投稿日: Sep 10, 2011 3:42:26 AM
「地しんの時、ぼくは・・・」、「東日本大しんさいという名前に。」、「ふくしまけんの人たちが大へんだ。」の作文内容の掲載は割愛します。
「せんだいにとうちゃく。」
せんだいえきについてすぐに、せんだいYMCAに行きました。YMCAのひら山大すけさんが、むかえてくれました。ぼくたちは、自こしょうかいをしました。ひら山さんは、自分のことをリーダーとよんでね、と言いました。そして、「今日は、いっぱい見て、いっぱいかんじて、東きょうに帰ったらそれを色んな人に話してね。」と言ってくれました。リーダーの車で、つなみのひがいが大きかった東松しまののびる地区というところへむかいました。
「JRせん石線について。」
JRせん石線の、東名えきとのびるえきに行きました。東名えきでは、線ろがなくなっていてびっくりしました。つなみで全ぶながされてしまったそうです。のびるえきでは、てっとうがホームにたおれかかっていたり、えきしゃはまどガラスが全ぶわれて、木やれいぞうこなど色々なものがながされていたり、メチャクチャでした。一ばんおどろいたのは、ホームの天じょうちかくの何番線、と書いてあるかんばんのところに、つなみの水のたかさの線がすなのあとでのこっていたことです。ぼくは、その時でん車にのっていた人たちは、何がおこったかわからなくてこわかったと思いました。ホームででん車をまっていた人たちは、自分よりせのたかい水がやってきて、にげたいと思ってもにげられなかったんだと思いました。
「のびるようちえんについて。」
のびるようちえんに行きました。のびるようちえんは、海のちかくなのでつなみがきましたがたてものはあたらしいのでのこりました。一かいの天じょうまで海のすながついていました。二かいの教しつの中の、ぼくのこしあたりのたかさに、よこにグルリと一本線がありました。これがつなみのたかさです。のびるようちえんは今は、はなれたところのはい校の教しつをかりています。でも、そこももうすぐ出て行かないといけなそうです。自分たちのえんしゃは、一ど水につかってしまったし、またつなみがくるときけんなのでつかえません。のびるようちえんの子どもたちが、しん学きになっても教しつもえんていもなくてかわいそうです。ぼくのいえもようちえんをやっているので、ぼくたちのようちえんによんであげたいです。
「のびる地くのじゅうたく地」
のびる地くのじゅうたく地に行きました。でも、何ものこっていませんでした。のこっていたのは、いえの土だいと、ながされてきたまつの木やでんちゅうだけでした。何げんかのいえは、のこっていましたが、一かいぶぶんがメチャクチャで二かいだけでくらしているようでした。いえの土だいを見てみると、ここがげんかん、ここがおふろ場、など分かるところもありました。やかんやおさらがころがっていました。地しんから四ヶ月もたっているので、草がボウボウに生えていました。さっきまでふつうにくらしていたのに、とつぜん全ぶがなくなってしまうってかなしいことね、とお母さんが言いました。ぼくは、とてもこわかったです。リーダーは、この町がむかしのようにもどるのは、ぼくたちが大人になるころだろう、と言っていました。この町の子どもたちが、町をたてなおすことになると言っていました。ぼくはおうえんしたいです。大人になったら、もう一どこの町を見に行きたいです。
「かせつじゅうたく。」
かせつじゅうたくに行きました。本とうに人がくらしているので、ちゅう車場から少し見させてもらっただけです。大すけリーダーが、一かぞくのへやの大きさを、外から見せてくれました。大人と子ども四人ぐらいのかぞくでも、小さいへやが二つだけです。それに、かせつじゅうたくには、長くても二年しかすめないそうです。二年間であたらしいいえをさがさなくてはいけないのは、とてもたいへんだと思います。もっとよい国のルールができればいいと思いました。
「ひさい地に行ってみて、よかった。ぼくは今日のことをわすれません。」
せんだいにもどってきました。さい後大すけリーダーと、きょうのことを作文に書いておくるやくそくをしました。ぼくは、ひさいいちに行ってみてよかったです。なぜなら、つなみがこんなにおそろしいとは思いもしなかったからです。いえやでん車や木やでんちゅうが、ながされてしまって町はメチャクチャでした。たく山の人がなくなってしまってかわいそうだし、生きのこった人たちも、これから生きていくのが大へんなことも分かりました。ぼくは、今回見たことをわすれません。こまっている人たちのために、国のルールをきめたり、人のいのちをたすけたり、スポーツやうたで人を元気づけたり、どんな大人になれるか分からないけれど、今べん強やスポーツをがんばりたいです。ひさい地の人たちが、早くふつうにくらせるようになってほしいです。
東京都杉並区に在住の小学2年生の男の子がお母さんと友だちと3人で来仙されました。
「何か応援できることをしたい」という男の子の言葉がきっかけだったようです。