私たちの研究室では,これまで地表性小型哺乳類を対象に様々な研究を行ってきました.その成果の一部をご紹介します.
【日本列島のハツカネズミ個体群成立史〜その起源と地域分化】
ハツカネズミMus musculusは,汎世界的に分布する小型のネズミ類で,日本列島にはイネの伝来と共に大陸より導入されてきたのではないかとされています.このハツカネズミは実験用マウスの原種でもありますが,それは欧州産のもので,日本産の個体は欧州産よりも体サイズが小さく,腹面が白色を呈することが特徴されています.しかし,必ずしもこの特徴に当てはまらない個体が日本各地で認められていることから,「日本列島にはどのような形態的特徴(毛色も含む)の個体が存在するのか」「日本産個体の遺伝的な特徴は何か」をまず明らかにするため,東日本を中心に,各地からトラップを用いてハツカネズミを捕獲し,形態・染色体・遺伝子を調べてきました.
その結果,例えば腹面が白色ではない個体や,尾が欧州産並みに長い個体が見つかりました.特にこれまで,日本産の個体は腹面を白色にする遺伝子(Aw)を持つと考えられていましたが,このAwは認められませんでした.また染色体のヘテロクロマチン(異質染色質,機能的な遺伝子がない強固にクロマチンが凝縮した部位)の分布は,主に北海道で欧州型が認められ,東北から関東では日本の固有型が認められました.さらにミトコンドリア遺伝子を調べてみると,先行研究では東北地方に「欧州型」,北海道と東北地方の一部に「東南アジア型」の遺伝子型が認められていましたが,私たちの調査で,さらに「北米型」が北海道の日高地方から見つかりました.また東日本における「欧州型」と「東南アジア型」の境界は栃木県に認められ,両遺伝子型が互いに浸透しあっているゾーンが存在していました.以上から,日本列島へのハツカネズミの導入が少なくとも複数回あり,それは有史以前のものから近年の物流によるものまで幅広く生じている可能性が示唆されました.また様々な形態的特徴は,起源となる海外のいくつかの地域の特徴が日本列島で混ざり合ったものと考えられます.
ハツカネズミの研究はまだまだわからないことだらけ.これからは毛色の発現に関する遺伝子なども調査し,さらに詳細なハツカネズミの個体群成立史を明らかにしていこうと考えています.
【アズマモグラの坑道は快適?】
アズマモグラMogera imaizumiiは,主に東日本に生息する地下生の真正モグラ類の一種です.アズマモグラは大学のキャンパス内にもおり,身近な動物です.このアズマモグラの坑道には,頻繁に使用されるものと,あまり使われない一過性のものとがあり,後者は主に若い個体が巣立つ分散期に出現します.この二種類の坑道について,内部の硬度から識別できるのではないかと仮説をたて,坑道を発見したポイントで「地表」および坑道内の「側面」「底面」の硬度を計測しました.またそのポイントで坑道内に異物を仕掛け,アズマモグラの活動周期を考慮し,16時間以内に異物への反応があった場合は頻繁に使用される「常時使用(Rb)」,なかった場合は「一過性(Tb)」としました.その結果,Rbの底面の硬度が有意にTbより高かったのです.アズマモグラは大きな前掌で壁を押さえて移動するので,最初の予想では側面に差が出るのではないかと考えていましたが,実際には「使用頻度に伴って踏み固められたか否か」という結果を示すものでした.
また地下には光が入りませんので,太陽光の周期は関係ありませんが,温度に関しては影響を受けるものと考えられます.アズマモグラがわざわざ地下へ進出した進化学的背景に,地表にはない何か生活上のアドバンテージがあるのではないかと考え,その答えは坑道内の温湿度環境にあると仮説をたて,通年で坑道内部に温湿度ロガーを設置しました.すると想定通り,夏季は地表より地下が涼しく,同様に冬季は地表より地下が暖かいことがわかりました.すなわち年間を通して温度変化が少ないのです.これだと生理的ストレスが少なくて済みます.また湿度は年間通してほぼ100%! ただしこれだと,夏季の暑い時期に気化熱による放熱が期待できません.夏季に限ってみてみると,「地表は高温低湿」「地下は低温多湿」という相対的なトレードオフが存在し,たとえ地下であっても,地表と同等の生理的環境が担保されていることがわかりました.モグラの坑道も奥深い知見で溢れているものです.
【ネズミの尾の切れ方】
地表性や樹上性のネズミ類は長い尾を持っており,バランサーの役目を果たしています.不安定な場所では,尾を器用に動かしながらバランスをとっているのです.そんな長い尾を持つネズミ類も,野外で捕獲すると稀に尾の切れた個体がいます.ある時,この尾の切れる部位がだいたい似ているように感じました.はたしてこのインスピレーションが本当か否か....そこで近隣の山野にいるアカネズミApodemus speciosusとその近縁種ヒメネズミA. argenteusを対象に,尾の切断様態について骨格標本を用いて調査し,その切断傾向を検討しました.具体的には,切断部位が何番目の尾椎骨かを決定し,さらに各尾椎骨の相対幅(最狭幅/最大長)を算出しました.
尾の切断様態には,尾椎骨間の関節で切れているもの(inter-VB型)と尾椎骨が破砕することで切れているもの(intra-VB型),の二通りがありました.inter-VB型に特段の傾向は認められなかったものの,intra-VB型については,アカネズミ・ヒメネズミともに尾椎骨は30個以上あるのですが,相対幅が0.15〜0.28を呈する尾椎骨が破砕していました.これはアカネズミで10〜24番目の尾椎骨,ヒメネズミで13〜23番目の尾椎骨に該当します.野外において,天敵から攻撃されたり物理的なアクシデントに遭遇し,不幸にして尾を部分的に失ったとしても,体が無事であれば生きながらえることはできます.アカネズミ・ヒメネズミは命を落とすような最悪の事態を回避するために,あえて破砕しやすい脆い尾椎骨を備えていると考えられます.
進化の過程で,きっと「脆い尾椎骨」を持つ個体の方が生存率が高かったのでしょう.尾にも進化のタネが詰め込まれています.
【ヒミズの太い尾と細い尾】
ヒミズUrotrichus talpoiesは半地下性のモグラ類の一種で,麦穂のような毛が生えた棍棒状の尾を持っています.このヒミズの研究者の間で,ヒミズに尾の太い個体と細い個体がいることは知られていたのですが,その実態は不明でした.そこでヒミズの尾椎骨の太さと尾の軟組織の切片を作製して調査しました.
その結果,尾の太さと尾椎骨の太さに相関は認められなかったので,尾の太さは軟組織の厚さに起因していると考えられます.軟組織の切片を観察してみると,脂肪層の相対的な厚さに違いが認められることがわかりました.つまり尾の太い個体は脂肪層が厚く,細い個体は薄いということです.同じような様態は北米に生息するホシバナモグラCondylura cristataで報告されており,尾に脂肪を蓄積することで餌に乏しい状況に備えていると推察されています.ただしヒミズの尾の太さと季節に関係性は認められなかったので,ホシバナモグラのように餌資源の増減と関係があるとは断定できません.ただ,これまで囁かれていた実態が事実として認められ,その要因も明らかになったことで胸のつかえがとれたことは確かです.
【ネズミにもヒトと同じ爪がある!?】
ケナガネズミDiplothrix legataは奄美大島・徳之島・沖縄島にのみ生息する樹上性ネズミ類の一種で,近年,残念なことにロードキルによる被害が増加しています.このロードキル個体は国立科学博物館に収集されてきています.
先行研究では,主に東南アジアの樹上性ネズミ類の特徴の一つとしてヒトと同じ「平爪」を持つ種の存在が報告されています.本来,ネズミ類はすべて「鉤爪」ですが,樹上で枝などを掴む種には「平爪」があるようなのです.そこでケナガネズミの標本を調べてみることにしました.すると...やはり前掌の親指に「平爪」があるではありませんか! 本当にヒトのような爪です.しかも前掌の肉球の位置関係をみると,前半と後半に分かれ,その間にちょうど細い枝を挟めるような間隙が出現します.これぞ樹上性の特徴です.
今まで誰も気づかなかったケナガネズミの「平爪」....「平爪」を持つネズミ類が日本列島にも存在することがわかりました.細かいところまで観察することが大事です.
【横からではなく上から撮ろう!】
野外で使用する自動撮影装置はデジタル技術の進歩とともに飛躍的に進化しました.非侵襲的な手段としての自動撮影装置は動物相を理解するのに有効です.ただ,私たちのような小型哺乳類の研究にはあまり役に立ちません.というのも,撮影画像をみると,カメラと被写体の距離が常に一定ではなく,小さく写っているのがほとんどで種同定ができません.小型哺乳類の種同定には正確な尾の長さや後足長などの情報が必要ですが,その根拠を撮ることは至難の技です.
そこで閃きました!「カメラと被写体の距離が常に一定になる」ようにカメラを設置すればいい...通常はカメラを水平方向へ向けて固定しますが,上から地面に向けてカメラを固定すれば被写体までの距離を常に一定にできるのでは...やってみました.三脚にカメラを下向きに固定し,地面には10 mm方眼が刻まれているマットを敷きました.中央に誘因餌を置いて,いざ実践!
きれいに撮影できました! ピントも合って鮮明な画像が撮影されます.10 mm方眼があるおかげでサイズもわかり,毛色も鮮明に把握できます.ヒトのいない空間での小さな動物たちの生活が手に取るようにわかります.発想の転換で役立つシステムを作ることができました.
【余分な染色体と足りない染色体】
北海道に生息する日本固有種のヒメネズミApodemus argenteusは少し変わった染色体を持っています.それは”余分な”染色体を持っていることです.通常,生存上必要な染色体はA染色体といいますが,それに対して余分な染色体をB染色体といいます.このB染色体はあってもなくても生存上に影響はありません.ヒメネズミ以外でも,B染色体を持つ動植物は多く知られますが,B染色体がなぜ維持されているのか,なぜ消失しないのか,これらの理由についてはさっぱりわかっていません.
私たちは神奈川や静岡でモグラ類やネズミ類の染色体を調べてきていますが,これまで北海道でしか確認されていなかったヒメネズミのB染色体が新たに発見されました.また神奈川では,過去に丹沢でしか認められていない「メスなのにX染色体が1本しかないXO型」が南足柄でも発見されました.これらの染色体の変異を持つ個体は,いずれも外観上,また剖検上も特におかしな点はなく,普通に生存可能なようです.染色体にもまだまだ私たちの知らない謎が詰まっています.
ゲノムの一部が多くても足りなくても問題なし...頻度は低いですが,これからも染色体の過不足について継続的にモニタリングをしていこうと思います.
【黒い毛色と近交の進行】
ある時,キャンパス内でドブネズミRattus norvegicusを捕まえたら,なんと真っ黒です.黒化型というのは原理的にはアルビノと同じで,アグーチ遺伝子の劣性ホモ接合で出現します.たまたまだったのか,それとも...キャンパスとその周辺でドブネズミの調査を始めました.
すると以降も黒化型が捕まるのです.染色体も同時に調べてみると特定の染色体に異形が認められ,これもホモ接合やヘテロ接合などまちまちです.最終的にこれらのデータからハーディ・ワインベルグ平衡を統計的に検討したところ,やはりランダム交配にはなっておらず,また特定の染色体の組み合わせが極端に多かったり少なかったりすることがわかりました.
このような背景には,ボトルネックによる急速な個体数の減少とそれに伴うランダム交配の崩壊と近交の進行が考えられます.都市化によってドブネズミの生息地が分断,縮小してきたことで,このような事態に至ったと推察されました.
【流れの速い渓流が好き】
カワネズミChimarrogale platycephalusは本州・九州にのみ生息する渓流性のモグラ類の仲間で,水生昆虫や貝類,魚類を餌としています.このカワネズミ,景観的には変わりはないのに,いる渓流といない渓流があるのです.捕獲するのは意外に簡単なので,ワナを仕掛けても捕れないのは,失敗したのではなく,生息していないとしか考えられないのです.そこで環境要因を調査し,いる渓流といない渓流でどんな環境要因が異なるのかを調査しました.
水深,流速,樹冠被度,水生昆虫量などのパラメータについて一般化線型モデルを適用して解析したところ,有意に選択されたのは流速でした.また多重対応分析でも,いる渓流といない渓流の傾向は流速が最も対応していることが示されました.すなわち「流れの速い渓流にカワネズミがいる」ということになります.景観的に私たちには同じように見える環境でも,カワネズミにとっては微妙な環境の違いが影響しているようです.