Research

2001年から,カメルーン東南部の熱帯雨林に住んでいる狩猟採集民バカのもとでフィールドワークをしてきました。研究テーマをひとことであらわすなら「コンゴ盆地における人間と自然の連関と共生にかんする研究」といえます。それは,実証的であり,理論的であり,実践的であるという側面をもっています。研究テーマをすこしブレークダウンすると,以下の3点になります。

【A】生態人類学からマルチスピーシーズ歴史生態学

カメルーンの熱帯雨林に住む狩猟採集民バカと多種多様な生物とのかかわりあいを観察し記述してきました。まずバカによる野生ヤマノイモ利用の実態を生態人類学の手法によって定量的に詳らかにし,ワイルドヤム・クエスチョンとして疑問をもたれていた熱帯雨林における(農作物に依存しない)狩猟採集生活が可能であることをしめしました。さらに,ヤマノイモの歴史的な分布の形成にたいするバカの非意図的な関与の重要性をあきらかにしました。それは野生と栽培の中間領域にある食物が「狩猟採集民」の重要なカロリー源となってきたという点で興味深い事例を提供しています。

こんにちのバカ生活は,バナナやキャッサバを栽培するなど,変化のなかにあります。とはいえバカの生活実践には狩猟採集民と表現したい何かがあります。その「何か」は複数の生業を束ねて方向づける〈生き方〉の水準において捉えられることそして狩猟採集民は「アンチ・ドムス」の〈生き方〉によって特徴づけられることをアンチ・ドムス:熱帯雨林のマルチスピーシーズ歴史生態学』で論じました。その議論と併行して、アフリカ地域研究の中核的アプローチの一つとなってきた生態人類学を発展させて,人類学と生態学を架橋しながら「人間と自然の連関」の記述と分析をおこなう新しい学術領域「マルチスピーシーズ歴史生態学」を構想しました。

マルチスピーシーズ歴史生態学は,フィールドでの「気づき」の質を高めることを意図しています。そのさい「気づき」のアンテナを狭い範囲に方向づけてしまうことなく,アンテナの感度を強化するよう配慮されている点に特徴があります。それは熱帯雨林以外のフィールドにも適用できますし,狭い意味での「人間」や「自然」に対象が限定されるわけでもありません。こんにち地域研究の関心は遠心的に拡散する傾向がありますが,マルチスピーシーズ歴史生態学は,個々の研究を関連づける理論と方法を提供し,地域「間」研究の活性化にも貢献すると考えています。こうして若手研究者や学生を巻きこんでマルチスピーシーズ歴史生態学を実践して,ひろい意味での生態人類学的アプローチによる地域研究を活性化していくことをめざしています。

【B】自然保護区の「組み直し」にむけた実践的研究

近年,コンゴ盆地では,過剰な野生動物の狩猟によって生物多様性および地域住民の食料(タンパク)源が損なわれる「ブッシュミート危機」が懸念されてきました。この問題にとりくむうえでの障壁は,保全アクターと地域住民の協働が困難な点にあります。そこでSATREPS「在来知と生態学的手法の統合による革新的な森林資源マネジメントの共創」では,狩猟の成果(捕獲構成比)を利用して住民が主体的に実施できる野生動物モニタリングを考案しました。このモニタリングを軸に,狩猟や非木材森林産品の採集のために地域住民が森にアクセスすることを保全アクターが容認し,両者の信頼醸成の基盤となりうる,資源マネジメントモデルを立案しました。

このモデルは人々と多種多様な生物が相互にかかわりあいながら変化する動的ランドスケープを想定しており,重層的機能をもつランドスケープのなかで多面的な土地利用をとおして生物多様性を保全する「ランドシェアリング」を志向しています。従来カメルーン(やコンゴ盆地諸国)の保全政策は,人間活動を排除して保護区を確保する「ランドスペアリング」のみに依拠し,それが人々の伝統的な土地利用から乖離しているためにコンフリクトを引きおこしてきました。我々の考案したモデルは,ランドスペアリングからランドシェアリングへの漸進的移行を促すものになります。

さらに,SATREPSからスピンアウトした(私もコアメンバーとして参画している)総合地球環境学研究所プロジェクト「地域知と科学との対話による公正で持続的な狩猟マネジメント」をとおして,その道筋をより具体的に定めるための実践的研究を推進します。それは,保全当局や関連アクター(CIFOR,WWF,ZSLなど)に上記マネジメントモデルを打ち込んで社会実装をおしすすめながら,保護区・周辺地域における多様な人間アクターと多種多様な生物たちの連関をマルチスピーシーズ歴史生態学をもちいて記述し,同時に,その連関に介入して組み直していく,という方針になります。

【C】狩猟と精霊の民族誌からシェアリングの系譜学へ

バカの狩猟とシェアリングの実践,その基盤にある人間−動物−精霊の三者関係を軸とするオントロギー(存在論)について民族誌的記述をしつつ,他の狩猟採集民の事例との比較をとおして,狩猟採集民の生態=経済を特徴づけているシェアリングについて考察してきました。とりわけ,しばしば混同されてきた贈与とシェアリングの差異を明確化することを意図して,贈与=〈1→1〉分与,シェアリング=〈0→全〉分割として対比した点が重要な学術的貢献だと考えています(ただし実践上は,2つが接続したり重なりあったりしており,それが贈与とシェアリングをめぐる議論の錯綜につながっています)

それをふまえて『オルト・ギフト:狩猟採集民におけるシェアリングの系譜学』と題する本の出版を計画しています。「オルト」とはAlternativeの意で,オルト・ギフトとは,端的にいえばモースの『贈与論』批判です。『贈与論』は,レヴィ=ストロース,サーリンズ,ポランニーらを経由して近年まで大きな影響力を維持していますが,問題は『贈与論』に影響された(前世紀ならともかく)近年の研究,たとえばグレーバーの『負債論』(2011)などでも,狩猟採集民研究の知見がほとんど活かされていないことです。やや論点は異なりますが,グレーバー&ウェングロウの『万物の黎明』で引用されている狩猟採集民研究の知見は(考古学をのぞけば)1980年代初頭までの古典ばかりです。

したがって『贈与論』批判というかたちで狩猟採集民のシェアリング論を展開することは,学際領域における「人間の経済」についての探究の幅をおしひろげる,インパクトの大きい仕事になると考えています。これまで私は,バカの狩猟と精霊,肉のシェアリングにかかわる民族誌的記述をもとに,このトピックについて論じてきました。それを「アンチ・ドムス」という狩猟採集民の〈生き方〉の理解とつきあわせながら,「オルト・ギフト」としてのシェアリングの系譜学を構想していく,という目論見になります。