インタビュアー:伴場森一 (London School of Economics and Political Science 修了)
今回はIDDP運営メンバーのアルムナイで、University of Sussexの Institute of Development Studies (以下、IDS) で学ばれていたILO (国際労働機関)インドネシア勤務の敦賀一平 (つるが いっぺい) 様と、WFP (国連世界食糧計画) マラウィ事務所及びラオス事務所で勤務していた田才諒哉 (たさいりょうや) 様のお二人にインタビューを実施しました。IDSでの学びや国際機関での勤務を通した学びや工夫について伺いました。
※TOP写真は、アメリカでSDGs採択時の様子(敦賀様ご提供)
・敦賀:現在、ILO(国際労働機関)ジャカルタ事務所で勤務しています。今のポストに就いておよそ5年ほどですが、コロナ禍の2020年から約2年間は日本でリモート勤務をしていたので、実際にジャカルタに住んでいるのは3年ほどです。主に社会保障政策に関わる業務を担当しています。したがって、ILOとしては合計10年程度勤務しています。
なお、IDSで修士号を取得してから、2010年から2016年までJICA職員として勤務していました。その後転職し、現職に至ります。これまでのキャリアは合計するとおおよそ15-16年です。
・田才:現在は株式会社坂ノ途中という、京都に本社を置くスタートアップに所属しています。国内では有機野菜の定期宅配事業を行い、海外では「海ノ向こうコーヒー」という名称でコーヒー事業を展開しています。現在34カ国から、質が高くトレーサビリティの確保されたスペシャルティコーヒーを仕入れ、日本のロースターに販売しています。最近は韓国やインドネシア、タイなどにも販路を広げています。
また、コーヒー生産地の多くが開発途上国の農村・貧困地域であることから、国際機関と連携してコミュニティ開発に関わるプロジェクトなども行っています。
・敦賀:2007年頃に大学院進学の準備を始めました。具体的な出願校はすべては覚えていませんが、候補に挙げていたのはロンドン大学SOASやThe University of Manchesterなどです。当時、Tufts Universityの経済学部にも開発学関連のコースがあり、そこも検討した記憶があります。
最終的にはIDSの「貧困と開発」プログラムに進学しました。私はそのプログラムの2期生でした。アメリカの大学は出願しておらず、イギリスの大学だけを検討していました。IDSに進学したのは、当時は今のように情報が多くなく、インターネットも十分に整備されていなかった時代でした。開発学といえばSussexというイメージが強く、それが一番大きな理由でした。
また、自分は日本のいわゆるメインストリームの名門大学を出たわけではなかったので、オックスフォードやケンブリッジ、LSEのような大学を目指すという発想はありませんでした。むしろ、少し主流から外れた場所に惹かれる気持ちもありました。行ってよかったと思いますし、選択は間違っていなかったと感じています。
なお、イギリスのみに出願した理由は大きく2つです。
まず経済的な理由です。2年制のアメリカの大学は授業料や生活費も高く、1年制のイギリスの方が費用面で圧倒的に安かった。当時のイギリスの授業料は年間7,000〜9,000ポンド程度で、今よりもずっと安かったのも決め手になりました。私は学部卒業後すぐに進学したので、親に学費を出してもらいましたが、卒業後は早く就職して費用を返そうという気持ちもありました。そのためアメリカは現実的な選択肢にはなりませんでした。
もう一つの理由は、他地域の大学について当時は情報が非常に少なかったことです。イギリス以外を検討すること自体が難しかったというのが現状です。
・田才:正確には覚えていませんが、私は2018年に入学したので、2017年ごろに出願しました。East AngliaとLSEは検討していて、UCLも候補でした。UCLにはアフリカでの短期プログラムが組み込まれたコースがあり、興味を持っていました。
ただ、SussexのIDSのDevelopment Studiesコースの合格が早く決まり、最終的にはそちらに進学しました。イギリスの大学しか考えていなかったので、出願もイギリス国内のみでした。したがって、深く悩んだわけではなく、敦賀さんと同じく、開発を学ぶならSussexだろうと思って進学しましたが、結果的に本当に行ってよかったと思っています。
なお、私もイギリスにしか出願しなかったのですが、私の場合も理由は敦賀さんに似ています。もともと国際機関職員を目指すために大学院進学を決めたので、大学院はあくまで通過点という感覚でした。短期間で修士号を取れる方がいいと考え、英語で勉強できる環境という点も重視しました。
また、授業料の問題も大きかったです。私は奨学金を利用せず、社会人として貯めたお金で進学したので、アメリカの大学は金銭的に現実的ではありませんでした。その反面、イギリスであれば何とかなるだろうという判断でした。
注 : IDS (Institute of Development Studies) : University of Sussexに所属する研究・教育機関(University of Sussexとは別の機関)。修士課程と博士課程がある。
・敦賀:私の時代で印象的だったのはロバート・チェンバース(Robert Chambers)先生の参加型ワークショップです。当時は土日に開講され、開発学専攻以外の学生も参加できる、野外で行う授業で、ピクニックのような雰囲気がありました。日本ではなかなか体験できない授業スタイルで、とても新鮮で印象に残っています。
また、私は「貧困と開発」コースに所属していたので、開発経済学を使った貧困率の計算など、貧困を経済的な数値で可視化する授業を受けました。当時はまだそのような指標の扱いは一般的ではなく、国連機関の統計を実際に計算する経験はとても新鮮で面白かったです。
さらに、現在の仕事にも役立っている授業として、途上国や新興国の社会保障制度を学ぶ機会が挙げられます。
・田才:ロバート・チェンバース先生は、私の留学時でもすでに年齢は80代後半くらいでしたが、まだ授業をされていました。土日の集中講義で、外で行う授業もありましたね。IDSの学生はほとんど参加していて、他大学からの学生も少し来ていました。
授業として私が一番印象に残っているのは、修士論文のテーマにもつながったキャッシュトランスファー(現金給付)関連の授業です。敦賀さんが受けられた授業と同じ「貧困と開発」コースの必修科目の中で、条件付き・無条件のキャッシュトランスファーの事例を学びました。その授業がきっかけで現金給付に興味を持ち、研究テーマに選び、スーパーバイザーもその授業の担当教授にお願いしました。この授業はその後のキャリアにも直結した重要な経験でした。
・田才:特に「これを学びたい」というより、もう一度IDSで学びたいという気持ちの方が強いです。IDSは授業も面白かったのですが、同じ志を持った仲間が多く、カルチャーが自分に合っていました。
NGO出身の人や、グローバルサウスからの学生も多く、フィールド志向の人が多かった印象です。内容に関しては、開発学であれば自分で掘り下げていけばいいと思っていたので、場所としてもう一度IDSに戻りたいと感じます。それくらい大学院時代は充実していて楽しかったですね。
田才様:IDS留学時の様子
・敦賀:私の場合は授業に必死で取り組んでいたので、ネットワーキングはそこまで積極的にはしていなかったですね。ただ、IDDPのイベントにロンドンで何度か参加しました。今も続いているのかわかりませんが、当時は様々な大学の開発学を学ぶ学生が集まって交流する場でした。ただ、ロンドンまで行くのは交通費が高くて、日本円にして1万円近くかかった記憶があり、途中からはあまり行かなくなりました。
一方で、当時SussexにはJICAの研修や自己資金で留学している日本人の社会人学生も多く、彼らとかなり深く交流しました。業界経験のある方から直接話を聞けたのは貴重な経験でしたし、その後も業界で活躍している方が多いです。
また、イギリス政府のチーヴニング奨学金で来ていた各国の学生など、将来有望な人材が多く、彼らともサッカーやバドミントンを通して仲良くなれました。仕事に直結したネットワークではなかったですが、今でも続く貴重な人脈が築けたので、とても良い経験だったと思います。
・田才:私も、ロンドンなど、University of Sussexのあるブライトンの外でのネットワーキングはあまりしていませんでした。ただ、Sussexの中では頻繁にホームパーティーが開かれていて、コースメイトや様々な国の学生たちと交流していました。
その時に知り合った人たちが、数年後に国際機関や開発業界で働いていて、つながることもありました。Sussexは日本人学生も多く、留学中に築いた日本人同士のネットワークも今でも続いています。ほぼ全員が国際開発業界に残っているので、このつながりは非常に大きな財産ですね。
・敦賀:なかったですね。JICAでは正職員として6年間勤務しましたが、戻ろうと思ったことは一度もありません。やり切ったという気持ちで次のステップに進んだので、今でも未練はありません。
ILOでの仕事は常に不安定です。今でもパーマネント契約ではなく、自分やチームの契約は企画書を書いて資金を獲得しないと続きません。常に数ヶ月先、一年先を見据えながら仕事を回しています。ただ、これはILO特有の体制でもあると思うので、国際機関全体が同じとは限りません。
安定よりも「やりたいことをやれている」という感覚が大きく、それが続く限りはここで働くのだと思います。組織自体に特別な愛着があるわけではありませんが、今の働き方が自分には合っていますね。
社内起業のような立場におり、誰かに細かく指示されることはありません。一方で、自由にやらせてもらえる反面、結果の責任は自分で取らなければならないため、良い面も悪い面もあります。だからこそ半年後、自分がどこで何をしているか分からないという気持ちで常に仕事をしています。
・敦賀:はい、私はILOにはJPO試験を経て入りました。応募の段階では、世界銀行にも社会保障のJPO枠があり、東京事務所の方から応募を勧められて検討しました。ただ、先にILOの結果が出たのでILOに入り、その後は他機関を本気で考えることはありませんでした。
理由としては、私が専門にしようと選んだ分野がかなり狭いからです。社会保障の中でも、オペレーション現場ではなく政策寄りで、半分はリサーチも伴う上流の仕事です。そうなると、潰しが効きにくいのです。自分の専門が最も生きるのは、世界銀行かILOくらいだと感じています。
したがって、実際には他の機関へ移ることはほとんど考えませんでした。正直、ILOで仕事がなくなったら、この業界自体から身を引く可能性の方が高いと思います。常に仕事がなくなるリスクはありますが、その分、気持ちを切り替えやすいとも感じています。
・田才:JICA海外協力隊で国際機関で勤務ができるならWFP以外でも良いとは思っていましたが、実際に募集が出ていたのがWFPだったため、タイミング的にそこに応募しました。大学院に入る前にスーダンで駐在しており、その際にWFPと栄養改善のプロジェクトを一緒に行っていたので、WFPの働き方は何となく分かっていました。
大学院でもちょうどマラウイのキャッシュトランスファーを研究していたので、そのまま仕事につながると感じて応募し、幸い採用いただけました。結果として、行きたい国際機関の最有力がWFPで、かつWFPしか募集がないという、良い巡り合わせだったと思います。
・敦賀:ILOという名前から、組織として労働者に優しいのだろうと勝手に思っていましたが、実際には職員の契約が非常に短いことに驚きました。長時間労働という意味では日本の官公庁ほどではないかもしれませんが、短期契約で働くという点では、自分たちの安定を犠牲にしている面があると感じます。
良い仕事を続けながら生活を成り立たせるには、相応の工夫や運も必要です。他機関では上位のグレードに上がれば安定する見通しが立つケースもあると聞きますが、私の場合は十年ほど働いても劇的に安定するわけではありませんでした。大変だとは聞いていたものの、何がどう大変なのかは、中に入ってみないと分からなかった部分です。
採用についても、ILOは基本的に全ポストが外部公募で、筆記は氏名を伏せるブラインドマークです。内部で強く採りたい人がいても、筆記で落ちれば採れない。外向きには非常にフェアですが、その分、上位グレードの人が契約を失って下位グレードに応募し直すことも珍しくありません。内部公募はごく限られています。良し悪しはありますが、少なくとも形式的な公平性は担保されています。
・田才:JICA海外協力隊でWFPの事務所で勤務していたときも、JPOとしてWFPで勤務していたときも、ある程度予想していた通りのギャップはありました。国際機関で働く方々から事前に話を聞いていたので、覚悟していた部分もありますが、実際に働き始めると予想以上にギャップの幅は広かったですね。
具体的なエピソードで言えば、まず「個人主義的な環境」だということです。チームとして動いているように見えても、結局は個人プレーの世界であり、組織の制度面でも人を大切にしていないと感じる部分が多々ありました。
私個人の経験としては、尊敬できる人や本当に仕事ができる人は少なかった印象です。また、ストラテジックに語るのは上手でも、実際に現場で何ができるのか、プラクティカルな視点が見えていない人も多かった印象です。政府関係者だけを集めた会議も多く、資金の使い方に疑念を持ったり、現場の実態は置き去りにされていると感じることもありました。
そうした現実を知ることができたのは、他方で非常に良い経験だったとも思っています。その現実を踏まえたうえで、本当に意味のあることをどう実行していくかが大切だと強く感じました。組織としての体裁や立場を過度に気にするが故、個人としても受益者のための行動が十分に取れていないことも多いと感じますし、それは国際機関内外の関係者も理解していると思います。お互いに割り切った上で、意味のあることを着実にやるべきだと感じています。
田才様:WFP勤務時の様子
・田才:例えば、WFPの場合、コンサルタント契約の人がチーム全体を見るようなマネージャーレベルの業務を任されることが珍しくありません。
本来はPポジションのスタッフが担うべき業務を、より低コストでコンサルタントが代替しているという構図があり、それほどのタスクをこなしていても、IP(国際職員)と比べて十分な福利厚生などが得られないという現状があります。実際、コンサルタントの方々からも多くの不満を耳にしましたし、制度設計自体に課題があると感じました。結果的に、組織が人材を大切にできていないのではないかと思いました。
・敦賀:ILOの場合も似たような構造がありますが、特徴的なのは契約の極端さだと思います。ILOではサービスコントラクトなどの契約形態に対して厳しいルールがあり、基本的には正規職員以外がオフィスで常勤的に働くことはなく、業務はアウトプットベースの契約で限定的に行われます。そのため、契約の「グレーゾーン」のような働き方はあまり見られません。
一方で、その反動として正規職員の負担は非常に大きいです。サラリーキャップの影響で新たなスタッフを雇うことが難しく、少人数の職員で膨大な業務を回さなければなりません。結果として、一人で複数の役割を担うケースがほとんどです。
また、ILOはジュネーブ本部を中心にフランス文化の影響が強く、チームで仕事をするよりも個人で動くカルチャーが根付いています。自分で予算を確保し、外部のコンサルタントや大学の研究者などをプロジェクトベースで組み込んでチームを作りますが、彼らは組織に属していないため、知見やネットワークが組織に残りにくいのが現状です。
この環境は、やりたいことが明確で主体的に動ける人には向いていますが、チームワークを重視する人にはやりづらい職場かもしれません。組織への帰属意識よりも、自分の裁量と人脈を活かして働くほうが成果を出しやすい環境です。
・敦賀:はい、時々ありますし、頼まれることもあります。ただし、誰がその知見を持っているのかは自分で探さなければなりません。ILOには体系的なナレッジ・プラットフォームが整備されていないので、LinkedInなどの公開情報を頼りに「誰が何をやっているのか」を追いかける形ですね。
良くも悪くも個人の影響力が強い組織なので、国事務所や専門家の間で予算を取り合うような側面もあります。分野が細かく分かれているため、外部の専門家のプールも小さく、「自分が時間をかけて作成した提案書を他の人に簡単に使われるのは嫌だ」という人も多い印象です。提案書を書くこと自体を「自分のアセット」として捉えている方も多いですね。
敦賀様:ケニア滞在時の様子
・田才:一番の収穫は国際機関の実態を中から知ることができた点です。WFPでの3年間の経験で「国際協力とは何なのか」「自分がやりたいことは何なのか」をはっきり認識できました。その結果、今後のキャリアで迷わず進むための判断材料を得られたのは大きな財産です。
また、国際機関の仕組み、資金の流れやプロジェクト運営を理解できたのは貴重でした。現在の仕事でも、その仕組みを知っていることで戦略的な動き方ができます。現場で得た知識や経験が自分のキャリア形成の大きな資産になったと思います。
・敦賀:ILOは心地よい職場というわけではないですが、長年働き続けている理由はいくつかあります。
まず、ILOは三者構成主義という特徴を持ち、加盟国政府、労働組合、経済界の代表が議論し、投票してゴールを決めます。私たちの仕事は、その決定を実現するために国の制度を変えること。つまり何が正解なのかが明確であり、仕事の目的がはっきりしている点は魅力です。「なぜやるのか」という問いにも、ILOの枠組みを示せば説明がつきます。
また、業務の進め方に自由度があるのも良い点です。ゴールは決まっていますが、そこまでのプロセスは自分で決められますし、予算を確保すれば個人の裁量でプロジェクトを進められます。ILOは非常に個人主義的な組織なので、組織への帰属意識は薄い一方で自由度が高い環境です。私は組織にしがみつくタイプではなく、居心地の良さよりも権限の明確さや成果に直結する仕組みを重視しています。その意味で、ILOは自分の働き方に合っていると思います。
・敦賀:一人で黙々と仕事ができる人ですね。誰も頼りにならない環境の中で、自分で考えて動ける人が向いていると思います。
・田才:どんな理不尽なことがあっても「まあそういうものだよね」と受け流せる人。鈍感力の高い人です。
また、短期的に結果が出ることにやりがいを感じられる人が向いていると思います。緊急支援やキャッシュトランスファーの現場では、物資やお金を届けて直接「ありがとう」と言ってもらえるような即効性のある活動が多いので、その達成感を糧にできる人ですね。
さらに、大きな組織で大きなことをやっていることに、自分が関われることを誇りに感じられる人も向いていると思います。
・敦賀:ILOは逆かもしれません。小さい予算や少ない人員で進める政策の仕事なので、成果が目に見えないことも多いです。例えば、法改正や社会保障制度の改善は国会の承認や世論の動向に左右されますが、「それはあなたの成果ですか」と問われても即答できないことが多い仕事です。それでも、その過程や影響にやりがいを感じられる人は向いていると思います。ただし、一生やる仕事かどうかは人によるかもしれませんね。
ILOにはパーマネント契約の職員と、私のように自転車操業でプロジェクトを回しているスタッフがいます。パーマネント契約の職員の多くはそうした感覚を持っていると思います。
・敦賀:JICAに新卒で入って良かったのは、まず研修が非常に手厚い点です。これは昔ながらの大企業にも共通していると思いますが、総合職として入社すると社会人としての基本を徹底的に叩き込まれます。
自分ではやりたくない仕事や経験したことのない業務も一年目から任されますが、振り返るとこの経験が大きな財産になりました。中途採用ではこうした研修はありません。総合職として入ることで、あらかじめ整えられたレールの上を歩き、さまざまな部署を経験できるのは大きな利点です。人事や総務、契約管理、調達など、国際協力を志す人がなかなかやりたがらない業務も含めて組織の仕組みを理解できたことは今でも役立っています。
また、雇用が安定していることも大きなポイントです。常に就職活動をしなくても翌年の見通しを持ちながら落ち着いて仕事に集中できる環境は、キャリアのスタートとして価値があると思います。国際協力の現場で歯車の一つとして働く形ではありましたが、その分、腰を据えて仕事ができました。大きな組織で最初から経験を積むことには意味があると思います。
・田才:大学院に入る前、卒業後のキャリアの出口については複数の選択肢を意識していましたが、明確には決めていませんでした。国際機関で働きたいという思いがあり、JPO試験を目指すことを考えていましたが、イギリスの大学院卒業直後は受験できない仕組みで、その選択肢は外れました。
ほかには外務省の事業である「プライマリーコース」を通じたUNV派遣や、JICA海外協力隊から国際機関へのポジションを狙う方法などを検討しました。ただし、後者は募集の有無がタイミング次第なので計画は立てづらいものでした。
結局、進学前に細かく計画を立てるよりも、大学院での学びそのものに集中しました。入学前は勉強を軽視していた部分もありましたが、実際に始まってみると学びが非常に楽しく、研究や日常生活を充実させることに専念しました。
結果的にWFPのポジションがタイミングよくあり、キャリアにつながりましたが、これは運も大きかったです。周囲にも、大学院終了間際になって進路を決める人は多くいましたし、まずは大学院生活を存分に楽しむことが一番だと思います。
・敦賀:私は学生時代にNGOで二年半ほどボランティアを経験し、国内拠点を持ちながら海外支援を行う現場を肌で感じました。そのため「国際協力の現場で働く」という部分の解像度は比較的高かったと思います。
一方で、大学院で何を学ぶかという具体的なイメージはあまりありませんでした。学びは大学院での授業やディスカッション、そして働き始めてからの経験を通じて徐々に積み重ねていくものです。国際協力の仕事をキャリアとして選ぶのか、一般企業で働きながらボランティアとして関わるのかは悩みましたが、JICAに採用され給与を得ながら国際協力に携わる道を選びました。
キャリアの解像度は一度で決まるものではなく、学びや経験を重ねる中で少しずつ高めていくものだと感じています。
・伴場:私はある程度計画を立てるタイプです。まず5年後のゴールを決め、そのゴールに到達するために3年後・1年後までに何をするかを逆算して計画を立てます。その際、AプランがうまくいかなかったときのBプラン、さらにCプランも用意します。留学を検討していたときも、5年後のゴールは同じでもルートを複数用意して計画していました。
具体的には、LSE (London School of Economics)の修士課程に進学する前から既に国内の大学で修士号を取得していたので、当初のAプランは、フィールド経験を積んでから留学する「JICA海外協力隊 →イギリスの大学院 → 国際機関」というルートでした。しかし2020年の協力隊選考はパンデミックで中止になり、私はBプランへ切り替えました。BプランはJICA海外協力隊を除いた「イギリスの大学院 → 国際機関」という流れで、このプランで進めました。なお、Cプランとして「イギリスの大学院→コンサルティングファーム→国際機関」というのも用意していました。
修士課程に入った後にこの5年計画をアップデートしました。クラスメイトや卒業生との交流を通じて、修士課程後の計画をいくつか立てたのです。
LSE入学後、それまでの職歴では、Bプラン「イギリスの大学院 → 国際機関」は少々厳しいとわかり、修了後はほかの組織で更に経験を積んでから国際機関に応募することを考え始めました。
私はLSEに入る前から「国際機関でHRの仕事をしたい」という思いがあり、前述の通り、Cプランとして修了後はコンサルティングファームでHR系のプロジェクトをしたり、グローバル企業でHRの経験を積むことも選択肢として考えていました。ただし、そのルートだと、国際開発の現場から遠ざかるのではないかという懸念がありました。国際機関で勤務しているLSEの先輩からもそれを指摘され、また、フィールドでの経験を積むことを推奨されました。
その後、LSEの修士課程の修了前、JICAの在外事務所で自分の経歴と条件が合致しているポストの募集を見つけ、徹底的に準備して選考に臨んだ結果、採用されました。そしてJICAで勤務中、応募したUNICEFの事務所からオファーをもらいました。それが私が今現在勤務している職場です。クラスメイトや卒業生との交流を通じて計画をアップデートした結果が今のキャリアにつながっています。
したがって、回答としては、キャリアプランの解像度を高めるには、一人で悩まず、時には人に話を聞くことが大切であるということです。ある程度先を見据えつつ、卒業生やクラスメイト、これまでに出会った信頼できる方々に意見を求めながら、キャリアプランを柔軟に修正していくのがよいと思います。
・敦賀:私は今もキャリアに悩んでいますが、今の時代はいろいろな国際協力の関わり方があるため、絞りすぎず挑戦してみてほしいと思います。挑戦してうまくいかなければ方向を変えればよいですし、それは後退ではなく方向転換です。積み重ねてきた経験は必ず次のキャリアにつながります。
これまでの経験を振り返っても後悔はなく、常にチャレンジを続けながら前進してきました。公的機関や国際機関に限らず、今はさまざまな形で国際協力に関わる道があります。国連などの国際機関も大きな変革期にありますが、そうした中でもその時々で自分が何をすべきかを考えればよいと思います。迷わず行動し、積極的にチャレンジしてください。
・田才:イギリスの大学院に興味がある方には、IDSを強くお勧めします。明確に学びたい分野がある人はその道を進めば良いですが、「とりあえず国際開発を勉強したい」という方には、IDSはどのような形でも自分のキャリアをアピールできる価値の高い大学院です。ブライトンという街も素晴らしい環境ですし、行って損はないはずです。
また、国際開発に関わる道は多様化しています。私は今は民間企業に所属しながら国際開発分野に関わっていますが、非常にやりがいがあります。大学院や現場経験を通じて視野を広げることで、自分の得意分野ややりたいことを見つけられるはずです。
私の考え方は、「まず一歩踏み出して視野を広げる」ことです。人間が見える地平線は4キロ先までだそうですが、一歩進めば次の4キロが見えてきます。キャリアも同じで、まず進むことで新しい選択肢が見えてきます。
まとめると、とりあえずIDSへ(笑)