インタビュアー:鈴木 麻由 (University of Sussex)
UNDPニジェールのディファ支所で支所長として働く松浦知紀さんにお話を伺いました。松浦さんは大学卒業後、社会人経験を経てフランス・リール政治学院で紛争・開発学の修士号を取得され、JICAアフリカ部のカントリーオフィサーとして勤務した後、JPOとしてUNDP(国連開発計画)ブータン事務所、UNDP西中央アフリカ地域事務所(セネガル)にプログラムアナリスト、後にプログラムスペシャリストとして勤務されました。2025年から、ボコハラムの影響で未だに不安定な状況にあるニジェールの極東地域ディファにて、UNDPディファ支所の支所長として現地住民と避難民のための公共サービスの提供や生計手段の再建支援に取り組まれています。国際協力に関心を持ったきっかけやこれまでのキャリアについて伺いました。
鈴木:まず、国際協力や開発に関心を持つようになったきっかけを教えてください。
松浦:大きく分けて、理由は二つあります。一つは、9〜15歳まで父の仕事の都合でイギリスに住んでいたことです。イギリスにある島に家族で住んでいたのですが、現地校しかなく、日本人はおろかアジア人も自分しかいないような環境でした。成長していくにつれて自分がマイノリティであることを自覚するようになり、いつか「マイノリティのための仕事がしたい」と漠然と思うようになりました。
もう一つは、ちょうど13歳の時に両親が「13歳のハローワーク」という本を買ってくれ、その本に出てくる「国際公務員」という仕事に惹かれたことです。半ページくらいの小さなスペースに書かれていただけでしたが強く印象に残っていて、いつしか「国連で将来働きたい」という気持ちが芽生えました。そこから興味が湧いて緒方貞子さんの本や「世界で一番いのちの短い国 シエラレオネの国境なき医師団」といった本を読み、途上国で働くことへの想いが強くなっていったと思います。
鈴木:本に載っていた「国際公務員」に惹かれて、その気持ちを大人になっても持ち続けるのはすごいですね。
松浦:きっかけはどこに転がっているか分からないなと思います。アンテナを張り巡らせ、自分の興味・関心を深めていく力が気づかないうちに自分の中で育まれていたのかもしれません。
鈴木:新卒で入社した会社を選んだ理由を教えてください。
松浦:元々JICAに入りたかったのですが、書類選考の段階で落ちてしまいました。今考えると落ちた理由は明白で、エントリーシートの冒頭に「私は世界を救いたい」などと書いてしまうくらい、情熱だけで受かると思っていたんです。振り返ると当時の自分はすごく傲慢だったと思います。新卒で入社した会社は、最初に内定をいただいたところにしました。General Electricのキャピタル部門で、主に社用車のリースの営業を担当しました。外資系企業でしたが、新入社員研修といった研修制度が整っていて、社会人としての基本を学ぶことができた貴重な経験でした。
鈴木:社会人になって仕事に追われるようになると、大学院に進学するという気持ちが薄れることもあったと思います。松浦さんはどのようにして大学院進学のモチベーションを保ち、進学の準備を進めたのでしょうか?
松浦:入社当初から「3年働いてその後フランスの大学院に進学する」という目標を掲げ、毎朝5時に起きて7時に会社近くのカフェに行き、フランス語を2時間勉強して出社する生活を1年ほど送っていました。3年で大学院進学に必要なフランス語のレベルに達することを目標としていましたが、約1年半で達成することができました。大学院進学はできるだけ早い方が良いと思い、その後急いで大学院に出願し、リール政治学院(Sciences Po Lille)(※1)に進学しました。予定より1年早く進学した関係で留学資金が足りなかったため、日本学生支援機構(JASSO)から利子付きの奨学金を借りました。
※1 フランスには社会科学分野の特別高等教育機関である政治学院がパリやリールなど10都市にある。
鈴木:なぜ英語ではなくフランス語での留学を決意されたのでしょうか?
松浦:イギリスに6年住んでいたため英語はある程度出来ていたのと、将来国際協力の道に進むなら国連公用語の一つであるフランス語もできた方が良いと思ったためです。加えて、元々アフリカに関心があったのも、フランス語を選んだ理由の一つです。
鈴木:リール政治学院を選んだ理由を教えてください。
松浦:当時関心の強かった平和構築や調停について、フランス語だけで学ぶことのできる大学院に進学したかったからです。パリ政治学院が第一志望だったものの落ちてしまったので、リール政治学院にしました。新卒でJICAに落ちたこともそうですが、これまで順風満帆にきたわけではなく、自分の中では何度か挫折を経験していて、それが自分をより謙虚にしてくれたと思います。
鈴木:リール政治学院で学ばれたことが、現在の仕事とどう繋がっていますか?
松浦:正直あまり意識したことがないです。今の仕事は平和構築に貢献するものですが、大学院の授業で学んだことが直結している訳ではないと思います。リール政治学院ではプロジェクトマネジメントの手法や西アフリカについて学びましたが、自分が理論と実務を上手くつなげるのが苦手なのかもしれません。
2016年夏、ボスニアでの民族融和について学ぶため、サマースクールに自費参加
鈴木:大学院の専攻や修士論文の内容が応募するポジションが違っていても問題ないのでしょうか?
松浦:UNDPではジェネラリストとしても活躍する場があるため、大学院の専攻や修士論文の内容と応募するポジションが合致していなくても、大きな問題にはなりません。私の場合、修士論文はボスニアでの民族融和プロセスにおける宗教組織の役割がテーマだったので、今の仕事内容と全然違いますね。
鈴木:元々アフリカに関心があってフランス語を学ばれていた中で、修士論文でボスニアをテーマに選んだ理由を教えてください。
松浦:大学生の頃、一人旅でボスニアとセルビアに行く機会がありました。色々な民族が住んでいて、ユーゴスラビア戦争の暗い影がどことなく残るような印象があり、自分の中で強く印象に残りました。大学院は2年間だったので1年目の終わりにサマースクールに参加し、ボスニアに行って現地の方と交流したり、紛争の歴史や民族融和に対して理解を深めるセッションがあったりと、実りある時間を過ごしました。修士論文のテーマを選ぶ際にその経験を思い出し、少しでも自分の興味関心のある地域を選ぶ方がモチベーションにも繋がると思い、ボスニアをテーマに選びました。あまり先のことは考えていなかったですね。
鈴木:大学院修了後、JICAアフリカ部のカントリーオフィサーの仕事を選んだ理由を教えてください。
松浦:就職活動ではJICAの専門家や難民支援NGO、民主主義に関連するNGOなど、色々と受けました。いくつか内定をいただきましたが、アフリカへの関心からフランス語を学び、フランスの大学院に行った経緯から、JICAアフリカ部での仕事を選びました。JICAに行って特に良かったと思うのは、開発のビジネスモデルを学べたことです。大学生の頃、開発は人の善意だけで成り立っていると思っていましたが、もちろんそんなことはなく、皆が払っている税金を使って、外務省が外交ツールの一つとして開発や援助をしています。たとえばジブチに井戸を掘るプロジェクトがあるとして、それをいかに国民に説明して分かっていただけるようにするか、ジブチにお金が届く前にさまざまな交渉が行われているというのを間近に見ることができたのはかけがえのない経験だったと思います。この経験なしに今の仕事をしていたら、今の仕事で使っている予算(どの国の政府からの資金かは関係なく)の有り難さが分からなかったと思いますし、仕事に対する意識が確実に変わったと思います。
鈴木:JICAアフリカ部ではどのような仕事をされていましたか?
松浦:JICAアフリカ部ではカントリーオフィサーとして、タンザニアとジブチにおける案件形成から資金管理まで幅広く業務を担当しました。幸運にもタンザニアとジブチは目立った紛争がなく、大学院で学んだ平和構築や調停の専門性を活かすことは難しかったのですが、フランス語圏のジブチを担当させて頂き、フランス語を活かすことができました。
ジブチのアッサル湖にて(海抜約-150m)
鈴木:JICAでの仕事が現在の仕事に役に立っていると感じることはありますか?
松浦:上記の通り開発のビジネスモデルを学べたことと、アフリカ界隈は狭い世界なので、JICAで働いていた時にできた人との繋がりが今に活きていると感じます。セネガルでは多くの旧同僚と再会する機会がありました。また、自分の中長期的なキャリアプランを考えながら、将来のキャリアに繋がりそうな業務があれば積極的に手を挙げることを心がけていました。たとえば、将来ガバナンス(行政関係)の仕事をしたいと考えていたので、タンザニアの地方行政のプロジェクトを担当させてもらったことで、CVに「ガバナンス」の仕事をした実績を書けるようになりました。
鈴木:その後、JPO試験に合格してプログラムアナリストとしてUNDPブータン事務所に入られ、西中央アフリカ地域事務所(セネガル)、ニジェール事務所と、UNDPでの仕事を6年弱続けていらっしゃいます。各事務所での業務内容について教えてください。
松浦:ブータンでは、ガバナンスチームリーダーの元で地方行政や障がい者支援のプロジェクトを担当し、西中央アフリカ地域事務所ではサヘル地域(特にブルキナファソ、マリ、ニジェール)の平和構築案件に携わりました。ニジェール事務所では、首都から約1,300km離れたディファ州(ニジェール南東部)の支所を任せてもらっています。ディファでは2015年からボコハラムの影響(※2)で治安が悪化し住民の公共サービスや生計が大きな打撃を受けたため、基礎的インフラの建設・修繕や彼らの生計手段を立て直す支援を行っています。現場に出張する時は防弾チョッキを着て、軍事エスコートの車が前後に1台ずつ付いて移動するほど、治安が不安定な地域です。ディファ支所は小さな事務所なので、プロジェクトの実施管理はもちろん、事務所のマネジメントまで業務は多岐にわたり、良い経験になっています。
※2 イスラーム過激派組織による襲撃がディファ州でも相次いでいる(参照:https://www.anzen.mofa.go.jp/info/pcterror_116.html )
JPOの同期とオンボーディング研修
鈴木:治安の悪い国での仕事は精神的にも色々と大変なことがあると思うのですが、仕事をする上で意識されていることはありますか?
松浦:ストレスとの向き合い方やメンタルケアはとても大事です。セネガルで勤務していた際、仕事のストレスからか一週間ほど起き上がれなくなったことがあり、メンタルケアに対してより気をつけるようになりました。ニジェールでは娯楽があまりないので、映画や日本のテレビ番組を観たり、日本から持ってきたピアノを弾いたりして息抜きをしています。また、どんな人にもメンタルの好調・不調の波があると思います。今はディファ支所に移ったばかりで環境変化への適応や現地について勉強する「守り」のタイミングですが、焦らず目の前のことに向き合い、タイミングが来たら「攻めて」いきたいです。
どれだけ優秀な人でも、病気に罹ったら一度そこでキャリアが中断され、家族に心配や迷惑をかけるだけでなく、組織にも負担がかかります。自分の限界を知り、必要あれば一歩下がることも大切ですし、メンタルケアは組織としても積極的に取り組んでいくべき問題だと思っています。
鈴木:本日は貴重なお話をありがとうございました。中長期的なキャリアプランを教えてください。
松浦:この仕事をしている以外の未来が今は全く想像できないです(笑)。開発の仕事は人々の選択肢を増やす手助けだと思っています。中長期的にこの仕事を続けていくために、目の前のことに一つひとつ真摯に向き合っていきたいです。
鈴木:最後に、国際協力を目指している方に向けてメッセージをお願いします。
松浦:国際協力への情熱を持つことは大事ですが、援助の外交ツールとしての側面がより顕著に表れている今、時代の潮流を読む観察力、そして変えていく行動力が必要になっていくと思います。今後ODAが減少していく中で、援助のあり方についてしっかりと自分で考え、価値を提供できることが必要だと、自分にも言い聞かせています。