キーワードは以下のようなものでしょうか・・・
完全主義、バーンアウト、社会的ネットワーク、ソーシャルキャピタル(社会関係資本)、社会的スキル、コミュニケーション、携帯電話(ケータイ)、インターネット、個人適応、社会参加
1.子育て中の母親のストレス過程とその緩和・促進要因の検討・・・
育児をかちっ、かちっと真面目にやることって、大変だと思います(経験論)。子どもは思うように動いてくれないし、また周りの人たちはその持論を子育て中の人にぶつけてきます。 特に完全主義な人では、もう大変!。子どもがいう事きかないから、いらいらいら。諦めて放っておこうとしたら周りからブツブツブツ。怖いですよね・・・。そして辛いです。そこで、完全主義の悪影響が如実に出てくるであろう子育てに着目して、完全主義→媒介要因→精神的健康の過程を検討しています。もちろん、完全主義→精神的健康は多くの研究で支持されています。では、完全主義な人が精神的健康を損なう場合ってどんなのかということを、完全主義→媒介要因→精神的健康のモデルから考えています。さらに、完全主義→媒介要因や、媒介要因→精神的健康の関係を調整する要因を見出したいなと思ってます。
2.子育てについてのよりよい情報環境構築についての検討
子育てを行う時に、さまざまな情報は必要でしょう。しかしながら、より適応的に子育てを行える情報環境とはどのようなものであるかを考えると、さまざまな情報は逆に不幸を招くことになると考えています。もう少し正確に言うと、情報過多の場合は「余計なお世話」になりかねません。結局、適切な相手から適切な情報をもらえること、これが一番大切なはずです。実際に調査をしてみると、近隣との付き合いが濃い地域では、親族からのサポートが高いお母さんたちほど育児に対して安心感を抱く一方で、制約感も高いことが明らかになりました。こういった結果から、地域の特性に応じた情報環境の構築は重要な役割を担うといえるでしょう(古谷・西村・相馬・長沼, 2008)。
また、さらに調査をしてみたところ、PCで育児情報を収集している人は育児に対して自信を持ちやすくなる一方で、携帯電話やスマートホンで育児情報を収集している人は育児に対して自信を持ちにくい傾向が見いだされてきました。情報検索のしやすさ、情報の見やすさといった要因が関わっている可能性があります。さらなる検討を行うため、他大学の先生がた(西村太志先生@広島国際大学、相馬敏彦先生@広島大学、長沼貴美先生@創価大学などなど)と共同で研究しています。
そして、2014年度から科研費を受け、完全主義傾向の高い親御さんがどのような育児情報収集行動を行っているのか、またその結果としてどのような事が起こっているのかを検討する予定です。
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情報通信機器利用意識についての調査検討 -児童と保護者の差異に注目して-
近年の子どもとインターネットにまつわる話題では、犯罪に巻き込まれるといったネガティブな部分が強調されています。しかし、もっと怖いことは、こういった情報を保護者が鵜呑みにしてしまい、ネットもダメ!、ケータイもダメ!という方向に持っていくことです。使い方一つでネットやケータイの役割が変わることはその保護者がよく知っているはず(?)なのに・・・。では、保護者の方は自分の子がどのようにネットやケータイを使っているか御存知でしょうか?調査をしてみたところ、児童と保護者でかなりのズレが存在します。また、使うことによってどのような効果が得られるかという点についても相当のズレが発見されました。 この点に注目して、このズレについてのより詳細な検討を行い、結果を保護者に情報提供しました。また、リスク認知の観点を組み入れ、モデル構築を行いました。
学級メンバーからの拒否・受容過程についての検討 -対人ネットワークの多様性と社会的スキルに注目して-
これは、比治山大学に来てからはじめたものです。社会的スキルや社会規範の内在化の程度が学級メンバーからの拒否・排斥とどのように関連しているかを検討しています。よくある研究じゃんといわれそうなのですが、上述した、社会的スキルや、社会規範の内在化の元となる要因として、社会的ネットワークの多様性に着目しました(古谷・吉田・大谷, 2008)。
さまざまな考え方の他者と相互作用し、そのつながりを維持できていることは、以下の2つの効果があるといえるでしょう。まず、社会的スキルの向上です。自分とは考え方が異なる他者と相互作用するのですから、相手に自分の考えがわかるように主張しなければいけませんし、相手の言っていることをむげにせず、受容的に聞くことになると考えることが出来ます。次に、社会規範の内在化です。様々な他者と相互作用することで、「自分だけの社会規範」を他者に照らし合わせて、より、一般化された社会規範へと修正していけるのではないかと考えます(ここには、相手の規範の正しさと言う問題もありますが、厳密に客観的な社会規範というのはそもそもないはずです、ですから、一般化された社会規範とは、ここでは、より多くの人が共有している規範と考えるのが望ましいのかもしれません)。
実際に検討してみたところ、多様性の高さは、社会的スキルと正の関連がありました。さらに、この多様性の高さは社会規範から逸脱しようとする考えを抑えたり、規範逸脱行動を抑止する働きがあることがわかりました。その結果として、学級メンバーからの拒否・排斥についても抑えられることが明らかになりました。この結果から、多様性が高いことが、結果として拒否・排斥を抑える効果をもたらすことは明らかになりました。では、多様性が高くない人はどうすればよいのかと言う問題が残ります。
そこで、もう1つ・・・社会的スキルを向上させるトレーニング(SST)に着目しました。SSTを実施することで社会的スキルが上がるという話です。しかし、これだけでは当たり前です。ここで注目したいのは、社会的スキルが低い人です。社会的スキルが高い人はSSTをやっても大して効果は認められないでしょうが、スキルが低い人は、SSTを通してスキルの向上が見られるのではないかという点に着目しました。その結果、もともとスキルが高い人はSSTを実施しても効果がなかったものの、低い人では、SSTによって、効果が認められました。さらに、その効果は数ヶ月後も続いていることが明らかとなりました(吉田・大谷・古谷, 2008; 吉田・大谷・古谷, 2012)。
情報通信機器利用とソーシャルキャピタルの関連ならびにその帰結過程の検討
これまで、インターネットや携帯電話に代表されるコミュニケーションメディアの利用は、個人の適応、対人間過程といった点で議論がなされてきました。しかし、コミュニケーションメディアが社会に及ぼす影響については詳細な検討は端緒についたばかりです。
そこで、Putnam(1993;2000)やLin(2001)に代表されるソーシャルキャピタル論の枠組みを用いて、コミュニケーションメディアの利用(特に、PCメール、携帯メール)が個人適応だけでなく社会に対してどのような影響をもたらすのかに注目し、検討を行っています。他にもソーシャルキャピタル論の枠組みから種々の検討を行っています。研究は大別して以下の2つです。
(1)情報通信機器利用がソーシャルキャピタルに与える時系列的影響(プロジェクト終了)
具体的なプロジェクトはこちらのサイト(明治学院大学宮田教授のサイト内[研究概要]→[研究プロジェクト])をご覧ください。なお、私の代表的な研究成果としては、Furutani, Kobayashi & Ura(2009)などを参照ください。
(2)ソーシャルキャピタルの豊かさが地域の治安に及ぼす効果
ソーシャルキャピタルが豊かな地域では犯罪発生率が低い(e. g., Putnam, 2000)ことが明らかになっています。では、ソーシャルキャピタルが豊かでない地域においてどのようにすれば、犯罪発生をおさえることができるのかということについて検討を行っています(浦・古谷, 2008)。加えて、インターネットによる犯罪情報収集が社会参加に及ぼす影響について検討を行っています(古谷・浦, 2008)。さらに、犯罪不安に関する検討も行っています。(古谷・浦, 2006b)。
情報通信機器利用と対人関係の関連の検討
2.の研究の中でも、ミクロ―メゾレベル(対人関係レベル)に着目した研究です。特に、携帯電話利用と対人関係の親密化、維持に注目した研究です。親密化に関しては、古谷・坂田・高口,(2005), 維持に関しては、古谷・坂田(2006)をご参照ください。最近は、コミュ二ケーション中の印象や感情にも注目した検討を行いました。(e.g., 古谷・大谷, 2009; 古谷・大谷, 2009)
短期的、長期的適応を導く社会的ネットワークの形成、維持に関する要因の検討
人と人とのつながりは、幸せをもたらす反面、時にはストレス源にもなることが多くの研究から指摘されてきました。
そして、今のところ浦(2005)などの主張では、強いつながりと弱いつながりという両者を持つことが個人の適応を短期的にも長期的にも高める可能性が提案されています。それでは、どうすれば私たちはよりよい人と人とのつながりを形成、維持できるのでしょうか?
この点について、社会的スキルの観点からの検討を行っています。これまでにない、あらたなタイプの研究です。これについては、2007年度アジア社会心理学会にて発表する予定です(Furutani et al, 2007; Mishima et al, 2007; Pang, et al, 2007)。
さらに、これらのスキルのなかでも関係調整スキルの高さによって、各つながりにおける対人相互作用と適応の関連が異なることも明らかになりました(古谷・浦, 2007)。
また、これまで行っていたメディア利用と対人関係に関するで培った研究のフレームワークを最大限生かす調査方法(ネットワーク調査など)、分析方法(マルチレベル分析など)についても挑戦、検討しています。
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以下は大学院生時代につれづれと書いたものです。初心忘れるべからず(普通に考えられている意味とは違うかな?)
このころの僕、そしてこの時期の失敗や経験があるから、今の僕があります)
Social CapitalとInternet
最近、学問の枠を超えた学際的研究がありますよね。多分それに近いのだろうと思っているのが、Social Capitalという概念です。
こいつは、ちょっと厄介で、僕らの専門用語では、複合的概念という言葉をよく使います。
Social Capital(社会関係資本)というものは、ネットワーク、規範、信頼といった社会関係や個人の信念といえるでしょう。そして、人々はそのネットワーク内部でソーシャルサポートを受け、精神的健康を向上させるかもしれません。また、その中で交わされる相互作用によって、人は、新たな知識を得たりするかも知れません。しかし、この概念は厄介で、Capital自体がアウトプットそのものである場合も考えられます。まあ、平たい話がよくわからないものといえるのではないでしょうか。
しかし、これは逆に言えば、いったいなんだろうか?という疑問をそそるわけです。きちんとした定義を行い、そして何がキャピタルに影響を与えるのか?そこを追求することの面白みを感じてきています。
さて、そこで最近では、Putnam(2000)さんが定義をされた
Bonding-Capital:結合型キャピタル
Bridging-Capital:橋渡し型キャピタル
といったものがわれわれの生活にどんな影響を与えているのかということを考えています。
基本的にボクらは何らかの集団、組織、グループ、ネットワークに所属しているわけですよね。例えば、家族、研究室、学部、サークルとかです。
Putnamはそういった集団、組織、グループ、ネットワークについて上記の2区分を定義したわけです。
結合型キャピタル・・・。これは、その所属している組織の内部でしっかりとした信頼や互恵性規範(何かしてくれたらおかえしに、何かしてあげるといった社会規範:お互い様)をはぐくむものです。しかし、これが極度に発展すると、その組織以外の人に対しては排他的になってしまいます。
橋渡し型キャピタル・・・・。これは、ある組織とある組織をつなぐ個人的な関係や集団と考えてもらったらいいのでしょうか。
例えば、B学部に所属しているイナバくんと、B学部とは別キャンパスのZ学部に所属しているマツモト君がいたとしましょう。彼らにとって結合型キャピタルは「学部」なわけです(学部が結合型なのかという議論は少しおいておいてください)。かれらは、その学部の中の規範等にしたがって行動をするわけです。さらに、別のキャンパスですから、彼らが顔を合わすこともないし、場合によっては、「なんだよ、あのZ学部の野郎!!」とか排他的になってしまうかもしれません。しかしある音楽サークルに二人が入ったとすると・・・。その音楽サークルが橋渡し型キャピタルになるわけですよ。彼らが、学園祭でライブをやったら、両方の学部の人たちが見に来てくれるし、その打ち上げでは、両方の学部のメンバーが仲良く飲んでる可能性も出てくるわけですよね。つまり、橋渡し型キャピタルは、僕らが持っている価値観を多様にさせ、さまざまな影響を与える可能性があるわけです。
この橋渡し型キャピタルは最近、よくNPOにたとえられたりします。会社員の人たちが、ちょっとしたボランティア精神を発揮して、自分たちのみならず、社会を豊かにしていこうといった行動ですね。
さらに、インターネットは離れた人たちとのアクセスを容易にしました。つまり、こんなことをしたいなぁって思っている人が、100キロ離れた先にいるかもしれない。そんな人とメールでやり取りをして、実際に顔を合わせ、行動する可能性も秘めているわけです。つまりインターネットの利用が、橋渡し型キャピタルを豊かにする可能性もあるわけですよ。また、結合型も豊かになる可能性はあるわけです。
となるとですね、インターネットのどのような利用がソーシャルキャピタルを豊かにするのかをきちんと同定し、そしてどのような帰結をもたらすのかを調べる必要がありますよね。例えば、ケータイメールの利用は結合型を高める一方で橋渡し型を失わせる可能性があるという研究(e.g ., 小林・池田, 2006)があります。結合型が高まることはサポート等の提供の機会を増やすわけですから、いいことかもしれません。でも、橋渡し型が失われることは、新たな価値観を手に入れる機会を失ってしまうわけです。このように、どのようなインターネットの利用がどのような帰結を私たちにもたらすかを検討して行くことが今後の課題です。
適応概念の検討
自分の閉じた世界の中・・・そう、インターネットとかそういったバーチャルな世界で適応している人は、実際の現実社会で適応しているのか?そりゃ、適応している人もいますし、そうでない人もいるはずです。でも、バーチャル世界で「適応」している人の適応って何?ってところから、いろいろ気になってきました。← これも微妙につながりますよね。今やってるテーマと・・・。
そんなことから、最近気になっていることは、「適応」という概念に隠されたものです。古くから、適応っていうものは心理学だけでなく、いろんな分野でさまざまに考えられてきました。さてさて、いったいどのように考えたらいいのやら・・・なんて思って日々をすごしてます。