曾祖父の一生
一生シリーズ 第三弾
一生シリーズ 第三弾
私の曾祖父(源内)は菊地家が絶頂期の頃、菊地家に婿入りしました。
家柄が釣り合うというくらいの理由で家同士が話し合い決められた結婚だと思われます。当時はどこの家でもそんな時代でした。
曾祖父の相手は菊地家の長女でした。聞いたところによると菊地家では代々男女問わず、そこの家に先に生まれた者が家を継ぐというしきたりがあって、曾祖母が家を継ぐために曾祖父を迎えたのです。
曾祖父は菊地家に来て早々、材木を江戸まで売りに行かされました。材木問屋、酒家、農家と大忙しの状態でしたので否応なしだったのかもしれません。また、曾祖父にはそれだけの才能を持ち合わせていたからかもしれませんが。
使用人が大勢いる中で曾祖父も材木を切り出す作業の一員に加わり、馬車一台分をまとめて江戸へと向かいます。まずは馬車で鬼怒川へ、そこから今度は船で荒川を下り江戸へと向かいます。
婿という立場上最初は真面目に売り上げ金を家に入れてました。しかし、途中でちょっと一杯、一杯が二杯、三杯となり、酒にとどまらず女郎買いとなり、江戸のキレイなお姉さんに狂ってしまったのです。借金をしてまでのめり込んでしまいました。向こうの思うツボです。
借金が重なり土地は人手に渡り、酒蔵、馬車、馬、刀等々、金目の物は全て無くなりました。曾祖父の実家からも相当な援助をして貰ったと聞いています。
何も無くなり菊地家にいた者は家にも居られなくなって、家族はバラバラに。そうです。曾祖父は菊地家を崩壊に導いた張本人なのです。
ここで曾祖父の実家を紹介します。
菊地家から東に二キロ弱のところに大田原家があります。大田原家は「大家(おおや)」という屋号で、お寺の住職と修行僧のお世話をする女性を何人も住まわせている家でした。
今では住職たちも一般の人たちと変わりなく奥さんを迎えられますが、その頃は禁制でした。そのために少し離れた所に女性を囲っていたのです。正妻となれず一生を其処で終わらせた人もいました。その人たちのお墓を見せてもらいましたが、小さな石が数個チョコン、チョコンと置いてあるだけでした。勿論名前は刻まれてはいません。そのお墓を今も大田原家が大切に守っています。
「大家」の周りには「扇屋」「染屋」「問屋」「鍛冶屋」と、この辺一帯がかなり栄えていたことが窺えます。地名は「百村(もむら)」といい、その名の通り小さな部落が何ヶ所も集まって「百村」となりました。その百村に東寺、西寺の二ヶ所の寺が現存しています。西寺の檀家になるのが菊地家、大田原家などであり、いわゆる鴫内(しぎうち)、湯宮(ゆぐう)、本田(ほんでん)、新田(しんでん)になります。
この手記を始める一年位前、偶然に大田原家の家族と話をすることが出来ました。そこで大田原家の成り立ちなどを聞いたのです。まさか曾祖父の記録を残そうなどその時は思ってもいなかったのですが。
話はそれましたが、当然曾祖父も菊地家には居られず、行方知れずになってしまいました。どんな最後だったのか、ある意味可哀想な面もありますが、身から出た錆、仕方ないと思います。こうして曾孫(ひまご)の代まで語り継がれて思います。曾祖父はあの世で楽しく過ごせているのだろうか、成仏できただろうか。
どんな人であったとしても家族なのですから、そして何十年、いや百何十年も経ったことです。すでにもう誰も恨み、つらみは持ってはいないでしょう。せめて後に続く者がしっかりと生き、穏やかに過ごせていければそれで良いと思っています。それが曾祖父への何よりの慰めになってくれれば幸いです。