2025/06/18 インタビュアー:伴場森一 (London School of Economics and Political Science 修了)
今回お話を伺ったのは、外務省総合外交政策局国際平和協力室の齋藤昌子(さいとう まさこ)様です。The London School of Economics and Political Science(以下、LSE)で国際関係学部国際政治経済学修士号取得後、民間企業を経て、国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)広報官、内閣府国際平和協力本部(PKO)事務局研究員、国連スーダンミッション(UNMIS)選挙支援担当官、在アフガニスタン日本大使館NATO文民代表部リエゾン、国連人口基金(UNFPA)TICADマネージャー等を歴任。外務省社会人経験者採用入省後は、在バングラデシュ大使館、在フィンランド大使館、戦略的対外発信拠点室等を経て、2024年9月より現職。これまでに政府機関、国連機関、NGO等にて、コソボ、カンボジア、イラン、ネパール、東ティモール、スーダン、アフガニスタン、バングラデシュ等で平和構築の多岐に亘る分野に従事。本インタビューでは、キャリアを積む上で軸にしてきたこと等について詳しく伺いました。
(※掲載内容は個人見解に基づくもので所属組織を代表するものではありません。)
齋藤: 外務省総合外交政策局国際平和協力室に所属しています。日本の国際平和協力に関する外交政策の企画や立案、実施を担当する部署で、国連平和維持活動(PKO活動)及び平和構築・開発分野の人材育成関連業務等を担っています。私が担当する「平和構築・開発におけるグローバル人材育成事業」は、2007年、日本が平和構築平和構築分野においてプレゼンスを示し、リーダーシップを発揮することを視野に入れた取組として始まりました。米ソの冷戦終結後、パワーバランスが崩れたことで世界各地で紛争が増加しました。この状況を受けて、緊急人道支援から復興支援、そして国づくりへと至る移行期に切れ目なく取り組む支援のニーズが世界的に高まったことを背景としています。そして、2015年からは開発期も含む事業に再編されました。
本事業は、これまでにプライマリー・コースとミッドキャリア・コースを含む研修全体で日本人及び外国人を合わせて1,000名以上が参加し、主要研修のプライマリー・コースでは200人超の日本人が修了しました。修了生は、国連、国際機関、政府機関、援助機関、NGO、民間企業など、多様な組織で、支援の現場から本部での政策立案まで幅広く関わり、世界各地で活躍しています。私自身はこの人材育成業務の統括として、プロジェクトマネジメント、予算・人的リソース管理、事業の制度設計や評価、国際機関との調整業務等を行っています。これまでの自分のバックグラウンドを活かせる仕事でもあり、とてもやりがいを感じています。
齋藤: 私は大学の法学科で受けた国際政治経済学の授業で、旧ユーゴスラビア紛争を経済格差や資源分配の視点から分析する研究に興味を持ち、修士課程に進む前に経済学の基礎的な知識を身に着けたいと考え、オーストラリアのグリフィス大学大学院で経済学ディプロマ号を取得しました。そして、The London School of Economics and Political Science (LSE)に進学し、国際関係学部(Department of International Relations)の国際政治経済学修士課程(MSc in Politics of World Economy)を専攻しました。
齋藤: 大学卒業前に「ロータリー財団国際親善奨学生」に合格した時、英語圏への進学を希望し、最終的にオーストラリアに留学することになりました。グリフィス大学では、コソボ紛争やアジア経済危機について研究し、その後、LSEではアジア経済危機を題材とした移行期経済と日本の役割に関する論文を執筆しました。
修士課程出願は、アメリカの大学院数校とイギリスはLSE一校に絞りました。主に「国際関係」や「国際政治経済」「Conflict Studies(紛争解決研究)」専攻を志望していました。最終決定の際に参考にしたのはアプローチの違いです。アメリカの大学院では実務的で政策的なアプローチを重視する傾向があると聞きましたが、LSEではもう少し歴史や理論と実践のバランスの取れた学びができると知り、興味を持ちました。実際、アメリカの大学院で私が合格したプログラムは、第二次世界大戦後の政策を中心としたアプローチを取っていました。一方、LSEのカリキュラムは過去数世紀に亘る歴史的背景を踏まえつつ国際関係を捉えるというアプローチを取っており、より深い学びができると感じました。
齋藤: 朝から夜まで図書館に住んでいたような感覚でした。レクチャーやゼミに参加するための大量のリーディングが求められました。ディスカッションやプレゼンテーションの準備のために、とにかく勉強漬けの日々でした。それでも、LSEはロンドン中心部にあるので、授業後に同期生とパブに行ったり、図書館からの帰り道に少し寄り道をして、夜のコヴェント・ガーデン(Covent Garden)を通ってロンドンのオシャレな街並みを歩いたり、テムズ川沿いのライトアップを眺めるのを楽しみました。LSEの食堂も印象に残っています。勉強の合間にベイクトビーンズやグリルトマト、フィッシュ・アンド・チップスとかイギリスらしいメニューを食べていました。キャンパス構内のサンドイッチ店もお勧めです。今でもLSE時代の思い出の味です。
齋藤: 実はあまり活用できていないのが正直なところです。当時はSNSがまだあまり普及しておらず、卒業後しばらくはゼミの同期とメールで連絡していましたが、徐々に関係が薄れてしまった面もあります。同じ時期にLSEに在籍していた日本人の友人とは、今でも連絡を取っています。
LSE修了式 ロンドンにて
齋藤:LSE時代の合間には国際協力NGO活動に参加し、コソボで避難民支援や子どもの心理ケア活動、カンボジアで選挙監視や農村小規模ビジネス支援等にも取り組みました。特にコソボを訪問した時は紛争終結から人道支援、復興に至る移行期にあたり、支援先の家庭のおばあさんから「みんなが忘れていく中で、遠い日本から来てくれてありがとう」という言葉をかけられたことが自分のキャリア形成の原点となっています。
ただ、LSE在学時にゼミを一緒に受講していた海外出身の同期生は、金融や商社等のバックグランドを持つ方が多く、周囲と同様に現地の金融機関やコンサルティングファームを中心とした就職セミナーや面談を受け、国際協力とは直接関係のなさそうに見える業界への就職を考えていました。
そうした就職活動を続ける中で、そのままロンドンで就職するよりも日本で軸足を持ちたいと考え、帰国することにしました。帰国後はマーケティングやコミュニケーション分野のコンサル企業に勤めました。最初はBtoCのコミュニケーションサービス部門に配属され、外資系消費財やアーティストのブランディング戦略業務等に携わりました。途中でパブリック・アフェアーズ部門も兼務となり、危機管理広報や非営利団体、大学、政治家等のクライアント業務も担当させていただきました。
民間企業で数年間勤務しつつ、以前から関心のあった国際協力業界でコミュニケーション分野の専門性を活かすことができないかと考えていたところ、国連難民高等弁務官(UNHCR)駐日事務所の採用案内に応募して、広報担当として着任しました。新しく着任した駐日代表の記者会見や報道対応に関する企画実施、「難民映画祭」や「UNHCRユース」(現「J-FUNユース」)の立ち上げ、UNIQLO衣料支援等の民間連携、「ナンセン難民賞」受賞者の広報支援、グテーレス国連難民高等弁務官(当時)の来日時の報道対応等、非常に多くのことに携わらせていただきました。当時の経験は私のキャリアの糧となっています。
当時は、連日のようにスーダン難民に関する情報を目にしていたことや、イラクで活動する日本人が帰国した時にアレンジした取材に同席したこともあり、いつか自分もフィールドで活動したいという思いが強くなりました。また、日本政府関係者との接点もあり、国際協力分野で日本がプレゼンスを高め、リーダーシップを発揮するにはどうしたらよいかという点にも関心を持つようになりました。
そんな時期に内閣府PKO事務局研究員の採用案内があり、自分の経験をさらに発展させたく、応募しました。この研究員制度は、明石康・元国連事務次長が座長を務める「国際平和協力懇談会」の提言の下、国際平和協力分野で活躍する人材育成を目的として2005年に発足しました。実際に自分が勤務していた時は、東ティモールやネパール、スーダン、イラク等に関連する選挙監視、物資協力、派遣要員への研修、前職のUNHCRと連携してのアウトリーチ活動等の国際平和協力の実務にも携わらせていただきました。
研究員の任期中は途上国に出張する機会もありました。一方で、ある程度まとまった期間を現地滞在して現場の動きについてより理解したいとの思いが強まり、それまでの自分の経験を活かせる次のキャリアとして、スーダンかアフガニスタンに展開する国連PKOミッションか政治ミッションのフィールド勤務を考えるようになりました。
最終的にUNMISの選挙支援部に勤務することとなり、着任後はハルツーム本部で現地政府の能力構築や技術支援、有権者教育等に携わりました。また、スーダン南部の州(※当時は南スーダン独立前)や西部のダルフールからの情報や、現地への出張を通して地方の政治・治安情勢、選挙準備状況に関するレポートを作成したり、上司が参加するミッション幹部の会議に同席して議事録を作成したりしたほか、軍事部門司令部との調整、地方への物品運搬のロジスティック手配、NY本部からの出張者へのブリーフィング準備、UNDPやNGO、主要国政府との連携まで、今振り返ると人手が足りなかったのか何でも携わらせていただき、とても勉強になりました。国連文書作成は初めてだったため、上司から厳しく添削されて鍛えられました。
選挙プロセスが一旦落ち着いた頃、外務省在アフガニスタン大使館に勤務する任期付き職員の募集がありました。以前からアフガニスタンにおける日本の支援や、国連アフガニスタン支援ミッション(UNAMA)、NATO主導のが国際治安支援部隊(ISAF)の活動にも関心があったため、これを逃す手はないと即座に応募、カブールに拠点を移すことにしました。アフガニスタンでは、主にNATO文民代表部へのリエゾンとしての政務業務や、地方復興支援チームと連携して教育や医療保健、インフラ整備等の活動を行う団体への支援等に関わりました。他にも、国連地雷対策サービス部(UNMAS)を通じた地雷除去や地雷回避教育、元兵士のための基礎訓練等、日本によるアフガニスタンの復興支援の現場に関わらせていただきました。
大使館に着任した当初は、将来、自分が外務省に中途入省するとは全く想像しておらず、いずれまた国連に戻るつもりでした。カブール勤務の約2年半、日々やり取りしたNATO文民代表部のメンバーも素晴らしい仲間でしたが、特に、大使館の上司や同僚、外務本省の関係者には様々な面で丁寧にサポートいただきました。今振り返るとその後のキャリアパスの糧となる非常に中身の濃い指導をいただいた他、貴重な現場経験をさせていただきました。
フィールド勤務の楽しい点は、コミュニティが限られているため仲間意識が強くなるということです。今でもスーダンやアフガニスタンの現場でご一緒した方々とは今でも連絡を取り合います。
アフガニスタンでの任期を終えて日本に帰国した後、UNFPA駐日事務所でTICADメディア戦略業務に関わる空席公募が出たため、アフリカでの現場経験やコミュニケーションの専門性を活かすことができると思い、短期間ですが業務に関わらせていただきました。また、その後は、外務本省で広報文化外交戦略に関する業務や、東日本大震災後の「原子放射線の影響に関する国連科学委員会(UNSCEAR)」との連携や国際原子力機関(IAEA)等のマルチの原子力外交に関わる任期付き職員経て、外務省に社会人経験者採用で入省しました。その後、バングラデシュ、グローバルヘルス、戦略的コミュニケーション等の業務を担当させていただきました。特に、入省後最初に赴任したバングラデシュでは、ダッカ襲撃テロ事件やミャンマーからの避難民など、大使館政務班での業務を通じて現地対応にあたりました。
大学院を卒業以来、自分のキャリアを通して、民間企業や、国連機関、日本政府といった複数の組織においてそれぞれの視点や仕事の進め方について学ぶことができたのは、自分にとって大きな財産になっています。日本政府も国際機関であっても、所属部署や上司、同僚との関係によって、業務のやり方は流動的なことも多く、どこに行ってもその場に応じて柔軟に対応し、自分の強みを活かして組織に貢献するという姿勢が重要だと思います。
アフガニスタン勤務時、出張先にて(左側から3番目が齋藤様。)
齋藤:難しいですね(笑)。現在の業務に照らし合わせると、幅広く平和構築(ピースビルディング)に関わる活動全般を俯瞰することだと思います。学生時代の研究や、国連や日本政府での経験等を総合的に踏まえると、特に関心があるのは、「平和構築の移行期の取組」です。「移行期」とは、紛争直後の不安定な状況に、国連PKO/政治ミッション活動フェーズや緊急人道支援フェーズから、復興支援を経て、安定した持続可能な国家建設や開発へ移行しつつあるプロセスを指します。
この時期は、人道支援(H)、開発(D)、平和構築(P)という異なる分野が連携し協調する「HDPネクサス(Humanitarian‑Development‑Peace Nexus)」の視点が特に重要になるフェーズであり、紛争や危機の状況から、社会をいかに正常化し、持続的発展の段階移行させるかが問われます。ただし、この時期は、国際的な支援や関心が薄れて支援の空白が生じがちで、現地コミュニティの脆弱性が一番表れる時期でもあります。だからこそ、持続的な平和のためには現場の声やニーズを丁寧に汲み取り、それを本部レベルの政策に反映させ、限られたリソースを適切に配分することで、現地社会に実効的に働きかけることが重要だと考えます。
現在の所属先で担当する平和構築・開発におけるグローバル人材育成事業は、まさに自分の関心領域と重なる分野であり、これまでの途上国での現場経験を活かせる点にやりがいを感じています。外務省に入省後、しばらくは平和構築関連の業務から離れていたため、最新動向の把握に日々努めていますが、平和と安定に向けた取組は、日本が国際社会の中で強みを発揮できる重要な分野だと思います。また、安定した国際環境の構築は、日本にとっても直接的な利益をもたらす重要な要素だと考えます。現在は、こうした分野で日本がより一層リーダーシップを発揮できるよう、外務省の一員として、どのような支援や制度設計が求められるのかを考え、それに向けたリソース配分や仕組みづくりのプロセスに貢献したいと考えています。
また直近では、現在担当している人材育成業務を通じて、、これからの時代を担う若い世代にこの分野への関心を持ってもらうことや、彼らが自らのフィールドで国際社会の平和を築く活動に参画するためのきっかけをどう作れるかにも関心を持っています。私自身はこれまで複数の国での現場経験を積んできましたが、平和構築・開発分野で細分化された特定の専門領域に特化しているわけではありません。むしろ、分野横断的に全体像を俯瞰して、バランス良く捉える視点が、現在の業務を進める上での強みになっていると感じています。
齋藤:まっすぐ専門性を突き詰めて進んでいける人は素晴らしいですが、時代の流れや所属組織のニーズによって求められる資質やスキルも変化します。専門性に強くこだわりすぎると、かえって自分の可能性を狭めてしまうこともあるかもしれません。だからこそ、専門性を持ちつつも、それを広く解釈し、応用・修正できる柔軟性が重要だと思います。また、自分では意識していなかった強みや適性に、思いがけず気づくこともあります。普段から柔軟な姿勢を心がけることで、視野が広がり、新たなチャンスにもつながるのではないでしょうか。たとえ偶然巡ってきた仕事であっても、一歩踏み込んでみることで、思わぬ発見があると思います。
スーダン勤務時、オフィスにて
齋藤: 最も大きな違いは、組織が目指している目的です。日本政府は日本の国益を実現することを目的としている一方、国際機関は国籍を超えて公共の利益の実現を目指しています。就職先としてどちらが向いているかを考える際には、まず自分が所属する組織の大きなミッションの中で、目の前の仕事に自分がどう貢献できるのかという視点を持つことが大切だと思います。最初から「自分にはどの組織が合っているか」と深く考え過ぎず、興味があるならまずは一歩踏み出してみるのが良いのではないでしょうか。
齋藤:大学院留学中や卒業後でも構いませんが、国際協力を志すのであれば、なるべく若いうちに一定程度まとまった期間のフィールド経験を積むことをお勧めします。これは、将来的なファミリーライフプランのためということに加え、安全管理・危機管理の観点から、早い段階で現場の皮膚感覚を身に着けることが重要だと考えるからです。そして何より、自分の人生のミッション――つまり「自分は何を大切にしたいのか」という軸を持つことが、キャリアの選択において指針になります。たとえ自分が向いてないと感じる仕事であっても、実際に取り組んでみると、それらの経験がやがて点と点となってつながり、一本の線となっていくことを実感できるはずです。