地域のお声ご紹介

観光庁事業」等、自治体・DMO等の活用事例を紹介しています。

2018年に代表の村松知木が設立した「一般社団法人地方創生パートナーズネットワーク(R-NET)」多くのパートナーの皆様に支えて頂き、活動をしてまいりました。

今回、1月より事務局のマネージャーに就任致しました桑野が、パートナー様に、インタビューをして、率直な感想やご意見をお伺いしました。

R-NETはどんな活動をしているの?観光業に携わる方の課題は?R-NETがお役に立てることは?

地域のことを考え、日々奮闘されている観光業の皆様の声をお届けするとともに、R-NETの活動を皆様に知って頂きたいです!

1 山形市商工観光部 観光戦略推進監(兼)観光戦略課長 青木 哲志様

今回は、実際に観光業に関わる行政の方にインタビューしました。

ご協力頂いたのは、山形市商工観光部 観光戦略推進監(兼)観光戦略課長 青木哲志様です。


R-NET代表理事の村松は、おもてなし山形(株)の観光庁「世界に誇る観光地を形成するためのDMO体制整備事業」の専門家派遣事業で山形市役所に勤務しております。山形市様は「山形版DMO」と言われる独自の取り組みをされており、今回はその取り組みについてインタビュー致しました。 山形市は、スキー場、温泉、山寺、さくらんぼなどの名産が有名なのはもちろんなのですが、それだけではなく、観光業の仕組みが他と全く違うのです。今回は、そんな貴重なお話をお伺いしました。(2022年2月取材:R-NET事務局 桑野)

テーマは「自走」まずは仕組みを変えるところから始めた。

 

■桑野

山形市様は他の行政とは少し違った取り組みをされていると聞きました。

 

青木様

そうですね。うちは他のDMOさんとは少し違うと思います。観光については行政と民間の観光関係の業者で運営しています。実働部隊は我々行政ではなく、株式会社。山形には「おもてなし山形 株式会社」があり、そこが山形市の実働部隊です。平成31年3月、山形・上山・天童の三市連携観光地域づくり推進協議会と連携した取り組みに関し、おもてなし山形(DMC)が、山形県内初の観光地域づくり法人(DMO)として認定されました。


一番の特長は自治体のお金を使わずに「自走する」ということ。もちろん、自治体も一緒に観光業をしていきますが、あくまでも稼ぐのは株式会社です。その仕組みを「山形版DMO」と呼んでいます。どの自治体も財政的に厳しいというのが現状です。地方創生推進交付金を使うことは可能ですが、これは5年で終わってしまう。現状、そろそろこの交付金がなくなるところも出始めていると聞いています。そうなると、補助金なしではまわっていかなくなる。私たちは、これを想定していたため、まず「自分たちで稼げる観光」の仕組みを作りました。地域戦略、人材育成は行政が主体となりますが、実際にプレイヤーとなり活躍するのはあくまでも株式会社です。


私は市役所で観光業に携わり、13年目です。この仕組みは10年前ぐらいから考えていました。地方創生という言葉が出てきて、その後H28年にDMOという言葉が出てきてすぐに応募しました。元々観光圏整備事業をやってきた土台があったので、そこはすぐに申請が取れました。そして、これを運営するには会社だよね、稼がなければいけないよね、という考え方になり、1900万円ほど集め、おもなし山形株式会社が立ち上がりました。


おかげさまで今6期目に入りました。2期目で累積黒字も達成しています。これまで、1億2000万円や児童遊戯設備などの寄付を行なっております。観光庁の実証事業は立て替え払いが必要なので、収益をこの立て替え資金にまわすなど、観光分野の公益的な事業への資金提供を行っております。


色々な団体があるなかで、優秀な人ももちろんたくさんいらっしゃることを前提でお話致しますが、私は組織は入れ替えがあったり活発な人員交流があったほうがいいと思います。そしてやはり「稼ぐための組織」の考え方が必要です。そのためには「この地域のありたい未来を自分たちで考えること」が必要です。昨年から山形市は連携中枢都市としての要件を満たし、更に活動範囲も広くなりました。令和4年から更に本格的に観光事業を広げていく計画を立てています。

「どこでもみんなでおもてなし」それがDMO事業

 

■桑野

あまり聞いたことがない例ですが、「自走する。」確かに大切なことですね。この仕組みを運営していくために大切にしていることはありますか?

 

青木様

まずは、いかに仲間を増やしていくか。これをとても大切にしております。自治体だけでは達成できないことは多い。協議会でワークショップをしたり、観光庁の制度を活用しながら人材育成をしたり、ということはもちろん大切ではありますが、その根本にはいつも「この地域のありたい未来はなに?」という気持ちがあります。これは私だけが持てばいいというものではないんです。地域の皆さんが地域を盛り上げるために「ありたい姿」を考える。こんなことをすればいいんじゃないのか?うちの魅力は何?といったことを集まって皆で話せる場が必要です。


地域の魅力に気が付くきっかけを与えるのがDMO。何もない場所なんて絶対ない、ただの田んぼでも、畑でも、それはやり方次第で観光地になるんです。だから、私はDMOは「どこでも(D)・みんなで(M)・おもてなし(O)」の略語だと言っています。みんなで考える。地元の良いところを見つけておもてなしをしていく。答えは「地域にある」。それがDMO事業です。


うちの市役所は役所じゃないとよく言われます。私は良い意味と受け取っていますよ。活発に意見が交わされ、若手が頑張って勉強して難しい申請書もどんどん書いている、自分たちで考え、発信して気が付き、その中で色々な物が生まれている。


私は一番駄目なことは「沈黙」だと思っています。メンバー主導でどんどん行動していくことが大切なんです。言われたことをするだけではだめです。職場は語れる場でなくてはならない。メンバーの育成に時間はかかりますが、出来上がるものは結局それが一番いいんです。

自走がテーマであっても、外の力を入れながらバランスよく運営していくことも必要

 

■桑野

一貫されていますね!あくまでも「自走」がキーワードなんですね。そんな山形市役所様に代表の村松が今、登用され、勤務をさせて頂いていますが、どのような役割をしていますか?山形市様とR-NETの関わりを教えてください。

 

青木様

村松さんとは、観光庁のスノーリゾート関係の仕事でご一緒することになりました。それからの付き合いです。新しいことをしようとしたときに、地域のメンバーが同じ方向を向けないということが実際にありました。これはうちだけではなく、どこにでもある課題ですね。今まではそれでもよかった。沢山人が来ていましたから。だけど、コロナ禍になり、人が来なくなり、どうすればいいのかわからなくなった。その時、内部の我々が話すよりも、観光庁事業で来た村松さんがみんなに話してくれて、内部の人の方向性がまとまったんです。


山形は資源もある、知名度もある。恵まれている方だと思います。だからこそ、コロナ禍という未曽有の事態で皆が途方に暮れた。ただ、前向きに考え、観光のマーケティングを勉強するところも増えてきた。村松さんが北海道、兵庫などの色々な事例を見せてくれて1年ぐらいかけて内部に話をしてくれたんです。いくつかの補助金申請が通ったのも、村松さんが部分的に関わってくれたからでもあります。うちは自走がテーマなのでコンサルを使わず若手が自分たちで補助金を引っ張って来れるぐらいの教育をしているんですが、それでも外の方の力が必要になることもある。村松さんが外の目線を入れ、山形の地元の人たちに話をしてくれたことが色々変わるきっかけになりましたね。コロナ禍で観光業はダメージを受けたかもしれない。でも、その分、「考えるチャンス」をもらった。前向きに考え、令和4年度は絶好のチャンスだと思って多くの仕掛けを考えています。


■桑野

山形市様の取り組みは、一貫されていて、そこに強い意志が感じられました。コロナのピンチもチャンスに変え、自分たちで状況を打破していく。そして、その中にR-NETが関わらせて頂いていること、すごく光栄に思います。貴重なお話ありがとうございました!

2(一社)秩父地域おもてなし観光公社 井上 正幸様

今回のインタビューにご協力いただいたのは

(一社)秩父地域おもてなし観光公社 事務局長 井上正幸様(重点支援DMO)

 

埼玉県西部に位置する秩父は、豊かな自然、レトロな町並み、秩父七湯と呼ばれる温泉、蕎麦をはじめとした地元産の美味しい食べ物など、観光資源に恵まれた場所です。東京をはじめとして、多くの場所から観光客が訪れています。

 

(一社)秩父地域おもてなし観光公社は埼玉県秩父エリア1市4町(秩父市・横瀬町・皆野町・長瀞町・小鹿野町)で連携しながら、精力的に活動されているDMOです。それでは、インタビューにご協力いただいた井上様のお話をお届けいたします。(2022年2月取材:R-NET事務局 桑野)

第一期として立ち上げたDMO。正解も不正解もわからないが、これが正解なんだと言い聞かせながら活動た。

 

■桑野

R-NET と井上様の出会い、そして、パートナーDMOになったきっかけを教えてください。

 

井上様

2012年から、DMOのような観光団体を作り、活動をしていました。そして国からDMOの話が出て、そのまま申請したので、第1期登録となりました。申請したらそのまま通ったという感じだったので、これがDMOとして正しいんだろうな、と思っていました。ただ、それと同時に、このままで大丈夫なんだろうか、と危機感も心の奥底にありましたが、自分たちのやり方が正しいのか正しくないのかもわかりませんでした。参考にするロールモデルがなかったからです。


代表理事の村松さんと知り合ったのは3年前ぐらいです。講演会で出会い、同級生ということもあり、意気投合しました。村松さんの講演を聞いて、ピンと来た、というか、ああ、この人ともっと話をしたいな、と思ったのです。それからじっくり話をして、R-NETの話を聞き、パートナーになって一緒に勉強したいと思いました。今の状況に不満があるというわけではなかったのですが、自分たちの活動が正しいのか、そしてもう一段階上がるために、R-NETの力が必要だと思ったからです。

 


R-NETは実はありそうでないプラットフォームだった。

 

■桑野

実際にパートナーになり、どのような活動に参加されたのですか?

 

井上様

一番多いのは講演会ですね。私がいろいろな地域に講演会に行くこともあれば、R-NETを通して観光庁の方などに来てもらい、講演をしてもらったこともありました。講演で知ることはもちろんたくさんあり、勉強になったのですが、それと同じぐらい、ネットワークの広がりが私にとっては貴重でした。R-NETを通して、多くのDMOの方々、企業の方々と知り合いになれた。私が知っている限りではR-NETのような横のつながりを広げてくれるプラットフォームは今までなかったのです。


講演会はそれまでも沢山拝聴しました。

例えば学者の先生や、権威的な方などからお話を頂くような講演会が多く、自分が知識を得ることができても、その場限りで終わることが多かったのです。他のDMOの事例を知りたくても、省庁から紹介されている事例は、うちより大きな、かなり広域のDMOの事例が多く、自分たちと同じ規模感のDMOの事例や課題、率直に考えていることは正直わからなかった。


DMOって横のつながりが実はあまりなく、他のDMOのことは全く知らなかった。それが、知り合いになることで色々なDMOの活動、課題、意見などを知ることができる。これは、まず、私にとっては衝撃でしたね。R-NETに入る前は、こんな機会は全くなかったのですよ、本当に

 


情報がいかに大切かということに気が付いた

 

■桑野

井上様にとって、横のつながりやネットワークがR-NETで得たものだったんですね。R-NETに入ってよかったと思ったことをもっと詳しく教えてください。

 

井上様

当たり前の事なのですが、情報って大切ですよね。ただ、私はDMOを比較的早く立ち上げたし、それなりに活動もしていたから、情報は沢山持っていると思っていたんです。自分に流れてくる情報は早いんだと。でも、R-NETはそれよりももっと早い。観光庁の最新の情報がすぐに流れてくる


例えば、補助金の申請書類なんかも、記載するときの文言や言い回しって結構目まぐるしく変わるんですよ。旬の言葉っていうんですかね?それの移り変わりが激しい。そういう情報も瞬時に流してくれるし、観光庁の方が講演に来てもくれるので、タイムリーに色々なことを知ることができる。そして、これも当たり前なのですが、正しい情報を素早く手に入れるためには、ちゃんとお付き合いすることが必要なんだと気が付きました。今話したことは当たり前のことなのですが、R-NETに入る前は、外の世界を知らず、その大切さに気が付いていなかったんです。


知る前と知った後では、世界が全く違いました。

そして、R-NETに入らなければ出会わなかったであろうな、というような方々と出会ったことも私にとっては大きな収益です。皆さん、優秀な方でとても勉強熱心で刺激になることが多いんですよ。

1市4町からの出向

知識を吸収することと同じぐらい、発信することも大切だと知った

 

桑野

確かに、知ることで、気が付く事ってとても多いですよね。講演会でお話を聞くと同時に、井上様が様々な場所で講演をされていると思います。その中で得たものはありますか?

 

■井上様

講演の機会は色々頂いております。R-NETに入る前も、正直講演の機会がなかったわけではないんですよ。ただ、その時はあくまでも秩父の事例共有ということで、DMOとしての活動をお話しするスタンスではありませんでした。今はDMOとしての講演が多く、自分たちの活動を色々な場所でお話できます。


先日は沖縄にも行きました。色々なつながりもできるし、何よりも日本全国で秩父というワードを連発できる。覚えて頂けるし、こんな機会はなかなかない。変な話ですが、地域で宣伝させてもらってると考えたら安いもんだと思います。

正直、うちは行政主導でDMOをうまく回していると評価されています。ただ、行政主導でDMOがうまくいっているところって実はあまりないみたいなんです。もっと行政が主導してもできることがあることを、共通課題を持っている人たちにもっともっと発信していきたいです。

 

■桑野

ありがとうございます!井上様の率直なお話を聞けて本当に嬉しいです。最後に全国のDMOに皆様にメッセージをお願い致します。

 

井上様

正直、私は自分もR-NETの一員、いや、社員だと思っています。そのぐらい、一体感を感じることができるんですよ。これからR-NETはもっと大きくなっていくと思います。このまま良いところを伸ばしながら私も一緒に活動ができればと思っています。そして、たくさんの方とこれからもつながっていければと思います。

 

■桑野

貴重なお話をありがとうございました!

マーケティングチーム

3 星野リゾート北海道統括総支配人 相内 学様

星野リゾート トマムは、なぜ成長したのか ~星野リゾート北海道統括総支配人に聞いた星野リゾート トマム成長軌跡~

 

「一度は泊まってみたい憧れのホテルはどこですか?」そんな質問をされたら真っ先に「星野リゾート」と答える人も多いのではないでしょうか。108年前、長野県軽井沢で最初の旅館を開業した星野リゾート。現在は多種多様な形態のホテル、旅館、日帰り施設など63施設の経営をして(2022年12月現在)います。

コロナ禍前の2019年は40施設程であり、ここ数年でますます運営施設を拡大している星野リゾート。何故、旅行業界を圧倒的に苦しめたコロナ禍でも成長しているのか。今回は、R⁻NETのパートナー地域事業者でもあり、今や北海道を代表するリゾートとなった「星野リゾート トマム」にそのヒントがあるのかもしれないと思い、星野リゾート トマムの運営開始頃から2021年までマーケティングとセールスを担当していた、現在星野リゾート北海道統括総支配人 相内 学(あいない まなぶ)さんに星野リゾート トマムの成長の軌跡をお伺いしました。(2022年11月取材:R-NET事務局 桑野)


■桑野

まず、相内さん自身についてのお話を聞かせてください。


相内

サービス業には興味を持ったのは、大学に入る前、千葉県浦安市にあるテーマパークでアルバイトし、学生時代は北海道で新聞販売サービス店に住み込み配達業務をしながら学費を稼いで暮らした経験からです。どちらもサービス業ですが、テーマパークでは、一見華やかでありながらも、「ブランドを守る」「安全で効率的な運営」の苦労を肌で学び、新聞配達では120軒の顧客を抱え、毎日朝3時に起きて朝刊配達、授業後は夕刊配達、そして月1回の集金と契約終了前の顧客に延長契約をお願いする等、今とは違い、直接ご家庭に伺って集金していましたから、毎月120通りの多種多様コミュニケーションを4年間浴び続けたので相当鍛えられました。それぞれがハードワークでしたが、「それがあったから今の自分がある」と言えるくらい、貴重な経験をさせていただいたと思います。北海道に来たのは、北海道の文化や歴史に元々興味があったからです。大学では博物館学芸員の課程も修了したので、それにかかわる仕事をしたいと思っていましたが、就職活動で北海道内の温泉ホテル経営会社とご縁があり、そのまま北海道でホテル業に就く事になりました。

新卒でお世話になったホテルには9年半在籍して、その後、星野リゾートに転職をしました。当時の星野リゾートは、まだ5施設程しかなく、ほとんど知られていない会社でした。トマムは星野リゾートが運営を開始したばかりで、経営改善の途上にありましたが、どんな状況かもあまりわからないままトマムに着任しました。それが2006年の事です。

老朽化したリゾートエリアを見て「それでもここは絶対良くなる気がする」とポテンシャルを感じた

入社してみると厳しい状況が目の前に広がっていました。しかも、同業他社知人に「トマムに転職する」と言ったら「トマムってまだやってたんだ!」と言われたくらい、巷では最初の経営会社が破綻したイメージが蔓延していました。当時の星野リゾート トマムは、今でこそ有名になった雲海テラス(後述)もまだなかったですし、決してお客様にご満足いただけるような施設の状況ではありませんでした。しかし、入社時にリゾートエリアを視察させていただく機会があり、ホテルなどの建物やアクティビティ、周辺施設を散策したとき、面白いほどに集客のアイデアが次々に浮かびました。このような状況でもなぜか悲観的にならず、老朽化した施設を眺めながら、「それでもここは絶対良くなる気がする」という、根拠はないけど妙な希望が芽生えたのを記憶しています。

当時のトマムは、3ホテル1,300室で運営していましたが、夏休みと年末年始はそこそこ満室になるのですが、それ以外の稼働がまったく振るわず、激しい繁閑差という課題がありました。「激しい繁閑差」の何が課題かというと、まずは雇用です。サービスを維持するために、混雑している期間のために、閑散期も雇用しなければなりません。だからと言って閑散期に社員数を合わせると今度は繁忙期に短期スタッフを雇用しなければなりませんが、そういうると短期スタッフをその都度育成するエネルギーが発生します。自社だけではなく、トマムのお取引先も同様です。繁忙期だけ必要な資材や人材を確保するのは決して簡単ではありません。

そこで、まずは年間通して稼働率を高めることを優先しました。リゾート地なので、できるだけ多くのお客様に来て消費していただき、そこで得た利益をサービスとしてお客様に還元するという意思が会社にはありましたし、私もそこに強く賛同していました。まずは販売チャネルを拡大し、販売単価を繁閑差に合わせて柔軟にしました。当時は、イメージアップのPRも同時にしていたので、価格を下げた時にPR担当から「安売りだ」と苦言をいただいたのですが(笑)、売上なくしてPRコストは捻出できないわけですから、価格を柔軟にして稼働と売上を上げることに最初は集中しました。

平行して、マーケティングを強化しました。お子様連れご家族をターゲットに、構築された四季折々のコンテンツやサービスをマスメディアやウェブメディア、旅行会社のパンフレットへ拡散する活動に相当力を入れました。その結果、少しずつ稼働率が上がり、売上が伸び、単価も上げられ、お客様へより多くのサービスを還元できるようになりました。

現場の「ちょっとした声」から生まれた雲海テラス。何気ない景色が観光財産になった瞬間。


■桑野

 星野リゾートトマムといえば、雲海テラスが有名ですよね。こちらの誕生秘話などを教えて頂きたいです。


■相内様

今では星野リゾート トマムの人気コンテンツとなっている雲海テラスが誕生したきっかけは、索道スタッフ(リフトの運営管理スタッフ)の何気ない意見でした。

トマムはスキー場があるため冬はスキー客で黒字になるのですが、夏が赤字であることが課題でした。夏のコンテンツを考える会議でスキー場の索道スタッフが「山頂ではきれいな雲海が見れるんですよ」ということを世間話の感覚で何気ない情報をお話した際、それを当時の星野代表が聞いて「それはいいね!」となり、雲海が見れる山頂に近い場所へテラスを作ることになりました。毎日見ている特別な景色とは思っていなかったものが、大きな観光資源に成長したわけです。どんな小さな声も見逃さずチャンスに変える。今思えば、言いたいことを言いたい人に言う、常に前向きに物事を考える社風だったからこそだと思います。そんな会社の考え方が大きな結果に結びついた瞬間だったと思います。最初は「山のテラス」という名前で、30脚ほどの椅子が並んだだけの全部手作りのテラスをカフェとして営業しました。これも索道スタッフが、「お客様に喜んでもらうにはどうするか」と議論した結果、「カフェ営業」というアイデアが具現化しました。しかも整備業務が中心だった索道スタッフは接客をした経験がなかったので、仕事の合間に料飲部門でサービスの研修を受けるなどして自分たちで開業を成し遂げたわけです。

固定概念を取り払い、地域を巻き込む。エリアを盛り上げたいという気持ちが大切!

 

■桑野

やはり、ここでも「人」がキーになっていますね。どんなに良い資源があってもそれを活かすためには人の思いや行動が必要になりますね。そういった思いは、旭川での活動にも活かされているのでしょうか。


■相内様

OMO7旭川(おも)by 星野リゾートなど、星野リゾートは旭川市でも積極的に事業展開をしています。旭川は、トマムとは逆で夏は富良野や旭山動物園の集客もあってか多くの方にお越しいただいていましたが、冬の集客に課題がありました。

そこで、スキーが趣味である星野代表とマーケティングチームが、大雪山系に抱かれた旭川市はカムイスキーリンクや旭岳に1時間前後で行ける環境であることに目を付け、2018年に、スキーヤー・スノーボーダーファーストなホテルを目指した「旭川、スキー都市宣言」を発表し、OMO7旭川(おも)by 星野リゾートからスキー場へのアクセスを拡充し、ホテル内でもスキーヤーへ向けたサービスを充実させる取り組みを開始しました。 

 

また、旭川をスキー都市としてさらに盛り上げるため、当時は細々と活動していた、「北海道パウダーベルト」(「富良野スキー場」「カムイスキーリンクス」「星野リゾートトマム スキー場」など一帯を指した呼称)のマーケティングを再興させ、広域エリアでのマーケティングをしようと当時、大雪カムイミンタラDMOに観光庁事業の専門人材で勤務していらっしゃった村松さん(R-NET代表理事)に声をかけさせていただきました。


大雪カムイミンタラDMOは旭川市の「カムイスキーリンクス」の指定管理もしていたので、「北海道パウダーベルト」の取組みや「カムイスキーリンクス」と「トマム」の共通リフト券などスノーリゾート形成など、双方の協力体制の構築は非常に早かったです。翌年には、大雪カムイミンタラDMOとOMO7旭川(おも)by 星野リゾートで個別に走らせていたスキー場送迎バスを統合し共同運行を開始しました。地域の理解を得ながら利便性と効率化を改善する取り組みもスムーズに具現化できました。

昨年は、「富良野スキー場」さんのご協力も得て、「北海道パウダーベルト共通シーズン券」発売開始など、広域で連携してスノーリゾートを楽しんでいただく仕組みを実現するなど、広域連携の取り組みは毎年拡大しています。

 

上記の活動全ては、自分たちのリゾートや地域の「点」のコンテンツや発信ではなく、「面」としてエリア全体で楽しんでいただけるかを常に念頭に取り組んできました。「面」で考えたことで、長期滞在しながら広域で動くインバウンドに向けた地域全体の受け入れにも効果があり、連泊のお客様も増えたと感じています。

旅行業界を襲った多くのピンチ。ピンチがあるからこそ団結してきた。


■桑野

 旅行業界には困難なことが多く起こっていますが、星野リゾートさんは運営施設を増やされていますね。


■相内様

新型コロナによって民事再生となったホテルが仲間になったり、コロナ前から動いていたプロジェクトが開業したり、ここ数年も運営施設数を増やすことができました。特に北海道全体では11[o1] 施設2,106室の規模にまで拡大し、スケールを活かした経営ができるようになっています。

 星野リゾートは危機になれば一致団結してピンチをチャンスにする、課題を解決するためにはどんな些細な情報も見逃さずにできることを考える、固定概念を捨てて行動をする、そういったマインドのある会社です。言いたいことを言いたい人に言う、常に前向きに物事を考える、そのような環境もあってこれまで色々な困難を乗り越えてきました。


今回の新型コロナでも、弊社も相当打撃を受けましたが、全施設でコロナ対策を万全に整備し、車で1~2時間圏内の市場をターゲットにした「マイクロツーリズム」という新しい市場に仕掛けたり、感染者数を気にしながらもポジティブに動いていました。最近の状況ですと、この冬のトマムの国内客はコロナ前を超える勢いで戻ってきていますし、訪日観光客もコロナ前に戻りつつあります。その他北海道内各施設も、国内外それぞれ回復傾向です。アフターコロナに向けて、北海道の観光を更に盛り上げていく、新たな仕掛けを考えたいと思っています。


■桑野

貴重なお話をありがとうございました!

【相内 学さんのプロフィール】

千葉県生まれの49歳。大学卒業後、北海道内のホテルに就職、フロント、宿泊予約、予約営業、支配人と多くの業務を経験後、[o1] 2006年に星野リゾートに転職。トマムにてセールス・マーケティング担当を務め、2019年には星野リゾートのファミリーホテルブランド「リゾナーレ」のマーケティング担当としてトマムを含む国内の7施設を担当。2021年より北海道エリアのホテルを統括している。

4 インタビュアー  R-NET事務局マネージャー 桑野 愛子

【プロフィール】

新卒で航空会社に入社後、グランドスタッフとして旅客業務に従事。その後、(株)リクルートに入社。旅行情報誌九州じゃらんの編集者として九州、ならびに中四国エリアの編集記事の企画、編集を担当。観光地の集客や、オリジナルグルメの開発などに携わった。九州地方の情報番組、ラジオにも多数出演。

その後、日本語学校の日本語教師として勤務する。2021年に地方創生の仕事へ復帰。観光地のインバウンド向けハンドブック、教育動画の企画ディレクションなどを手掛ける。日本語教師の資格所持、日本語教育能力検定合格。