山里のアケビが花を終える頃には、散歩に出ていても日差しが日ごとに強くなつてゆくのが感じられます。そして五月連休を待っていたかのように里山のあちこちに薄紫の藤の花が開花し始めます。ここでは5月から6月にかけて見ることのできる植物を取り上げます。
4月から6月にかけて連続して開花する野草が多くありますから、当然 先に3月から5月の野草を扱った「春」の章と共通する植物では「春」の章も参考にしてください。
私は毎年、紫や白い藤の花を見ると、心地よかった春ももう去ってしまい、汗ばむ夏の季節の訪れが始まったと感じてある種の寂しさを覚えてしまいますが、自然界で生きる多くの生命にとっては、寒い冬を耐えて心待ちにしていた命が最も力強く躍動する繁栄と繁殖の季節であり、命の乱舞を感じさせてくれる季節でもあります。
藤が咲き出すと山の緑が一斉に萌え出す。木々は艶やかな新葉で覆われ、柔らかな葉や花を求めて様々な昆虫が命を育む。
五月連休の頃里山の方々に藤が花開く。中ノ川沿いにも多くの藤のがあり川面に見事な花房を垂らして人目を惹く
藤の花にはクマバチが来る。クマバチは昆虫の世界では春から初夏のシンボルだ。山野の花と共に現れて黄色と黒のよく目立つ体でホバリングして存在をアピールする。
田植えも終わり、それまでは可愛く思えた春の雑草が一斉に繁茂しだすと初夏の訪れです。野を吹き抜ける風も爽やかで肌に心地よく、揚げ雲雀の歌声を聞きながら麦の穂が一斉に風に揺れる様を見ると何故か子供の頃の郷愁をかきたてられます。
隣の楠原には麦畑が多い。4月も半ばになると雲雀がやってきて麦畑やその周辺に営巣する。
五月も後半に入ると、強い日差しに麦は見る間に熟れて水分を失い、乾燥した麦畑は一面黄色く変わります。戦後日本が高度成長期に入る頃迄は、田植え時期は6月でしたから、農家は冬場の乾田に麦を植え、春の田畑一面に麦畑が広がったものです。
その後、気温の温暖化と台風の被害を嫌って田植え時期が5月から4月にまで早まったため、水路と田に早々と水が引かれて ( 田の水は高所の田から低所の田に向かって田の中を通って水を供給する 場合が多い) 田が水没するため麦を育てることが出来ず、一時期麦の作付け農家は全く見られない状態になっていました。
しかし、戦後の無能無策な補助金ばら撒き農政のおかげもあって就農人口が大幅に減少して農業の集約化が可能となり、大規模な農地を運営する個人の判断で年間の作付け運営が可能となったため近年では減反調整も兼ねて冬場に麦を作付けする田畑がある程度の面積は存在するようになりました。
そのおかげで、この時期鈴鹿の山などの山上より下界の農村部を眺めると、水を張った水田と黄色く熟れた麦畑が鮮やかな対比をなす光景が遠望できます。
乾燥した麦畑の表面には、強い風が吹くと風の乱流によってさまざまな風紋ができる。複雑な風紋に出会うと人や獣が踏み荒らしたのではと思ったりする・・
初夏に入ると山林の木々も芽吹した新葉の無数の色彩で彩られていた春の姿から緑と濃緑の鬱蒼とした山肌へと変わって行きますが、5月末から6月初めには椎の開花と若葉の芽吹きによって山肌が一時淡い黄色で覆われます。
椎の芽吹きと開花。常緑樹の椎は開花と同時に淡いべっ甲色の新葉を伸ばし昨年の古い葉を散らせる。
初夏は梅雨の訪れも控えて、蒸し暑い日々の始まりだが、里山を巡る散歩道には白い花が多く咲く。宇空木 ( 卯の花 ) ノイバラ、イボタ、ガマズミ、スイカズラ等が次々に開花し、山肌の日陰にはエゴノキ、テイカカズラ、草むらにはドクダミ、ホタルブクロ等が隠れる様に花開く。
初夏の白
五月から六月にかけて里山とその縁辺には、藤の開花に合わせる様に様々の白色の花が開花します。そんな白花の中でも四月末から真っ先に花をつけるガマズミは鈴鹿の山でよくみられるオオカメノキ ( ムシカリ ) やハクサンボクと同じ仲間で、ムシカリ同様に花にはよく昆虫が集まります。
上写真は中ノ川右岸の里山に咲くガマズミ。藤の季節以降、花木の殆どは白い花を咲かせる。下は拡大写真でオオカメノキ同様に葉脈の浮き出た丸い葉をしている。
上写真は牛谷道脇の里山山頂部に咲くガマズミ。高所にあってはっきり分からないが、ハクサンボクかもしれない。
ガマズミは多数の小花が集まった集合花で、ハナムグリや蜂など昆虫を良く集める。昔この花でミドリカミキリを見た記憶がある
こちらはガマズミに似たコバノガマズミ。花は同じような形だがガマズミの葉は葉は丸いのに対してこの葉は細長い。
藤の開花に続く様に山野では初夏を待った様々な花が開花しますが、日照時間が最も長くなるこの季節、花の多くが白色なのは強い光を反射して花から水分を奪われないような工夫でしょうか。ことに葉が暗い濃綠色のクロバイなどは白い花が一層目立ちます。
里山の高所にはクロバイが白い集合花を密性させ遠くからでもよく目立つ
連休が過ぎ暫くすると、牛谷橋の両岸にハリエンジュが藤の花に似たクリーム色の花をつけます。明治期の渡来植物とのことですが、私の小学生の頃には既に校庭の縁辺に多数植わっていました。マメ科の高木で針槐の名の通り枝には鋭いとげがあり小学生の頃、この木に登っていて鋭いとげが掌に刺さってけがをした記憶があります。
針槐は槐に似ているが枝に針があることから来ているが、開花時期も針槐は5月後半なのに対して槐は夏に開花する。花の姿も槐は針槐の様に垂れ下がらない
初夏に咲く花は蜜を糧として生きる昆虫にとっては無くてはならない存在。上は針槐の花に来たナガサキアゲハ。アゲハ類の外にタテハも良く集まる
五月も末となり、初夏の日差しが一段と強くなって昼間の散歩にも苦痛を感じだすころには里山の林縁にネズミモチやイボタノキが白い花をつけます。開花時期の短い花で数日すると直に傷んで花が涸れてしまうのですが、イボタノキなど小さいけれども沈丁花を思わせるよう艶やかな白い集合花は美しいものです。
ネズミモチもイボタノキも花はよく似ているが、ネズミモチは花から二本の雄蕊が飛び出しているがイボタノキの花は雄蕊は花の奥にあり沈丁花を思わせる
上はイボタノキの房状花の蕾です。ネズミモチに比べると蕾が密集している感じで、開花すると下写真の様に房一面艶やかな白花が覆います。
五月に入り連休を過ぎたころには梅雨を迎える六月末まで、野辺や道端にもノイバラ、ウツギ、スイカズラなどの低木が白い花を咲かせ、林にはエゴノキやテイカカズラの花が見られます。
開花したてのノイバラは黄色い雄蕊と白い花弁の対比が美しいが受粉すると雄蕊はたちまち褐色に変わってしまう。
初夏の路端には白いノイバラ ( 野薔薇 ) が咲きます。開花したばかりは白と黄色の清楚で美しい花ですが、雄蕊が直ぐに黒くなるしコガネムシの仲間が食べるので直に醜く変わってしまうのは残念です。
花粉の多いノイバラの花には、ハナムグリやアシナガコガネなどが好んで集まる。上は花を食べに来たヒメアシナガコガネ。下はキンスジコガネ。
ノイバラとともに初夏を代表するのは卯の花としてしられるウツギでしょう。繁殖力も強い様子で、里山の縁辺から野道の路肩、堤防の護岸と様々な場所で白い花を咲かせます。4月半ばに鈴鹿の山に入ると、谷沿いの南斜面などで一月近くも早く開花する卯の花を見かけますが、こちらは開花時期の速い異種のヒメウツキです。
ウツギ・空木の名前はその軸が中空のところに由来するようだが、麦わらのように軸の内部がパイプ状にはなっておらず、竹のように短い間隔で節があって小部屋が幾つも連なった感じ。
同じウツギの花でも、開花の状態によってかなり違う印象を受ける。時には異種なのではと思うこともある。
野薔薇や卯の花とともに、あまり多くは有りませんが里山の林縁にはスイカズラが白い独特の花をつけます。花蜂の仲間が良く集まり、開花してしばらくすると花色は淡い黄色に変化して数日で花を終わります。その独特の形は私が好きな花の一つです。
スイカズラは蜜が多いので吸蜜にくる昆虫に人気があるようで花は受粉すると黄色く変わってしまい直に萎れる。晩秋にはひょうたん型に黒い実が二つずつなるため瓢箪木とも呼ばれる。
この季節、五月も後半を迎えると雑木の多い里山や山間の農道の周囲などにはエゴノキの釣りランプを思わせる花が見つかります。花には蜜が多いのか藤に来る熊蜂をこの花でもよくみかけます。
明小裏手の牛谷道沿いや新玉橋から林町へ通じる旧伊勢別街道沿いにもエゴノキの若木がありますから、五月も後半に入ると舗装路面が多数のエゴの落花で白く染まります。頭上の花はなかなか気づきにくいのですが、毎年路上の花でエゴの開花が始まったことを気づかせてくれます。
釣りランプ風のエゴノキの花は、花期が終わると椿の様に首からちぎれて花が地面に落下する。この季節、山歩きをすると登山道に多数のエゴの花の落花が散らばっていて頭上にエゴノキのあることを知る。
エゴノキのように、路上に多数の落花を見て上に花があると知る植物にテイカカズラがあります。蔓性の常緑低木で、木に絡みついて樹冠近くまで蔓を茂らせ、落花に気づいて上を見上げると遥かな高さに多数の花を咲かせていたりします。
テイカカズラは木に張り付いて伸びる性ゆえか、薄暗い木陰の中に咲いているものも多い。開花したての花は花弁を広げているが、すぐに巻き込んで星形の花となる。地上で花をつけることは少ない
家の庭には、もう20数年来斑入りのテイカカズラ ( 園芸品種 ) が繁茂していますが未だ殆ど花をつけたのを見たことがありません。地上を匍匐している状態の幼木では花がつかず、木に張り付いて幹を這い上がり樹高が高くならないとなかなか開花しないようです。
上は中ノ川右岸で樹高10m以上の椎の樹冠を覆うテイカカズラの群落。5月末から6月初めには森の樹冠を観察すると結構あちこちでテイカカズラの花が咲いている
テイカカズラの園芸品種は花よりも葉の美しさを愛でる。ことに初夏の新緑の美しさは特筆に値する。
この時期に白い花をつける樹木や野草はまだまだ沢山ありますが、家の近くではあまりお目に掛かれないものも多く植物図鑑を作るわけではないのでこの辺りで止めておきます。
五月も後半に入ると、道端や空き地にはシロツメクサやコゴメツメクサに交じってニワゼキショウが星に似た小さい6弁花を多数咲かせます。19世紀末に北米世の帰化した外来種とのことですが、もう70年も前、私の子供時代にも既に家の近辺でちらほら見かけることが出来、その小さいながら華やかな姿からダイヤモンド草と呼びならわしていました。
アヤメの仲間の庭石菖。葉をみると菖蒲の仲間とも納得できるが、この花からは菖蒲を連想できない。薄紫と白の花色がある
ニワゼキショウに限らず、多くの外来種が明治の開国と共に国内に持ち込まれて帰化しますが、日本の環境に適応できる外来種は日本に持ち込まれてから、半世紀も経つと日本のあちこちに広まって植生の中に在来種と変わらぬ地位を占めるようになるようです。
この時期田畑の周りや道端には、同じく帰化植物のアメリカフウロが小さな白花をつけています。この草は子供の頃には目にしたことがなく、私が気づいたのがここ30年ほど前ですから、ニワゼキショウより進入時期が遅かったのかもしれません。秋咲のゲンノショウコ の春咲のような感じですが、ゲンノショウコのような薬効があるものかどうか私には分かりません。
近年、家の周囲でも目につくようになった北米産の帰化植物・アメリカフウロ。最初観た時はゲンノショウコが越年して春咲になっているのかと思った
初夏の荒れ地や乾田
五月連休が終わる頃になると丈の高いヨモギ・ムカシヨモギ・アレチノギク・スイバ・クサマオ・クズや、スズメノテッポウ・カニツリクサ・カモジクサ・カズノコクサ・イチゴツナギ・チガヤ・ススキなどイネ科の雑草も一気に成長し、これらの草に交じって花をつけていたキジムシロ・ハルノノゲシ・コウゾリナ・ニガナ・ハルジオン・キツネノアザミ・スイバなど花茎の長い花も徐々に夏草とって代わられるにようになります。
5月連休前後の乾田や農道の周辺はシロツメグサ、キジムシロ、コウゾリナやスイバ、ノアザミ、ミヤコグサなどが咲く。なかでもノアザミは6月以降も咲く初夏~夏の花 。
田畑も人の手による除草・耕作がなされなくなると見る間に草地へと変わって行きます。年に1~2度の草刈りが行われている間は田の畔や乾田を好む野草が繁茂しますが、草刈りが放棄されるとクズやセイタカアワダチソウ、ススキなどのイネ科植物が入り込みクズやススキの生い茂る草原へと変遷して行きます。榛や柳が入り込む環境ではこれらの木々が草にとって代わるようになります。
畑も除草の手が入らなくなるとたちまち雑草の繁茂する荒地に変わる。数年も放置すると上写真・右中央の様に、葛、葦、芒、泡立ち草、昔蓬等が生い茂る草原へと遷移する
湿潤な林縁部の田畑では、耕作放棄が続くと榛や柳の類が入り込んで見る見るうちに叢林へと変化する。上写真の手前と奥とでは耕作放棄に5年程の差があり、奥の廃田は既に榛の林へと遷移した( 牛谷道沿いの廃田 )
湿地や休耕田には、キツネノボタンが金平糖のような独特の実をつける。同じくキンポウゲ科の福寿草なども同じ形の実をつけるが、どちらも毒性の強い毒草で安易に触らない方が良い。名前の由来は葉が牡丹に似ていることに由来するそうだが、凡そ姿形が牡丹に似ているとも思えず首をひねってしまう。
ミヤコグサやアザミが咲き誇りチガヤが白銀の穂を風に棚引かせる様になると五月も終わり、梅雨の到来と共に様々な色や形で咲き誇った春から初夏の野草の姿もめっきり減ってしまいます。
連休の頃には元気に花をつけていたキツネノアザミも五月の末には急速に衰えてアレチノギクやムカシヨモギ、セイタカアワダチソウなどの夏草に交代する。土地の植生は除草の程度によって大きく影響され、草原植物の多くは除草によって維持されており除草のなされない荒れ地の環境ではクズがたちまち表面を覆う
野薊と姫女苑
一方6月に入っても元気なのはノアザミです。初夏に入って道端の草花は一気に数を減らしますがノアザミの花は7月に入っても元気で色んな蝶々が蜜を求めて集まります。
花の少なくなるこの季節、道端や草原で花茎を伸ばして良く目立つピンクの花をつけるアザミには様々な蝶が集まる。上写真左はウラギンヒョウモン、右はツマグロヒョウモン。下写真左はキアゲハ、右はイチモンジセセリ。
6月のアザミに来たコアオハナムグリとアサギマダラ、下写真はクロアゲハ
初夏の草原にはノアザミと共に、ハルジオンによく似たヒメジョオンが白い花をつけます。どちらの花も立ち姿、花色がよく似ていて紛らわしいのですがハルジオンは4月末~6月頃まで、ヒメジョオンは6月から夏場でも見られます。
野原の花が乏しくなる6月には群生して咲くヒメジョオンの花はノアザミと共に昆虫に人気がある。下はヒメジョオンにきたメスグロヒョウモンの雌雄
この時期、ヒメジョオンが花を群生させる里山の周囲の農道には、ヒメジョオンの花を求めて毎年メスグロヒョウモンの雌雄が姿を見せる。雄・雌の模様が全く異なった蝶で、雌の体色は過去に存在した何らかの毒蝶を擬態したものと思えるが、現在ではカバマダラ ( ツマグロヒョウモン雌の擬態モデル )に当たるようなモデルは見当たらない。
初夏以降に咲くヒメジョオン ( 姫女菀 )上写真 の花弁はハルジオン下写真の花弁のように針状に分かれない。花弁の色も白色でハルジオンの様に桃色がかることはない。五月末から6月には開花時期が重なる。
6月の始めには、4月末から花をつけていたハルジオンと夏のヒメジョオンが共にみられる。上は6月の野道に咲くハルジオンに来たツマグロヒヨウモン。ハルジオンの花弁は針状で姫女苑よりはるかに多い。
ゴールデンウイークも終わり、5月も末に差し掛かり日差しが日に日に強くなって汗ばむ日々が多くなると、津関線の道路脇にはチガヤの花が路肩を一面に白い帆で飾ります。一面に群生したチガヤの花穂が風にたなびくさまは大層美しいものです。
出たばかりの花穂は茶色っぽい雄蕊と雌蕊で茶色くみえるが、受粉すると種の周りに白い絹毛が展開して穂全体が白銀に変わる。
5月も終わりに近づき道路の脇にチガヤが白銀の穂を揺らす時期になると、道端にはヒメコバンソウが独特の花を咲かせます。イネ科の植物で円錐花序の先端にオムスビ型の小さな穂を多数つけて風になびく様はヒメコバンソウの名に恥じずいかにも愛らしいものです。
江戸時代にヨーロッパより帰化した植物とのことで、私の子供時代にもすでに道端で普通に目にすることが出来ました。子供の頃はシャラシャラグサとの愛称で呼んでいましたから、私には珍しい帰化植物というより子供の頃から親しんできた身近な野草といえます。
流石に密集して茂っていると鬱陶しく感じますが、小さい花穂は実って乾燥するとその名にふさわしく小さい小判が鈴なりの印象を与える。私の子供時代の呼び名シャラシャラグサにも似つかわしい。
ヒメコバンソウを二回りも大きくしたコバンソウも津関線沿いの路肩などで見ることが出来ます。こちらも欧米からの帰化植物ですが、明治になってから入ったそうで、江戸時代から日本に定着したヒメコバンソウ程の広がりはなく、私の子供時代には全く目にすることがありませんでした。
道路沿いに分布を広げる帰化植物典型の分布を示し、椋本へ至る津関線の歩道脇には多数の群落がみられます。花序につく穂の数はヒメコバンソウに比べると遥かに少なく虫を思わせるような花穂のごてごてした感じはあまり好きではありませんが、その形の面白さがドライフラワーなるようです。
津関線の路肩に群生するコバンソウ。私には小判よりも三葉虫かアブラムシを思わせる・・・
この季節に花をつけるイネ科植物を幾つか下に上げておきますが、イネ科に限らず私の様な素人の種名の同定ははなはだ怪しいものですから、正確を期すなら、植物の専門家や分類・同定にたけた方の書かれたものを参考すべきでしょう。
五月末の道端や空き地にはキキョウソウが紫の可愛い花を咲かせます。アメリカ原産の帰化植物の様ですが子供の頃には全く見られなかった花で、多くの帰化植物同様、戦後急速に発達した交通網とともに方々に広がったようです。近年はキキョウソウに限らず、子供の頃には目にすることがなかった様々の野草が国内に帰化して見られるようになりました。
日本の固有種が彼らとの競争に負けて衰退すると嘆く向きもありますが、今日日本の固有種と思われている植物も、ルーツをたどると古い時代に大陸からもたらされたものであったりしますから、ことさら帰化植物として問題視することもないでしょう。
キキョウ科の野草で、花は10mm程で小さいが拡大してみると桔梗にそっくりの姿だと分かる。この時期野草の中でも紫の花は少ないので小さいけれど良く目立つ
恵みの雨と云う言葉がありますけれど、この国にとって梅雨はまさにそれにあたります。夏至の前後、最も太陽高度の高いこの時期に雨に恵まれなければ土地は乾燥し植物は強烈な太陽の日差しに焼かれて満足に育つことができないでしょう。
梅雨の長雨は散歩の妨げにもなりますけれど、厚い雲で太陽を覆い外出を楽にしてくれもします。紫陽花の花を楽しみながら傘を差しての散歩もまたよいものです。
明小へ続く坂道には地元の篤志家が紫陽花を植えてくださった。梅雨の晴れ間に花が瑞々しい。
6月に入ると、太陽は日増しに高さを増して春には心地良かった山歩きも、なるべく木陰の多い渓沿いの道へと足が向きます。つい先日までは家の周りの散歩にも日の高い日中が快適であったのに、いつの間にか太陽の低い朝夕を選ぶようになり、むしろ梅雨の曇り空が待ち遠しくなります。
散歩道の傍らには野薔薇やウツギ、ガマズミの白花に代わってドクダミや蛍袋が目を引く様になります。梅雨に入って水を得た周囲の世界は一年中で最も光と生命に満ち溢れ、至る所で何かしら面白いことに出くわすそんな季節でもあります。
梅雨の気配と共に大気が湿り気を帯びてくると、林縁など湿気の多い場所にはドクダミが白い花を咲かせます。艶やかな白い花弁は美しいが独特の匂いがあって敬遠されますが、実際には毒もなくハーブティーや薬草として利用される有用植物です。
独特の匂い故にか、その名の様にいかにも毒のある印象を与えるが、毒草ではなく様々な効能をもつ薬草だとのこと。開花したての白花は美しい
6月の声を聴くと、牛谷や津関線沿いのの林縁ではホタルブクロの可愛い花が見つかります。白花と紫花の二種類がありますが、両者が混ざって咲くような場所は見らないようです。
蛍の飛ぶ季節に咲くため蛍袋の名はいかにもこの花に似つかわしいものですが、実際自宅の周りでも白花の蛍袋が咲く辺りは、毎年僅かですがヘイケボタルが飛び交いますから、昔の様に無数のホタルが発生した時代であれば花の中に蛍が休んでいても不思議ではありません。
蛍袋には白い花と紫の花がある。どちらも林縁で湿気の多い場所を好む様子で、中には日差しの無い林間の道に咲いているものもあるから日陰の環境に向いているようだ
初夏の終わり
私は毎年この時期になると、開花を楽しみにしている野草があります。そのひとつウツボグサは、以前なら田の畦や路肩でごく普通に見られた花で、30年ほど前には自宅前の中ノ川の対岸に開かれた山田の周囲の草叢のあちこちに群落が見られたものです。
群落の維持には生息地の草刈りが大いに関係し、草刈りの頻度が多いと株が育たずに絶たれてしまうし、逆に草刈りが放棄されると生息地はたちまちより繁殖力の強い雑草に埋もれてしまって株が絶えます。人間の農作業がなかった時代には、草食獣によって維持されていた草原部に生息していたと思われます。
靭草の群落。以前は我が家の水田の周囲にも生えたが今や殆ど見られなくなった。私の知る群生地は現在此処だけだ。
チガヤやアザミなどと共に4~5センチの塔状の鮮やかな紫の集合花を幾つもつけ、遠くからでもすぐそれとわかる。
しかし何時しか群落は次々に姿を消し、今では自宅周辺の数キロ四方でも私の知る限り一箇所になってしまいました。散歩道としては往復3km程の距離があるため気候の良い秋から春のシーズンに巡ることが多いのですが、開花期の6月には必ず何回かは足を向けて株を見るのを楽しみにしていますが過去の例から見て、この群生地も後何年か先には消えてしまうだろうと思われます。
初夏の最後を飾るネジバナ
6月末から7月に入ると川向こうの小学校に続く散歩道の路肩や校庭の外れなどにネジバナが開花します。道の周囲の田の持主が絶えず草刈を行ってくれるため雑草に埋もれず毎年花をつけるようですが、この花も先のウツボグサ同様、生息地の草刈りが行われなくなるとたちまちほかの雑草にその場所を奪われて絶えてしまいます。
ネジバナの開花時期には他の雑草も一斉に背丈を伸ばす。良いタイミングで草を刈り取ってもらえると可愛い花がよく目立つ。
ネジバナの名の由来は、花茎に付いた花が上に向かって時計方向の螺旋を描いて伸びる姿。40cm以上の大きな株はなかなか見られない。
以前は盛期になればあちこちで花を付けて楽しませてくれたものですが、今では限られた場所でポツポツと花を咲かせる程度になってしまいました。現在自転車で遠出すると開けた草地などで路肩一面にネジバナが開花している場所も見かけますから環境さえ合えば多数の花を見ることも出来るようですが、自宅の近所にはネジバナの生育に適したある程度乾いた草地がないようで残念です。
7月・七夕の頃にはネジバナの花も終わり本格的な夏が訪れます。草木は真夏の強い日差しに焼かれて元気をなくし、花をつける野草もめっきり少なくなる植物には忍耐の季節です。