歴史

荒木流拳法の歴史

荒木流拳法は、今から四百数十年前の天正の頃、荒木夢仁斎源秀縄が編み出したとされる、捕手(とりて)・小具足(こぐそく)を本体とした総合武術です。

流祖・荒木夢仁斎は16世紀~17世紀の人で、荒木摂津守村重の一族(一説に孫)であったとされています。荒木摂津守村重は、池田氏配下の一豪族から身を起こした戦国時代後期の武将です。後に織田信長の配下となるも謀反したため、「信長に謀反した叛骨の武将」として知られることが多いようです。


荒木摂津守村重

この謀反が失敗すると安芸毛利氏を頼って逃げ延び、信長が本能寺で倒れた後は、次の天下人である豊臣秀吉に「御伽衆」として仕えています。

御伽衆とは大名の側に侍って参謀役や話相手となるブレーン集団であるため、村重自身が嘗てのように戦に出て陣頭指揮に当たることはありませんでした。しかし、その一族や子孫から秀吉に仕官させた人材には武将として働いた者も多く、荒木流の流祖である荒木夢仁斎もそのうちの一人であったと考えられます。

夢仁斎は捕手の達人であったとされ、秀吉の朝鮮出兵にも従軍しています。

この荒木夢仁斎が編み出した武術が現在の伊勢崎市に伝わったのは、300年ほど前の江戸時代。最初に学んだのは、伊勢崎藩士小峯文太夫武矩です。

江戸時代において荒木流が学ばれていたのは、伊勢崎藩に限ったことではありません。とくに足軽向け捕手術としては、全国の各藩で採用されています。しかし、その中にあっても、伊勢崎藩における荒木流は、他藩に類を見ないほどの隆盛を極めたといってよいでしょう。

小峯の後継者である栗原五百二正重は藩の剣術指南役を勤めています。また、その二人の息子(正敬・正義兄弟)も藩校の学頭や奉行などの要職を歴任すると同時に、父から免許皆伝を受けて剣術・捕手などの師範として武術の指導を行っています。

更に、栗原兄弟の兄弟子であり、伊勢崎藩お抱えの絵師でもあった鈴木円太夫義直(春山と号する。以下鈴木春山)は、やはり免許皆伝を受けて荒木流を茂呂村に伝え、藩士だけでなく農村の若者にも教伝しました。荒木流拳法は「茂呂荒木流」などとも別称され、茂呂村(現在の伊勢崎市茂呂地区)を中心とする農村地域に伝承された武術であると言われていますが、これを特徴づけたのが、この鈴木春山であったといえます。

また、荒木流相伝のもうひとつの特徴として挙げられるのが、血縁による宗家制度に基づいた一子相伝ではなく、複数の免許皆伝者が存在し、それぞれが全ての教えと免許を出す権限をも継承する免許制を採っていることです。栗原五百二には自らの血を引く息子であり、免許皆伝の伝承者でもある正敬・正義兄弟がいたにも関わらず、その主な道統は最古参の弟子である鈴木春山に継承されていることも、その象徴的な事例です。

鈴木春山が荒木流を茂呂村に伝えたことにより、第十二代大和兵内春幸以降の民間の伝承者が現れるとともに、門人の飛躍的な増加が見られました。現在も市内各地に伝承者の事績を称える石碑が建てられていますが、百名を超える門人の名が記されているものも見られます。

『大澤智栄翁碑』

第14代 大澤要作智栄

(茂呂小学校北)

『石原為久翁碑』

第15代 石原和助為久

(美茂呂町水神宮前)

『川田先生之碑』

第15代 川田幾太長種

(豊城町権現山)

おそらく、捕手・小具足の流儀として発展した荒木流が、いわば警察官的な役割を担った藩士たちや村の自警組織的役割を担う若者にとっての、平時における実用武術として定着したものと思われます。

また、伊勢崎伝の祖である小峯文太夫自身の事績の詳細は不明であるものの、その後の荒木流伝承者の増加・活躍を見れば彼の功績は大きく、伊勢崎藩における荒木流自体の影響力も他藩におけるそれより大きいものであったと推測できます。

明治以降、武士階級の消滅や柔道をはじめとする現代武道の台頭により、多くの古流武術が断絶の危機に瀕したとされることが多いようです。

しかし、地方においては逆に盛んになった例も多く見られ、荒木流についてもこれが当てはまります。前述した伝承者の石碑には明治以降のものも多く、とくに第十四代菊地殻之進、第十五代大和弥藤次の時代には門弟が数百名を数えたとの記録もあり、事実であれば当時の伊勢崎・茂呂における荒木流の普及率は現代の講道館柔道以上であったことになります。

また、それまで「荒木流捕手」「荒木流柔術」「夢仁斎流柔術」など様々な呼び名の存在した荒木流の名称が、「荒木流拳法」に統一されたのもこの時期です。

江戸・明治時代には隆盛を極めた荒木流も、昭和に入り、戦中・戦後を経て伝承者が激減します。

戦地に赴いて命を落とした門人も多く、また戦後教育の中で日本の伝統武術が顧みられなくなったことが大きな要因となりました。昭和40年に荒木流拳法保存 会が設立され、地域に伝わる無形重要文化財として評価が高まりましたが、時代の趨勢には逆らえず、門人が劇的に増加することはありませんでした。

現在は全国的にも古流武術の見直しの気運が見られるなかで保存会の会員も増加し、第十八代鈴木清一郎師範を中心として後継者の育成が行われています。

<荒木流相伝> 流祖荒木夢仁斎から第十八代鈴木清一郎師範まで

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