Research

準安定を拓く――計算科学と合成戦略の融合による新材料探索 

 近年、マテリアル・インフォマティクスの発展に伴い、第一原理計算や機械学習を用いて「どの温度・組成条件下でどの相が熱力学的に安定になるか」を事前に予測し、その結果を踏まえた実際の合成プロセスが一般化しつつあります。しかし、エネルギー凸包(convex hull)の近傍には、熱力学的に最安定な相よりわずか数kJ/mol程度のエネルギー差しか持たない多型(polymorph)が数多く存在すると想定されます。これらの中には、実際の合成プロセスや測定条件における速度論的障壁のために長寿命化する準安定構造が含まれており、材料探索の幅を飛躍的に広げる可能性を秘めています。たとえば、安定相では得られないバンド構造や格子対称性が準安定相では実現することがあり、電気的・磁気的・光学的特性に意外な変化をもたらすため、機能性材料として新たな可能性を秘めています。

 一方、セラミックスをはじめとする無機固体材料を合成する際には、高温・高圧など高エネルギー状態を経ることが多いため、せっかく生じた準安定相が安定相へと転移してしまうことが大きな課題となります。さらに、高温焼成や焼結など多数のパラメータが絡む工程を精密に制御して、所望の準安定構造を再現性良く得ることは容易ではありません。そこで、計算科学と実験を融合させた総合的なアプローチが有効と考えられています。たとえば、第一原理計算や機械学習でエネルギー凸包近傍の広大な構造空間を網羅的に探索し、その中から候補となる準安定構造を絞り込んだうえで、遷移状態の障壁や拡散挙動を調べ、実験時に実際にその準安定相へ到達し得るかを評価します。遷移経路のシミュレーションやメタダイナミクスなど高度な手法によって、局所的なエネルギーミニマムへ至る可能性を具体的に算出し、それに基づいて温度・圧力・副生成物などの反応条件をデザインするわけです。

 このような理論的予測と実験を有機的に組み合わせることで、未知の準安定相をめぐる「宝の山」を掘り起こすことが期待できます。最安定相のみを狙った従来型の材料探索では見落とされがちな特異な物性、たとえば新しいタイプの超伝導現象やトポロジカル絶縁体としての振る舞い、超イオン伝導特性などが潜んでいる可能性があります。また、機械学習や分子動力学シミュレーションといった先端的な手法が、既存の材料地図にとらわれない挑戦的な仮説を生み出し、それに対して実験的検証を行うプロセスが新たな発見を牽引していくでしょう。こうした学際的研究では、固体化学、物性物理学、計算科学、合成化学、さらには測定技術の専門家たちが協力し合うことが鍵となります。未知の相空間を果敢に切り拓くことで、真に独創的な未来材料が誕生する可能性があります。

 最安定相だけを追う時代の終わりが見え始めた今、準安定構造をいかに制御し、意図的に創り出すかが次世代の材料科学・固体化学におけるフロンティアとなりつつあります。速度論的障壁と熱力学的安定性の双方を理解したうえで、理論と実験のサイクルを加速させることが、新奇物性をもつ材料や未知の機能を発現する構造の発見につながるでしょう。

固相メタセシス反応―固体化学の新たなる地平を拓く

 固相メタセシス反応(solid-state metathesis reaction, double-exchange reaction)は、固体同士を反応させて陽イオンや陰イオンを交換させることで新たな化合物を得る手法です。反応式で表すと、たとえば

AB + CD → AD + CB 

となり、ここでは ADが目的物質、CBが副生成物として生成します。最大の特徴は、“どのような副生成物を得るか” を自在に選択できる点です。揮発性や融点、溶解度といった副生成物の性質を系統的にデザインすることで、反応速度の調整や目的物質の高収率化、さらには反応過程の制御を可能にします。たとえば副生成物が揮発性を持つ場合には、生成後に系外へ容易に放出されるため、目的物質だけを効率良く合成できます。また、低融点や特定の温度で相転移を起こす物質を副生成物として選ぶことで、温度条件を詳細に制御しながら反応の進行を加速あるいは抑制することも可能となります。

 この手法を応用する大きな目的の一つとして、一般的な合成手法では得られにくい準安定相材料の創製が挙げられます。準安定相とは、熱力学的に最安定とは言えないものの、特異な結晶構造や電子状態を示すことで、他の相では得られないユニークな物性を発現しうる相を指します。たとえばバンド構造が大きく変化することによって新奇な電子物性を示したり、フォノンの異常モードが現れることで特異な振動特性が期待できたりと、学術的にも産業応用的にも大変興味深いターゲットです。

 固相メタセシス反応では、どのような副生成物がどの温度や圧力条件下で生成されやすいかを綿密に設計することで、あえて準安定相の形成が優先されるよう反応を誘導できます。これは、従来の高温反応では安定相へと変化してしまう材料を、より低温や特定の環境で作り出すうえで非常に魅力的な戦略です。副生成物の性質を細かく変えながら合成条件を探索し、得られた準安定相材料については結晶構造解析や電子状態解析など、多角的な評価を行います。その結果、新たな量子効果や電子物性の発現が確認されれば、将来的には次世代デバイスへの応用が期待できるでしょう。

 このように、固相メタセシス反応は、“材料探索の自由度を飛躍的に広げる新しい合成プラットフォーム” としてますます注目を集めています。この分野に取り組むことで、たとえば意外な元素の組み合わせによって異次元的な電子機能を生み出す材料を発見したり、まだ見ぬ結晶構造を安定に取り出せる画期的な条件を確立したりと、スケールの大きな挑戦と発見が期待できます。

トポケミカル反応で拓く新物質探索

 トポケミカル反応とは、結晶構造の骨格(トポロジー)を維持したまま、化学組成や局所的な結合状態を変化させる合成手法を指します。高温で結晶構造全体が再編成される従来のプロセスとは異なり、骨格自体が崩れにくいため、元の材料がもつ特徴的な構造や物性を保ちつつ新たな機能を引き出せる点が最大の魅力です。たとえば、層状無機固体の層間にイオンを脱挿入したり置換したりすることで、局所的な電子状態を精密に制御でき、量子磁性体や強相関電子系のように微妙な電子相互作用が決定的な役割を果たす材料群の合成に有効であると注目されています。

 トポケミカル反応を活用する利点としては、まず骨格が大きく損なわれないことで、反応機構や合成過程を追跡しやすいことが挙げられます。これによって、結晶構造が微妙に変化する様子と物性との関連を比較的明快に捉えられ、物質設計の指針を得やすくなります。さらに、強相関電子系や量子磁性体のように、格子歪みや電子の局在状態のわずかな変化が物性を大きく左右する複雑系においては、骨格を保ちながら原子種や欠陥を選択的・局所的に制御できるトポケミカル手法が特に重宝されます。加えて、多くの場合で反応温度が低く抑えられるため、副反応を抑えながら目的とする新奇相や機能性を選択的に獲得できるという点も実用的な意味で大きなメリットとなります。

 こうした研究が進むにつれ、強相関電子系や量子磁性体だけでなく、蓄電池や触媒といった応用度の高い分野へも新たな展開が期待されています。結晶骨格を“土台”として有効活用しつつ、そこに別のイオン種や原子配列を組み込むことで、材料機能をきわめて柔軟にデザインできる可能性が広がるからです。未知の配列や組成を試みることで、これまでに報告されていない新奇相や特殊な電子状態を発見するチャンスがある一方、反応機構を理解し、動力学や熱力学の観点から制御性を確立するには、実験と理論の両面から丹念なアプローチが必要となります。そこには、従来の合成手法だけでは到達できなかった新たな物質科学のフロンティアが広がっており、夢がある領域だと言えます。

 トポケミカル反応は、いわば結晶骨格という“舞台装置”を据えたまま、舞台上の“登場人物”を入れ替えたり配置を変えたりするようなものです。それによって生まれる物性変化の幅は驚くほど大きく、特に強相関電子系など“登場人物同士”の相互作用が強い場合には、わずかな置換や格子歪みが大きな変化をもたらします。こうした精密な構造制御を駆使して未知の量子状態を見いだしたり、新型蓄電池や高効率触媒の基盤材料を発掘したりすることは、学術的意義だけでなく社会的なインパクトも大きいでしょう。今後は、第一原理計算やシミュレーション技術を活用しながら、実験での合成条件との相互補完を進め、トポケミカル反応の一般的な指針を確立していくことが課題となります。結果として、骨格構造を保ちながら材料機能を自在に最適化できる合成手法は、材料科学をさらに発展させる重要な柱となるに違いありません

天然鉱物を模倣した量子マテリアルの設計

 鉱物には、その美しい結晶構造や色彩がもたらす美的価値だけでなく、地球深部という高温高圧・長い時間スケールの環境で結晶化してきた独自のプロセスという魅力があります。実験室レベルでこの結晶化プロセスを模倣する技術が「水熱合成法」です。高温高圧下の水溶液を反応場として、さまざまな元素やイオン種を自在に組み合わせることで、従来の固相反応法などでは得られにくい新しい結晶構造をもつ無機化合物を効率的に創製できる可能性が拓かれました。

 本研究では、そのように水熱合成で得られる新奇無機化合物を対象に、量子磁性という先端的な物性を解明することを目指しています。量子磁性とは、スピン・電荷・軌道・格子といった自由度が強く絡み合った系で生じる、古典的な磁性モデルでは説明できない新しい準粒子や秩序状態を探究する分野です。具体的には、幾何学的フラストレーションによってスピンや電荷の分裂が引き起こされる量子スピン液体、磁化が分数的に量子化される磁化プラトー、磁気秩序と電気分極がカップリングするマルチフェロイック現象、そして渦のような磁気構造が量子化するスキルミオンなど、多彩な量子磁性相が見いだされています。これらはいずれも強い相互作用と幾何学的な制約やトポロジーが複雑に作用する結果生まれるため、まだまだ未解明の部分が多く、理論・実験の両面からのアプローチが欠かせません。

 水熱合成による新規物質の探索は、こうした未知の量子磁性相を見いだすうえで大変有望です。地球内部を思わせる高温高圧環境を実験室レベルで再現することで、通常の条件では安定化しないユニークな結晶構造や組成が実現できる可能性があります。たとえば、三角格子やカゴメ格子、パイロクロア格子といったフラストレーションが大きい格子を意図的に形成することで、量子スピン液体や磁化プラトーといった量子磁性現象の探索を加速できますし、特殊な軌道やスピン配置を利用したマルチフェロイック相やスキルミオンの出現も期待できます。

 水熱合成で生まれる新奇物質が示す未知の量子磁性相は、基礎科学としての発展はもちろん、将来的には機能性材料やデバイスの開発にもつながる可能性があります。量子磁性現象はエネルギー変換や情報処理などへの応用が期待されており、例えばマルチフェロイック物質なら磁場による電気分極制御や電場によるスピン制御、スキルミオン相では超低消費電力のスピントロニクス素子への発展が考えられています。こうした応用の夢は、未知の結晶構造が生む物理的特性の発見に支えられていると言っても過言ではありません。新たな合成手法と最先端の解析技術を掛け合わせ、スピンや電荷、格子の複雑な絡み合いが織りなす量子力学の深淵をのぞき込むことで、思いもよらない新現象と出会える可能性があります。