インタビュアー:Masako Matsumoto (King’s College London)
今回キャリアインタビューを実施したのは、国際労働機関(ILO)駐日事務所にて「ビジネスと人権」の専門家として活躍されている鴨下 真美(かもした まみ)様です。新卒で日産自動車のグローバル購買部署に入社し、その後、日本経済研究所にてクロスボーダーM&Aのファイナンシャル・アドバイザーとして、日本企業の東南アジア進出支援に従事されました。その後、イギリスのUniversity of Sussexにて「Migration and Global Development MA(移民とグローバル開発)」の修士号を取得し、現在のキャリアに進まれました。民間企業やコンサルタントとしての経験は、国際機関での現在のキャリアにどのように繋がっているのでしょうか?本インタビューでは、「ビジネスと人権」の推進を通じて、労働者の権利保護と持続可能な社会の実現を目指す鴨下さんの国際協力への想い、キャリアの選択、今後の展望について詳しく伺いました。
松本:本日はインタビューをお引き受けいただき、ありがとうございます。まずは、鴨下さんのこれまでのご経歴と大学院でのご専攻について教えていただけますか?
鴨下:はじめまして、鴨下真美(かもした まみ)です。早稲田大学国際教養学部を卒業し、新卒で日産自動車のグローバル購買部署に入社しました。その後、日本経済研究所に転職し、クロスボーダーM&Aのファイナンシャル・アドバイザリーとして、日本企業の東南アジア進出を支援しました。そして、国際協力の分野で専門性を深めたいと考え、イギリスのサセックス大学大学院でMigration and Global Development MAの修士号を取得しました。大学院在学中に就職活動を行い、ILO駐日事務所でインターンとして勤務した後、正規職員として採用され、現在に至ります。
松本:鴨下さんが国際協力や移民・開発といった分野に関心を持つようになったきっかけを教えてください。
鴨下:様々な要素が絡んでいますが、幼い頃から「世界の不公平さ」を実感する経験が多くありました。小学生の時にモロッコを訪れた際、物乞いの女性に追いかけられたことや、エジプトで蛇口をひねると茶色い水が出てきたことに大きな衝撃を受けました。その時、「自分は日本で生まれ、恵まれた環境で育っているのだ」と初めて実感しました。大学時代にはバックパッカーとしてギリシャを訪れた際、欧州を目指して移動する中でパスポートを取り上げられ、路上で生活する10代のアフガニスタン難民の方と出会いました。学校の外、独学で学んだ英語で流暢に話す彼の話を聞く中で、「もしこの人が適切な教育を受け、安定した仕事を得られていたら、人生はどう違っていたのだろう」と考え、不平等の根深さを痛感しました。
多くの開発の領域の中でも大学院で「移民・難民」というテーマを選んだのは、大学院進学前に参加していた社会人ゼミで最も関心を持った分野だったからです。振り返ってみると、学部時代からDiaspora(ディアスポラ)やEthnic Studies(民族研究)といった授業を履修していましたし、小さい頃にイギリスのウェールズで現地校に通っていた経験も影響していると思います。当時、自分の出身国について周囲の人がほとんど知らないことに戸惑いを感じ、自分自身がマイノリティとして生きることの難しさを体感しました。こうした経験を重ねる中で、「移民・難民」というテーマは自分の人生において常に大きなキーワードだったと気づき、この分野に携わりたいと強く思うようになりました。
松本:前職を選ばれた理由や、その決定の背景について教えていただけますか?
鴨下:もともと国際開発の分野でキャリアを築きたいと考えていましたが、社会の大部分の人が民間企業で働いている中で、ビジネスが持つ役割や影響力、そして意思決定のプロセスを理解することが重要だと思いました。私が就職活動をしていた当時、ちょうどサステナビリティやSDGsの概念が広まり始め、国際開発と民間企業の連携が注目されていた時期でもありました。そうした背景もあり、まずはビジネスの世界で経験を積もうと決めました。
ファーストキャリアとして日産の購買部門を選んだ理由は三つあります。第一に、フランスのルノーとの提携や、世界各国の拠点との人材交流から多種多様な国籍の方が勤務する国際的な環境で働けること。第二に、購買業務では現地の工場やサプライヤーと直接関わるため、工場の労働環境の改善に貢献できる可能性があること。第三に、ビジネスにおける意思決定の流れや調達の仕組みを学べる環境だったことです。こうした理由から、日産を就職先として選びました。
その後、より国際開発に近い分野に進みたいと考え、日本経済研究所に転職しコンサルタントとして勤務しました。特にM&Aアドバイザリー業務に興味を持ったのは、M&Aが広義の開発の一環だと考えたからです。先進国のノウハウや資金を新興国に導入することで、企業の成長を促し、新たな雇用を創出するプロセスに関与できると感じました。また、再エネ投資や食農分野のインパクト投資など経済面での開発に携わる機会も多く、民間の立場から開発に貢献できる手段としては最適だと考え、この分野へと進みました。
松本:なるほど。初めから国際開発を志していた中で、ビジネスの視点を持つことが大切だと判断されて民間企業に進まれたのですね。そうした経験が、現在のお仕事にも活きていると感じることはありますか?
鴨下:はい、民間での経験は現在の業務にも直結していると実感しています。特に、現在ILOで担当している業務の一つに、民間セクターへの働きかけがあります。そのため、企業がどのように意思決定を行い、どのような優先順位で行動するのかといった内部プロセスを理解していることが大いに役立っています。
現在はビジネスと人権に関する啓発活動にも取り組んでいますが、以前購買部門で働いていた経験があることで、企業の調達プロセスの実態やサプライチェーンの仕組みを深く理解できています。そのため、企業に対するアプローチの際に、現場の視点を踏まえた議論ができるのは強みだと感じています。
また、コンサルタントとして働いていた時期に、様々なステークホルダーを巻き込む経験を積みました。クライアント企業だけでなく、売り手企業の経営陣やその株主、弁護士や会計士、税理士の先生方と連携しながらプロジェクトを進める中で、ファシリテーションスキルを磨くことができました。これも、現在の業務で多様な関係者と協働する際に非常に役立っています。さらに、民間企業はスピード感があり、特に日本の企業では業務の正確性やきめ細かな対応が求められるため、そこで社会人として鍛えていただけたことも今に活きていると思います。
松本:企業の内部を知ることで、民間との連携が求められる国際機関の仕事にも活かされているのですね。とても興味深いです。
松本:次に、鴨下さんが大学院進学を決意された背景と、イギリス、そしてサセックス大学を選ばれた理由を教えてください。
鴨下:もともと国際開発のキャリアを築く上で、大学院進学は必須だと考えていました。その中でせっかくなら海外の大学院で学び、授業だけでなく、現地でのボランティアやインターンシップを通じて実践的な経験を積みたいと思い海外の大学院に行こうと思いました。当初、ヨルダンやエジプトの大学院で難民研究を行おうかと考えていましたが、お世話になっていた研究者の先生に中東の研究者になる予定でないのなら、キャリアの幅を広く持つためにあまり最初から地域に特化するよりも、世界中から優秀な学生や教授が集まる、開発学の歴史が長い国の方がいいのではというアドバイスをいただきました。悩んだ結果、開発学の歴史が長く研究が盛んなイギリスを選びました。
サセックス大学を選んだ理由は、開発学系の学部が4つもある、開発学を専門とする大学であり、多様な開発分野の研究者や学生と繋がれる環境だったからです。ビジネス×国際開発のテーマで研究したいと伝えた際に、他の大学からは「それはうちじゃなくてビジネススクールじゃないの?」といわれ続けた中、「面白いね、hot topicだからうちなら色んな学部でできると思うよ!」と言ってくれる懐の広い新しい物好きな大学で、そこも決め手でした。分野横断的な学びを大事にしており、学部を超えた選択科目が多くあるところも、自分の専門分野に限らず、さまざまな領域で活躍する学生とのネットワークを広げることで、学問的な視野を広げられると思いました。実際、在学中に出会った友人の中には、現在国連の別の機関で働いている人もいて、今でも仕事の相談ができる関係が続いているのはとても嬉しいです。
松本:実際にサセックス大学で築かれたつながりが、現在のキャリアにもつながっているというお話はとても印象的ですね!確かに、私も大学院の授業が始まった初日に、教授から「今このクラスにいるクラスメイトは、将来の同僚になるかもしれない」と言われたことを鮮明に覚えています。大学院は単に学問を深める場ではなく、将来のキャリアにおいても支え合える関係を築ける場所なのだと感じました。では、大学院での勉強や活動の中で、特に印象に残っている授業や経験はありますか?
鴨下:いくつか印象的な経験がありますが、一番驚いたのは教授のファシリテーションの巧みさでした。特に、異なるコースから集まる開発学の学生が参加する授業では、教授が学生一人ひとりの発言を記憶し、それを次の議論につなげることで、より有機的で深いディスカッションが生まれるよう工夫されていました。これは、現在の仕事で企業向けにプレゼンテーションをする際にも役立っていると感じます。
また、大学ではセミナーやシンポジウムが頻繁に開催され、教授自身が進行中の研究について話される機会が多くありました。研究者同士の議論を直接聞くことで、研究が実際にどのように発展していくのか、また、トラブルが発生した際にどのように対応するのかを学ぶことができました。さらに、ストライキ中のデモ隊にインタビューを行う「青空授業」といった、実践的な学びの場もあり、現場に出て直接話を聞くことができました。
大学院での学びは、現在の仕事に直結している部分が多くあります。特に、大学院時代に執筆した「強制労働の定義」や「脆弱性」に関するレポートを通じて、ILOの定義や国際的な枠組みを深く理解する機会を得ました。こうした知識は、国際機関での業務を進める上で重要な基盤となっています。また、アカデミックな研究を通して培った批判的思考力も、現在の業務においても大きな強みになっていると実感しています。この視点を持つことで、特定の立場だけでなく、第三者的な視点も取り入れながら仕事を進めることができ、バランスの取れたアプローチができるように意識しています。
移民と開発MAのクラスメイトたち、バックグラウンドも年齢も多種多様でした
松本:次に、大学院終了後、ILO駐日事務所を就職先として選ばれた理由や、その決定の経緯について教えてください。
鴨下:
国際機関の中でどの組織に進むか悩んでいたとき、自分が最も関心を持っていたのは「ビジネスと開発の狭間」の分野でした。その中で、ILOは唯一、政府・使用者(企業)・労働者の代表から成る三者構成機関であり、ビジネスセクターとの関わりが強い点に魅力を感じました。企業の行動やサプライチェーンにおける労働環境の改善に直接関与できる立場で働けることが、自分の志向に合っていると考え、ILOを選びました。
松本:現在のポジションにはどのように応募されたのですか?
鴨下:最初はインターンとしてILO駐日事務所に入りました。インターンの間、自分の担当プロジェクトだけでなく、他のプロジェクトにも興味を持ち、できる範囲でサポートをするようにしていました。その中で、たまたま自動車関連のサプライチェーンに関するプロジェクトがあり、これは関心のある分野だったので、自分の経験を活かしたいと伝え、お手伝いさせていただきました。その仕事を評価していただき、ちょうどそのプロジェクトで空きポジションが出た際に応募してみませんかと声がかかり、公募審査の結果、正規職員として採用されました。
松本:現在、鴨下さんはILO駐日事務所で具体的にどのようなプロジェクトに従事されているのでしょうか?
鴨下:私は「アジアにおける責任あるバリューチェーン構築」プロジェクトのオペレーションオフィサーを務めています。このプロジェクトは、経済産業省の拠出を受け、ビジネスと人権の推進・啓発を目的としたものです。主な業務は大きく三つあります。
企業に対する人権デューデリジェンスの推進・啓発
企業向け、特に中小企業を対象にした研修やセミナーを企画・運営しています。また、社会保険労務士向けの研修も行い、企業が適切な労働環境を整えられるよう支援しています。
ビジネスと人権、責任ある企業行動を促進するための環境づくり
企業・労働組合・政府の代表を交えた対話の場を設け、労働組合の役割や、企業がどのような方向性を取るべきかについて議論を促進しています。具体的なアクションにつなげるための働きかけを行っています。
広範的な啓発活動
ビジネスと人権に関するガイダンスやパンフレットを作成し、企業に向けた啓発を進めています。また、e-learningコースを作成し、より多くの企業が自主的に学べる環境を整えています。
参考: 国際労働機関(ILO)「アジアにおける責任あるバリューチェーン構築 ~ビジネス活動におけるディーセント・ワークの促進を通じて~」
松本:国際機関での仕事は政府や民間企業を巻き込んだ取り組みも非常に多いのですね。ILOが多角的なアプローチを通じて、企業や労働組合、政府と連携しながら課題に取り組んでいる点が非常に印象的です。それでは、民間企業でのご経験を踏まえて、鴨下さんは国際開発の分野における国際機関と民間企業の違いをどのように感じていますか?
鴨下:一番の違いは、国際機関には「利益」という明確な指標がないことだと思います。そのため、自由度が高く、さまざまな取り組みができる反面、具体的な成果をどう示すかが難しい部分もあります。
また、国際機関の仕事では前例のないことに挑戦する機会が多く、自ら事例を探し、ゼロから作り上げていくことが求められます。その分、発想力や新しいアイデアを模索し、提案していく力が必要になります。
松本:民間と国際機関の両方を経験されているからこそ、それぞれの長所を活かしながら、より実効性のあるアプローチを模索されているのだと感じました。最後に、鴨下さんの今後のキャリアプランについて教えてください。
鴨下:直近で、JPO制度に挑戦しようと考えています。これまで学んできた移民・難民と就労の分野に、現在取り組んでいるビジネスと人権の視点を掛け合わせることで、より広い視点から貢献できるのではないかと思っています。
ILOインターンを始めた週に撮った記念写真
ILO正規職員に登用された時のウェルカムランチで、レストランがサプライズのサービスで出してくれたILOカフェオレ
松本:本日は貴重なお話をありがとうございました!最後に、イギリスの大学院進学に興味を持っている皆様、そして開発学や国際協力を目指している皆様に向けてメッセージをお願いします。
鴨下:私からは、特に三つのポイントをお伝えしたいと思います。
まず一点目は、「興味のある分野には迷わず飛び込むこと」です。自分が関心を持っている分野にすでに携わっている人がいたら、その世界に飛び込んでみるのが一番の近道だと思います。例えば大学院進学を後押ししてくれた、国際開発の社会人ゼミでは興味があることを学ぶだけでなく、実際に今その分野で働いている人から業務内容やこれまでのキャリアパス、今後目指している先についてお伺いし、関心分野についてその道の専門家と議論することで見える景色が変わりました。また、関心分野にすでに携わっている先輩方の価値観に触れて、こんな人と働きたい、同じ世界を目指すためにその分野の専門性を深めたいという確信や決意につながり、次に進むべき道がより明確になりました。
二点目は、「国際機関への道を広げるために、少しでも関わってみること」です。私自身、民間企業で7年間働いた後にキャリアチェンジをしましたが、今までの経歴と国際機関の職務内容の遠さからつながりを見つけることに苦労し、今も履歴書とにらめっこしながら次のキャリアパスについて考え続けています。少しでもつながりをつくるためにNPOでの週末のプロボノ活動、ボランティアや国連でのインターン、ボランティアなど、どんな形でも良いので、まず国際開発や国際機関の世界に足を踏み入れてみることが大切だと思います。一度中に入ってみると、ネットワークが広がり、次のキャリアにつながる道が見えてきます。
三点目は、「キャリアチェンジを楽しむこと」です。すでに民間企業などでキャリアを築いている方にとって、新しい分野への転職や国際協力の世界に飛び込むことは不安かもしれません。しかし、変化を楽しみ、柔軟に適応する力は、どんな環境でも求められる重要なスキルです。また、国連機関のキャリアは永遠にキャリアと向き合い、転職活動を数年おきに続けることが求められるので、それを楽しめるかどうかも適性の一つになります。挑戦を続けることで、新しい道が開けてきて、思わぬ方向に人生が進んでいくのも、面白いのではないでしょうか。
迷ったら、ぜひ一歩踏み出してみてください。