投稿日: May 15, 2015 12:58:26 AM
2015年5月8日(金)~9日(土)の期間で、
ワイズメンズクラブ国際協会西日本区中西部の方々を被災地に案内しました。
1日目は、支援室から斎藤勉、2日目は村井伸夫が案内しました。
以下、報告です。
晴天の下、ワイズメンズクラブ国際協会西日本区中西部のメンバー14名が仙台を訪れ、
福島県及び宮城県の被災地視察を行いました。
福島第一原発周辺は未だ生活困難区域となっており、
至る所にバリケードと警備の方々、
そして警察官が配置されておりました。
車の通りはあっても生活されている方はおらず、
ひっそりと静まり返っている光景に、
参加されたメンバーの皆さまからはため息と驚きの声が聞かれました。
事故当時のまま何一つ片づけられておらず、
そのままの現状を見ることが出来ました。
住民の方々の悲痛な叫び声が聞こえてくる思いでした。
次に、宮城県山元町にある、中浜小学校を視察しました。
ここは海の近くにあり、津波が襲来した時は、
先生及び生徒全員が学校の屋根裏に避難し、
難を逃れた学校でもあります。
しかしながら学校は未だそのままに残っており、
当時の凄まじさを感じることが出来る場所でもあります。
山元町にある中浜小学校です。当時のまま残されています。
中央に見える半円のガラス張りが屋根裏になります。
みんなここに逃げて助かりました。
最後は、今でも支援活動を続けている岩佐いちご園を訪問し、
震災当初の話、その後の再建までの話を伺い、
現在のいちご畑を拝見することが出来ました。
当初は再建断念を決意されていたみたいですが、
YMCAと多くのボランティアが関わることで、
再建を決意され現在に至っているとの事でした。
ハウスには来年の苗作りもはじまっていました。
また、ハウスのすぐ横には自宅の建築もはじまっており、
精神的にまだまだ不安定な状態は続いていますが、
自宅が出来上がり住むようになれば気持ちも落ち着くでしょうと話してくださいました。
全員で岩佐さんのお話を伺うことが出来ました。
二日目、一行14名は、最初に74名の児童と10名の教職員が
犠牲になった石巻市立大川小学校を訪問。
しばし多くの方々のご冥福を祈り、なぜ逃げきれなかったのを考えた。
次に、解体か遺構として残すかの議論が続く南三陸町防災庁舎を経由して、
ほぼ町が全滅した石巻市門脇地区を訪れ、
襲来した津波の恐ろしさを実感した。
東松島市ではYMCAとワイズの協働で建立された津波の教え石と
JR仙石線の復旧が進む野蒜海岸を経由し、
最後の訪問地名取市閖上海岸を訪れた。
終わりに、唯一の高台がある日和山公園前の休憩所において
犠牲になられたすべての方々のご冥福を祈り、
一日も早い被災地の復興を願って全員で礼拝の時を持った。