投稿日: Mar 29, 2011 10:35:4 AM
報告者-平山大輔
1.野蒜小学校児童の今
◆地震発生3/11~第一次避難所生活3/15
地震発生後、少し高台にある野蒜小学校が避難所となり、児童、教職員、地域の住民が共同生活を送っていた。校舎1階部分が津波による損壊、校舎全体にひびが入ったことから、安全面を考え、3/15に鳴瀬第一中学校に移動となった。また、ライフラインが長期的に復旧しない事、小学校が遺体安置所にもなり避難所として健全でないことも移動理由と考えられる。
野蒜小学校での4日間は、子どもたちの目の前で遺体が運ばれ、助かった人も校内で亡くなっていくという、子どもたちにとって劣悪な環境であった。
◆第二次避難所生活3/15~小学校終了式卒業式3/28
児童の住居地域によって避難所が分けられた。現在13名が鳴瀬第一中学校、残りの21名は7ヶ所の避難所で生活をしている。(中には児童1名だけの避難所もある)また、仙台在住の親族のもとで生活をしている児童もいる。そのような状態の中、終了式及び卒業式には9割の児童しか集まることができなかった。
◆今後
野蒜小学校での運営再開は不可能であるため、現在鳴瀬庁舎内で教室を設ける準備が進められている。しかし、殆どの家庭が住居を失っている為、全児童が一緒に新学期を迎えることは不可能と言える。
現在の避難所も各々閉鎖時期が決まっているため、慌しいなか、生活住居の決定を迫られている。
◆子どもたちの様子
鳴瀬第一中学校に避難している児童は遊び仲間がいるので、毎日敷地内で少しずつ元気を取り戻しながら、健気に遊ぶ様子が見られてきている。しかし、友だちが少ない避難所(2~6名の児童)では、元気に遊べていない児童が数名いる。避難所でたった1名だけの児童は、ずっと寝ている状態だという。
未だ4名の児童の安否が確認できていない。
◆YMCAの提案
野蒜小学校の木島校長、避難所責任者である菅原氏(東松島市議会議員)から是非子どもたちが元気に遊ぶ環境づくりをお願いしたいとお話を頂いた。校長先生曰く、少しでも悪夢を忘れることのできる日常を取り戻してほしいと。
可能な限り集まることのできる子どもたちと楽しく遊ぶプログラムを緊急的に企画し、実行していくべきであると考えている。
改めて、木島校長及び菅原氏とお会いすることになっている。
2.松島自然の家について
YMCAの季節プログラムのキャンプ地として、長くお付き合いのある野蒜の松島自然の家について状況を確認することができた。
2階建ての鉄筋である本館と体育館は津波によって流されることがなかったが、2階の天井近くまで海水が上がり、11名の先生たちは屋上に避難し、全員無事であった。
海水が引いたあと、一晩、2階研修室で極寒の中、みんなで励ましあいながら朝を迎えたという。
現在は東松島高校西側体育館に事務所を開設し、関係者の安否確認などをおこなっている。