異方的相互作用をもつIsing模型(量子コンパス模型)がハニカム格子上では厳密解として量子スピン液体となることがKitaev氏によって提案されました。また、近年low spin のd5イオンにおいて実現するJeff=1/2とよばれる複素軌道間の超交換相互作用において量子コンパス型相互作用が生じることが理論的研究から明らかになりました。このことにより、Ir4+やRu3+イオンがハニカム格子を組む化合物が非常に着目されています。また、Kitaevのスピン液体は、その厳密解を解く過程で粒子と反粒子が同一な電荷中性のフェルミオンであるマヨラナ粒子という準粒子が創発されることが大きな特徴であり、活発に研究がなされています。
実際の物質では、このような量子コンパス型相互作用以外の余分な相互作用によって長距離磁気秩序が形成されるのですが、TN直上までマヨラナ粒子の創発に起因する兆候が出現することが提案されており、磁気秩序の有無にかかわらず新しいハニカム格子イリジウム酸化物の探索をすることは非常に重要であると言えます。
層状岩塩型酸化物Li2IrO3とマグネシウムおよび亜鉛塩化物のメタセシス(複分解)反応により、ilmenite型(corundum型の秩序構造)のイリジウムハニカム格子MgIrO3およびZnIrO3が得られることがわかりました。これまでのKitaevのスピン液体候補物質では、その結晶構造がmonoclinicであり3回軸の無い歪んだハニカム格子となっていましたが、MgIrO3およびZnIrO3では三回軸をもち、磁性サイトが一種類の歪のないハニカム格子を形成しています。
MgIrO3およびZnIrO3ではいずれも磁気秩序を示すことがわかり、本系では量子スピン液体状態は実現されませんでした。しかし、これまでの理論によって予言されていない弱強磁性転移が出現するなど、Kitaevモデルのハニカム格子磁性体にはまだまだ興味深い物理が潜んでいそうです。また、ZnIrO3においても強磁場磁化過程において奇妙な振る舞いを見せております。
Kitaevハニカムのようなエキゾチックな化合物をメタセシス合成により得られたことは、メタセシス合成が新奇物性の開拓に非常に威力を発揮することを示していると言えます。