先端を押し上げることに貢献したいと、自らの将来

を展望されました。科学とは人類の視野と世界観を拡げるものであり、広く人類が科学を知ることが重要かつ必要だと熱く語る姿からは、科学を「伝える」プロとしての情熱

とプライドが感じられました。

講演後には、塾生がNewton編集者になったと想定して企画立案に挑戦するワークショップを開催しました。立案時間が20分と限られていたにも関わらず、それぞれの塾生が多彩な企画を立案。事前に、小松先生から、Newton読者層は性別的にも年齢的にも偏りが大きいという統計を紹介されていただけに、皆どのような読者層にアピールするのかを意識して企画を立案していました。

今回の小松先生は、「科学が好き」という自分の気持ちを深く掘り下げて、視野を広げることに成功された好例だと思います。科学が示す新事実を広く見聞して、大自然の神秘に想いを馳せることに魅力を感じるのか、それともシンプルに、誰よりも早く未知を解明することに魅力を感じるのか、単に「科学が好き」と言っても、好きの種類は様々のはずです。曖昧なままの気持ちを深く精査すれば、新しい可能性が見えてくるのかもしれません。

(第4期塾頭補佐 赤坂)

第1回 科学者

講演者 : 河田 聡 (大阪大学教授、阪大フォトニクスセンター長、理化学研究所主任研究員)

講義題目: 『私が科新塾を始めた理由』

【プロフィール】 専門は応用物理(ナノフォトニクス)。1974年大阪大学卒業、79年同博士課程修了、カリフォルニア大学ポスドクなどを経て1993年より阪大教授。2003年ラマン顕微鏡メーカー、ナノフォトン(株)を創業。光(フォトン)とナノ構造の相互作用の研究である「ナノフォトニクス」の世界的パイオニア。ギネスブックに世界で最小のレーザー造形物が写真入りで掲載。紫綬褒章、文部科学大臣表彰、島津賞、市村学術賞、江崎玲於奈賞、等。

4月12日(土) 14:00~17:00 new!

講義録

科学者維新塾・御茶ノ水第4期、第1回講義は24名の塾生が集まり、大盛況の中終了致しました。お忙しい中たくさんの方々に参加していただき、ありがとうございました。

第1回は、塾長の河田聡先生より「私が科新塾を始めた理由」という題目でご講演いただきました。河田先生は、かつて脱藩浪士である坂本龍馬が日本の改革に邁進したように、これからは何にも縛られない人間、つまり「理系博士」こそ窮地の日本を救う可能性があると考えました。そこで、大阪大学の前身である適塾をモデルとして科学者維新塾を立ち上げることにしたのです。

講義の最後には、夢の持ち方についてお話をいただきました。河田先生は、初めから一つの夢に絞るのではなく、同時に3つ以上の独立した夢を持つことをいつも薦めております。それらの夢について具体的な計画を立てる必要はなく、その夢が叶えられそうな時が来た時に行動に出ればよいのです。この「3つの夢」は、今年度の科新塾のテーマでもあります。こう考えることで、目先の進路や現実的な思考だけに囚われることなく、自由に自分の夢、将来の進路を描けるのではないかと考えております。

懇親会では、塾生の皆様に自分の夢を語っていただきました。宇宙飛行士や料理人など、実にユニークな夢が次々と飛び出し、大いに盛り上がりました。次回の講義も楽しみです!

(第4期塾頭 近藤 真司)