投稿日: Mar 21, 2012 2:37:55 AM
九州組は21日もう一日仕事をし、シアトル組は午後から盛岡経由で宮古へ向かい、25日までYMCA宮古ボランティアセンターで支援活動をして帰国する予定です。
3月19日(月)、シアトルYMCAからのボランティア5人と、九州からのボランティア7人(熊本YMCA専門学校学生5人+北九州YMCA専門学校学生2人)が合流して、山元町の岩佐さんのイチゴ農園でご奉仕し、仙台YMCAボランティア支援センターから大村と日下部が同行しました。山元町社協から紹介されて来たボランティア数名も一緒に作業しました。
先ず初めは、温室を被うビニールを固定するための長い定規のような金属製の資材を繋ぎながら、水平に張られた目印の糸に合わせて、鉄パイプで組まれた温室の骨組みに固定していく作業です。簡単そうですが、注意していないと少しずつ傾斜してしまいます。この日は冷たい西風が吹き荒れて砂埃が容赦なく襲いかかり、目も鼻も耳も口も髪も砂でジャリジャリになってしまいました。午後の後半は、納屋裏の竹薮だった土地(津波の塩で枯れてしまった竹を切った跡)で根起こしです。根が深くて掘れないものは、切り株を地面の高さで水平に切り揃えて躓かないようにします。根気のいる作業ですが、吹きさらしの畑よりは風当たりが弱く一息つけました。
作業が終った後、岩佐さんが1月から収穫できるようになった温室に案内してくださり、朝摘んだ甘いイチゴをご馳走になりながら、イチゴ作りにかける思いやイチゴ栽培にまつわる話を聞かせてくださり、興味深く聞きました。
翌20日(火)も岩佐さんの農園でワークを予定していたのですが、19日朝に岩佐さんの98歳になるお祖母さまが亡くなり、作業は急遽取り止めに。そこで九州組は大村さんの案内で南三陸町の被災地を、シアトル組は日下部の案内で半日で石巻の被災地を視察することになりました。
シアトル組は先ず、津波で全校生徒108名中74名が死亡・行方不明という大きな犠牲を出してしまった石巻市立大川小学校に向かいました。北上川の堤防の直ぐ下にある校舎跡は津波の力で見る影もなく破壊され、一同慰霊碑の前で黙祷を捧げました。津波が到達した高さに張られた裏山中腹の赤いテープはかなり高い場所にあり、見る人は声もありませんが、なぜ70人以上もの子どもが犠牲になってしまったのか、という思いが重く胸にのしかかります。続いて北上川流域〜河口周辺、石巻港などが一望できる標高187mの日和山に登り被災状況を見ました。ことごとく破壊された住宅地跡や地盤沈下が一目瞭然の中州など、被災後一年を経た今もなお傷跡生々しいこの大災害の規模に、シアトルでTVや新聞で見聞きしていた状況とのギャップの大きさが信じられない様子でした。
Well, it looked so simple, but...
石巻港・津波で200m流された大きなサイン水槽
Inside the hot house: sweet berries are growing