Research projects

はじめに

持続可能な社会を実現していく上で、生物資源の持続可能な利用は最も重要な課題の一つです。しかし近年、生物資源の供給元である生物多様性が急速に失われつつあり、その保全は急務であるといえます。生物多様性保全のためには、生物多様性の正確な記載(分類学)、生態系における生物間相互作用の理解(生態学)、さらに生物の遺伝子レベルでの多様性および適応の解明(遺伝学・進化生物学)などを進めていく必要があります。私自身は、おもに進化生物学の立場から、魚類をおもな研究対象として、生物の適応進化や種分化について研究を行っています。 

1. 魚類および脊椎動物の嗅覚・味覚システムの多様性と進化に関する研究 

嗅覚は化学感覚の一つで、鼻腔内の嗅上皮に発現する受容体タンパク質である嗅覚受容体によって、環境中の化学物質を認識しています。脊椎動物は非常に複雑な嗅覚系を持ち、数百から1,000種類以上の嗅覚受容体を組み合わせることで、多様な匂いを識別しています。これまで、複数の魚類および陸上脊椎動物のゲノム解析および遺伝子発現解析から、魚類の嗅覚受容体が、哺乳類と比較して遺伝子間の違いが大きいことや(Hashiguchi and Nishida 2005, 2006)、魚類で特異的に多様化した嗅覚受容体の一群が存在することなどを明らかにし(Hashiguchi and Nishida 2007)、脊椎動物の嗅覚システムの進化に関する新たな仮説を提唱しました(Hashiguchi and Nishida 2007; Hashiguchi et al. 2008; Hashiguchi 2016)。

また味覚は、嗅覚と同様に膜貫通型の受容体タンパク質である味覚受容体によって、餌などに含まれる化学物質を認識しています。私たちは、トゲウオ科の小型魚類であるイトヨの味覚受容体遺伝子の一種T1R2で、この種に特異的な多様化と適応進化の証拠を見出しました(Hashiguchi et al. 2007)。 

図1. ゼブラフィッシュV2R-type嗅覚受容体遺伝子の分岐関係と、染色体上の位置との関係 (Hashiguchi and Nishida 2005を改変)

脊椎動物の嗅覚受容体には、進化的 に異なる4つのグループ (OR, TAAR, V1R, V2R)が存在します。魚類における各グループの嗅覚受容体遺伝子ファミリーの分子進化パターンの比較から、それぞれのグループが異なる 機能を持つことを示唆しました (Hashiguchi et al. 2008)。

図2. 魚類の嗅覚受容体遺伝子ファミリーの遺伝子系統樹 (Hashiguchi et al. 2008).

2. タナゴ亜科魚類をモデルにした種分化の分子基盤に関する研究 

タナゴ類はコイ科タナゴ亜科 に属する淡水魚類で、国内では本州以南の河川や水路・湖沼などに分布しています。タナゴ類は、二枚貝のえらの中に産卵を行うという特異な繁殖生態を持っています。西日本の多くの河川で同所的に生息するヤリタナゴとアブラボテという近縁な2種のタナゴ類について、それらの遺伝的集団構造や種分化について調べています (Hashiguchi et al. 2006; Hashiguchi and Nishida, 2009)。現在、2種の交雑個体を判別する分子マーカーの開発および野生集団での交雑個体の検出(Hata et al. 2023)、ヤリタナゴとアブラボテの繁殖に関わる形態・行動形質の詳細な比較、2種の過去の交雑に由来するゲノム領域の探索などから、タナゴ類の種分化に関わる形質の遺伝的基盤の解明を目指して研究を進めています (橋口,  2018も参照)。

3. タナゴ類では、複数の近縁種が同じ場所に共存する(福岡県にて).

3. 機能遺伝子の種内変異に着目した絶滅危惧生物の保全遺伝学 

近年、多くの絶滅危惧生物で、個体数の減少に伴う遺伝的多様性の低下が問題になっています。遺伝的多様性の低下は、有害変異の蓄積や環境変動への適応力の低下(=進化可能性の喪失)の原因となり、種の絶滅を引き起こす可能性が指摘されています。一方、多様性の低下により有害効果が生じる具体的な遺伝的要因には、不明な点も多くあります。そこで、絶滅が危惧される複数の生物種でゲノム解析を実施し、ゲノムレベルの多型を詳しく解析することで、その生物の遺伝的多様性を明らかにすると同時に、有害変異や進化可能性に関連する遺伝的要因を同定し、それらの機能的役割を調べています。その成果を、より有効な絶滅危惧種の保全戦略に繋げたいと考えています。

この研究分野の最近の成果の一つとして、捕食性の大型魚であるアカメのゲノム解析から、アカメの遺伝的多様性がきわめて低い一方、ゲノム内には複数の高い多様性を示す領域が存在し、そこには主に免疫に関わる遺伝子が存在することなどを明らかにしました(Hashiguchi et al. 2024)。 

図4. アカメ(幼魚)

図5. アカメの遺伝的多様性(塩基多様度)はきわめて低く、トキやマウンテンゴリラなどと同等である(Hashiguchi et al. 2024より作成)

4. その他(共同研究)

その他共同研究で、爬虫類の分子系統 (Jonniaux et al. 2012; Kumazawa et al. 2014)、爬虫類の嗅覚受容体遺伝子の進化 (Dehara et al. 2012)、九州-南西諸島の淡水魚の系統地理(鹿野ほか, 2012など)、フグ毒に関連する遺伝子群の分子進化 (Oba et al. 2011; Hashiguchi et al. 2015; 大嶋・橋口, 2023)、寄生性ハリガネムシにおける宿主の行動操作の分子機構 (Mishina et al. 2023)、日本に分布するドジョウ類の分子系統と新種記載 (Nakajima and Hashiguchi 2022)、インドネシア・スラウェシ島に分布するメダカ属魚類の分子系統 (Mokodongan et al. 2018; Montenegro et al. 2019など) 、イタセンパラの保全ゲノミクス(Onuki et al. 2024)、淡水および汽水に生息する魚類の系統地理やRNA-seqによる分子系統(Takeshima et al. 2016; Ito et al. 2024など)、などの研究にも関わっています。また、医科大学に所属していますので、医学部の先生方との共同研究で、基礎医学・臨床医学に関わる仕事も行なっています(Okayama et al. 2018; Kagota et al. 2019; Naruoka et al. 2024など)。