研究内容 (概要)
遺伝子はDNAからRNAへの転写、RNAからアミノ酸への翻訳を経て最終産物のタンパク質として発現し、様々な生命現象に携わっていきます(セントラルドグマ)。タンパク質は細胞内装置リボソームによって合成されますが、合成途上のタンパク質(新生ポリペプチド鎖: 新生ペプチド)は物言わぬ中間体でしかない、というのが従来の考えでした。
しかし近年の研究から、新生ペプチドには新生ペプチドだからこそ実現しうる生理機能が備わっていることが明らかになってきました。新生ペプチドはリボソームのトンネルを通過しつつ合成されますが、そのトンネルとの相互作用によって、新生鎖はリボソームの合成反応を強固に停滞させたり、あるいはリボソームの複合体構造を破綻させ、翻訳を途中で終了させることなどがわかってきたのです。これらは一見すると無意味な反応に見えますが、生物はこれらの翻訳制御(異常)を巧みに利用することで、遺伝子発現制御を最適化している事例も明らかとなっています。
私達の研究室では、こうした新生ペプチドにコードされた翻訳制御シグナルを、DNAではなくタンパク質(アミノ酸配列)に秘匿されていた新たな遺伝暗号と定義し、その解読と制御を目指し、以下のようなテーマで研究を進めています。
負電荷アミノ酸クラスターによる
リボソーム不安定化の発生機序解明
2. 新規翻訳アレスト配列の探索と解析
3. 不安定化や翻訳アレストを抑制する
新規翻訳因子の解析と改変
4. リボソーム不安定化によるORFの再定義
研究内容 (詳細版、大学院生相当)
タンパク質合成の現場で起こる“翻訳アレスト”という現象
生命活動の多くは、タンパク質の働きによって支えられています。タンパク質は、20種類のアミノ酸が連結したポリペプチド鎖として構成されており、その配列はDNAに記述された遺伝情報に基づいて合成されます。
このタンパク質合成反応は、リボソームと呼ばれる巨大な細胞内装置によって行われます。
DNAの配列はまずmRNA(メッセンジャーRNA)に転写され、mRNAの情報をもとにリボソームがアミノ酸を1つずつ連結していくプロセスが翻訳(translation)です。この翻訳過程は、あらゆる生物の遺伝子発現において中心的な役割を果たしており、その制御や異常は細胞機能に大きな影響を及ぼします。近年の研究から、我々ヒトでは翻訳の異常がさまざまな疾患の原因となることが明らかになりつつあります。
リボソームは、新規に合成されるポリペプチド(新生ペプチド)が通過する「出口トンネル」と呼ばれる構造を持ちます。当初、このトンネルはテフロンのようにツルツルとした通路と見なされ、新生ペプチドは何の妨げもなく通過してくると考えられていました。しかしその後の研究から、この出口トンネル内で新生ペプチドがリボソームと相互作用し、翻訳を一時停止させる“翻訳アレスト”現象がさまざまな生物種で起こることが明らかとなっています。
新生ペプチドがリボソームを「センサー」に変える
この翻訳アレストは単なる翻訳の失敗ではなく、生理的な意味を持つ機構として進化的に利用されている例もあります。
その代表的な例が、大腸菌のTnaCペプチドです。このペプチドは特定のアミノ酸配列の並びがトンネルと密な相互作用を形成し(トンネル内で詰まる)、翻訳を停止させます。またこの現象は、新生ペプチドのアミノ酸配列に加えて、細胞内の遊離トリプトファン濃度にも依存しています。すなわち、TnaCを翻訳中のリボソームがトリプトファンの細胞内濃度センサーとして機能し、下流にあるトリプトファン分解酵素TnaAの遺伝子発現を制御するのです。
このように、新生ペプチドとリボソームの相互作用が翻訳と遺伝子制御を接続する事例は、大腸菌だけでなく他のバクテリアや出芽酵母、植物、我々ヒトでも見出されています。
翻訳アレストは特殊な例ではない?
このような制御的翻訳アレストは、これまでごく限られた遺伝子でのみ観察される、特異な現象と考えられてきました。しかし、地球上の生命がもつすべてのタンパク質は、原則リボソームトンネルを通過しながら合成されます。
私たちは、「翻訳アレストが特定の遺伝子だけに限られたものではなく、より広範なスケールで起こっている可能性があるのではないか?」という疑問から、翻訳中に一時停止した産物(ペプチジルtRNA)の蓄積を網羅的に調べました。大腸菌の1,000以上の遺伝子を対象とした解析では、TnaCやSecMほど強固ではないものの、約80%以上の遺伝子で翻訳途中産物の蓄積が認められ、翻訳異常が広範に発生している可能性が示されました。
この結果は、従来の「翻訳はスムーズに進むもの」というこれまでの考えを覆すものであり、出口トンネルと新生ペプチドの相互作用が、遺伝子発現の制御に広く関与していることを示唆した結果と言えます。
“翻訳の異常を起こしやすい配列”の特徴とは?
翻訳アレストのような異常な現象を引き起こすのは、どのようなアミノ酸配列なのでしょうか?
私たちは、20種類のアミノ酸それぞれが連続する人工配列を合成し、それぞれの配列が翻訳に及ぼす影響を比較しました。既知の例として、プロリン連続配列や正電荷アミノ酸のクラスターが翻訳を一時的に停止させることは知られていました。しかし私たちは、新たに負電荷アミノ酸(D、E)の連続配列が翻訳異常を引き起こすことを発見しました。
負電荷アミノ酸の場合、予想に反して単なる停滞ではなく、リボソームが構造的に不安定化して終止コドンに到達する前に翻訳が終結してしまう、という新しい現象であることが明らかとなり、私たちはこれを IRD (Intrinsic Ribosome Destabilization)と命名しました。
このIRDは、翻訳開始直後の段階で特に起こりやすく、また真核生物(酵母やヒト)においても観察されることから、進化的に保存された普遍的な現象だと考えられます。また大腸菌などの腸内細菌は、IRDを利用して細胞内マグネシウム濃度を一定に保つメカニズムを確立していました。生物は、IRDのような一見「欠陥」とも言えるリボソームの振る舞いすら巧みに自身の生存に利用していたのです。
翻訳過程に潜むリスクと、その対抗メカニズム
負電荷アミノ酸によるIRD(途上終結)やプロリン連続配列による翻訳停滞など、タンパク質発現にはさまざまなリスクが潜んでいることが明らかになってきました。こうしたリスクを伴うアミノ酸モチーフ「難翻訳配列」は、予測上、全ゲノムの約半数の遺伝子に存在するとされます。多くの場合、これはタンパク質の機能に不可欠な構造を生み出すために“意図的にリスクを取って”使われていると推測されます。
そのため、細胞はこのリスクに対応する翻訳補助因子を備える必要があると予想されます。実際、たとえばEF-P(真核ではeIF5A)は、プロリンの連続配列の合成を補助することで知られています。
私たちはさらに、EF-Pとは別の翻訳因子ABCF(ATPase-Binding Cassette subfamily-F)タンパク質が、さまざまな種類の難翻訳配列に対応していることを見出しました。大腸菌では4種類のABCFタンパク質が存在し、それぞれが異なる配列に特異的に作用することが示されています。現在、私たちはこれらの配列選択性がどのように決まるのか、またその機能を再設計することで、翻訳制御を人為的に操作する技術の構築を目指しています。
また一方で、ABCFタンパク質ファミリーは抗生物質耐性やがん細胞の薬剤耐性にも関わることが知られており、単なる基礎研究を超えて医療や環境といった社会的課題への貢献も期待されます。「大腸菌で正しいことは、ゾウでも正しい」という言葉があるように、モデル生物で得られた知見が、広く生物全体の理解へとつながっていく――。このような視点から、私たちは翻訳研究の新しい地平を切り拓こうとしています。
新たな翻訳アレストペプチドの発見とその機構
加えて、我々は新規アレストペプチドの探索にも取り組んでいます。大腸菌のゲノムに潜んでいた短いORFを対象に解析を行った結果、14アミノ酸からなる新規アレストペプチドPepNLを同定しました。
Cryo-EM構造解析の結果、PepNLは新生ペプチドが折れ曲がってヘアピンのような構造を形成し、出口トンネル内で詰まっていることが明らかとなりました。この詰まった部分がさらに後続の新生ペプチドを歪ませ、翻訳の終結反応を阻害するために、リボソームの停滞が起こっていることも分かりました。
興味深いことに、PepNL同様に終結反応を阻害するアレストペプチドを比較したところ、アミノ酸配列はてんでバラバラな一方、新生ペプチドには共通の“歪み”が見られました。この構造的特徴が翻訳制御(特に終結反応)にどのように関与するのか、さらなる研究を進めています。
最後に
リボソームという分子装置は、単なるタンパク質合成工場ではありません。
新生ペプチドとの相互作用によって、合成のタイミングをコントロールし、時に遺伝子発現のスイッチとして働く複雑な機能を備えていることがあきらかになってきました。
私たちは、この“ダイナミックな翻訳の世界”を分子レベルで解き明かすとともに、得られた知見を将来的なタンパク質工学、医療応用、生物設計へと発展させていくことを目指しています。