インタビュアー:伴場森一 (London School of Economics and Political Science 修了)
今回インタビューさせて頂いたのは、The London School of Economics and Political ScienceのMSc Human Resources and Organisationsの北原たまきさんです。北原さんは大学卒業後、日本の民間企業での勤務を経て、在アルジェリア大使館に派遣員として勤務されておりました。本インタビューでは、派遣員の仕事及びLSEの学びについて伺いました。
日本の大学でフランス語文学を専攻し、在学中にはスイス・ジュネーブへ1年間の交換留学をしました。
卒業後は人材系企業にビジネスコンサルタントとして入社し、公共事業関連のプロジェクトマネジメント(PMO)や業務改善(BPR)関連のプロジェクトに携わりました。約3年間勤務した後、在外公館派遣員制度を利用し、在アルジェリア日本大使館にて2年間、通訳補助・ロジスティクス・広報などを経験しました。
現在はThe London School of Economics and Political Science(以下、LSE)にて、MSc Human Resources and Organisationsに在籍しています。
端的に言えば、それは「海外でフランス語を使って働く」という夢をどうしても諦めきれなかったからです。
端から見ると、恐らく私の転職経緯はかなり飛躍しているように映ると思います(笑)。新卒の就活の際は、言語だけを軸に仕事を選ぶのではなく、自分が挑戦してみたいことや実現したいことをまず経験し、それでもなお3年後にフランス語への思いが消えなければ、その際にフランス語を使う仕事に挑戦しようと心に決めていました。
在外公館派遣員として働くことを選んだのも、知人からのご縁がきっかけでしたが、それまで全く縁のなかった国でフランス語を使うチャンスがあるのなら、2年間という限られた時間を投資する価値があると感じました。また、1社目で公共事業に携わった経験から、パブリックセクターでの働き方や外交の現場を覗いてみたいという思いも、決心を後押しする理由の一つでした。
ロンドンには様々な国籍の人が、様々な理由で暮らしていますが、そうした環境の中で、私自身はあまり「外国人である」という実感を持つことはありませんでした。もともと文化圏の異なる環境にも比較的早く順応できるタイプなので、多少のハプニングはありつつも、「まあいいか」と楽観的に捉えることができたのも影響しているのかもしれません。
物価は高く、今やスーパーで値引きシールを探すのがちょっとした趣味になりつつあります(笑)。また、ロンドンの魅力である自然と都市が融合した環境を活かして、頭の整理を兼ねてよく散歩を楽しんでいました。もちろん、寮のエレベーターが止まったり、突然水シャワーしか出なくなったりといった些細なトラブルは付き物ですが、日本と比べても住むことへのギャップなどは(金銭面を除けば)個人的にはそれほど高くないと感じています。
LSEのMSc Human Resources and Organisationsには更に細かく、HRM(Human Resources Management)Stream、Organisational Behaviour(OB) Stream、そして伴場さんが在籍していたInternational Employment Relations(IER)Streamがあり、私はHRM streamに所属しています。ここはほかの2つのStreamと異なり、選択科目が1つしか単位登録できず、選択の自由度が低いのが特徴です(OB及びIER streamは単位登録できる選択科目がより多い)。その代わり、IER streamと同様に、修了時にはイギリスの人事資格であるCIPDの最も高いランクであるLevel 7が付与されます。このCIPDの資格は、アメリカでいうSHRMのように、イギリスにおいて人事に携わる人々の間では一定の認知度を持つ資格です。
私がHRM streamを選んだ理由は、もともと学びたいと思っていたPeople Analytics(人事データ分析)やManagement in Global Companies(グローバル企業経営)といった科目が必修として組み込まれており、加えてCIPDの資格も取得できるなら損はないだろうと考えたからです。
科目としては、People AnalyticsやLeadership論、さらに国際的な枠組みの中でのHRアプローチに興味があり、モジュールや大学の学習環境を総合的に考えて、LSE以外にもManchester, Edinburgh, Leedsを併願し、いずれも合格をいただきました。
最終的にLSEを選んだのは、学生の多国籍性や卒業後に実際にさまざまなフィールドで活躍している点に魅力を感じたことに加え、CIPD Level 7が取得できるという点です。資格そのものが絶対に欲しかったわけではありませんが、それだけバランスの取れたモジュール構成がある証拠だと判断し、進学を決めました。
LinkedInやXなどのSNSを活用し、同じコースに通っている方々の就職先や、Student Ambassadorとして活動している方々にコンタクトを取りながら、実際のイメージとコースの実情とのギャップを埋めるよう、努めました。
もちろん、その年ごとの状況になってみないと分からないことも多くありますが、在学中の学生や卒業生から直接話を聞けたことで、ネガティブな意味でのサプライズはある程度減らすことができたと感じています。
人数的には、学士を卒業したばかりの方や、HR関連で2〜3年程度の職歴を積んだ22〜25歳くらいの方が多い印象でした。私のように5〜6年の職歴があり、かつHR以外の領域から進学してきた学生はそこまで多くはありませんでしたが、営業・士業など異なる職種や業種から来ている人もいて、年齢層も比較的幅広く集まっている印象です。
国籍については、イギリス全体でも多いと言われるインドや中国出身のクラスメイトが多かったものの、中南米、北米、欧州、アジアなど、さまざまな地域から学生が集まっており、国籍分布としては比較的幅広かったと思います。
日本人の人数は年によっても前後するので一概には言えませんが、今年は比較的多かったようで、私も含めて6名でした。大学卒業後にストレートで修士課程にきた方や、人事や他の業種での職務経験を数年積んできた方まで、各々のバックグランドは多岐に渡りました。時折、皆さんと食事に行ったりもして、大学院関連の話や将来のキャリア・仕事の話など幅広く話しをすることができたのはとてもよかったと思っています。
Department of ManagementのEDI(Equity, Diversity and Inclusion)学生イベント。写真右が北原さん。
個人的には、Organisational Behaviour(組織行動論)とLeadership in Organisations: Theory and Practice(リーダーシップ論)が特に好きな授業でした。
理由としては、もともと関心の高いトピックだったという点に加え、アカデミックな理論とケーススタディーなどの実践的な内容のバランスが取れていると感じたからです。実際にこれまでの仕事を通じた経験と重ね合わせて「あのときの出来事はこういう理論でも説明できるのかもしれない」と、点と点が時折つながる瞬間がとても嬉しかったです。
組織人事関連のコンサルティングを行う予定です。領域も人事関連のコンサルティングか事業会社の人事か、場所もイギリスか日本にするか、渡英後半年以上は色々な方に相談しながら幅広く考えながらも悩みました。大学院での勉強や自分自身のキャリアに対する考えを深める中で、中長期的に経験を積んで研鑽したい領域が明確化し、最終的には日本で就職することを決意しました。
在外公館派遣員の仕事が「派遣先公館の一員として、語学力を生かして主に後方支援的な業務に従事する傍ら国際社会での経験を積み友好親善に寄与するもの」と定義されているように、自身の専門とする外国語を活かして、大使館の中でのバックオフィス業務といった縁の下の力として幅広い業務を担うことになります。
大使館の規模が大きいと複数人派遣員がいることもありますし、私のように小規模〜中規模公館では1名だけのケースもあります。
一般的には、自身の言語力を活かして日本からの出張者対応や赴任者の離着任支援を行ったり、会計補助や広報系の業務を行ったりと大使館によってもかなり業務内容は異なる部分は大きいと感じました。
応募に当たっては、他の欧州のフランス語圏で派遣員を経験した知人に実際の仕事の話などを聞いたり、アルジェリアで働いている知人から現地がどういった雰囲気なのかなどの話を聞いたりしながら、情報が少ない中でも働くイメージを掴むようにしました。
首都アルジェのGrande Poste d’Alger
筆記試験に関しては「20 Minutes」や「Franceinfo」などのフランス語のネットニュースなどを日頃見て、少し改まった表現や語彙を意識的に取り入れるようにしていました。
面接では、特段、何か特別な対策をしたわけではありません。まずその職務においてどのような人物面での素養や能力が求められているのかを自分の中で整理し、それをきちんと説明できるように心がけました。
必ずしも「100点で優秀な人」が採用されるわけではなく、特に文化圏や言語が異なる地域、さらに大使館という公的な組織の中で「求められている仕事をきちんと果たせるか」「困難に対してレジリエンスを発揮できるか」が重視されている印象を受けました.
そのため、自分がいかに優秀かをアピールするよりも、求められている職務内容や求められる素養に対して、自分がどのように組織に貢献できるか、また、たとえ現時点で100%の能力が備わっていなくとも、今後どう柔軟に吸収し成長していけるかを、相手に伝わる形でしっかり説明することが大切だと思います。
派遣員の業務は国や大使館によって大きく異なるため一概には言えませんが、日本人同士であっても話す「専門言語」が違ったり、また現地職員や現地の人々とコミュニケーションを取りながら「なんとかする」ことが求められる場面が多々あります。前例のない事象に取り組む意味でも、「語学を通していかに伝わるか・伝えるか」を意識して口頭面接に臨みました。
私は決して言語習得が早くも得意である訳でもないので、今も意識していることは、「粘り強く少しでもいいから諦めずにやり続ける」ことでした。
特に留学後は、一気にフランス語を使う機会が減ってしまったため、自分でmeetupを使ってフランス語を話すイベントを企画したり、オンラインで定期的に授業を受け続けていました。 社会人になってからは、DALF取得に向けてまず試験費用を先に支払い、自分を追い込むスタイルで勉強を続けました(受験料が高いので心が痛かったですが...)。ほかには「フランス語専攻だった」ことと社内や周囲に言い続けたことで、仕事でレアケースですがフランス語を使う案件にアサインされたり、フランス語圏の国と関わるプロボノのチャンスが巡ってきたりと、思いもしなかった出会いがたくさんありました。
今でも勇気がいりますが、挑戦したいことを周囲に発信してみること、そして負けずにどんな小さなことでも(1単語覚えるレベルでも)勉強を続けることでここまで緩やかながらも続けることができたと思っています。
イスラム圏で働くのも海外で働くのも初めてだったので、最初は何もかもが良くも悪くも新鮮で、「どうすれば早く慣れて順応できるか」を考えて行動していました。
在住邦人も決して多いとは言えない国で、正直なところ、赴任前はどんな生活が待っているかは全く想像がつきませんでした。ありがたいことに、多くの日本人やアルジェリア人の同僚が温かく迎えてくれたことで、早い段階で仕事に慣れ、休日はアルジェの街を探索するうちに少しずつ現地の文化や風習の違いも理解できるようになっていきました。
また、娯楽が多い都市ではなかったため、日本で働いていた時の休日の過ごし方とは全く違いました。週末は大学院の受験準備をしている時期もありましたし、同僚と一緒に食事やおやつを作りながらひたすら話をしたり、時には地方都市へ旅行に出かけたりと、「ないものを嘆くのではなく、今目の前に広がっている環境を好奇心を持って楽しむ」ことを心がけました。そのおかげで、徐々にアルジェリアでの生活にも溶け込めたのだと思います。
Timimounのサハラ砂漠
「いくら予測をしても、予想外のことが次々と起こる」ことが一番大変であり、同時に面白く強く印象に残っていることです。
特に現地職員の仕事をマネジメントする機会が多く、最初はどのように接すればいいか非常に悩みました。こちらから「あるべき」「やるべき」といった“べき論”を押し付けるのではなく、まずは長い職歴と国の事情に精通している現地職員の皆さんをよく知ることに徹しました。ちょっとした雑談を重ねたり、顔を見に行って対面で話したりすることで、相互理解が進むように心がけました。
プライドを持って仕事をしている方が多かったので、プライドを傷つけないながらも、実現したいことをスピード感を持って実現する上では、ちょっとした違和感や懸念事項を気軽に相談できる信頼関係を構築することが何より大切だと考えています。良い関係が循環することで、相手の方から自発的に改善に向けた提案をもらえたり、私自身が気づかなかったポイントでサポートやアシストをしてもらえたりと、チーム全体で協働して目的を達成する仕事の流れを作ることができました。
私自身は大使館含めた公的機関での働き方も全く知らないゼロの状態で飛び込んだので、迷惑をかけた部分も多々ありました...。多くの温かいサポートを得ながら一つずつの小さな事象にも自分なりに真摯に向き合うこと、そして分からないことは「分からなくて困っている」と声に出して相談することを積み重ねた結果として、当初は想像していなかった様々な豊かな広がりを得られたのだと思います。
本官と呼ばれる外務省や他省庁などから出向されている日本人の方々が気さくに声をかけてくださり、他の大使館が主催するネットワーキングイベントやランチにも混ぜてもらっていました。
派遣員という制度はおそらく日本独自のもので、他国の方に説明すると非常に珍しがられることが多かったのですが、多くの寛大な同僚の皆さんのおかげでネットワークを広げることができました。
また、国際会議の応援出張や地方出張の機会にも恵まれ、実際の大型ロジスティックを経験したり他公館の派遣員や本官の方々と知り合えたことも幸運でした。
聞こえは華やかですが、派遣員の仕事は地道な業務が多く、いわば縁の下の力持ちです。もちろん大使館の規模や職員数によっても大きく異なるので一概には言えませんが、「これしかできない」と枠を狭めて決めてしまえば、そこで終わってしまいます。
チャンスがすぐに来るかは誰にもわかりません。仕事や人間関係の小さな積み重ねを続けることで、結果として職務範囲や人脈の広がりにつながり、多くの挑戦する機会をいただけたことにとても感謝しています。
派遣員に向いている方は定義が難しいですが、目の前のことをコツコツと積み上げられる人、そして赴任地での想定外の出来事をある種ユーモアを持って楽しみやり遂げられる人でしょうか。
青天の霹靂とも言える事象もたくさん起こるかもしれませんが、そうした予測していない事象をポジティブにどう対処していけるかを考えられる方、異なる文化圏の慣習を受け入れる受容力のある方などに向いているのかもしれません。
また、外交の場に環境としては近い距離感で仕事ができるので、外交の世界を覗いたり機会があれば何某かの形で仕事をする機会もあるケースもあります。派遣員の任期が終わった後は、外交官としてのキャリアを歩む方や、民間で働く方、私のように大学院等に進学する方などキャリアパスは様々です。
2年間という時間は、短いようでいて、若いうちにとっては長く貴重な期間です。その時間をどう使うかは人それぞれですが、民間企業や学生生活、仕事ではなかなか得られない異国での勤務経験や出会いには価値があると思います。
私自身のキャリアは、山の頂上を一直線に目指して登ってきたわけではありません。「山登り型キャリア(定めた目標に向かって最短距離で進む)」か「川下り型キャリア(川を下りながら偶然出会ったやりたいことの種を見つけていく)」かといえば、圧倒的に後者の道をこれまで歩んできました。進む過程で出会った人や得られた機会やチャンスを辿った結果として、民間での経験・派遣員・大学院留学に辿り着きました。
途中で、「こんなにふらついていて良いのだろうか」とどの道を選択すべきか悩んだことも数えきれないほどあります。実際には、川を下っている途中の道での様々な出会いや気づきを通じて、自分自身の大切にしたいことや価値観に気づくことができ、登ってみたい山(到達したい目標)も緩やかながら見つかってきました。
「何をすればいいのかわからない」、「やりたいことが見つからない」、「やりたいことが分からない自分が悪いのではないか」と悩む方も多いと思います。個人的な意見ですが、やりたいことが分からなかったり、将来何がしたいかを言語化できなかったりすること自体が間違っている訳ではないのだと思います。正直に言えば、私自身も5年後に何をしているかなんて正確には分かりません。
もし、今何か取り組まれていることにちょっとした違和感やもどかしさを感じるようであれば、何が今までの自分がしてきた小さなチャレンジや達成を認めてあげたり、そこからどんな気づきがあったのかを意識的に少し立ち止まって考えてみたりしてはいかがでしょうか。「今後、どんな世界を歩んでみたいのか」「どんなシチュエーションや機会に好奇心が揺さぶられるのか」といった自分の声との対話を大切にしながら、分からないながらも目の前にある機会やチャレンジに一生懸命取り組むことで、また新たな道が自然と開けていくこともあると感じています。
一度きりの人生で、皆さんがそれぞれ彩り豊かな道を進まれていくことを、微力ながらも心から応援しています!