一日目
前にはたくさんのさく・堀があり、とても高い。
遠くから敵が来ているかがわかるように高いところから見張っている。ものみやぐらは12mある。
語り部ができた理由は、2020年6月に「語り部をやってほしい」と相談された。だけど2歳の頃だったので思い出すのが難しい。でもやることにしたそうです。
わたなべちえこさん:車椅子の語り部として世界を旅した人です。
自分のを四つに分けて話しました。長崎市で生まれ、兄が二人,姉が四人,弟が一人いた。
平和祈念像をつくった人は、北村西望です。平和祈念像の意味は、右手が原爆のきょうい、左手がいつまでも平和を願う、目は犠牲者のめい福を祈るという意味がある。
・この平和祈念像は募金(税金)でつくられたものです。
・戦争前は刑務所だった。
当時1500人いた児童のうち1400人なくなった。
先生は31人のうち28人がなくなりました。戦争でたくさんの人たちが学校でなくなって、卒業式では男子5名、女子14人、計14名がなみだの卒業式をした。
原子爆弾は500mから落とされた。
近くには大浦天主堂の一部がおいてあった。
原爆が落とされた日は8月9日に落とされ、11時2分におとされた。溶けた瓶、黒くなったお弁当などがあった。
たくさん原爆の被害などがある資料館。
二日目
建物の中には当時の食器や家具があり、屋根裏部屋(ひみつの部屋)がありそこでは他の人に知られてはいけない会議などをしてつかっていた。
大浦天主堂はもともとカトリック教会だったそうです。たくさんのステンドガラスがあった。この教会は国内最古のゴシック調の教会。